アメリカ同時多発テロ後の空港警備に関する一考察

小野塚[SHINE]真

はじめに
 2001年9月11日、アメリカを、いや世界を揺るがす同時多発テロが発生した事は記憶に新しいところである。このテロの特徴として民間定期航路の航空機が使用された事が上げられると思う。
 民間航空機をハイジャック、自爆テロに使用したこのテロ後、各国空港でのセキュリティチェックはかなり厳しいものとなり、色々なトラブルを生み出した。セキュリティに関しては、「ちょっと行き過ぎじゃないの?」という厳重なチェックが行われるようなった所や、これまでと変わらないおざなりなチェックしか行わない所(日本だ!成田だ!全○空!)など、各国、各空港、航空各社で対応もまちまちであった。
 そこでテロ発生後、悲しいかな飛行機に乗らねばならんかった私は、各空港でのセキュリティに関して見聞した事を此処に報告したい!(お願い、報告させて…書かないと初代にしばかれるのである)。

テロ発生時に私のおかれていた立場
 2001年9月11日、私は南米チリに駐在しておった。で、テロ発生当日は日本から取引先の御一行8名を受け入れ、視察旅行の真っ最中であった。チロエ島に向かうフェリー上で駐在事務所から携帯に電話を貰い、テロ発生を知った(今更ながらに携帯電話というツールの利便性を感じます)。
 我々一行は本来なら、チロエ島上陸後、2時間(180Km)ほどいったチョンチの加工場へと向かう予定であったが、上陸地点でしばし、情報収集と取引先御一行の航空券変更作業を携帯電話で行った(御一行は本来なら12日にロスアンジェルス経由で帰国予定)。
 発生当初はCNN以外にニュースもないようであったが、北米の取引先、サンノゼ在住の兄等々にTELをしたところ、北米圏内飛行禁止令が出たことが判明した。この時点で取引先と協議をし、視察旅行の中止、帰国便の変更、手配を行った。
 アメリカ経由がダメならば、ヨーロッパかオーストラリア、南アフリカ経由である。このような場合、日本の真裏にある南米は選択肢が広い(それに時間もそう変わらない)。
 すったもんだの末、フランス経由のチケットを人数分抑え、その日の午後には御一行を送り出す事が出来た(ええ、まぁ、フランス経由のチケットを確保した後で、フランス=NATO軍だから、危険が高い、オーストラリア経由に変更できないか、などという、ご依頼があったのはまぁ、余禄である。結局オーストラリア経由のチケットは取れなかったのだが)。
 それから数日間、アメリカの状況を睨みつつ、徐々に再開された定期便のチケットを確保して、アテンドできていた本社スタッフを帰国させた。本社スタッフの最後の一人が帰国したのが9月20日(彼は9月14日のチケットを持っていた)であるから、スケジュールの乱れ方も想像できよう。
 ただ、シアトル支社に勤務する一人はアメリカに入ればどうにかなる!と15日の便に乗り込み、無事16日にシアトルに戻っている。アメリカに入国する便、アメリカ国内線はかなりガラガラの状況であったようである(そんなもん、当たり前か。だれも紛争地域に行こうとは考えんはな)。アメリカから脱出する便は15日以降、かなりの混み方であったようだ(ちゅうても帰省ラッシュの新幹線とは違い、乗車率:乗機率?は100%を越えない)。航空各社も臨時便を増発して対応していたようであるが、正常化するまでにはかなりの時間を要した。

9月30日搭乗の場合
 さて取引先の視察という一大ミッションを終了し、私も帰国する事になった。9月30日の事である。テロ発生から20日経っていた。
@プエルトモン空港(PMC:チリ)LA272便(ランチリ航空272便)サンチアゴ行き
 拍子抜けするほど、セキュリティチェックは何にもなし…いいんか、これで! 国内線だし、アメリカは遠いし、こんなものかもしれない。
Aサンチアゴ空港(SCL:チリ)AA946便(アメリカン航空946便)ダラス行き
 国内線専用空港とは異なり、国際線、しかもアメリカ合衆国行きの合衆国国籍の航空便である、セキュリティはあって当然と心して掛かった。
 チケットカウンターに荷物を持って向うと、並んでいるのは3人だけ…流石にこの時期、アメリカに向うお客さんは少ない。スーツケースのX線検査を終え、3人の後ろについて待っていると、係員が「こっちにおいで」と手招きをしている。スーツケースを開けてチェックさせろと言う事らしい。検査用におかれた長テーブルにスーツケースを置き、バンドを緩め、キーを開け、暗証番号を揃える。(バンドを緩めるのが結構、大変なので、面倒くさい)
 スーツケースを開けると(いつもの帰国時にはケース内に10本以上のワインを入れるのだが、今回は1本もなし)、全ての荷物をひっくり返し、洗い物の入った(汚れたパンツである)ビニール袋まで出されてしまう。中に入れていた本もパラパラとめくり、中に何か隠していないか入念にチェックしていた。とりあえず、このチェックでは何も出てこず(出てくるわけがない!)、チェックインカウンターへ。
 チェックインを行うと「これまでは乗り継ぎ便の場合、アメリカで荷物をピックアップせず、そのままスルーできたのだが、今回の事件発生後、一旦ピックアップする事が規則になった」と言われ、タグをつけてもらう。あと、しつこいくらいに、
「荷物をパッキングしたのは誰か?」
「パッキング後、荷物の側を離れなかったか?」
「他人から預かったものはないか?」
「ナイフ等、持ち込んでいないか?」を質問される。PMC-SCLのLA274で飛行中は荷物から離れていたし、会社関係の書類も他人からあずかっている。しかも、Victrinoxのカードナイフを財布内に持っている私は、にこやかに「全て問題ありません」と答えた(大嘘つきである)。
 荷物を預けて出国審査を無事にパス。財布にカードナイフ、バックパックにノートPCを入れているにもかかわらず、金属探知機もパスしてしまう。いいのかなぁ、こんな甘いチェックで、疑問である。
 出国審査を抜けると目に付いたのが警察犬? を連れた軍人さん数名。何で、軍人さんが警察犬を連れているんだ? もしかして、盲導犬じゃないよなぁ。
 これまで10回以上SCLを使用しているが、演習へ向う軍人グループが民間機で移動するのを見た以外、空港で警備についている軍人を見るのは初めてであった(軍人さんは日本と違って制服で町を闊歩している国なので、乗客としての軍人さんは結構見掛ます)。数名が空港出発ロビー内を警備しておりました。自動小銃は持っていないものの腰には結構大口径のハンドガン(スミマセン。人外の人間の癖に武器に詳しくない)。
 DFSで買い物を済ませ搭乗口へ。搭乗は1stクラス、ビジネスクラスとマイレージ上級会員、エコノミークラスの順番で行われる。私は上級会員枠で搭乗口へ、早めに迎える。此処で目にしたのは搭乗客全員の手荷物検査。まぁ、搭乗率20%を切っている(空席状況から私推定)ので、全数検査は容易なのだろう。
 私もバックパック内のものを一旦、全部出す羽目になる。パックパック内から取り出されたノートPCは一旦電池パックを外されたうえ、「電源を入れてみて」と言われる。「おおい、起動に1分から掛かるんやぞ、いい加減にしてくれ」と思うが流石に口には出せない。
 ノートPCを立ち上げている間に、バックパックのポケットに入っていた“痔の薬”のチューブと“整髪料(寝癖直し)”の液体が入ったスプレーが見つかる。
「これは何だ?」と聞かれるも「痔の薬:Medicine for piles」や「整髪料:hair dressing liquid」などという単語が思いつくはずもなく(特に痔という単語は…)、思いつくそれなりの単語と実演で説明する羽目になった。
 そんなこんなとしているうちにノートPCが立ち上がり“Windows”の起動画面が表示される。それを見た係官は「もう電源を切っていいぞ!」である。いちいち正規手順で電源を切る時間もなく、当然の如く強制的に電源を落とした。
 まぁ、何はともあれこれで搭乗である。良かった。
 搭乗するとまず、晩飯が出るわけだが、これまでAAの機内食には金属製のフォーク、ナイフ、スプーンが使用されていたのに対して、プラスチック製(日本製のもの)に切り替わっていた。AA関係のHPなどの情報によると機内搬入品を制限する為(裏の理由としてはコスト削減もあるだろう)、米国内4時間以内の飛行に関してはミールサービスも停止しているとのことだし、1stクラスではワインオープナーを使用できないため、ワインサービスを停止したとのことである。
 ナイフ、フォーク、ワインオープナーは凶器として使用できるからな。納得である。でもスクリューキャップのワインボトル(小瓶)はOKなのね、割れば凶器になるはずなのに…
Bダラス・フォートワース空港(DFW:合衆国)AA61便 成田行き
 AA946便は早朝のDFWに到着。入国審査を済ませ(何故か、かなり簡単に済んだ)、SCLの係官に言われたように荷物をピックアップする。荷物をもって10mもあるくとAAの係官がいて、タグを見て荷物を預かってくれる。たったこれだけである。何のためわざわざ荷物をピックアップせねばならんのか、?である。まぁ、決まりなんだから仕方がない。乗り継ぎ便に本人は乗らないで“危険物の入った荷物”のみを預けてしまう輩を警戒しているのかもしれないが、搭乗まで4時間もあれば、いちいちピックアップしても荷物を預けた後、逃走は可能ではないだろうか。
 合衆国の幾つかの空港はボーディングパスがなくても搭乗口カウンターまで行く事ができるため(私が経験ではDFW、ORD、SFO、SEAはボーディングパスがなくても入れたと思う。MIA、JFK、LAXは出来なかったと記憶にある)、チケットカウンター横で、金属探知機の検査を受ける。張り紙にノートPCは予め荷物から出して置くように指示があった。ここはなんなく、通過できた。しつこいまでの質問もなし。
 DFWのAリング内にはいつもは見られない警官が数名たむろしている。やっぱり警戒しているのだろう。
 時間になりAA61便に搭乗するが、この時、手荷物チェックは無し。「何故ないの?」と疑問に思う。合衆国に入国する便は厳しく、出国する便はそれ程でもないのだろうか? 疑問である。だってDFWを出発しても5時間くらいは合衆国上空に留まる訳だし、航路上にはデンバー、フェニックス、シアトル等々、テロの標的に適した大都市も存在するのだが…。
 何はともあれ、無事に日本につけただけでもめっけもんである。

10月11日搭乗の場合
 つかの間の日本帰国を終え、また、再度、チリへ。この時点で10月8日に連合軍がアフガンに侵攻を始めている。どのルートでチリ入りするか迷う。流石に合衆国経由はヤバイのではないかと考え、LH(ルフトハンザ)−LAでフランクフルト経由を選択する。合衆国経由よりも6万円ほど割高な料金であるのだが、命の値段に較べればということで会社も6万円の出費増を快く認めてくれた。
 チケット手配の時点で実は、欧州経路の他に合衆国経路の相見積もりもとったのだが、取引先の商社系旅行代理店から「うちの親会社の×××社では現在、アメリカ系航空会社での出張、アメリカ系ホテルへの宿泊を禁止しているのですが、御社は問題ないですか?」といわれてしまった。サンノゼ在住の兄もその時点で会社から出張禁止令がでていた。世間は「もう一回テロがあるかもしれない」と考えていたわけである。
C成田空港(NRT:日本) LH0711 フランクフルト行き
 再びチリに向う為、フランクフルト(FRA)−マドリード(MAD)−SCL−PMCと言う経路で出発である。
 成田空港第2ビルでANAのカウンターでチェックイン。カウンターに入る前に、お決まりのX線チェックはあったものの、拍子抜けするほどチェックは何もない。そう言えば、空港内に警官が増員されている気配もない。
 平和である。
 搭乗時点のチェックも何も無し。直接テロの災禍をうけた米系航空会社に較べ日系、欧州系は認識が甘いのかもしれない。
LH0711での機内食では当然の如く、金属製の食器が使われていた。この時点でドイツも多国籍軍として参加していたはずで、報復テロの標的になってもおかしくないはずなのだが、太平楽なものである。
Dフランクフルト空港 (FRA:ドイツ)LAマドリード経由サンチアゴ行き
 フランクフルトにつき、トランジットが6時間もあるので入国する(最近ではパスポートのページを埋めていくのが趣味になっているのでフランクフルトの判子が欲しかっただけ…と言う反論も否定できない)。
 入国の際に係官がパラパラとパスポートを捲りながら一言。
「あんた、此処2週間以内に合衆国に行っているね? 目的は?」やっぱりチェックしてるのね。一安心と言うかなんと言うか…
「南米で仕事をしていて帰国便が米国経由だった。今回は安全を考えてFRA経由にした。」と説明すると
「お互いアメリカの馬鹿やろうのおかげで苦労するな、入国を許可する」とかつての同盟国はありがたく入国を許可してくれた。
 3時間ほど街をぶらついて空港に戻る。空港内に目を配るとそこ此処に自動小銃(MP5?)を抱えた、軍人さん達が目立つ。これがかの有名なGSG9かしらん。ただ、以前訪問したチューリッヒ空港でも自動小銃構えたガードがいたから、欧州の空港ではこれは当たり前なのかもしれない。
 チケットカウンターを経て金属探知機へ。此処ではやはりノートPCを説明しなければならず、手荷物チェックはそれなりに厳重。ただ、今回もVictrinoxカードナイフを財布に忍ばせていたにもかかわらず、問題にならなかったので、そんなに強度は強くなかったのかもしれない。手荷物チェックのところには数人の軍人さん。
 DFSで買い物をしていると、思いっきり日本人の英語発音で、
 「I don't understand ! Why can't I bring this key holder?」と叫び声。スーツ姿の日本人がどなっている。どうもVivtrinoxのナイフ付キーホルダーが引っかかったらしい。係官は有無を言わさず、没収しておった。
 LAの搭乗口はJAL搭乗口の横にあった。どうりで空港内に日本人が多いはずである。どうも50歳以上の方々を対象としたツアーでもあるようで、結構お歳の方々が空港内のDFSで見受けられた。
 アフガン侵攻も始まって緊迫している筈なのだが、日本人はこんなところで観光をしていていいのか? と言いたくなるが、私の格好はどうみてもバックパッカーで、他人が見たら、もっと太平楽な野郎に見えたかもしれない。
 さしたる荷物チェックもなく搭乗である。いいんか? こんなんで!
Dマドリード空港 (MAD:スペイン)
 トランジットで2時間だけMADによる。空港内を歩くが、軍人はおろか警官の姿もない。トランジットパスを貰っているので、搭乗もスムーズ。ほんとにいいんか?
Eサンチアゴ空港 (SCL:チリ)
 とりあえず、無事に着いてしまう。国内線に乗り継ぐが、国内線空港内にも軍人さん。

12月5日の場合
 休暇をとって日本で週末を過ごすため、出発
Fサンチアゴ空港 (SCL:チリ) AA
 テロから実に3ヶ月。緊張感が持続しているのかなと思いながら、チェックを受ける。
 やはりスーツケースは開けられてしまい、荷物一つ一つをチェックされる。
 出国審査、金属探知機は難なくパス。まだ、10月と同じ状況で軍人さんが警備に当たっている。
 今回もVictrinoxカードナイフは素通りである。
 搭乗口から呼ばれて搭乗するが、3〜5人に一人に割合で手荷物チェックを受ける。乗客も増え、流石に全数チェック出来なくなったのか。
 私は不幸にも手荷物を全てひっくり返される。折角マイレージ上級会員資格で早めの搭乗も、手荷物チェック中に多数の人に追い越される。折角、早く搭乗しようとしていたのにぃ!
Gマイアミ空港 (MIA:合衆国) AA
 空港降りるとそこかしこに、軍人さんの群れである。結構、緊迫した感じ。手には自動小銃をぶら下げているし、腰には拳銃と水筒? この水筒は完全装備だから、着けているんでしょうか? 疑問です。そこいらで、ペットボトルのミネラルウォーターは購入できるし、水だって手配できるでしょう。水道に毒入れられたら…とか考えているんでしょうか?
 此処では勇気をだして「写真1枚!」をお願いした。(迷惑な私である)。
 MIAは南米の玄関口だけあって、とても広く、乗り継ぎに結構歩くのだが、閑散とした通路を見ていると、爆弾仕掛けるのって結構簡単そうである。
 MIAからSEA(シアトル)経由−NRT行きのAA026に搭乗する際、一悶着が発生した。これまで金属探知機をパスしてきたVictrinoxカードナイフがひっかかったのである。FRAにナイフのキーホルダーを没収された前述の日本人と同じ状況である。
 当然の如く係官はカードナイフキットからナイフ、鋏、ボールペン、つまようじ等々取り出し、「没収!」と宣言。空のケースだけ返してよこす。
 ここで取り上げられては日本男児の面目丸つぶれである(何故?)。私は抗弁を試みた。
「実はこのナイフセットは父の形見なんだ。3年前の誕生日に父から貰ってね、その父も去年なくなってしまった(実のところ、私の父母ともに健在、カードナイフは私がスイスに行ったおり、自分で記念に購入した)。」
「だから、とても大切なものなので、ここに置いていくわけにはいかない。」と大嘘をこきながら、真剣な眼差しで係官を見つめた。そうしたら、
「お前の乗る便は幾つだ?」
「うむ、あと50分ある」
「お前が乗るまで飛行機は止めておいてやるから、カウンターに行ってこのナイフをデポジットして来い」大嘘もこいてみるもんである。私は大急ぎでカウンターに戻り、カウンター付近のオフィサーに事情を話し、並んでいる順番を飛ばしてもらい、荷物を預けた。カウンターではたった1個のカードナイフに13cm*25cm*15cmの箱を用意してくれ、NRTまで運んでくれた。
 この2週間後、一人の日本人が「こんな飛行機、おれがテロリストだったら、爆破している」と同じMIAで叫び、合衆国官憲に逮捕されている。テロでWTCにつっこむわ、NYCで墜落するわ、靴爆弾騒ぎは発生するわ、でいらだっているAA相手にこんな暴言吐く奴は大ばかもんである。決して茶化せるような雰囲気ではなかったぞ、MIA(大嘘はこいたけど…)。

3月3日DFW
 色々あって、2001年は地球を3周半したわけで、思いっきり疲れたような気がするが、ともかく日本に帰る為、3月DFW経由で帰国。
 警備は少しだけ緩んだものの、搭乗前チェックではPCの電源いれる、靴を脱ぐのは定番化していて、チェックを受けた。DFWの空港内はやはり警備兵がおおく閉口した。
 空港内で販売するマックのハンバーガーもX線通しているし、持込禁止荷物の表示もここまで書くか!ってものまで、まだまだ、アメリカは気を抜いていないのだと思う。しかし、アイスホッケーのスティックとか、ベースボールバットなんて目立つものテロリストは持ち込まんぞ。このスキーポールと言うのは競技用のポールだよなぁ、ストックじゃなく…
Unconditional Supportの広告看板 一番印象に残ったのはUnconditional Supportの広告看板。こんな時期、みんなで一致団結して、アメリカの自由を守ろうってか?
 アメリカの自由は決して、世界の平和と同義ではないんだろうな。
おわりに
 実は2001年度の民間航空機の事故率は過去最低レベルだったそうである。交通事故よりも航空機事故の確率のほうが低いのは周知の事実だが、テロによる発着便数の減便や安全対策の向上がもたらした結果らしい。
 ただ、テロの余波で利用客が大幅減少し、各航空会社は大赤字(合衆国 大手6社で1兆円の赤字)でスイス航空とザベナベルギー航空は潰れてしまった。今此処でAAに潰れてしまうと、折角貯めた30万マイルのマイレージが使えなくなってしまうので、AAには頑張って欲しいものである。
 何はともあれ、安全に。安全が一番である。
 テロの犠牲、その後のアフガン侵攻の犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。




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