影に消えた小火器達

岡村[体操のお兄さん]隆司

 分野を問わず、どの様な物にも名品(名作)と呼ばれる物がある。しかし、それら名品を花に例えるならば、その葉の下に隠れてしまった物たちもいる。
 小学生の時にモデルガンを初めて買ってもらってから、銃器類に興味を持った。専門誌に限らず、実銃・モデルガンを問わずに記事を読みあさっていると、有名・無名に関わらず、時たま妙に記憶に残る物が現れる。そんな記憶の中の小火器のうち、第二次大戦中、『覇者の戦塵』の舞台に関わるものについて、少し書いてみたい。

「戦車を一撃で叩け!」

 …『10年式信号拳銃』ベース日本製対戦車ピストル
 向かい来るT34戦車に向かって、単発のピストルを構えた日本兵のイラスト。
上面に大きく印刷された標題のコピーと共に、『少年画報』の巻頭グラビア特集のイラストが、どうも頭にこびり着いていた。
 日本軍の対戦車兵器としては、『2式擲弾(てきだん)発射器』−小銃の銃口部に装着して対戦車弾頭を発射するドイツの『シースベッシャー2型』をコピーしたもの−『2式擲弾(てきだん)発射器』があったが、手持ちの資料を読んだ限りではあまり役には立たなかったようだ。さてその資料の中に、同時期に陸軍では信号拳銃を元に、同じ弾頭を使用する対戦車戦闘ピストルをも試作したとの記述があった。文章のみで写真は無かったが、『10年式信号拳銃』をベースに作られたその対戦車ピストルは、専用の大型照準機を装着し銃把グリップも大型化されていたそうだ。
 操作方法は『10年式信号拳銃』に準じている。銃身を折って空砲を装弾した後に銃身を元に戻し、銃口部から対戦車弾頭を装着した上で撃鉄ハンマーを指で起こす(シングル・アクション)と発射準備が完了。後は狙いを定めて引き金を引けばいい。『10年式信号拳銃』が引き金を引くだけ(ダブルアクション)で発射できたのに対してこのような形になったのは、ブレの発生を抑えて命中率の向上を狙った為らしい。
 ところでベースとなった『10年式信号拳銃』だが、資料の断面図を見た限り、どうも1893年に採用された日本初の国産軍用拳銃『26年式拳銃』を元に作られたようだ。もっとも「信号拳銃」自体の資料が少ないので、所詮は推測にしかすぎない。
 さて、対戦車ピストルとしては大戦中にドイツが使用した「ワルサー・カンプ・ピストル」が有名だが、こちらも開戦当初はともかく、末期の戦車の装甲への効果は低かったと思われる。しかし戦果云々よりも、これら対戦車戦闘ピストルは単発ながら最強の拳銃である事は確かである。

10年式信号拳銃

「謎の抗日?拳銃」

 …『北支十九式拳銃』
 去年ヤボ用で東京に行った時の事、用事を済ました後で「アメ横」にモデルガンの部品を漁りに行った。何店か回ったのだが、レプリカのショーウィンドウの中に、参考品として(株)マルシンのモデルガンの試作品や絶版品と並んで、モデルガンデザイナー御子柴氏自身の手による『北支十九式拳銃』の無可動ソリッドモデルが展示されていた。
 日中戦争中には、武器の不足を補う為に各国の拳銃のコピーが数多く生産された。ほとんどの製品が『モーゼル』や『ブローニング』を基にしたのに対して、『北支十九式拳銃』は『南部十四式』を参考に作られた点が変わっている。コピーとはいっても使い易さと生産性の向上をねらってフレームに改良が加えられているが、何故『南部十四式』を原形に選んだのか判らない。
『南部十四式』は日本人の設計による、独特な外観をもつ日本式の正式拳銃である。モデルガンを触った限り銃把グリップの角度などは基が日本人向けだけあって他の銃よりも握り易い。だが、実銃は専門誌の各種レポートを見た限り、安全装置の操作性や実弾の威力などで二流品の域を出ていない。最も実物を触った事もない私が資料から評価しただけなので、実物には私の知らない良いところもあるのかもしれない。
 さて、この『北支十九式拳銃』の謎は、何処で何時、どれくらい作られたかはっきりしない点に在る。名前も刻印され、物も実在するのだから生産された事だけは確かだ。抗日組織ではなく日本軍の管理下の南満州造兵廠で造られたとの説もあるが、決定打に欠ける。専門誌に載った写真の製造bヘどれも100番台以上の物はなく、その事から200丁位の生産との説もあるが、抵抗組織による生産の可能性もあるので説としては弱い。
 結局、中国政府の当時の資料の公開を待つしかないのだが、私などはこのままわからないほうがミステリアスで面白いのでは……と無責任でも思う時がある。

北支十九式拳銃

「単発で1$72¢は×2で3$44¢となるか…?」

 …『リバレーター』改良モデル
 ガン雑誌の『FP−45 リバレーター』のレポートで、日中戦争時に専門家に同行して訪中したアメリカ人新聞記者が、アメリカからの援助物資の中に、2連射出来る『リバレーター』改良モデルを見たとの記述があった。現物の写真も無く、私自身もつい最近まで記述違いとばかり思っていた。
 『FP−45 リバレーター』は、ドイツに占領されたポーランドのレジスタンスの要請で、1942年にアメリカのOSSが開発した超廉価版単発拳銃である。巻き火薬ピストルのような本体はプレス整形で作られ、一発撃つ度に銃口から木の棒で空薬莢を押し出す構造だった。弾丸はコルト・ガバメントと同じ『45ACP』を使用し、本体下部には予備弾が10発も収容出来る。最大射程距離は25フィート(約7.6メートル)もあれば充分と考えられ、銃身バレルはライフリングも無い只の鉄パイプを溶接した物だった。これは必要以上の威力を持たせない事で敵国側に使用させない為と、近距離での暗殺に使用した際に弾丸に残されたライフルマークから銃と射手の特定を避ける為の配慮だったらしい。超廉価版ゆえの問題点もあったらしく、『マスター・キートン』にもその点に着目したエピソードがあった。
 その年の秋にはジェネラル・モータースに100万丁が発注され、1ヶ月程で本体1丁につき1$72¢で製作、箱や説明書等の一式でも1つ当たり2$10¢で納入したそうだ。私などは他国の支援兵器にまでそのような生産力を割ける国に、当時の日本が総力戦では勝てる訳がないと思ってしまう。
 その後、別の資料で、発展モデルとして、『サイレンサー装着型』と共に『2連射モデル』−本体横に左右にスライドする2連薬室薬室チェンバーを備えたもの−が確かに少数だけ試作された事が判った。だが、先のレポートを除いてどの資料にも改良モデルが量産された事や、中国に供給された記述は無かった。
 もっとも、抵抗組織支援用の非公然の物なので、実際の所は判らない。今では、そのモデルが存在していた事が判るだけである。

リバレーター改

「後ろから静かに殺れ」

 …『8mm Nambu Low』使用(?)『南部十四式』改良 消音拳銃
 1900〜1950年までの世界各国の軍用カートリッジを実測データと写真で紹介した、『MILITARY cartridge1900−1950』という洋書が在る。「JAPAN」章の中で『8mm Nambu』と共に、『8mm Nambu Low』が紹介されていた。両者を見比べると、『8mm Nambu Low』の弾頭は緑色に塗られ、直径2mm程の窪みが有る。実測データでは「8mm Nambu Low」の弾頭重量は増加しているが炸薬量は逆に減量されている。そして、実射データを比べると弾速は低下していた。
 先端に窪みのある弾頭は、命中後にマッシュルーム状に変形して、運動エネルギーを標的の内部に有効に分散する。これはハーグ平和会議の『ダムダム弾禁止宣言』を無視しており、フルメタルジャケットしか使用出来ない軍用カートリッジの弾頭としては不適格な物だ。その形状といい、大戦参加各国の使用カートリッジとしては低威力の『8mm Nambu』の炸薬量をわざわざ減量した点といい、不思議であった。
 この弾丸の用途に悩んでいたら意外な本で正体が判った。小学生向けのひみつ大百科シリーズ『スパイの秘密』≠フ「日本のひみつスパイ組織」の記事中に「陸軍中野学校」の装備として『南部十四式拳銃』の改良モデルが紹介されていた。銃身部にはサイレンサーが付いて太くなり、コッキングピースも指が掛けやすい様に改良されている。ショートリコイルの閉鎖機構を利用し、手動操作による装填や排挟を行う事で消音効果を高めているかもしれない。使用弾薬の説明は無かったが、『8mm Nambu Low』が「消音拳銃」用、それも暗殺専用の弾丸ならば全てに納得がいく。
 炸薬量が減ったのは、弾速を下げて消音効果を上げる為であり、弾頭の形状や重量の増加は弾速の低下を補う為の処置だったのだろう。弾頭部の塗装は通常弾と区別する為かもしれない。しかし、どれも推測をでない。
『8mm Nambu Low』の作られた本当の目的は、まだ判っていない。

8mm Nambu Low

「追記」

 この記事は、実在する人物、団体、国家、ハードウェアと、多少は関係があります。どの程度多少かは、ヒ・ミ・ツ。

1993.6.20




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