2002年 夏
真夏の太陽が容赦なく照りつける。縛めのようにガッキリと太股に食い込んで動かなくなったウェットスーツを見下ろし、私はため息をついた。全身を汗が流れる。
「だから、Lサイズって言ったのに・・・。」
見かねたように、インストラクターが声をかけてきた。
「どうしても駄目なら、もう少し大きめの予備を持ってきてますから。」
(あるなら、最初からそっち出してよね。)
ぶつぶつ言いながらも、今度は何とか両足を通すことができた。気合を入れ、一気に引っ張り上げる。
「着れた!」
歓声をあげる。
「はぁ、でも、ちょっと休憩ね。」
ここは沖縄、真栄田岬。本島中部西側にある岬で、人気のダイビング・ポイントである、らしい。私と同居人は体験ダイビングをするために遠路はるばるやって来て、レンタルのウェットスーツと戦って力尽きかけていたのだ。
何故、私達が体験ダイビングに来ているのか。直接のきっかけはもう思い出せない。ただ、黙認ファンクラブで活躍中のお気楽なダイバーの人々が、楽しそうに計画を打ち合わせたり、思い出話を語り合っている姿を眺めながら、ちょっぴり羨ましく思っていたのである。ダイビングって、そんなに面白いのかなぁと。そしてその、もう若いとはいえず、またスポーツマンタイプというわけでもない人々が揃って楽しんでいる状況をみて、もしかして私にもできるかも〜なんて思ってしまったのである。もちろん、諸先輩方からの「ダイビングはいいよぉ〜。こっちにおいでよ〜」という悪魔のような囁きも忘れるわけにはいかないが。
自慢じゃないが私は、思い立ったら我慢ができない。度胸はないが決断は早いのだ。よし、ダイビングをやってみようと決め、早速情報収集を始めた。雑誌に、ネットに、先輩ダイバー方へもうんざりされるほどインタビューを繰り返し、最終的に近郊の大手ダイビングスクールへと狙いを定めた。「これでどうだ!」と思った時、思わぬ障害が発生した。同居人が、嫌だとダダをこねたのである。
同居人は、別段臆病というわけではない。体力的にも、その辺にゴロゴロいそうなただの運動不足の会社員である。但し、性格的にとても粗雑で強引なところがある。コンピュータの小さな部品はちゃんとセットできるくせに、大きな缶の蓋はきちんと閉められない。スーツケースを閉めようとして何かを挟み込みロックができなかったら、力ずくでキーを押し込んで壊してしまう人だ。その彼が言った。
「自分のセッティングした器材に自分の命を預けたくない。何だか死にそうな気がする。」
「・・・・・・確かに。」
反論できなかった。作戦練り直しである。
同居人へは最初から「私は私のやりたい事をやる。邪魔をしたら許さない」と宣言してある。だから別に彼がダイビングを始めなくても私が始めるのを邪魔しなければいいようなものだが、漠然と、私がやるといったら同居人は当然のごとく黙って付いて来ると思っていたので何だか拍子抜けしてしまったのだ。それにダイビングを始めるとなると、やはり年間数回は泊りがけで出かけることになるだろう。その度に同居人を置き去りというのでは落ち着かないし、ネチネチ嫌味を言われる危険性もある。ここは何とか騙くらかして同居人をその気にさせちゃうのが手っ取り早い解決策だし、一種の家族サービスに違いない。
で、体験ダイビングなのだ。これが私と某先輩ダイバーで相談した結論だった。とにかく、海に突っ込んじゃえ! 体験ダイビングなら器材のセッティングはプロがやってくれるから安心だし、一度体験したら海の魅力に目覚めるかもしれない。少なくとも不安感が多少は軽減されるだろう。それでも嫌だっていうのなら仕方がない、彼にはお留守番の道を歩んでもらおうということになった。
波が激しく打ち寄せていた。慣れない重量感を背中に、バランスを取る間もなく右に左に転がりまくった。穴だらけの岩場を這うように進んだ。何せ台風一過のこの日、空は晴れ上がっているものの、風は強く波は荒い。沖縄本島でも今日はこのポイントしか潜れません、ボートは欠航ですという状況だった。さすがに私も不安になっていた。
(こんなに荒れた海で、ちゃんと魚がいるんだろうか?)
インストラクターが言った。
「とにかく、もう少し深いところに行きましょう。水に入っちゃった方が楽ですから。」
彼女は両手にそれぞれ私と同居人の手を握り、ぐいっと水中に引っ張り込んだ。
(あ、いた。)
顔をつけた瞬間、魚が目に入った。それも、私達がこんなに荒波に揉まれているというのに、ほんの数十センチ下をいろいろな魚がのほほーんと泳いでいる。
(何故! 水中には波はないの?!)
驚く間もなく水上に引きずり上げられた。彼女の言うところの「もう少し深いところ」に着いたらしい。ちょうど胸元位の水深だ。
「では、マスクに水が入った時の出し方を練習しましょう。上の方をしっかり押さえながら、鼻から息を吐いてください。」
「じゃあ今度はマスクに半分水を入れて水の中でやってみて。」
「はい、もう一回。」
「ではレギュレーターがはずれた時の探し方を練習しましょう。」
「はい、もう一回。」
「息は止めないでブクブクしててくださいね。じゃあ、もう一回。」
私達はひたすら言われるがままに練習を繰り返し、何とか合格点をもらってやっと海へ乗り出すことになったのである。
真栄田岬の海は、グレーだった。沖縄といえばカラフルな珊瑚礁にトロピカルな魚〜とイメージしていたのに、エントリーした岩場は黒くてゴツゴツ、水中の景色は一面のグレー。期待を裏切られたような気がするものの、その景色はなんともダイナミックだった。今まで間近に感じていた水底が、ある瞬間フッと消え、あっけに取られて下を見ると遥か彼方にざらざらとした砂地が見える。顔を上げれば行く手には新しい岩山が、その向こうにも壁が、どこまでも続いている。そっと振り返ると、崖がそびえ見えた。私達はそのどこかから飛び出して来たに違いない。
(ああ、浮いてるんだ・・・。)
急に、空間を感じた。インストラクターと繋いだ手に自然と力が入った。今、確かな支えとなるもののない空間に、自分はいるのだ。「水の中では無重力感が味わえるよ」と先輩ダイバーが言っていたのを思い出した。そう、宇宙飛行士だって水の中で無重力の訓練をするのだ。でも今の私は、足を蹴れば前に進むし、頑張れば行きたい方向へ進むこともできるだろう。ここは、空間だけど、満たされた空間なのだ。それに比べて宇宙空間の、なんと不自由なことだろう・・・・・・などと感慨に耽っていると、ぐいぐいと引っ張られて突き進んでいった。そうだ、体験ダイビングの参加者には魚を見ると言う使命があるのだった。その辺中いろいろな魚が泳いでいて、色も形もサイズも居場所もバラバラ、どいつを見ればいいのか皆目見当がつかない。とりあえず美術館を駆け抜ける時のように、慌しく上下左右を見回しているうちに大きな岩にたどり着き、掴まるように指示された。気を抜くと、あっという間に流されそうだ。岩を掴んだ指先を支点に、逆立ちしそうになる。必死で体勢を保ちながら、私達から両手を解放された彼女が何をするのかと様子を見ていると、おもむろに顔の前で片手の指先をこすり合わせた。
「???」
魚が押し寄せた。特に、手のひらくらいのサイズの白黒縞々のやつがいっぱい。
『オヤビッチャ』
一段落したところで、小さなプレートに名前を書いてくれた。確かにネットで調べていた時に餌付けをウリにしていたショップもあったが、どうやらこのショップは他所様の教育成果を有効活用しつつも自然に介入しない方針らしい。
その後も、なんだかんだしているうちに、なんとなく見覚えのある景色になってきた。ああ、もう終わってしまうのかとちょっと残念になる。しかし、これは今回予定している4本のうちの最初の1本目。まだまだ続きがあるさ、とちょびっと余裕もある。と、顔の横に気配を感じて視線を巡らし、のけぞった。でっかい三角の魚が、顔のすぐ横を追い越して行った。私の顔の3倍はありそうな大きな魚だ。それも5、6匹はいる。
『ツバメウオ』
と例によってプレートに名前を書いてくれた。「ツバメ」というのがどうも納得がいかない。あんな魚に一体だれがツバメなんて名前を付けたのだろう。まったくツバメらしさの欠片もない「ツバメウオ」の群れを見送り、私たちは水上へと帰還した。
「しまった、面白い・・・」
同居人がつぶやいた。
「すごかったねー、あんなに魚がいるなんて。」
何気ない会話を続けながら、私は心の中で快哉を叫んだ。同居人はきちんと罠に落ちたようだ。波に転がりながら陸上を目指す間も、興奮した会話が続いた。
「もう1本はどうしますか?」
「え? ああ、もちろん行きます!」
一瞬、何を問われたのかわからなかった。ここまで来てあの世界を体験しておきながら、やっぱり止めますと言う人がいるのか? 私には想像できないけれど。
「じゃあ器材はここに置いておいて、ちょっと休憩しましょう。お二人とも全然大丈夫みたいですね。」
「はいっ。すっごく面白かったです!」
「もう少し腕を伸ばすと動きやすいですよ。」
そう言えば途中で何度も彼女に絡まりかけたような気がする。おまけに、彼女を挟んですぐ向こう側に同居人が見えていた。どうやら二人して、緊張のあまり彼女の手をしっかり握り締めていたようだ。さぞかし動き辛かったことだろう。
2本目は思い切って腕を伸ばし、指先だけをそっと預けてみた。確かに動きやすく、周りも見やすい。1本目が殆ど引っ張られるように移動していたのに比べ、今度は自分で泳いでいる気がする。
(水面がキラキラしてる。上がっていく泡がきれい。)
(うわぁ、この谷間に降りていってみたい!)
(そっか、向きを変えたいときは一旦ぎゅっと縮んでから行きたい方向へ伸びればいいんだ。)
気分的にも多少リラックスでき、周囲を見回す余裕もでてきた。頭にも酸素が回りだしたようだ。2本目は壁沿いのクマノミやウミウシといった、小さくてかわいい子をゆっくり眺めて、この日の体験ダイビングを終了した。
真栄田岬から那覇のショップへと戻る車中、私達の心はCカード取得へ固まりつつあった。運転をしているインストラクターに講習についていろいろと聞いてみた。
「講習はね、頑張れば3日でもできます。ショップによってはテキストを貸出式にしている所もありますが、あれは絶対に良く有りません。いくら講習を受けたって、1回で全部は覚えきれないし、時間が経てば忘れる事だってあるでしょ。その度にテキストに戻って大事なことを確認しなくちゃいけない。その時にテキストが無かったら、正しい情報が得られないでしょ。不安になってダイビングを止めてしまうかもしれない。そんな状態にしちゃ、絶対に、いけない。テキストは、絶対手元に持っていないといけないんです。」
熱く語る彼女。彼女のダイビングへの想いが、私達にもしっかり伝わってきた。
体験ダイビング2日目は、ボートに乗ってケラマ諸島へ。世界でも屈指の美しさを誇る珊瑚の海だ。今までテレビや写真でしか見たことのなかったような海が、目の前に広がっている。ものすごい迫力で迫ってくる風景の中に、多くの命を感じた。同居人を罠に嵌めるつもりでやってきて、実は、より深く自分の足元を掘ってしまったのかもしれない。
東京へと戻る飛行機の中で、沖縄で買った魚のガイドブックを何度もめくりながら、この海を再訪することを固く誓ったのだった。
2002年 秋
私達は優雅なリゾートダイバーを目指すべく、ライセンス取得のためのスクールを探し始めた。振り出しに戻って近郊のスクールを検討するものの、どうしても、沖縄の彼女が脳裏に浮かぶ。あの熱い魂が忘れられないのだ。降参するしかない。覚悟を決めた。講習は沖縄のあの店で受けよう。そして沖縄まで行くからにはアドバンスコースまで一気に終了してこよう。何しろアドバンスまで持っていないと、せっかくダイバーになっても先輩達に一緒に遊んでもらえないのだ。もうすぐ師走という時期に1週間の休暇を取り、私達は沖縄塩漬け合宿を敢行したのである。
合宿の詳細はここでは語らない。ただ結果と教訓とだけを告げるなら、私達は無事オープンウォーター、アドバンスドオープンウォーターの2枚のCカードを手に戻ってきた。そして、この歳でふらりと行って1週間ぶっ通しで体力勝負ができるなどと思ってはいけない、ということを心の底にしっかり刻み込んで帰ってきた。そうそう、私達の出会ってしまった熱い魂は、期待通り激しく燃え続けていたことを言い添えておこう。
なにはともあれ、思い立ってから半年以上を経て、私達はダイバーとしてのスタート地点に立ったのであった。
2003年 睦月
前述の通り、私達の予定は「リゾートダイバー」だった。年に2〜3回、沖縄や海外のリゾートへ行って、優雅にダイビングを楽しむ。器材を持つと手入れも大変だし、それくらいの使用頻度ならレンタルで十分だと思っていた。何故過去形かというと、2003年もまだ前半だというのに、どうもその道を踏み外してしまっているような気がしてならないからだ。
ところで、明石には魚の棚という市場通りがあり、冬場になると一斉にナマコが並ぶ。私はナマコを食べるのももちろんだが、その光景が好きで、ここ何年か冬になると明石に通っている。今度はいつにしようかと考えている時、先輩ダイバー方が1月に明石のショップのツアーで串本へ潜りに行くという話を聞いた。それも餅つき付きのスペシャルバージョンである。もしかしてそのツアーにあわせて明石へ行けば、つきたての餅と新鮮なナマコが私を待っている?! 一気に盛り上がり、ツアーへ申し込んでしまったのは、まだCカード取得前のことだった。
「本当に入るのーー?!」
明石のショップで、1月だというのに私は汗だくになっていた。ショップのスタッフと先輩2人、総勢3人がかりで私をレンタルのドライスーツに詰め込んでいるのだ。どこかで見たような光景である。あの時は独力で戦っていたが・・・。
「苦しい〜。動けない〜。息が止まるよぉ。」
「慣れる! 緩かったら水が入ってくるだろう!」
(でも頭に血が溜まっていくよぉ。絶対首が絞まってる!)
「いけそうですね。ラッキーですよ。これ限定品のすごく良いスーツなんです。」
(でも苦しいんです・・・。)
「最初は慣れないと思いますけど、水に入れば多少楽になりますから。」
「わかりました・・・。頑張ります。」
初めてのドライスーツに私はかなり戸惑っていた。おまけに今回同居人は仕事の都合で参加できず、一人でやってきたのだ。不安と後悔がひしひしと押し寄せてくる。
(大丈夫かなぁ。やっぱり、たまに沖縄かそのへんに行くくらいが楽でいいなぁ。)
果たして、全然大丈夫じゃなかったのである。
記念すべき本土での初ダイブは、練習を兼ねて水深の浅いビーチをガイドと2人でのんびり潜った。
(おお確かに、結構平気じゃん。)
喉元に圧迫感は感じるものの、苦しいと言うほどではない。ウェットに比べてバランスは取りにくいものの、何とかなりそうだ。
『ナマコ広場』
あちこちに真っ黒なナマコが散らばる広場で、ゆっくり時間をとってくれた。スタッフの人にも私のナマコ好きはしっかり伝わっているらしい。
(ナマコは好きだけど、美味しそうじゃないナマコはあんまり見てても飽きるんだけど・・・。)
我儘な客である。
そのうち1匹のナマコを四角ばった魚がつついている所に行き会った。よく見ると、ナマコが体表に張った膜を食べているらしい。20cm程まで近寄ってじっくり眺める。小さな口が何度も何度も開くたび、僅かずつ膜が減り真っ黒な体色が広がっていく。
(無茶苦茶かわいーー!!)
ナマコの方ではない。
『シマウミスズメ』
つついている魚の名前を教えてくれた。魚に名前を付ける人は、よほど鳥が好きらしい。いつの間にか息苦しさも忘れ、夢中になっていた。
「2本目はボート行ってみますか?」
「行く!やっとみんなと潜れるかな?」
元気に応えた。
「アンカー下で集合ね!」
ボートがポイントに着き、他の人々が次々と沈んで行った。仕度に手間取った私がブイに繋がったロープにたどり着いた頃には、付き添いのスタッフがいるだけだ。
「じゃあ、行きましょう。」
容赦なく声がかかる。覚悟を決めて、潜り始めた。
ロープを握り締め、ゆっくりと降りていく。下を見ても青が広がるばかりだ。透明度抜群で底まで見渡せる沖縄の海しか知らなかった私には、まるで底無しのように見える。数メートルも降りるうち身体中が締めつけられて苦しくなってきた。
(ビーチの時とこんなに水圧が違うの?スーツに空気を入れなきゃ。でも入れすぎて急浮上しちゃったらどうしよう。)
恐る恐る空気を入れてみるものの、やはり苦しい。やっと水底のみんなが待っている姿が見えてきた。
なんとか水底にたどり着いたものの、今度は大勢いすぎて自分のガイドがわからない。
(青っぽかったと思うんだけど、この人かなぁ・・・?)
泳ぎだそうとすると、後ろから引っ張られた。一緒に潜降したスタッフが違う方向を指している。どうやらグループを間違えたらしい。慌てて自分のガイドを目指すが、とにかく息が苦しくて、いくら深呼吸をしても収まらない。全員揃ったのを見て、ガイドが岩の間を抜けて泳ぎ始めた。その後姿を眺めて一瞬迷った。
(苦しい。ボートから離れたらもっと苦しくなってももう戻れない・・・。どうしよう。)
「ダイビングは楽しむためにやるんです。コンディションの悪いときに無理しても危ないばかりで楽しくないですからね。」沖縄のインストラクターが何度も口にしていたのを思い出した。
(だめだ、やめよう。)
付いていたスタッフに合図をして、私達はグループと別れて浮上した。判断は正しかったんだと自分に言い聞かせながら、たまらなく惨めで悔しかった。
翌日はショップのオーナー引率のブランク&経験の浅いダイバーのグループに入り、ボートで出かけた。しかし、今日こそは!と思って出てきたのに、どうしても水に潜れない。水面で何分も波に揺られていた。
「あせることない。何分でも何十分でもとことん付き合うで〜。」
一緒に水面に残ったオーナーが声をかけてくれる。
(ここで潜れなきゃ、きっと一生潜れない。絶対頑張る!)
気合を入れるものの、いざ潜ろうとすると苦しくなってすぐ浮かび上がってしまう。何回かそんなことを繰り返しているうち、水面下のロープについた海藻の間を小さな魚が泳いでいるのに気が付いた。
(ああ、あなた達に会いに行かなきゃね。)
なんだかすーっと心が軽くなった。行けそうな気がする。
『OK。潜降します。』
ハンドサインを出して、ゆっくりと潜降を開始した。やはり締めつけられて苦しくなった時、思い切って空気を入れてみた。呼吸が多少楽になり、それでもまだ沈み気味であることに気付く。(なんだ、こんなに空気入れても平気なんだ。どうして昨日はわからなかったんだろう。)
無事水底までたどり着いたとき、オーナーがグリグリと頭を撫でてくれた。後で記録を見たら7〜8分も先発の人々を待たせていたらしい。この恩はいつの日か私がベテランになった時、初心者の人に返します、とこっそり心中で礼を述べた。思えばこの時、初めて「ダイビングをすること」ではなく「生物に会うこと」を目的として潜ったのではなかったろうか。
一回潜った後はスムーズとはいかないまでもどうにか潜降できるようになり、ツアー後半では沖縄とはまた違った海の魅力を堪能することができたのだった。
さて、この串本ツアーで私はいくつかの課題を得た。まずはとにかく経験を積むことだ。スムーズに潜降できなかったのは、自分のスキルに不安があり、また海への恐怖心があるせいだ。経験を重ねてスキルアップを図り、海に慣れるしかない。何を隠そうこの時点ではもう夏の与論島ツアーに参加表明をしていたのだ。夏までに何とかしなくては。
そしてもう一つの課題が器材だった。当初の計画では、年に数回のことだからレンタルですませてお手軽に、という予定だった。第一にうちには保管スペースが確保できない。しかし今回の串本で苦渋をなめたのは、もちろんスキルにも精神的ストレスにも問題があったが、それにしてもスーツの物理的な苦しさだって要因として無視できないはずだ。やはりスーツくらいは身体に合ったものが欲しい。となると採寸してオーダーメイドということになるが、一体どこで買えばいいんだろう?
そんな時、天使の声が(いや、悪魔の声だったかもしれないが)降ってきた。
「2月に東京でダイビング・フェスティバルがあるから、展示会を見がてら、スーツの採寸に行ってもいいですよ。」
明石のショップのスタッフからだった。
「置き場所が心配なら、うちで預かっててもいいし。」
「本当にいいんですか?」
採寸を終えて届いた見積書には、器材フルセットが記載されていた。
2003年 春から夏
「ねー、あんまり間を空けずに行っといた方がいいと思わない? 3月の串本ツアー行こうか?」
「いいよ。休みとれるし。」
「やっぱり、与論行く前にディープの練習しといた方がいいよね〜。深そうだよ。」
「そっかぁ。」
「練習といえばやっぱり沖縄だよね。きっちり特訓してもらえるし。GWに行こうよ。」
「また合宿するかぁ。」
「マイ器材はいいよぉ〜。すっごくラク!今から注文すれば与論に間に合うし、買っちゃえば?」
「うーん。」
「だって、もうダイビングやめないでしょ? 6月の白崎なら近いしさ、採寸に行ってついでに潜っちゃえばいいじゃん。何なら重器材だけ先に頼めば、与論に行く前に使ってみられるし。」
「そうかぁ、それもいいなぁ。」
「与論の飛行機決まったって。みんなとは沖縄で合流みたい。うわぁ乗り継ぎがギリギリだぁ。」
「ふ〜ん。」
「8月の仕事がお休みの間に潜りに行っとこう〜。どこ行こうかなぁ。2回は無謀かなぁ。」
「……財布は無限じゃないって知ってる?」
「9月10月は忙しいし、やっぱり沖縄は11月か。次は何の講習受ける?」
「……。」
そして…
真っ白な砂地にゆらゆらと水面のきらめきが映っている。
(…夢?)
目を開ける。ビーチでの講習からの帰り道。どうも渋滞にはまっているらしく先程からそんなに進んでいない。
(寝ちゃったのかな? 今日はハードだったしなぁ。)
再び目を閉じる。ゆらゆらと、きらめきが戻ってくる。水面では光が踊っているようだ。
(ああ、私まだ水に溶けたままだ。人間に戻ってないや…。)
くすくす笑いたくなってしまう。
(帰り道まで浮いていられるなんて、なんかお得な感じ…。)
ゆらゆらと、このままどこまで落ちていってしまうのか。どこまで流されてしまうのか。水の流れに身をまかせ、気持ち良く漂いながら。