というわけで、今年も『星界の紋章』ネタである。
内心、けっこう忸怩たるものがある。出版されてから二年、書き上げてからならそろそろ五年になろうかという作品をいつまで引きずっておるのか、そもそも谷甲州黙認FCの会誌に三年もつづけて自分の作品のことについての記事を投稿していいのか、いいかげんまじめな――いや、べつにまじめでなくてもいいのだが――甲州作品の研究を発表すべきではないのか、それができないのならせめてアンケートにちゃんと回答を寄せるべきではないのか……。
しかしやってしまう。
たとえ他人にとってはいい迷惑であろうと、自分の人生にとっての重大時はやはり吹聴して回りたい。
人生にイベントはいろいろある。結婚なら一生のうちに何度もこなしてしまう人がいるし、死ぬことすらたいていの人間がやり遂げる。だが、自分の作品がアニメ化されるということは、ふつう人生の予定表に入っていない。もちろんわたしも平凡な人間なので、あまりまじめに考えたことはなかった。まさにふってわいた大イベントである。吹聴せずにいられようか。
長いあいだ音信の途絶えていた従兄弟からある日とつぜん宅配便が届きなんだろうと開けてみたら従兄弟の子どもの写真が入った大判のカレンダーだった――というお気持ちかもしれないが、暖かい気持ちでおつきあい願いたい。
さて、ことの起こりは二年前、『星界の紋章』の最終巻が発刊された直後のことである。
詳しい経過を書きたいところだが、差し障りがありすぎるし、あまりおもしろくないような気がしてきたので、複数の会社からアニメ化の申し出があったというにとどめておこう。
作者としては、アニメ化したい人たちみんなで仲良く制作してもらうか、いっそいろんなバージョンのアニメ版をつくって競い合ってもらいたいところなのだが、世の中、そうもいかないらしい。どこかひとつに絞らなくてはならないことになっているようだ。難儀なことである。
むろん、この段階ではスタッフはまったく決まっていない。決まっていたって、わたしはアニメの世界には疎いので、「監督はだれだれ、シリーズ構成はだれそれ、作監は……」なんて話をされてもわからない。
したがって、絞る材料はふたつだった。
ひとつは実現性。アニメ企画なんて10申し出があってひとつでも実現すればいいほうらしいが、なにしろほかのは断ってしまうのだから、必ずつくってもらわないと悔しいではないか。
これでふたつに絞った。どちらも非常に具体的な提案で、「テレビ放映を目指しますが、枠がとれなければ、OVAにしてでも」とおっしゃってくれた。
もうひとつの材料とは、生臭い話で恐縮だが金である。金をかけたからといっていいものができるとは限らないが、かけなければどうしようもない。
ここで、TVアニメと金の関係についてわかる範囲で解説しておこう。最近のアニメ誌で深夜アニメの制作費について特集しているのを見かけたが、アニメファンを自称する人間のなかにも「深夜アニメはゴールデンタイムのアニメに比べてずっと制作費が安い」と頑なに信じこんでいるむきがいるぐらいだから、一般の人はご存じないだろう。わたしもこの話が来るまでは関心を持ったこともなかった。
周知のとおり、テレビ番組の制作費はスポンサーが出す。プライムタイムの番組のスポンサーになるためには高額の出費が要求され、深夜だの早朝だのという視聴者の少ない時間帯の番組を提供するなら比較的安くすむ。したがって、深夜番組の制作費は、ゴールデンタイムのそれに比べてかくだんに安いのが一般的である。前記のアニメファンの誤解もそのあたりから来るものだろう。
ところが、アニメに関してはこの原則が崩れているのだ。深夜アニメ、あるいはテレビ東京系で六時台に放送しているアニメの一部は、もはや広告代理店やテレビ局を経由してスポンサーからもらう金をあてにしていない。
制作費はビデオやLDの売上げ、あるいは海外への版権売りで回収する。テレビ局もただでは放送してくれないので、電波料に関してはスポンサーを見つける。スポンサーが見つからなければ、関連会社が時間枠を買ってでも放送する。つまり、テレビ局から制作費をもらうどころか、金を払ってでも放送するのだ。
なぜこんなことをするかといえば、某TVアニメのソフトがOVAなんぞよりはるかに売れてしまったからではないか、と邪推しているが、はっきりしたことは知らない。
とにかく、アニメに関しては放送時間帯と制作費のあいだに相関性がない。むしろ一般ユーザーに買ってもらわないといけないぶん、深夜アニメはゴールデンタイムのアニメよりも手間暇がかかっているのがふつうである。むろん、作品個々によって事情は異なるから、例外もたくさんあるようだが。
したがって予算の多寡は、放送局や時間帯より、製作会社の資金調達力、そしてどれだけ先行投資する気があるかにかかってくる。
これが決め手になった。もういっぽうの会社も非常に熱心で心が動いたのだが、けっきょくバンダイビジュアルにお願いすることにした。
バンダイビジュアルは大手玩具会社の系列なので、玩具になるようなアニメばかりつくっている、と誤解される傾向があるが、そんなことはない。映像作品、なかんずくアニメに関してはいちばん確かな作品づくりをしている会社である――というのはアニメ業界に詳しい人の受け売りなのだけれども、自分なりに調べたところでもそのとおりだ。
ただ、「バンダイは腰が重いよ」とも警告された。企画がとおっても、動きだすまでにはかなりの時間がかかるだろう、ということである。
そのとおりだった。
やがて、制作会社はサンライズに決まり、監督は長岡康史氏、シリーズ構成は森亜矢氏に決定したが、それからぜんぜん進展がきこえてこない。
きっと原作者の知らないところで進んでいるのだろうなぁ、と思いつつ、わたしは日常をおくっていた。ときには、「うーん、どうなっておるのだ」とヤキモキすることもあったが、わたしも他人様の仕事が遅いなんぞといえる立場ではなかった。なにしろ、『星界の戦旗
II』がぜんぜんできあがらないからだ。せっつくよりせっつかれるほうで忙しかったし、映像の素人のわたしとしては「アニメに自分から口を出さない」と決めていたので、ただ連絡の来るのを待つのみだった。
最初は平成九年中に放送開始予定だったのが年が明けてしまった。
そして、平成一〇年四月四日、サンライズのホームページについに今秋放映予定として『星界の紋章』が紹介される。
この時点でわたしの手元にあるのは、主要キャラクターのイメージイラストや演出メモ、一話から三話までのプロットぐらいで、まだアニメ版『星界の紋章』にリアリティを感じていなかった。
それからしばらくは進展もなく、『星界の戦旗 II』もいっこうに完成する気配がなかった。
『星界の戦旗 II』の第一稿がやっとできたのは五月末のことである。
それを待っていたかのように、アニメ企画が動きはじめた。
まず六月一日、サンライズから一話から五話までのシナリオが宅配便で届いた。
翌日には六話から八話までのシナリオと九話のプロットが届いた。なぜ二回に分けたのかは謎である。
そして、その日の夕方、サンライズから電話がかかってきた。「急な話でなんなんですが、あさって、声優オーディションをやります。よかったら来てください」
ほんとに急である。オーディションは二回にわたって行なわれ、第一回は四日、第二回は八日にするという。
「行きたいなぁ。行きたいけど……、無理かもしれませんねぇ」とわたしはこたえた。
というのは、『星界の戦旗 II』はいちおう完成したものの、かなり手を入れる必要があり、さらにルビも入れなければならない。お出かけするのは、ちょっと後ろめたいのだ。
しかし、わたしの心は決まっていた。なにしろ人生の大イベントの一環である。声優オーディションを見る機会など二度とないかもしれない。
行こう。なにがなんでも行こう。
六月四日。渋谷のスタジオで一回目の声優オーディションが行なわれた。
今回、オーディションの対象となるのは、名目上の主人公のジントと実質上の主人公のラフィールの役で、併せて五〇名以上。しかも、ジント役候補が女性の場合はラフィール役にも挑戦してもらったりもしたので、三〇組以上がジントとラフィールの会話をすることになる。
スタジオにはいると、すでに声優たちが応接室(だかなんだか知らないが、大きなテーブルがある部屋)に一杯で、「おはようございます」といっせいに声をかけてくる――たじろぐ。
スタジオのスタッフに名を告げ、調整室(という名称が正しいのかどうか知らないが、要するにスタッフが仕事をするところ)に入れてもらう。
顔を合わせたことのある制作スタッフはまだだれも来ていなかった。一番乗りだ。このあたり、アニメ化に浮かれているわたしの心情をくみとっていただきたい。
調整室のいちばん前にある、いかにもお客様用という風情のソファに坐り、開始を待つ。
監督やハヤカワのK氏、サンライズのスタッフがやってきて、オーディション開始。
ところで、わたしはヘビースモーカーである。スタジオは禁煙である。くりかえしきこえてくるのは、脚本家の手がかなり入っているとはいえ自分で書いたセリフである。ちょっとソフトな拷問といった趣がある。
途中、トイレへ立った。廊下にまで明日のヴォイス・スターを夢見る若人たちがあふれている。なかにはほとんど実績のない人もいるようだ。声優としての第一歩を『星界の紋章』で記すことがいいことなのか、どうなのか……。
実績のない人もふくめ、さすがにプロだけあってみな達者だ。だが、ぜひこの人にやってもらいたい、というほどイメージにぴったりしたかたはいなかった。それでも、印象に残った声優さんの名を監督に伝える。
オーディションが終わったあと、放送局についての話をきく。ブレンパワードの後番組――つまりWOWOW水曜日一九時半、一一月放送開始――である可能性が八、九割。残りの一、二割は東京ローカルの深夜ということだった。
六月八日。じつはこの日の朝、わたしは長野にいた。SF作家倶楽部の総会だったのである。オーディションは一〇時半からだ。新幹線のおかげで東京に出るのは楽になっているとはいえ、ゆっくりはしていられない。特別に早く朝食をとらせてもらって、渋谷へむかう。
オーディションを二回に分けたのは、おそらく声優のスケジュールの都合だろう。というわけで、この日はほんの五、六人の予定だった。
ところが、某プロダクションが「うちの声優一期生です。オーディションだけでも受けさせてください」と何人か押しこんできたおかげで、人数は倍以上になった。
といっても、四日にくらべればごく少ないものである。ひどい二日酔いだったが、なんとか耐えることができた。
この日も、「いい。とてもいいんだけど、イメージからちとはずれる」人がつづいたが、最後に「よくない。ちっともよくないんだけど、ラフィールのイメージにぴったり」という人が現われた。
素人のわたしが下手だと思うぐらいだから、きっと演技はすごく下手なのだろう。だが、声の質が思い描いていたラフィールのものと一致してしまった。困ったものである。
わたしは監督に彼女を推した。ただし、遠慮がちに。なにしろ、彼女を起用するのはかなりの冒険になるだろうから。
だが、監督はすでに彼女をチェックしていた。脚本家の印象にも残っていた。それに力をえたせいか、気がつくとわたしは熱弁をふるっていた。おかげで、原作者の一押しということになり、彼女は最終候補に残った。
この日、WOWOWの人に紹介される。これで放送局はWOWOWに決定。自動的にブレンパワードのあと番組に決定か、東京ローカル深夜よりも衛星ゴールデンのほうがいちおう全国放送であるだけわたしのなかのステージではちょびっと上なので、まあいいかな――と思ったら、そうでもないらしい。別枠で一〇月か一月に開始する線が強まってきたという。深夜じゃないだろうなぁ、と疑心暗鬼になる。
六月一〇日。追加のオーディションがあった。
ジント役について、監督の心はもう決まっているそうだ。わたしもチェックしていた人なので、異論はない。ラフィール役もかなり絞られている。そのなかには「原作者の一押し」の人もいた。はたして彼女に演技ができるのかをたしかめる、というのも今回の趣旨のひとつであったらしい。
この日、ブレンパワードのあと番組となる可能性がなくなったことを知る。どうもWOWOWは秋の加入促進キャンペーンにあわせて一〇月開始にしたいようだ。だが、それでは作画体制の崩壊は必至――一話、二話はなんとかなるが、三話以降の目途がつかないらしい――なので、スタッフサイドは戦々恐々。年始のキャンペーンにあわせて一月スタート、あるいはいっそ春のキャンペーンにあわせて四月……と望んでいる。いずれにしろ、加入促進ということは、スクランブル放送も決定なのだろう。それなら深夜ということはない……かな? まだ疑心暗鬼である。
どうなるかは六月中に結論が出るそうなので、あなたがこれを読んでいる時点では決定しているはずだ。
でもなぁ、加入促進キャンペーンといってもなぁ。
わたしの周囲では、「WOWOW? じゃあ、ビデオ化待ちだね」という声が圧倒的だぞ。見ず知らずの人がどれだけ『星界の紋章』のために加入してくれるのだろうか。
思いあまって、実家に電話してみても、「ええ? WOWOWって、お金とられるんやろ」だと。あんたら、息子の一生に一度かもしれん映像化作品をリアルタイムで視るより月々たったの三〇〇〇円でハイレグのほうが大事か。しかも、いまは値下げして二〇〇〇円のはずなのに。
まあ、いい。僻地離島にももれなく届く衛星放送だ。きっと地上波放送ではありえないいいこともあるだろう。
とつぜんですが、妄想劇場『南の島の美少女』――。
南の島には娯楽が少ない。本といえば雑貨屋で週遅れの雑誌を売っているぐらいだし、映画はレンタルビデオで借りるものだ。テレビも地上波は届かない。
南の島の美少女の家にBSアンテナがついたのはごく最近のことだ。最初はNHK衛星だけだったが、ビデオを入れなくてもテレビが映るというのは新鮮な驚きだった。
南の島の美少女はアニメが好きだったから、衛星アニメ劇場は毎日欠かさず視た。島で唯一のビデオレンタルショップは小さいので、アニメといえばディズニーか宮崎アニメしかおいていない。いままで視たことのないテレビアニメに、南の島の美少女は夢中になった。
WOWOWでもアニメが始まったことを網元の娘からきいた南の島の美少女は、両親にせがんで加入してもらおうとした。しかし、父親は昔気質の漁師だ。テレビはNHKがいちばん信用できる、民放なんぞ贅沢の極みととりあわない。
半年に渡る説得ののち、父親はようやく折れた。南の島の美少女の頬を伝わる熱いものが決め手となった。
機械に詳しい近所のケンにいちゃんがデコーダーをセットしてくれたあと、南の島の美少女は高まる期待に胸を躍らせながら番組表をチェックした。そして、タイミングよく今日から新しいアニメ番組が始まることを知る。
新番組の名は『星界の紋章』。
はじめはなんだかよくわからなかったが、回を重ねるごとに、南の島の美少女は魅入られていき、原作も読みたくなった。
だが、悲しいかな、南の島には本屋がない。南の島の美少女は本土への連絡船に乗った。ひとりで島の外へ出るのは生まれてはじめてのことだった。手にはお小遣いとメモがしっかりと握られている。メモには、オープニングでクレジットされる原作者と出版社の名前が記されていた。
本土といっても田舎町である。小さな本屋しかない。『星界の紋章』を出している出版社の本はグインの最新巻が置いてあるだけだった。泣き出しそうな思いをぐっとこらえる南の島の美少女に、本屋のおじさんはすまなさそうに「取り寄せておくから」といってくれた。しかし、そう何度も連絡船に乗ることはできない。南の島の美少女は本代に送料を添え、本が来たら島へ送ってくれるよう頼みこんだ。本屋のおじさんは快く南の島の美少女の願いを承知し、彼女は艶やかな後ろ髪を引かれる思いで帰りの船に乗りこんだ。
数週間がたち、アニメがクライマックスにさしかかるころ、ようやく原作本が届いた。ふるえる手で包みを破った南の島の美少女は軽い失望を覚える。てっきりマンガだと思ったのに、『星界の紋章』の原作は小説だったのだ。しかも、字ばかりでイラストもない。
それでもせっかくお小遣いをはたいて買ったものだから、と南の島の美少女は原作を読みはじめる。アニメと一緒で最初はとっつきにくかったが、気がつくと無我夢中で三冊を一気に読んでいた(筆者註:そろそろ恥ずかしくなってきたので、妄想劇場を始めたことを激しく後悔していますが、せっかくここまで書いたんだからつづけます)。
続きが読みたい――南の島の美少女は熱烈に思った。
幸い、本屋のおじさんはたいへん気がつく人で出版社の文庫目録を同封してくれていた。南の島の美少女は目録をみて、『星界の戦旗』という続編があることを知る。
今度は出版社にちょくせつ注文を出し、南の島の美少女は本を手に入れた。既刊分をまたたくまに読み尽くし、彼女は続巻を心待ちにする。
ああ、しかし、なんたる悲劇、作者は仕事をしないにもほどがある屑野郎だったのだ。続刊は待てど暮らせど刊行されない。
もっとも、南の島の辞書に刊行ペースということばはない。南の島の美少女はこんなものか、と思った。
アニメも終わり、続刊は届かない。南の島の美少女はこころにぽっかりと空虚な穴のあいた思いを味わった。
そんなある日のこと、岬に立って水平線の彼方を見つめる南の島の美少女の耳に風がささやいた――『星界の紋章』はね、SFと呼ばれる、南の島の学校図書館にはおいていないたぐいの本なんだよ。
SF?――南の島の美少女は風に問いかえす(筆者註:さらに恥ずかしくなってきましたが、我慢してつづけます)。
そうだよ――風はこたえた――SFには『星界の紋章』よりもずっとおもしろいものが、それはそれはたくさんあるんだ。
SFが読みたい――口に出してつぶやくと、その思いは南の島の美少女の胸のうちで熱くふくらんでいった。
あたし、SFが読みたい! おもしろいSFをいっぱい読みたいのぉっ。
南の島の美少女は家に走って帰り、文庫目録を引っぱりだした。
風鈴の音も涼やかな座敷で目録をひらく。何度も読みかえして心を決め、便箋に数冊の書名を箇条書きした。現金といっしょに便箋を書留封筒にいれようとする。しかし、その手がふととまった。
折り畳んだ便箋をもう一度座卓のうえに広げると、南の島の美少女は短い文章を書きくわえはじめた――わたしはSFファンになりたての女の子です。同封したお金で右に書いた本を売ってください。きっとおもしろいSFだと思うので。それと、あなたの会社のお薦めのSFを教えてくれると、とても嬉しいです。ほんとは全部買いたいのですけど、そんなにお金がないんです。よろしくお願いします……。
てなことがあったらいいな。
とにかく、わざわざ入ってくれとはいいません、すでにWOWOWを視聴可能なかたは、アニメ『星界の紋章』を視てやってください。ビデオかLDを買ってくださると、さらに感謝します。 よろしくお願いします。 なんだ、宣伝だ。
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【おわり】