天ちゃんの・冒険譚
特別番外編

永遠の明日

天羽[司法行政卿]孔明

 やあやあやぁ、今年もまたこの特別バージョンを書く季節がやってまいりました。
 みなさんいかがお過ごしでしょうか? 「天ちゃん」でふ。
 今回初めてぼくの文章を目にする方、はじめまして。よろしくね。

 さて唐突ですが、皆さんは友人に恵まれていますか? おかげさまでぼくには、知りあい程度の人もいれるとかなり多くの友人がいます。
 もちろん中には親友とよべる友人も何人かいるのですが、親友の定義ってなんだかややこしいんですよね。親友とはこうあるべきだ!≠ネんてものは無いもんね。だから、より親しい友人イコール親友ってしてしまえばいいんじゃないでしょうか。
 ぼくのその友人達なんですが、どうもつらつら考えるに、ちょいとばっかり変った連中が多いんじゃないかと思うのです。
 そこで今回は、そんな変り種友人の話しでもしようかと思っとります。
 本当言うと、どの友人の話しを書いても面白く、いつもの連載一回分ぐらいの量は書けてしまうのですが、今回は特別バージョンという事なので、数多い変り種友人の中でももっとも変っている奴の話しでもしましょうか・・・。

杜若忠明 その友人の名前は、“杜若忠明かきつばたただあき”。なんだか嘘のような本当の名前なんですよ、これ。今回ここに書く事はちゃんと言ってあるので、心おきなく書けるというわけです。はい。
 初めて彼に逢ったのは中学三年の夏休みだったので、今から約二十年ほど前の事でした。
 その頃のぼくは、学校が休みになると、一人であちこち旅に出かけていました。
 旅に出ると、本当にいろんな人達に出会います。一人でヒッチハイクをしながら日本一周をしている人や、ローラースケートで四国一周をしている人、東海道五十三次を歩いているお年寄りの夫婦にあった事もありました。
 旅先で出会った人々と親しく成るのはよくある事で、もちろんその時一回こっきりの人もいますが、何年間かは年賀状のやりとりをした人だっています。そして今でも親しくつきあっている友人もいるのです。そのほとんどがユースホステルなどで知りあった、ぼくと同じ様に旅をしている人達でした。また、地元の人の中にも、大変親しくなり、未だにつきあっている友人もいます。

 平山晃一は、九州で知りあったそんな友人の一人です。彼はぼくより三才ほど年上で、一見すると柔道の選手かなにかに見えるほどでかく、ちょっと強面でとっつきにくい感じのある奴なんですが、なかなか気のいい男なんです。ぼくともすぐに親しくなりました。 彼との出会いもけっこう変っているのです が、それはいずれまたの機会という事にして、話しを先に進めます。
 中学三年の夏休みは、高校入試に向けての大切な時期。まわりの同級生が受験勉強に夢中になっている頃、ぼくは、中学浪人になるならそれでもまぁいいやって思っていたので、まだ受験勉強に取組んでいなかったのです。
 そんな時でした。
「面白い奴が一ケ月程うちに居候しているから、その間に一度遊びにこないか?」と、平山から電話があったのは……。
 家にいても勉強するわけではないので、さっそく九州の平山の家へ遊びに行く事にしました。
 彼の家は鹿児島市内に有るのですが、おやじさんがけっこう大きな会社の社長という事もあって、十人程度の客が一度に泊ってもビクともしないぐらい大きな家なんです。
「ちょっと変り者なんだけど、おまえなら話しがあうと思うぞ」
 そう言われて、はなれにある彼の部屋へ入ると、そこに、女性が一人背中を向けて座っていました。
「えっ? 女性やったん?」
「紹介するわ、こいつ、杜若忠明。もちろん男やで。……おい忠明、やっぱり間違えよったで」
「へへへ、はじめまして。杜若忠明です」
 そう言ってこちらを振り向いた忠明の声と顔は、やっぱり女性のものでした。
「おいおい、なんだか狐につままれたみたいな顔をしてるな。びっくりしたやろ。俺なんか初めてあった時にナンパしてしもたんやぞ! 泣けてくんで」
「まぁまぁ、ぼく、しょっちゅうナンパされるから、もうなれっこになってる
って……」 二人でニヤニヤ笑いながらぼくの事を見ているのですが、さすがのぼくもこの時ばかりは驚いて、しばらく声が出ませんでした。
 その頃の忠明は、前髪は目のすこし上ぐらいに切りそろえていたのですが、後ろは腰ぐらいまで伸ばしていて、床に座ると毛先が絨毯をこすっているのです。
 もちろんそれだけなら単に髪の毛を伸ばしているだけの男にすぎないのですが、彼はそれに加えて体の線が細く、男性にしては少々声質が高いのです。しかも彼のその顔だちは、絶対に、どう見ても、男にしておくのがもったいないぐらい可愛いいんです。おもわず危ない世界に足を踏み込みそうになりましたよ。ぼくは……。
「言い忘れたけど、こいつに変な気ィおこしたらあかんで、こいつ見かけはこんなんやけど、これで結構喧嘩は強いし、なんてったって合気道の有段者だかんな」
 この時ぼくが、『世の中まだまだ奥が深い……』と感じてしまった事を特筆しておきます。ただし、この後も彼には何度も驚かされていますから、今ではなにがおこってもびっくりしません。本当だよ。
 それはさておき、結局ぼくもそのあと四日ほど平山の家に泊ったのですが、その間に彼からいろんな話しを聞きました。

 忠明は、学年ではぼくより一年先輩で、家は大阪の高槻市。高校は自宅から通っているとの事なので、なぁーんだ、それならぼくの家の近所じゃないか(実際には、ぼくの住んでいる八尾市と高槻市では三十キロほどはなれているけどね)という事で、ますます意気投合してしまいました。
 初めて彼にあった時、なにが不思議だったかと言うと、男がそれだけの長髪をしている理由と、よくまぁ中学高校と学校に許してもらっているなぁ……、と言う事でした。
 疑問に感じたら、なんでもすぐに聞き出す事をモットーにしているぼくは、さっそく聞いてみる事にしました。
 彼が髪の毛を伸ばし始めたのは、小学校の三年の頃からなんだそうです。
 それまではかならず月一回は父親に散髪へ連れて行かれていたのが、その年、事故でその父親が亡くり、もともと散髪嫌いだった彼は、なんとなくそのまま散髪へいかなくなって、小学校を卒業する頃にはかなり髪の毛が長くなっていたんだそうです。
 母親も姉も、やたらと忠明の長髪が似あっているため、短くしろとはいいにくかったんだそうです。
 中学では一応長髪OKだったらしいのですが、学校側でも背中まで髪の毛を伸ばしている男子生徒というのは初めてらしく(ってあたりまえだろうけど)かなりとまどっていたらしいんです。そしたら入学式の日に彼の母親が、
「絶対に不良化はさせませんから」って言ったんだって。
 高校はもっと傑作です。公立高校はぜったい長髪がだめだろうって事で、私立にしか受けなかったそうなんだけど、入学試験の面接の日、担当官に向って、
「ぼく、父親が死んだとき、占い師の人から『十八才まで髪の毛を伸ばしていないと早死にしてしまいますよ』って言われたんです」って言ったんだそうです。しかも、御丁寧にも、同じ様な文面で母親に手紙を書いてもらってあってやつを担当官にみせたんだそうです。さらには極めつけで、
「もしこの長髪がだめなら落として下さって結構です」って言ったんだそうな。
 ここからは後日談になるのですが、結果は、とりあえず髪の毛を後で一本になるように縛る事という条件付きで合格し、ちゃんと三年間長髪で通したわけなんだけど、それでも学校の中では賛否両論だったんだそうです。そりゃそうだよね。
 幸いそこの校長先生がいたく彼を気に入ってくれたとかで、なんとかなったんだって。そんなわけだから高校一年の時の彼は、一部の先生や父兄からかなり睨まれていたみたいです。
 卒業式の日、お礼を言いに校長室にいくと、かの校長先生は、
「入学試験の時に言ったあれ、大ぼらだったんだろ」って言われて、「はい!」って元気に答えたとか……。
 まぁなんです。やっぱりこいつ、変な奴……。

 ぼくはと言うと、その夏彼にあった事で、高校に行っておくのもいいかなって思いはじめていて、平山ン家から帰ってから急に受験勉強なんてものを始めてしまい、両親を驚かしてしまったようです。……しょせんぼくは、人に影響されやすい奴なんですよ。うんうん……。ちょっとした旅

 それから二年後。ぼくもなんとか無事に高校の二年になっていました。
 そしてその年の夏休み。忠明と、ちょっとした旅を計画したのです。それは、夏休みの一ケ月間、とりあえず五千円だけもって北海道を一周しようと言うものです。
 計画の初日ぼくたちは、東大阪市にあるトラックターミナルへ行き、東京行きのトラックに便乗させてもらう事にしたのですが、早速ここで、家出のカップルと勘違いされるというアクシデントがありました。まぁこの程度の事で驚いていたら、忠明の友達はやっていけませんです。はい。
 とにかく、いろんなアクシデント(そのほとんどが忠明に関しての事だったと書いておかねばなるまい)に会いながらも、大阪を出てから三日目には無事札幌へ着きました。
 途中、乗せてもらったトラックの運転手さんの手伝いをしたりしたので、この時点でぼくらの所持金は、あわせて二万四千七百円になっていました。
 さすがにこの金額では北海道一周は心許ないと感じたぼくたちは、十日間ほ どバイトをしようという事になり、さっそく札幌駅前でアルバイト情報誌を買い込みました。
 ぼくとしてはどんなバイトでもよかったんだけど、この時忠明が、「せっかく北海道まで来たんだから、こっちでしかで経験できないようなバイトをしよう!」と言うので、なんと、牧場で働く事になったんです。

北海道で、永遠の明日に向って生きる もちろんこのアルバイト捜しも一筋縄ではいきませんでした。
 まずなんと言っても、十日やそこらのバイトはいらないと断られるのが一番多かったです。大阪から来たような高校生にはつとまらないってのもありました。それでもがんばってあちこちに電話をしていると、道央の、とある牧場主のおじさんが、自分も若いころ自転車で北海道一周をした事があるとかで、心よく歓迎してくれました。ところがいざその牧場につくと、ここでも忠明の長髪があだになり、あやうく断られそうになったのです(この頃は、今以上に長髪に対して理解がなかったんですよ。はい)。でも、忠明と二人で、「そこを、なんとかっ」とたのみこんで、ようやくアルバイトさせてもらえるようになりました。
 ここのアルバイト、はっきり言ってとてもきつかったです。後で聞いたんですが、なんでもここのおじさんが、どうせすぐに逃げ出すだろうと思ってわざときつくしていたらしいのです(うーん、どうりでなぁー)。ぼく一人なら初日の晩には逃げ出していたんじゃないだろうか……。ところが、忠明は違ったのです。もとから寝起きはよく、朝につよい忠明は、水を得た魚のごとく、はた目にも楽しそうに働いていました。
 もぉ、なんて言うか、オーバーオールを着て、麦わら帽子をかぶり、夕日をバックに干し草をあつめる忠明の背中には、『天職』の二文字が燦然と輝いて見えましたよ。ぼくには……。
 忠明自身も、三日目の夜、ふとんの中で、「おれ、この仕事、天職やとおもうわ」って言ってたから、やっぱりそうなんでしょう……。
 ここでのぼくたちの仕事は、早朝、まだ日の昇る前から始ります。でも、ぼくは朝はまるっきりだめなので、なんの仕事をしていたのかさっぱり憶えていません。ただ、朧げながら、牛の世話をしていたんじゃないかと思います。(朝の仕事はほとんど忠明にまかせていたのです。反省)。
 そうそう、牛の乳しぼりもすこしだけおしえてもらいましたよ。これなんかもぼくがいくら頑張っても出せないのに、忠明は三十分ぐらいでマスターしてましたね。
 こうしてあらためて書いてみると、真面目に働いていたのは忠明一人で、も
っぱらぼくは邪魔ばっかりしていたんじゃないかって気がしてくるなぁ……。でも、ぼくだってちゃんと働いていたんだよ。おじさんの軽トラックに取れたての牛乳を乗せて、配達のてつだいをしたりさ……。自家製のバターやチーズを作る手伝いもしましたよ。
 夜になると、八才になったばかりのここの一人娘と、ゲームをしたりトランプをしたりして遊んでましたっけ……。
 夜といえば、満天の星空というのもここで初めて目にすることができました。本当に恐いぐらいの星空で、『星の降る夜』なんていう言葉は、まさにここの夜の事を言うんだろうなって感じられました。

 結局なんだかんだでここのおじさんにやたらと気に入られたぼくたちは(って、ほんとは忠明だけだったりして……)、十日ほどの予定だったのに、十五日ほどもここでアルバイトをする事になったのです。
 最後の日、おじさんは、「もうすこしアルバイトしてくれたら助かるんだけどなぁ」なんて言ってたけど、さすがにこれ以上ここに留っていると北海道一周が出来なくなっちゃうもんね。
 んでもってそのとき忠明が、
「高校を卒業したらここに働きにきてもいいだろうか?」なんて爆弾発言までしてしまったんです。
 そしたらおじさんは、
「その長い髪の毛をばっさり切る勇気があったら、必ず雇ってやる」と言ったのでした。
 忠明は、しばらく考えた後、「わかりました」って言ってたっけ……。
 さて、ここのアルバイト料は予想外にも二人あわせて十二万ほどもありました。
 まさかこんなにもらえるとは夢にも思ってなかったぼくたちは、何度も何度もお礼をいいながらこの牧場を後にしたのでした。
 さてその後の旅には強烈なアクシデントもなく、無事に大阪までたどりつく事が出来ました。
 家についた時、二人の所持金があわせて千二百五十円になっていた事をつけくわえておきます。

 さて、それから約九ケ月後の五月。ぶじに高校を卒業した忠明が、突然なんの連絡もなく我が家にやってきたのです。
 この時、玄関に立った忠明が、一瞬誰かわからなかったのです。しばらく考えて、それが忠明だとわかった時は、はっきり言ってびっくりしてしまいましたよ。そうなんです。忠明は、あの、自慢の長髪をばっさりと切っていたのですから……。
「ひさしぶりやなぁー」と言った忠明の顔は、ちょっぴりはずかしそうでした。
 二階にあるぼくの部屋へ上がり、心境の変化の理由を聞いた所、なんと彼は、北海道のあの牧場に働きに行く事を決めたというのです。
 その日、母と姉を説得した忠明は、牧場へ就職の連絡をしたあと、ぼくの家に来たという事でした。
「あんなぁ、一回だけ俺にかっこいい台詞を言わせてくれへんか」
「なんやのん? 言うてみぃな」
「俺なぁ、北海道で、永遠の明日に向って生きる事に決めたで!」
 はっきり言って、大爆笑でした。
「そんなに笑うなよ……。これでも一生懸命考えたんやで。明日はさ、いつまでたっても明日なんや。いい言葉やろ」
 この時ぼくはたしかに笑ったけど、本当は、とてもうらやましかったのです。皆さんわかってもらえますか?
 結局その一週間後に北海道へと旅出った忠明は、今もその牧場にいます。
 そしてなんと、あの、十才ほども年下だった牧場主のおじさんの娘が、今の彼の嫁さんなんです。
 おそらく彼は、今も、永遠の明日に向ってがんばっている事でしょう……。
 最近彼は、また髪の毛を伸ばし始めたらしい事をここに書いて、今回の冒険譚を終ります。

 それにしても世の中って、ほんっとにわからんもんですね……。



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