倫敦レポート

小宮[退役空軍注意]一之

 小野塚氏から亜米利加行きのお誘いを受けたのは、確か8月か9月の東京例会だったと思う。
「亜米利加? タイトルには倫敦とあるけど」
 そう、最初の予定では、亜米利加の首府華盛頓に行き、スミソニアン博物館を見に行くはずだったのである。
 しかしその後、小野塚氏と筆者のスケジュールがなかなか合わず、旅行の予定は次第にずれ込んでいったのである。
 11月も半ばを過ぎる頃、ようやくスケジュールが決定、12月19からの日程で、華盛頓へ行くこととなった。だが、その時期はすでにクリスマスシーズン、チケットの予約はなかなか取れない。(なお、実際にチケット予約のために奔走しておられたのは小野塚氏一人である。筆者は「海外旅行初心者なもので……」という言葉を免罪符にして、いっさいの準備を小野塚氏に押しつけていた)
 12月はじめになって、小野塚氏から連絡があった。結局、亜米利加行きのチケットはとれそうもないので、行き先を倫敦に変更しないか? とのことである。筆者としては英吉利も以前から行ってみたかった場所の一つ、異論はない。
「お願いします」
 こうして、12月19日から23日までの英吉利旅行が決定した。

 旅行当日、いざ、成田へ。待ち合わせ場所へ行くと、小野塚氏が一言。
「荷物、それだけ?」
 筆者の荷物はディパックが一つだけである。小野塚氏も軽装の方だが、それでもバッグは二つだ。
 荷物に関しては、前日、親からも文句を言われた。筆者にしてみれば、海外旅行だろうと、一泊二日の熱海旅行だろうと、持って行くものにそれほど違いがあるわけで無し、ディパック一つの方が身軽でいいという判断である。まあ、結局その判断にはさすがに無理があったのだが。
 荷物に関しては、もう一つ失敗があった。カメラ用のストロボを忘れてしまったのである。空港で安いストロボでも買おうかと思ったのだが、カメラ屋を覗くと、今時の使い捨てカメラにも負けるようなへっぽこストロボが、定価で売られているのみ。仕方なく、ストロボはあきらめることにする。思えば、これがケチの付き始めだったのかもしれない。

 ラウンジでいい加減酔っぱらったところで、機内へ。筆者は、国際線に乗るのは初体験。飛行機に乗った回数も、民航機より、空自の輸送機の方が遙かに多い。あまりの違いに、軽いショックを受ける。
 いくらエコノミーの座席が狭いとはいえ、輸送機に比べればマシである。輸送機のシートはリクライニングすらしないのだ。機内食も、搭乗前に缶詰を渡されるだけの空自式しか知らない筆者にとって、初めての経験であった。

 しこたま飲んだ酒と、ふかふかのシートの相乗効果で、離陸からまもなく、安らかな眠りに落ちる……はずであった。卒業旅行の馬鹿学生共さえいなければ。
 某美容学校の学生が、卒業旅行で乗り合わせていたのだが、この連中が、大声で歌ったり、奇声を発しながら通路を走り回ったり、機内の食料を食べ尽くしたりと、乱暴狼藉の限りを尽くしていたのである。とてもではないが、まともな神経の持ち主ならば、眠れたものではない。えい、今度散髪に行ったとき、壁に山○美容短大の卒業証書がかかっていたら、その店に火をつけてやる。などと物騒なことを考えているうちに、そのまま寝てしまった。筆者は自分で考えていた以上に無神経だったらしい。
 機内では数度、トイレに立った。そのたびに窓から外を見るのだが、外は真っ暗。当たり前の話だが、北極圏上空を飛ぶ直行便、季節は冬とあれば、窓の外はずっと夜なのである。わずかな星明かりを反射して、遙か下方に雪原が見える。シベリアのどこかだろう。倫敦への道はまだ遠い。

 翌朝(体感時間で。現地時間では夕方である)になり、2度目の機内食。座席の前に取り付けられたモニターを見ると、現在位置はスカンジナヴィア半島の上空らしい。窓の外を見て、上空からとはいえ初めてのフィヨルドに感動。これほど荒涼とした風景ならば、あの殺伐とした北欧神話が生まれるのも無理はない、などと柄にもないことを考えてみる。
 ここで一つ発見。ヨーロッパの町の灯りは、日本に比べて橙色がかっている。街灯にナトリウムランプでも使われているのか、白熱電球なのか。まさかガス灯ということもあるまいし。
 離陸からおよそ11時間。ようやく機は英吉利諸島に近づく。ドーバー海峡の白い崖とやらを見てみたかったのだが、北からの接近故、かなわなかった。次に来るときは見るぞ、と心に誓ったのだが……次はいつになるのか、そもそも次があるのか。
 ヒースロー空港には現地時間で16時少し前の到着。日本であれば「午後の遅い時間」という程度の感覚なのだが、さすがは高緯度帯、日はすでに大きく西に傾いている。飛行場自体は日本と大きく変わるところはないが、タクシーウェイやエプロンに並ぶ機体に描かれた、見慣れぬ航空会社のロゴマークが、異国情緒を醸し出している。

 入国審査は、思ったよりあっさりしたものであった。荷物の検査をされることもない。
「こんないい加減な審査でいいんですか? 私らがテロリストだったらどうするつもりなんで?」
 思わず小野塚氏に疑問を呈した筆者であったが、
「別にいいじゃん。ここは君の国じゃないだろ」
 いや、まあ、それはそうなんですが。確かにまあ、治安維持はその国の内政問題で、旅行者が文句をつける筋合いもない。
 実際には、テロに対する警戒はかなり厳重なようである。空港のそこかしこを、短機関銃で武装した警官が巡回しており、「警備上の理由により、撮影禁止」という掲示も張り出されている。これは帰国時に気づいたのだが、武装警官も旅行者の質問に答えたりするのだが、そのときにも、引鉄から指を離すことは絶対にない。うっかり妙な動きを見せたら、たちどころに制圧されるだろう。
 空港からホテルまでは、地下鉄で1時間ほど。ヒースロー・エクスプレスを使えば、15分ほどなのだが、こちらの方はお値段がかなり高い。小野塚さんと話し合い、地下鉄で行くことにする。
 地下鉄の駅へ向かうエスカレーター、人は皆右側に立っており、急ぐ人はその左側を歩く。日本で言うところの関西方式である。そうか、倫敦は関西だったのか。確かに逢坂の関よりはだいぶ西にあるが。マクドナルドは「マック」なのか「マクド」なのか、確かめなければと思っていたが、結局それは果たせずじまいであった。
 ホテルはパディントン駅の近くである。地下鉄の駅をおりたところで見かけた清掃車には、City of Westminsterと書かれている。公式には倫敦市とは中心部のごく狭い一角のみを指し、周辺のいくつもの地区を合わせて、大倫敦を形成している……という、大昔にどこかで読んだ知識が、記憶の底からよみがえってきた。
 石造りの町並みは、日本とは全く異質なものである。こんな、どうでもいいところに感動を覚えてしまうのが、海外旅行初心者の悲しいところである。


倫敦の朝は暗かった。現地時間で8時をとっくにすぎているというのに、空は真っ暗である。緯度の高い地方では、夏と冬の昼夜時間の差が激しいと言うことは、知識としては有していたのだが。改めて日本との差を感じる。緯度で言えば、稚内より遙かに北にあるのだ。それにしては東京とさほど変わらぬ気温なのは、メキシコ湾流の恩恵、というまたしても書物から得た知識を思い出す。

 今回の英吉利行きに当たって、小野塚氏から「どこか行ってみたいところはある?」と聞かれた筆者は、「HMSヴィクトリー」と即答した。実は筆者は、かなりの帆船オタクなのである。
 HMSヴィクトリーは、1765年に進水、1778年に竣工した英海軍の戦列艦である。約半世紀にわたり、幾多の海戦に参加したが、もっとも有名なのがトラファルガル海戦での活躍だった。
 1805年10月21日、ホレイショ・ネルソン提督率いる英艦隊は、ピエール・シャルル・ヴィルヌーヴ提督(同姓のF1レーサーとは、多分無関係)率いる仏蘭西・西班牙連合艦隊と、西班牙のトラファルガル岬沖で対決。英艦隊は見事勝利を収め、ナポレオンの英本土上陸計画を頓挫させた。しかし、ネルソン自身も、旗艦・ヴィクトリーの艦上で敵兵に狙撃され、そのまま戦死した。
 ヴィクトリーはその後も、英海軍のために働いた。そして、老齢のため、海上勤務に就けなくなってからは、記念艦として、ポーツマス軍港内の乾ドックに、トラファルガル海戦当時の姿のまま、保存されている。
 家にネルソンの伝記が4冊もあり、書棚のかなりの部分が帆船関係の本で占められている筆者にとっては、1度、訪れてみたい場所だったのである。

 倫敦からポーツマスまでは、列車で約1時間半。窓の外にはのどかな田園風景が広がっている……らしいが、ビールをがぶ飲みして寝込んでいた筆者にはあまり関係がない。英吉利の鉄道にも車内販売があったのは意外であった。酒とつまみ、ソフトドリンクに菓子など、売られているものは日本とあまり変わらない。さすがに冷凍ミカンはなかったが。
 ポーツマスには二つの駅がある。Portsmouth & South Seaと、Portsmouth Harbourである。ヴィクトリーの保存されている地区は、ポーツマス・ハーバーから歩いて数分の距離にある。ここは、軍港内でも特に一般に公開されている地域で、ヴィクトリーの他、やはり記念艦のウォーリア(世界初の装甲軍艦)、英海軍博物館などがある。さらに、軍港内クルーズ船の発着場所もここである。
 受付で、一つのアトラクション(と、あえて言わせてもらう)だけ有効のチケットと、すべてのアトラクションが見られるチケットのどちらにするか聞かれる。小野塚氏と話し合い、すべて有効のチケットを購入する。これが間違いの元であった。
 この日は朝から雨模様の天気であった。そのため、屋外系のアトラクションのほとんどが「天候不良のため、中止」になっていたのである。これなら、一つだけ有効のチケットを2、3枚購入した方が安上がりだったんじゃないか! と気づいても、後の祭りである。英国人、侮り難し。

 見学可能な施設は、英国海軍のPRという面がかなり強い。一応、軍の施設であることを考えれば当然だが。現代の英海軍というような施設では、ヘリコプターを操縦してみようとか、敵機を撃墜してみようとか、やや際物がかった展示が多い。ちなみに敵機撃墜コーナーに置かれていたのは、本物の機関銃であった。スクリーンに映し出されるヘリを撃ち落とすだけなのだが、一昔前のゲームのような貧弱な画面と音響に対し、銃だけが本物というのがなんだか。

ポーツマスの帆船 ポーツマスの帆船

 ポーツマスに来た最大の目的である、ヴィクトリーといよいよご対面。ここだけは、ガイドが同行しての見学になる。客を好き勝手に歩き回らせるには、貴重すぎる記念品だからだろう。聞くところによると、ガイドは退役海軍軍人だそうである。
 ガイド氏に連れられながら艦内見学。上部砲甲板におりると、雨漏りがひどい。やはり200年も前の艦だけのことはある。
 ガイド氏、時折ジョークを交えながら、いろいろと説明してくれたのだが、筆者のヒアリング力では、ほとんど理解出来なかった。周囲の客は笑っているのに、一人だけぽかんとしているのも悔しいので、一緒になって笑っていたが、あれは正しい行動だったのだろうか?

ポーツマスの大砲 第2次世界大戦に関する展示もあった。対日戦コーナーには、捕虜収容所における英軍捕虜とか、特攻とか、日本人には重いテーマのものしか置かれていなかった。そもそも展示のタイトルが「忘れられた戦争」だし。
 海軍工廠に関する展示には、日本語の説明文も添えられていた。文法が微妙に間違っており、それでも一応意味はとれる説明が何とも言えない味を醸し出している。しかし、日本のあちこちで見かける英文も、似たようなレベルのものが多いのだろうなあ。
 帰国後、知人に聞いたところ、海洋画展示コーナーもあったらしい。知っていれば、是非見てみたかったのだが。下調べの重要性を改めて思い知るが、後の祭りである。

 皮肉なもので、帰る頃になって、ようやく天候が回復し始めた。しかし、朝の天候で中止を決めたらしいアトラクションは、依然として中止のまま。仕方ないので、軍港をあとにし、近くにあるパブに行く。
 小野塚氏がフィッシュ&チップスと、ビールを注文する。ウェイター氏が魚の種類を何にするか聞いてくる。今度はちゃんと聞き取れた……と思う。ビールのお代わりも自分で注文出来たし。

 夕刻、倫敦に戻り、ロンドンズ・アイに乗りに行く。これは今のところ世界最大の観覧車であり、小野塚氏によれば、ブリティッシュ・エアウェイズで唯一の黒字事業でもあるそうだ。BAもいろいろと大変らしい。
 乗る前に手荷物検査があったり、係員がゴンドラの中を金属探知器でチェックしたりと、妙に物々しい。やはりイラク戦争がらみのテロ対策だろうが、BAの事業なので、飛行機式の発想から離れられないのかも知れない。
 夜、ホテル近くのパブに行く。つまみを突きながら、小野塚氏に「英吉利料理って、言われているほど不味くはないですね」と言ったところ、「お前の味覚はおかしい」と、思い切り突っ込まれてしまった。

 前回書き忘れたが、宿泊先はベスト・ウェスタン・ホテルのツインルーム。広さや調度品は日本のビジネスホテルとあまり変わらないが、建物の外見はさすがにどっしりしている。シャワーのみでバスタブがないのにはいささか驚いたが、ここらあたりもお国柄の違いか。
 部屋にはティーセットもあったが、日本のホテルなら粉クリームの袋か、生クリームのパックが置いてあるところ、何と生牛乳である。ティーバッグは許せても、紅茶にクリームは許せないのか、英国人。

 旅行中、どういう訳か、朝の5時には必ず1回目が覚める。小野塚氏には「時差ぼけじゃないか?」と言われたのだが、英吉利時間で午前5時ならば、日本時間では午後2時である。筆者の体内時計は、いったいどこの時間帯に調節されているのか。




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