うちの酸欠息子
-わたるの話-

荻野[お囃子部員・海苔子☆]典子

 昨年4月に生まれたウチの息子には先天性心疾患があります。はじめのうちは「死んだら洒落にならんなー。」と怯えていたのですが、なんのなんの、現代医学はそう簡単に死なしてくれそうもないと痛感したこの一年です。それに本人がなんと元気なこと。近いうちには改造手術を受けることになるのですが、この辺で一度この息子を紹介しとこうかなーという次第です。

●発見の経緯

 わたるは99年4月に在住市の市立病院で生まれました。
 生まれた翌日(生後1日目)の夜、他の新生児より顔色が悪いので検査したところ、心臓の左心室が無いことが判明しました。
 って発見の経緯はこれだけなんですけどね。早く見つかったのはとても良かったことなんですが、あの告知はひどかったな。
 夜中の2時に起こされてナースステーションへ連れていかれ、小児科の医師にいきなり心臓の構造の説明をされました。寝ぼけた頭で、じゃあウチの子は心臓が悪いんかいなと思っていたら「お子さんの心臓エコーを撮ってみた所、左心室がほとんど痕跡程度しか確認出来ません。僕はこういう心臓を見るのは初めてで、病名も判りません。この病院の設備ではこれ以上の検査は出来ませんし、有効な治療法も僕には判りません。国立循環器病センター(略して国循)などに問い合わせてこれこれの処置を現在行なっています。これ以上はうちの病院ではどうしようもないので明日の朝、国循に転院していただきます。」
 ……病名も治療法も判らないんじゃ、すぐ死ぬなと思いましたね。そのあとは新生児の葬式について考察しながら朝を迎えました。その時は、あの30才前後の若い医者の顔は一生忘れないと思いましたがね、まだ1年しか経たないのにもう覚えていません。何じゃそら。

●病名は「単心室」

 国循へ搬送されてものの1時間で、検査結果の説明に呼ばれました。やはり若い医師でやはり心臓の構造説明から。でもここからが大違い。「子供さんの病名は単心室です。」というなり、心臓のアウトラインだけが印刷された(コピーだったけど)単心室説明用紙を出してきました。「普通だとこうだけど、この場合はああなってこうなって・・・」
 説明用紙が出た時点でずいぶん安心しました。説明用紙が有るということは、少なくとも症例のそこそこ有る病気だと理解できましたから。
 後に「心臓病の子供を守る会・大阪支部」に入った時にもらった資料によると、大阪支部員470人中単心室は47人、1割もいるではありませんか。もっとも大阪府民全体で 47人は多い数字ではないですけどね。
 それと病名と書きましたが、厳密には心臓奇形ですよね。病気と言うのはちょっと違うような気がしていました。そう感じている親は結構多いようで「病気」ではなく「障害」と言っている人もいます。私もこれからは「障害」を使っていこうかなと思っています。正式な「先天性心疾患」って長いんですもん。

●単心室の症状とか内容とか

 一応簡単に説明しておきます。厳密には違ってるとこもあるけど。
 心臓には右心室と左心室があって、右心室は酸素を使ってしまって体から帰って来た血(静脈)を肺へ送るポンプ。左心室は肺で酸素100%にした血を体全体(動脈)へ送るポンプです。
 単心室は心室が1個しかない訳ですから、静脈と動脈の血が混合されて体へ流れます。血中飽和酸素濃度というんですが、普通100%の所、わたるは85%でした。60%切ると生きていけないそうです。これは心臓の血管の太さの比率とか、本人の運動量ですごく左右されるとのこと。
 つまり全身へ行く血管の方が太ければ肺で酸素がもらえないし、肺へ行く血管の方が太ければ全身へ行く血の量が減る上、肺に水が溜まって溺れ死ぬ可能性もあるとか。
 わたるはこれがバランスの良い太さだったようで、現在まで何の問題も起こっていません。ただ、この場合のバランスの良い太さってのが、普通より肺へ行く血管がかなり細いことを指すんですね。「肺動脈狭窄」っていいます。何かの拍子に閉じてしまうくらい細い。これが閉じると「チアノーゼ(無酸素)発作」ってのになります。いざという時のために酸素ボンベが処方されとりますがな。
 それから運動量。生まれてすぐはただ寝てるだけなんで問題ないけど、運動機能が備わるにつれ酸素不足になっていくかも・・・って言われました。酸素不足になるとどうなるかと言うと、息が切れるんですな。全力疾走したら誰でもなる状態なんだけど、これの限界が異常に早いらしい。
 先生いわく「寝返りくらいは出来るでしょうが、お座りで出るかも。ハイハイで出るかも。伝い歩きで出るかも。数値的に言って、歩きだしたら2、3歩でしんどくてしゃがみ込む事でしょう。」ほんなら何かい、 わたるは階段も登れんのかいと思っていたら、手術でなんとかなるそうです。
 でもまあ現実はというと、わたるは伝い歩き5mで息を切らすものの、よちよち歩き10歩はいけるし(まだ1才なったとこなんでそんなもん)、階段も10段一気によじ登るし、数値なんてアテにならないわね、と思う今日この頃。酸素濃度は 70%になりましたけど。

●病院のこと

 結局何もなかったんですが、生まれたて当時はどうなるか判らないのでとにかく入院です。そら肺呼吸はじめた直後だし、新生児って1ヶ月で10cmも育つし、もちろん内臓や血管だって育つし、知らなかったけど胎児には必要で新生児には不必要な器官が退化していったりなんやかやで、(まあサナギから孵ったチョウが羽を乾かしてる間みたいなもんですわ)その間に急変するやもしれんので要観察です。
 まあ国立循環器病センターのピカピカなこと。建物自体はそうでもないけど、器械がすごい。どれもこれもピカピカですぺてに「厚生省」のシールが貼ってある。当たり前だけど。 99年6月半ばには「2000年対策済み」のシールも貼り出してましたね。血圧計に至るまで。
 生後1ヶ月に育つのを待って心臓カテーテル検査をし、問題なしと判定されて1ヶ月半で退院しました。4月30日から6月16日までの入院でした。
 その間に国循では心臓移植手術が2回。毎日夕方、私が面会を終えて帰る頃、玄関先で各テレビ局のレポーターが、6時のニュースのリハーサルをやっとりました。本番中にレポーターの後ろで手を振ってみたいという誘惑に何度駆られたことか。いや、やりませんでしたけどね。

●名前がないと

 子供の名前は生まれる前から考えといた方がいいと、今回つくづく思いました。
 生後2日で転院した、まだ名前のなかったわたるには、膨大な書類がついて回ったのです。
 市立病院から国循までは救急車で搬送されました。救急車に乗ると、搬送された人のデータ書類を書かねばなりません。「名前…荻野 名前はまだない 年齢…0才 職業…なし」などなど。
 国循に着くとわたるは新生児病棟へ直行。私はカルテを作るための新患データ書類、入院手続のための書類など山のように渡されて受付に釘付けです。そのどれもが「名前…荻野名前はまだない」です。カルテを渡されて「これを病棟の人に渡して下さいね。」は、いいけど、すごく分厚いルーズリーフバインダーに名前と番号の書いたヤツだったんで驚きましたね。先の長さを実感しました。
 病棟で病気の説明を受けた後でも、「緊急に手術をするかもしれませんので」輸血の同意書にサイン、心臓カテーテル検査の承諾書にサイン。さすがに乳幼児病棟では「荻野ベビー」で0Kでした。
 血の気が引いたのは、治療費。うちの市では子供は3才の誕生日まで医療費が免除ですが、そのためには申請せねばなりません。出生届けと一緒に申請できますが、入院日は4月 30日。月末です。病院の締め日です。受付のお姉さんは「明日の朝イチに乳幼児医療証の申請をして、申請受理のハンコをもらって来たらセーフにします。でもそれより遅れたら4月分の医療費1日分は実費をいただきます。まあ後で申請したら返ってきますし。」
 返ってくるったって、心臓エコーその他検査の実費っていくらかかるんだー 妊娠中の血液検査でも1万円は軽く飛んだぞー 検査待ちの間中、夫とふたりで必死で名前を考えたことはいうまでもありません。
 しかしながら、病院の帰りに受付でごめんなさいをされました。99年4月30日は金曜日で飛び石連休の真ん中だったのです。5月1日(土)から5日(水)まで病院事務局はお休み、書類は6日の朝イチでいいよと訂正されました。「どうぞゆっくり名前を考えてあげて下さい。」だってさ。ちなみに出生届けとかは休日でも受付けてくれます。
 結局名前が決まったのは、その2日後でした。

●お金の話

 お金の話をもう少しすると、わたるの病気に関しては今のところお金はほとんど掛かっていません。
 本当は3才までは無料でも、その限度とか適用範囲は決まっているのです。そのはみ出たお金を負担してくれる制度がありました。「小児慢性特定疾患治療研究事業」(あー長い。母子手帳に書いてあるよ)と言って、特定疾患だから病気の指定はあるものの、それに認定されると保健とかからはみ出たお金(3割負担分とか)まで面倒見てくれる代わりに治療データを研究に使うよ、という制度。死んだら解剖されたりして。まあ、次の子の役に立てるんだからそれでいいんですけど。それにこの制度は病院指定でして、 わたるの場合「国循ではいらない」なんですよね。どこでもという訳にはいかないのね。
 治療費以外にも通院のための交通費とか、私みたいに母親が仕事出来なくなって収入が減ったりとか思わぬお金が掛かるので「特別児童扶養手当」なんて制度もあります。うーん、これがなかったら家のローン払えない所だったわ。
 この話を聞いた私の両親のコメント。「ちょっとは税金が返って来た気がするなあ。」自営業だからね、実感こもってたなあ。
 手術の実費ってすごいだろうし。入院中同室だったH君は生後3日目にペースメーカーを入れる手術をしました。兵庫県の人だったので、一旦手術代を支払ってから自治体に返還の申請をするのでした。3割負担で 67万円だったそうです。日ごろの貯えって必要だとつくづく思いましたね。

●通院の話

 国循って結構ヘンピな所にあるので、入院中の親の通院は大変です。そのために車を買ったという人の多いこと。病院の近所へ引っ越す人もいるらしいし。患者の親どうし雑談をしていて「私は高槻で近いけど、荻野さんはどこから来てるの?」とか聞かれる度、私は申し訳なくてねえ。「箕面でこの近所。歩いて来られるのよ。」と返答してるけど、正確には「この病院の裏の竹薮抜けた所。」なんです。普通の道を行くと徒歩 12分くらい。自転車で5分。その竹薮を抜けると近道で徒歩5分ですが、それには箕面と吹田の市境のフェンスを乗り越えるという行為が伴うので、通行人のいない時にしか利用してません。

●ホームドクターの話

 心臓疾患があると、普通の病気でも注意せねばなりません。うちは近いので風邪のたびに国循に行ってもいいのですが、いかんせん待ち時間がながーい、長い。私の経験では 時に行って診察、心電図、心エコー、診察で終わったら20時ってのがありましたからね。そこでお姉ちゃんの掛かりつけの小児科の先生に相談してみたら、「うちで診てあげるから任せなさ〜い。」と言われました。
 心臓病の子供は専門医でないと判らないことが多いので、町医者には嫌われると本で読んでいたので、これは意外でした。でもよく聞いてみたらこのT先生は、公立の子供病院で小児循環器の医長の経験があるのでした。市立病院で「国循などに問い合わせて処置してます。」って言ってたけど、などの部分がこの先生を指していたと後で判りました。
 予防注射を打つ時なんかは心臓の主治医に「OKです」と一筆書いてもらうもんなんですが(そのたびに診断書代取られるし)、この先生にはそれがいらないのでラッキーです。
 それにここの診療所は看護婦さんにも国循出身者がいらっしゃいます。何といっても近所だしね。熱出した時のケアなんかも親切に教えてくれるし、わたるの心臓の主治医の(あらこっちもT先生だわ)評判も教えてくれるし。ふたりとも「一押し」「いい先生に当たったわね」などと言ってくれてます。
 とにかくわたるは「医者当り」はとても良いようです。

●正式な病名

 「先天性心疾患の単心室・肺動脈狭窄・共通房室弁口・心房中隔欠損・両大血管右室起始」というのが、わたるの正式な病名です。
 先生は「共通房室弁口(心室と心房の間の弁が一個しかない)の場合は必ず心房中隔欠損(左右の心房の壁に欠損がある)を伴うから、心房中隔欠損は書かなくてもいいよ。」とおっしゃったので、最近は飛ばしてますが。ちなみに両大血管は動脈と静脈のことで、どっちも右室から始まってるってことね。単心室だと左室起始もあるわけだ。
 ところで、子供が育つにつれ、健康診断や予防注射ってありますよね。わたるは生後4ヶ月健診と、後期(9〜10ヶ月)健診、BCG、ポリオなどやりました。
 これらを受ける時には必ず問診表を書かされます。生まれた時の体重だとか、病歴だとか、アレルギーの有無だとかね。で、わたるの場合は病歴の所に必ずさっきのヤツを書かなければならない訳です。長いぞー!大抵、欄からはみ出します。
 こないだそれを保健婦さんに愚痴ったら、「手術したら、病名だけでなくて、何時どんな手術をしたかもどんどん書き加えて行かなければならないので、さらに長くなるわよ。覚悟しといた方がいいわよ。」と言われました。しょえー
 でもわたるの病名5つは少ない方なんだそうです。10個くらい並ぶのはザラらしい。良しとしておかねばならんようです。

●これからの手術

 わたるの治療について触れていませんでした。
 このまま放っておくと、ずっとチアノーゼ(低酸素)状態です。運動に限界が出ます。ちょっとでも沢山の酸素を運ぼうと、体が勝手に赤血球を増やすそうです。すると血が濃くなって脳溢血なんかの血管が詰まる系の病気にすこぶるなりやすくなるのだそうです。発作の心配もついて回ります。だから、チアノーゼを解消するための手術をしなければなりません。
 私と夫は心臓の中に壁を作る手術をするのだと思っていました。でも現在の医学ではそれは不可能なのだそうです。壁に穴が開いているのを塞ぐようにはいかないようです。右室と左室では機能も形も少しづつ違うので、右室を単純に半分にしても駄目なんですね。 わたるが受けるのはフォンタン手術といいます。心臓から静脈を外して、肺に直結する手術です。「そんなことしても大丈夫なんですか。」思わず聞きましたね。
 30年前にフォンタンという人が、静脈は心臓をパスしても大丈夫と発見したそうです。(聞きかじりなので間違ってるかもしれません。)それでこの手術がメジャーになったのはここ 15年くらい。歴史は浅いが非常に好成績をあげているようです。
 といっても、体の血流量自体が減るので激しい運動は出来なくなるそうです。宇宙飛行士やスポーツ選手にはなれませんね。「カラダ弱いねん。」
 普通これで直りましたっていう手術は「根治手術」といいます。でもこの手術は「最終手術」というそうです。悪いところを元の状態に戻す手術じゃないから。私は「改造手術」だと思いますがね。「そうかー、ウチの子は改造人間になるのかー。」と思うとちょっと嬉しかったりして。
 ただこの手術は血管の太さとか色々体の条件が揃わないと出来ないので、現在わたるは発育待ち状態です。1才過ぎると出来るので、近々心臓カテーテル検査をして、手術の条件に合った体に育ってるか調べることになっています。でもねー、水痘に罹ったりお多福風邪に罹ったりで延び延びになってるんですよ。
 この本が出来上がっている頃には手術してるかなー、って感じですね。

 とまあ、障害は一生ついて回るものの、恵まれた医療環境と持前の元気の良さで、わたるにはそれなりに良い人生を歩んでいってもらいたいものです。
 わたると会うことがあったら気軽に声を掛けてやって下さい。
 世の中は自分のペースでゆっくりわたっていけばいいんだよって。




●一般研究編に戻る