溢れた本の捌き方一例

芦刈[仮称、つまんない、改名したい、他のにして]仁博

 本を買う際悩む事の三番目は何だろうか。一番目は内容以外にあるまい、二番目は多分価格だろう、それでは三番目は?
 最近では「大きさ」である。
 例えば「エリコ」の文庫版「上」の場合、縦151ミリ、横105ミリ、厚さ19ミリ、重さ236gである。少々積み重なっても普通大したことはない、しかしそう思わない人もいるだろう。
 その人は間違いなく蔵書家、それも広いスペースにずらり整理された本棚を持ってる人ではなく、狭い部屋に本が溢れて置き場所に困り、ベットの脇、机の下、床の空いた所ならどこでも本に浸食されている。さらに天井の電灯の上、TVの画面を外した本体の中、回転式のグラス入れの中も。これはないか、映画版「華氏451度」じゃあるまいし。
 飛び出し式のトースターの中に本を隠すというのもあったが、あの形式のトースターはまだ存在しているのだろうか、未来世界にはあるようだが。
 夫婦で蔵書家というのも大変だと思う。よく「夫婦で同じ本を共有すれば無駄がなくて良い」と言うが、夫婦だから同じ嗜好という事はあるまい。それより夫婦で同じ本を各一冊購入していたら溢れた本を巡って、切羽詰まるとどちらかを処分しなけれればならない「冷たい方程式」状態になるかも知れない。
 人外協の夫婦者の会員さんは甲州さんの本を一人一冊買っているのだろうか。
 現在、部屋の窓の半分は本を詰めた段ボール箱や紙袋で塞がれている。ベットの頭の方、地震はほとんどないので崩れる心配はないが可燃物の集積所になっているのは変わりない、寝煙草など危なくて絶対出来ない。
 このままでは居住空間が無くなってしまう、なんとかしなくてはいけない。
 遠からずこの部屋の主はどちらか、殺るか殺られるかの修羅場になるであろう。荒俣宏氏のごとく家を本に占領されたから自分が引っ越すという訳にはいかない、なんかヤドカリみたいだし。
 遺憾ながら本の方を始末しなければなるまい。
 真っ先に考えるのは捨てることだ。これは意外に難しい。まず未読の本は捨てられない、読んだ本は愛着があるから捨てられない、困った。
 大体捨てた本に限って後で必要になったりする。
 古本屋に売る場合も同様である。こちらは金銭的に多少メリットがあるし場合によっては買い戻しも出来る。さらに同傾向の本をまとめて放出することによって市場に並べられた本が一種の場を形成、同調する本を引き寄せる流通効果があるかも知れない(根拠はない)。ただ大型のチェーン店では売った店には出ないで遠方の同系列店に並び、一度しか行かないような旅先で偶然自分のものだった本を手にしたりするのかも。
 運命の糸みたく切っても切れない巡り巡った感動的な出来事……なのか?
 戯れ言はともかく、やはり愛着のあった本が二束三文で引き取られていくのは切ない。いっそ潔く捨てた方がさっぱりする。
 しかし、いざ手に取るとこのまま捨てるのは浮かばれない気がする、もう一花というか、ここでは不要でもどこかで誰かが必要としてくれるかも知れない、そう考えると無下に捨てるのは惜しい。
 それでは一旦誰かに預けるか、これも不味い。こういう事を頼める人というのは大抵同じ悩みを抱えた人でもある。ただでさえ自分の本が山を成しているのに余計な本を押しつけ、先方の都合に関わらず「**と##を探して送り返して」と言ったら何か別のやばい物を送られても仕方あるまい。
 邪魔だが必要になったら手元に戻るようにしたい、どうせ手放すなら他の人にも役立つように有効利用したい、この都合のいい考えを実現するには。
 図書館に寄贈するという手があった。地元の市の図書館では利用者が限られるし移転でもする事になれば不便である。
 「としょかん文庫やさん 」というのがある。文庫しか引き取ってくれないのがネックだし借り直す時多少の時間が掛かるのは問題、貸し出し期間一ヶ月はいいとして一回6冊、宅配だと往復で630円掛かるのも難点。
 それでも一度手放す本を確保して全国どこに居ても利用出来るのは有り難い。
 メールで寄贈について問い合わせてみる。佐川急便(指定)で着払いで送ればいい、貸し出しも年会費を払って会員になる必要はないと返事が来た。
 GWを利用して試しに少し送ってみよう。これで部屋の窓から風が入る。
 半分だけ。
 録ったきりで見返しもせず増える一方のビデオテープ、これについて書いていたのはとり・みきの「愛の逆上がり」だったろうか。
 部屋の窓のもう半分はビデオテープで塞がっているのであった(ディスクに移し替えれば? というつっこみは不可、機器ないもん)。




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