俺は走っていた。
黒い鞄を小脇に抱え、夏の暑い日差しをあびて、ただひたすらに走っていた。
どこへ行くかもわからずに……。
そもそも事の始りは、うららか陽気の春の日の、桜の花咲く昼下がり。
大阪の北区に本社をもつ小さな商事会社に勤める俺は、その日、突然社長室に呼出された。
春先のこんな日に社長室に呼出されるなんて、どうせろくな用事であるはずはない。どんなお小言をもらうのかと、日頃の自分の行ないを振り返ってみたが、これと言って思い当るふしはなかった。
今更あれこれ考えていてもしかたがない。
社長室と書かれたドアの前で大きく深呼吸をひとつした俺は、コツコツと、きっかり二回だけノックしてから扉を開けた。
「営業部・第一課、本間宏明。入らせてもらいます」
「あぁ、本間君か。うんうん。君の日頃の仕事ぶりは見せてもらっているよ」
「はっ、ありがとうございます」
「そこでだ。ひとつ君のその腕をだね、我が社の青森支店でいかしてもらいたいんだ」
「はい。よろこん……ん? なっ、なんですって・」
―って、ひっとして左遷かよ……。
「うむ。どうも君はその、大阪のような都会より、すこしのんびりした向うの土地の方があっているように思うんだ。まぁ、二年間程、がんばってきたまえ」
なにが二年間だ。俺は知っているんだ。五年程前に、一年間だけ博多支店へ出張を命じられた社員が、いまだに帰って来ていない事を……。
だがしかし、結果的に俺は社長にさからう事ができず、ましてや会社をやめる勇気もなかったので、辞令がでたその三日後には青森へとむかう新幹線に乗
っていたのだ。
あれから数ヶ月。いまはもう夏。青森は、当初思っていたよりもいい所で、青森支店の森田支店長も、本社から転勤して来た俺の面倒をなにかとよくみてくれる。このまま真面目に働いていれば、本社に帰れる日もすぐにやってくるだろうと、毎日そんな事を考えていた。
そんなある日、俺は走り出したのだ。
走り始めたのは、三日前の事だった。
その日俺は、いつものように会社に出勤するぎりぎりの時間に起き出して、あっというまに服を着替えると、朝食もそこそこに、黒い鞄を小脇に抱え、バスの時間に間に合うようにと玄関から駆出した。
俺の家からバス停までは走って三分ほどの距離。バスの発車時刻まであと五分。いつもなら間に合う時間だ。ところがその日にかぎって、あと数メートルという所まで来た所で、バスは出発してしまったのだ。
「おーい! まってくれー!」
大声で叫んでもバスは止らなかったので、そのままJRの駅を目指して走り続けた。今思えば、あの時、会社に遅刻してでもじっとあのままあのバス停で次のバスを待っていればよかったのだ。そうすれば、きっとこんな事にはなっていなかっただろうに……。後悔先に立たずとは、この事であろう。
バス停から駅までは、バスなら十分の距離である。どういうわけか一度も赤信号にはひっかからず、二十分ほどで駅へたどり着く事ができた。
そのまま走りながらポケットから取り出した定期を駅員に見せつつ、ホームへと駆込んだ。
向い側のホームには、いままさに乗るべき電車が停まっていた。
―なんとかまにあったか?!
二段とびに陸橋へと駆け上がった。が、陸橋の上を走っている間にその電車は発車してしまった。
そこで俺は、そのまま反対側の改札を駆け抜け、再び会社へと向って走り出した。
さて、家を出てから一時間。もうすでに会社には遅刻している時刻である。しかし、走っている事に対する違和感はまだなかった。
最初におかしいと考えたのは、さらに三十分ほど走った時だった。
それまですべての信号を、奇跡的に青で難無く通過しながら会社へ向っていたのだが、突然目の前に現れた赤信号を左に曲ってしまつたのだ。こんな所で左に行ったら秋田に行ってしまう。会社に行くならまっすぐだ。そう考えた俺は、その信号まで後戻りしようとした。
だが―、出来なかった。足が思うように動かず、ただひたすら前に向って走っているのだ……。
とにかく今日で三日目。俺は、新潟県内を、サラリーマンの悲しさか、未だに黒い鞄を小脇に抱えながら「今」まさに走っているのだった。
さてこれまでの三日間。一睡もせず、休憩さえもしていないのに、不思議と疲れはなかった。だが、食欲だけはあった。
最初の日は朝食さえもろくに食べていないのに、なぜ止れないのだろう? と言う疑問のためにおなかが空いている事など忘れていたのだが、あけて二日目の朝、突然食欲が襲ってきたのだ。
ところが、足が止らないため、食堂に入る事ができない。そこで、走りながら前方にパン屋などが見えると、大声でパンと牛乳を注文し、パン屋の前を通り抜ける時に売ってもらうという方法を発見した。
すべての店がそれで売ってくれるというわけではないが、まぁ―、五軒に一軒ぐらいはそれで売ってくれるようだ。
食欲はそれでいけるのだが、問題は排出である。ところが、どういうわけか走り出してから今まで、便意も尿意もいっこうに催さないまま現在にいたっている。
「おーい! 前を走る人!!」
突然後から俺を呼んでいるらしい声がした。
走りながら振り向くと、俺と同じように背広を着て、黒い鞄を持った男が俺の後を走っていた。
「あんたも止れないのかぁー・」
その男がそんな事を言いながら俺の方へと走ってくるので、俺は、すこし走るスピードを落としてその男が追い付くのを待った。その男なら、なぜ走り続けてしまうのかという事を、知っているかもしれないと思ったからだ。
三日間も走り続けている間に、すこしぐらいなら走るスピードを変えたり、道の左端から右端へ移るぐらいの事は自分の意志で出来るようになっていた。
「やぁどうも、私、田島といいます」
その男は俺と並ぶと、にっこりと笑いながら名刺を差し出した。
『福島信託銀行・営業部・田島真一』と、その名刺には書かれてあった。
「これはどうも……」そういいながら、俺も思わず田島に名刺を差し出した。
「本間宏明さんというんですか」
田島は、走りながら握手をもとめて来た。
「あなたはいつから走っているのですか?」俺より先に田島が聞いてきた。
「あ、あぁ三日前からです。あなたは?」
「ぼくは昨日の朝からです……。駅から会社へ向って走っていたら、止れなくなったんですよ。ワハハハハハ――」あ、明るい奴である。
「俺の場合……」そう言って今日まであった出来事を話し始めた。
田島は、時折うなづきながら、真剣に俺の話しを聞いていた。特に、パンの買い方の話しをした時、昨日から何も食べていなかったらしく、さっそくその方法でパンと牛乳を買うと、ものすごい勢いでそれらを食べ、飲んでいた。
そんな田島を見ていると、走るのが一人でなくなった喜びが込み上げて来るのがわかった。
田島の食欲が満たされてからも、しばらく二人でなぜとまれないのか? という問題について話合ったが、けっけょくは田島の、
「まぁ、わからないものはしかたがありません。ウンウン」と言う言葉で幕を閉じた。
しかしなんだね。俺がこれだけ不安と疑問を感じているのに、なんとまぁ田島の楽天的なこと……。どうすれば田島みたいになれるのだろう……。
「え、あぁ簡単な事ですよ。どうせ悩んだ所で止れないのだから、自然に止るのを待てばいいんじゃないですか」
――なるほどなぁ、言われてみればその通りだ。どうせこれからは二人だし、運を天に……、いや、足に任せて気楽に行くか……。
その日の夕方、俺たちは海岸線の国道を時速およそ八キロのスピードで新潟市から富山方面に向って走っていた。
青森を出て、ほぼ五百キロ地点である。
二人でうだうだととりとめのない話しをしながら走っていると、前方に、白衣を着て、首から聴診器をぶら下げた医者らしき人物が走っているのが見えた。
「おい、あの医者も俺たちと一緒で止れないんじゃないか?」
最初にその医者を見つけたのは、田島であった。
言われてみればなるほど、聴診器をぶら下げながらジョギングをする医者などいるはずはなかった。
医者ならば、こうして走り続ける理由がわかるかもしれない。
その医者の名前は、前田順治という。彼は新潟市立救急病院の外科部長で、昨日の昼ごろ、急患が来たため急ぎ足で玄関に向っていたら、そのまま止らなくなってしまったのだそうだ。
前田医師の話しによると、世界中の人々が三日ほど前から走り出しているのだという。
『走行症侯群』
これが、この走りづくめの病気に付けられた病名だった。
これからもまだまだこの病気の患者はふえ続けていくだろうという……。
「えぇっ! じゃあこの病気はいつになったらなおるんですか?」と、俺はたずねた。
「さぁそれは、わたしも専門外なのではっきりとはわからないが、どうやらこの病気は、日頃の欲求不満が爆発した一種のヒステリー症のようなものらしい。したがって、欲求が解消された時点で、自然に治り、足も止るだろうという事だ」
彼はそう言ったが、俺には信じられなかった。たしかに青森に初めて来た頃は、どうしたものかと悩む日もあったが、今の俺は、毎日の生活にも満足していたし、欲求不満などなかったからだ。これはきっと、なにかもっと別の理由があるに違いない。
そんな事を考えながら走っていると、朝が来た。
さて、走り始めて四日目。時間は朝の五時すぎ。場所は柏崎。すでに何人かの人々が走り始めていた。
俺たち三人の後の方では、新聞配達の少年が新聞も配らずに走っていた。前を見ると、ジョギング姿の女性がいた。彼女が『走行症侯群』なのかどうかはわからないが、先程から落ちつかなげにあたりをキョロキョロと見まわしている所を見ると、どうやら彼女も『走行症侯群』にかかっているようである。
それから約二時間。走っている人の数は着実に増え続け、八時を回った今では、かなりの人数が俺たちの回りを走っていた。しかも、どうやら全員同じ方向へと向って走っているようだった。
制服やセーラー服を着た学生。俺と同じサラリーマン。買い物篭を下げた主婦。幼稚園児。さらには、杖を持った老人まで……。老若男女地位名声職業にかかわらず、全員が同じ速度で走っていた。
こんな事がニュースにならないわけがなく、案の定、頭上には報道陣のヘリコプターが飛びかっていた。
昼ごろになると、テレビ局のアナウンサーがマイクを片手に、走りながら俺に向ってインタビューをもとめてきた。
「どうも、『昼のいこい』のインタビュアーの中本英樹です。あなたはどういう理由で走り始めたのですか? どうすれば止れると思いますか? どこへ向
って走っているんでしょうね?」
中本アナウンサーの矢継ぎ早の質問に、俺がすこしとまどっていると、
「そんな事を俺たちに聞く前に、まず自分が止れるかどうかを確かめた方がいいんじゃないか?」と、田島がからかうように言った。
するとどうだろう。そのインタビュアーは、突然青ざめた顔になり、マイクを握って叫びだした。
「み、皆さん! た、大変です! わたしの足も止らなくなってしまいました。どうすればいいのでしょう?!」
どうやらこのインタビュアーも『走行症侯群』にかかってしまったようである。
俺たちの後では、止る事の出来ない人々に対し、車をつかって並んで走りながら食べ物を売る業者までが出だしたようだ。
その日も夕方になると、東京や静岡などからもぞくぞくと人は集まり、ますます大人数になっていった。
翌、五日目。
いよいよ警察官や自衛隊までもが出動して、交通整理をはじめた。だが、その警察官や自衛官の中の何人かも、俺たちと一緒に走りだしていた。
そしてその夜、十時を回った頃には、数十キロにもおよぶ長い列になっていた。しかし、それでもふえ続ける人々はまったくとどまる所を知らぬかのようであった。
そして、その列のほぼ先頭を走っている俺は、どうやら自分たちが自殺の名所である福井県の東尋坊へと向ってひた走っている事に気がついたのだ。
あと数十メートル。
崖っぷちまでの距離がそんな所まで迫ってきた時。突然――、そう、まったくの突然、『走行症侯群』なる病気は全快してしまい、俺の足は走る事をやめてしまったのだ。
するとどうだろう。今日まで五日間の疲れや、足の痛み、睡魔、そういったもろもろの事柄が、まとめて押し寄せてきたのだ。
俺は、五日目にしてようやく小脇に抱えた黒い鞄をほうりなげた。そして、その場からのがれようとした。
だが、出来なかったのだ。
田島や前田。それに、俺たちの回りの何人かも『走行症侯群』の呪縛から逃れる事が出来たようなのだが、俺たちよりももっと後の連中は、まだそのままの勢いでこちらへと向って走り続けているのだ。
それらの人々に対して、俺たちの疲れきった身体で抵抗することは、とうてい不可能であった。そのため、俺たちはなすすべもなくジリジリと崖っぷちへと押しやられ、ついには、あと数歩という所まで来てしまった。
―レミング……。
俺の頭の中に、唐突にその四文字が浮んだ。
そして俺は、全てを悟ったのだ。
これが『走行症侯群』などという病気ではない事を……。
たが、なぜだか俺はすごく満足だった。両横に並んだ田島や前田の顔も、すごく満足そうだった。おそらく彼らも悟ったのだろう。
この、集団走行の理由を……。