めざせ初級者

ダイビングのはまりかた
−めざせ初級者−

中矢[酔ってないときは海月の宇海]陽子

海には七つの謎がある、と言ったのは誰だったか。海は、不思議と感動に満ちた世界だ。通えば通うほど、ますますその深みにはまってゆく。そんな海で私の経験したことをいくつか紹介しよう。

回る右手

 ぐるぐるぐる。何の音?それは地球が回る音。そして右手も回る音…。
「ねーねー、止まったー?!」
「まだちょっと回ってたね。」
「うーん、動かさないようにBC掴んでたんだけど、やっぱりずっとは我慢できないのよねー…。」
 ダイビングを始めて数ヶ月。このころ、私の右手は洗濯機と呼ばれていた。それもかなり働き者の洗濯機で、水中にいる間、肘から先がぐるぐると休むことなく水をかき回していた。何故?と聞かれても自分では回していることにすら気づかない。回したくて回しているわけではないのに、海から上がると必ず誰かから、今日もよく回ってたねーと言われてしまうのだ。手の置き場所がないから回るのかと思い、腕を組んでみたり装備の一部を掴んでみたりするのだが、気がつくと回っている。それならカメラを持っていたら?と思って試しても、やはり気づくとカメラごと回っている。かといってそれが推進の役に立ったり、方向転換の役に立ったりしているわけではない。おまけに、回るのは右手と決まっている。
「どーして止まらないのかなぁ?コリオリの力に引っ張られてるのかしら?」
「……」
友人は、冷たい視線で応えてくれた。

カナヅチの右手は回るものらしい「期待してたのに、全然回ってなーい!」
「ふっ。人間はね〜成長する生物なのよ〜。」
 これが今の私。そう、私の右手はいつの間にか回らなくなっていた。半年以上も私を悩ませ続けたぐるぐるが、水中で自由に動けるようになるにつれ、自然と回らなくなったようだ。そして、気がついた。
『…回ってる。』
 私の手ではない。最近ダイビングを始めたばかりの、私より初心者の人の手だ。何のことはない、初心者の手は回るものなのだ。水中で前進するのは比較的簡単である。しかし、止まるのはとても難しい。一緒に潜っている先輩が自由に止まったり方向を変えたりしているのに、自分は全然思うように動けない。止まりたいのに止まれない、あっちを向きたいのにそっちが向けない、そんな初心者の悪あがく手の動き、本能から湧き出る動き、それがぐるぐると回る手の動きだったのだ。ぐるぐるは、初心者が必ず経験する通過儀礼の一つだったのだ。
 でも何故右手だけ?その答えは簡単。それは私が講習を受けた場所がとてもきれいな珊瑚畑だったからだ。器材を装備すると身体の左側にゲージ類がぶら下がった形になる。そのまま珊瑚の近くを潜ると、そのゲージ類がゴンゴンゴンと珊瑚にぶつかりバキバキバキと珊瑚を傷つけることになってしまう。そこで私は講習中ずっと左手でそのゲージ類を握ってぶら下がらないように気をつけていた。そのため私には右手しか回す手が残されていなかったのだ。さらに一緒にダイビングを始めた同居人の場合は、最初からビデオカメラを持って潜っていた。ビデオカメラを持つには両手が必要で、同居人には回す手が残っていなかった。おかげで彼は不幸にもぐるぐるの通過儀礼を通りそこねてしまった。
 ところで、私のぐるぐるが何の役にも立たなかったのかというと、そんなことはない。私のぐるぐる姿はきちんとビデオに残され、とあるダイブショップでヘタッピーな初心者の例として活用されているのである。

増える生物

 環境の激変から多くの生物の絶滅が危ぶまれ、生態系への大きな影響も懸念される昨今、海もまたその影響を免れ得ない。
 ウミシダという生物をご存知だろうか?ウミユリ科の生物で、まさに地上の羊歯のような形状をしており、サイズやカラーに多くのバリエーションがある。ユリである。シダである。どう考えても植物だと思えるのだが、実は立派な動物であり、根っこのような足でワシャワシャ歩いたりもする。日本の海にも広く分布している、らしい。しかし私がダイビングを始めた頃、こいつは沖縄の海にも串本の海にも住んでいなかった。それがこの1年程の間にすごい勢いで出現したのである。
 ところで、ダイビングをする楽しみはたくさんある。それは水中での浮遊感、無重力感、自在感を感じることであったり、豪快な地形や自然の織り成す不思議な造形を眺めることであったり、その楽しみを仲間と共有することであったり。何が好きかは人それぞれだが、私はやはり、一番面白いのは海に生きる命を観察することだと思っている。
「ウミシダって見たことない。見てみたーい!」
「えっー?!嘘。どこにでもいるだろー。」
「だってそんなの見たことないもん。」
「与論のナイトのとき、泳いでたよ。」
「泳いでなくてもいいから、見てみたーーい!!」
 真夏の牟岐の海は折りしも台風通過直後、味噌汁がごとく視界をはばみ、みんなで根の周りをうろうろするくらいが丁度いい感じ。
「よし、今日はみんなでウミシダを探そう!」
「いるかなぁ?」
「絶対いる。」
 まだ見ぬ生物への期待にドキドキワクワクしながら、ニゴニゴの海へと乗り出した。海中は自分の足先がかすむほどの濁り様。先発チームも後続チームもすぐ近くにいるはずなのに全く見えない。半年前の自分ならこの海には潜れなかっただろうなぁと思いながら、ガイドを見失わないようしっかりと後をついていった。ぼんやりした視界に突然岩山が現れる。目的の根についたらしい。ガイドが岩の隙間から生えた緑色のモジャモジャを指し、持っていたスレートに「ウミシダ」と書いた。え、もう?想像を膨らませて楽しむ間もなくウミシダと対面してしまった。会ってしまったからにはしょうがない、じっくりと眺めて考えた。
『こんなやつ、見たことあったっけ?海藻と思ってたのかなぁ?いや、ない、見たことない!やっぱり初めて見た!でも本当に海藻じゃないのかなぁ?』
 経験値アップに気をよくしつつも、なんだかちょっと騙されているような気がしながらあっちこっちを覗いてみると、同じような生物がそこここにいる。真っ黒いやつや、オレンジの縁取りつきとか。と、急に頭の上で何かモシャモシャする。どうも誰かが私の頭にウミシダを載っけてくれたらしい。確かに動いている。やっと、確かに動物なのだという実感が湧いた。
『わーい。ウミシダ載っけてもらっちゃった〜。写真撮ってもらおー。』
と思ってカメラを持った先輩の所へ泳いでいく間に、頭の上のウミシダは剥がされてしまった。残念。
 とまあこんな形で、私は初めての四国でのダイビングで「超ニゴニゴ」と「ウミシダ」と、経験値を二つもアップした。
 ところがである、その翌月に潜りに行った串本で、なんだか見たことのあるような物体に気づいたのである。
『・・・これは、もしかしてウミシダ?』
 おかしい。そんなはずはない。1月に潜ったときも3月に潜ったときも、こんなやつはいなかった。6月に白崎に潜った時だって、いなかった。それが何故こんなに急に、それもあちこちに出現しているのか?どうしても納得がいかず考え込んでしまった私に、先輩が説明してくれた。
 その先輩によると、地球温暖化の影響で南に住む生物が徐々に北上して姿を見せるようになっているらしい。その先輩も、ダイビングを始めて間もなく与論島に行った時には見かけなかった「カスミチョウチョウウオ」という魚が、数年後に再訪した時には大群になっており、与論島の名物として名を馳せていることに非常に驚いたらしい。*1
 そう、やはり生態系は刻々と変化をしており、思いもかけぬ時、思いもかけぬ場所で思いもかけぬ生物が急激に増殖することがあるのだ。
 だから、1月や3月に撮った写真に写っているモジャモジャした物体は、まだ名前も知らない海藻か何かのはずなのである。

見えないリード

 海の中では、目に見えるものだけが存在しているとは限らない。
「子犬みたいに走り回ってたくせに、あんなにエアが減らないなんて許せない!」
という発言がきっかけだったのか、それともダイビング界で伝統的に使用されてきた表現なのか私にはわからないが、海には稀に「子犬」が出現することがある。何を隠そう私もまさにその「子犬」だった、と過去形で話すことを仲間は許してくれるだろうか?
 子犬は、好奇心の赴くまま自由奔放に生きている。周りのことなんてなんにも見ずに気になる所へ一直線に駆けてゆく。あっちもこっちも、気になる所は全部見たい。そこもここも、覗ける所は全部覗きたい。気がつくとあっち、次にはこっち、と縦横無尽に駆け巡っている。そこが全く安全な場所なら、そんな子犬をみんなは笑って見ているだろう。またそこが命にかかわるような危険な場所なら、何とか止めようとするだろう。ではそこが、海の中だったら?
「ちょっと!何真剣に見てるのよ!」
「いや、大型犬用のなら大丈夫かな、と。」
「残念でした〜。体重制限越えてるもんねー。」
「海中だと浮力があるから大丈夫なんじゃないかなぁ?」
「でもガイドの方が軽いと逆に引っ張られちゃうかもよー。」
 海は、大きな危険を孕んだ世界である。但しルールを守って行動する限り、比較的安心できる場所でもある。またせっかく楽しむためにダイビングをしているわけだからある程度の自由さは欲しいだろう・・・と考えた結果、伸縮自在な犬用リードに思い至ったらしい。というわけで、ダイビングに来た串本の、とあるホームセンターの犬用リードの陳列棚の前で、いろいろな商品の比較検討会が催されていたのである。しかし本当はみんなにも判っているのだ、私にはそんなものは必要ないということを。何故ならば私は非常に飼い主を愛する子犬で、必ずガイドの真横から出発してまたガイドの真横に戻ってくるブーメランのような子犬なのだ。
 本日のバディは子犬系で名高いお嬢さん。ガイドが根を離れて泳ぎだした。バディを見ると案の定90度右手に逸れて見事な虎縞のカゴカキダイの群れに吸い込まれていく。
『そういえば、すごい阪神ファンだって言ってたっけ。せっかくだし、ちょっとくらいいいよね・・・。』
 ガイドの後姿を横目で睨みつつ、見えなくなる前に連れてけばいいよね、と虎縞に見入るバディの傍らで一緒に眺めてしまった。と、肩を叩かれて振り返ると、アシスタントが私たちを回収にきていた。
 そう、子犬は自分より奔放な子犬を目にすると理性を取り戻すのだ。そして、私たちは本当は、見えないリードでちゃんと繋がれているのである。

夢の光景

 人は、夢の光景を目の当たりにしたとき、何を思うのだろうか・・・。
 私たちは、配られたしおりを見ながら自分のポジションと手順を確認していた。限られた時間の中で間違いは許されない。2004年はダイビングで幕開けするのだとカウントダウンツアーに参加し、水中カウントダウンの段取りを確認しているのだ。
 2003年も残すところ30分ばかりになった頃、私たちは賑やかに海へと入っていった。そして、私はそこで夢にまで見た光景に出会ってしまった。
 海には、人気者がいっぱいいる。なかなか出会えない珍しい魚や、綺麗だったり愛嬌があったりする生物。一度は見てみたいと思っても、海はそうそう人間に都合よくできているわけではないので、見たいと思った生物がすぐ見られるわけではない。そして私には、どうしてもどうしても会ってみたい生物がいた。それは、ナマコの赤ちゃんだ。ナマコは格段人気があるというわけではないが、私はナマコを見るのが結構気に入っている。串本のいつものビーチにはナマコ広場と呼ばれるくらいクロナマコがゴロゴロしている場所があり、そこに潜るのもとてもお気に入りだ。沖縄で見た2m以上ありそうな長いナマコに感動したり、岩場の中に嵌り込んだ奇妙なポーズに大笑いしたり、星型をしたナマコの肛門に見とれたり、長そうなクロナマコで三つ編みに挑戦したり、いつものトラフナマコをナデナデしたり、一方的にナマコとのコミュニケーションを楽しんでいる。しかし、ものすごーく会ってみたいのに、一度もナマコの赤ちゃんを見たことがなかったのだ。せいぜい見かけるのは15〜20cmの、もう中学生くらいになっていそうなナマコまで。先輩はナマコは分裂して増えるから赤ちゃんは存在しないと言ったが、ナマコは立ち上がって放精するのだ。どこかで受精して、赤ちゃんが産まれているはずと、いつの日か会えることを夢見ていた。
ナマコの赤ちゃん そして、その夢の光景が、突然私の目の前に広がった。カウントダウンのために踏み込んだ真夜中の海底には、一面にナマコの赤ちゃんが広がっていた。体長2〜3cmほどのチビナマコが、それはもう数えるのも不可能なほど、人間が肉眼で見ることのできる星の数に匹敵するほどのチビナマコたちが、私たちを迎えてくれたのだ。全く予想もしていなかった光景に、私は感動のあまり言葉を失った。
『!!!!!』
 まさに夢の光景に出会ったのだ。そりゃもう近くでじっくり堪能したいに決まっている。しかし、無常にもチームはカウントダウンの場所へ向け突き進んでいく。そう、今夜だけは、途中でグズグズしてタイミングを外すわけにはいかないのだ。私は泣く泣くチビナマコたちに別れを告げ、仲間についていった。
『また明日、会いにくるからねー!!』
 私たちは予定の場所で、予定とはちょっと違った隊形でそれでも何とか無事にカウントダウンを行い、羊が去り、猿が登場し、水中神社に初詣をし、おみくじを引き、新年を言祝いだ。初日の出を拝み、いつもの魚達に挨拶に行き、餅もついて、コマを回し、凧を揚げ、やっと、チビナマコの待つビーチへと潜りに行くことになった。もう、ドキドキである。ワクワクである。チビナマコの待つエリアへとのんびり水路を抜けるのすらもどかしい。
『一面のチビナマコ〜〜。今日はじっくり眺めるの〜。』
 今回は、一緒に潜るチームの人々をすっかり巻き込む魂胆で出かけていったのだ。しかし、そんな期待大爆発の私を迎えたのは冷酷な光景であった。
『いない!いない!どこにもいないっ!!私のチビちゃんたちはどこーー!?』
 海底にいるのは、いつもの大人ナマコばかりで、昨晩の夢のような光景はどこにも存在しなかった。そして、恐ろしい事実に気がついた。
『・・・もしかして、チビたちって夜行性?大人はこんなに昼間っからゴロゴロしてるのにーー!』
 どうやら私が今までナマコの赤ちゃんに会えなかったのは、昼間の海でしか探していなかったかららしい。
『でも、いくら夜行性だからって、消えてなくなるわけじゃないよね。この近くのどこかには必ずいるはず。絶対、見つける!』
チビナマコ ふと思いついて、昨日チビナマコを見かけたあたりの岩を、順番にひっくり返してみた。
『いない…いない…いない…いたっ!!』
 案の定、チビナマコは岩陰に隠れていた。ひっくり返された岩の微妙な窪みに、まだ真っ黒になりきらない深緑色のチビナマコがじっと張り付いていた。それっぽい岩をひっくり返していくと、クモヒトデがシュルシュルと逃げエビやカニが逃げ出した後に、チビナマコだけがじっと残っている。
『うわーーい、4匹も並んでる〜。』
 期待した光景とは違ったものの、大満足してその1本を終了したのであった。そしてまた一つ知恵をつけた。
 「ねーねー、3本目ビーチに行きたいなぁ。」
「ちょっと遅めになっちゃうけどいいですか?」
「その方が出勤時間にかかるから丁度いいの。」
出勤するのは、もちろんチビナマコたちである。
「この前の石には3匹ついてましたよ。」
「甘いな。君の先輩が見つけた石には6匹ついてたよ。7匹を目指さないとね。」
「7匹ですか。頑張ります!」
 そしてGWの一日。
「ねー、ビーチ行かない?この前の子達がどれくらい成長したか見たーい!」
「いいですよ、行きましょう。昼に潜ったときには、10匹ついてたんですよ。」
「10匹!?すごいっ!」
ひと月ぶりのビーチへ、ガイドと2人で繰り出す。ちらちらと私の様子を伺いながらも、ガイドが突き進んでいく。目指すはナマコ広場だ。この辺りかなと思った頃、おもむろに彼女が岩をひっくり返しだした。チビナマコを探してくれているらしい。私も負けじと探しだす。黙々と岩をひっくり返す、あやしい2人組だ。
『いち、にち、さん…11匹!』
ガイドに自慢しようと彼女を見ると、わき目も振らずに私ですらためらうような大きな岩をどんどんひっくり返している。
 ふと、ある懸念が頭をよぎった。・・・私のため?それとも、もしかして、もしかすると、彼女にいけない楽しみを教えちゃった・・・?
 とまあ、短い間にもいろいろな事があった。他にも、「ネジは回せるかについての考察」や「耳の年齢制限論争」、「歴史は繰り返す事件」など、次から次へと謎や課題が湧いてきて落ち着く間もない。それでも何とか経験を重ね、私も100本を越えて、無事初心者から初級者へと昇格することができた。
 今日は快晴。天気予報なんて当てにならない。いいダイビング日和になりそうだ。
「行きまーす!」
一声かけて海に飛び込み、アンカーロープ沿いにゆっくりと潜降していく。柔らかく差し込む光の中、水底から大きな泡が昇ってくる。その表面に映るダイバーの姿、それは私。その泡を吐いたのは水底で待つ仲間たち。共に海を行く大切な仲間たち。さあ、今日はどんな感動が私たちを迎えてくれるのだろうか。

*1 もちろんウソ。カスミチョウチョウウオは昔から沖縄の潮通しの良いポイントであればどこでも見られる。




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