電波が俺を呼んでいる

[雪風ハ沈マズ]
(仮称−牛丼・小林英明・仮面)

 そんなわけで私が、神田で『メーザー車のマーチ』を流す右翼カーに会ってしまった(本当です)小林です。さて今月は一寸信じがたい話をお送りしましょう。題して『わが陸軍に、甲州先生が考案したようなタンクが存在した(!)』
 あっ、今「おまえは矢追純一か」とお思いになりましたね。まあ無理もありませんが…。それでは「ご説明致しましょうっ!」

<星の土俵>
 昭和十四年のノモンハン事変で、関東軍の戦車部隊はソ連のBT(快速戦車)軍団に完敗を喫した。とにかく性能も数も運用も、敵の方がずっと上であった。
 これを契機に、陸軍は本腰を入れて機甲化に取り組むことになった。一部にはその効能を疑問視する意見もあったが、欧州の電撃戦が派手に報道されてからは「機甲部隊様々」の空気が定着した(ある海軍航空隊士官は「陸助は今ごろ大鑑巨砲主義に目覚めたのか」と笑ったとか)。開発中の次期主力戦車『チホ』はコンセプトの見直しを迫られ、「満州でソ連軍と激突する場合、その中核たる戦闘車両はどうあるべきか」についての研究が行なわれた。
<幸福の儀式>
 敵の射程外から必殺の一撃を発するには、高初速の大口径砲が不可欠である。また生存性の向上のためには、全高は小さい方が良い。この二つの条件を満たすため技術本部は固定戦闘室の採用を考えた。大平原の長距離砲戦においては(運動性能さえ良ければ)砲の全周旋廻ができなくても、さほど不都合はない-彼等はそう主張し、ドイツのIII号突撃砲に似た外観のプランを提示した。
 この案は大きな論議を呼んだが、最終的には承認を得ることができた。開発はチホ車の設計変更という形で進行し、各所に海軍のハイテクが導入された(陸海間の反目を知る人は意外に思うだろうが)、御国の為なら陸も海もない、という協力一致の精神である(うそ、海軍の本音は「チホ車開発に協力する見返りとして、自分達の特内火艇計画を陸軍に手伝わせる」だった)。
 主砲に採用された海軍の九八式10サンチ高角砲(65口径・初速1000m/s)は、優秀だが戦車用としてはかなり大型で、設計スタッフを困らせた。マズルブレーキの装着も検討されたが、砲口が低いから発射ガスで物凄い土煙が上がる−という理由で見送りになった。戦闘室内のレイアウトを検討した結果、主砲のポジションを少々左へ寄った。
 発動機は統制型百式・V12空冷ディーゼルに排気過給器を付けて300HPを出す。また足回りは、既に性能の高さが実証済みのシーソー式の改修型である。
<赤がタンクでやって来る>
 チホ車の正式採用は昭和十五年末である。これは大変な早業であり、関係者一同の努力には頭が下がる(きれい事。このへんの事情は、参謀本部の某が実戦部隊にせっつかれて「何でもいいから今すぐよこせ」と強要したとか、陸軍省の某が「試作軍でいいから紀元二六〇〇年記念式典に参加させろ」と無理を言って技研とケンカになったとか、何やら色々あってよく判らない。気になる人は吉村昭にでも聞いてくれ)。初期生産型は明らかに熟成不足で、戦車兵から多くのクレームが来てしまった。実質的には増加試作型なのだから仕方ないが。
 特に問題になったのは防御能力である。設計陣は車体重量を抑えるために装甲を薄くしたが、これでは(テストコースならともかく)戦場で(傍点あり)充分に機動することはできない。このため、装甲強化等を実施した『チホ改』が造られた。
 だが、「航空機優先・戦車は後回し」という当時の軍需動員計画の下では、本車の生産もはかどらず、満州の戦車第三四/三五連隊に配備するのが精一杯であった。
 本車はノモンハン・ショックに対する帝国陸軍の回答であり、問題点は幾つかあったが、大東亜戦争当時のトップクラスの戦闘車両であった。
 私はこの戦車の模型を作って<i・CON>に展示したのですが、ちっとも注目されませんでした(うーむ)。ちなみに模型は、没になった初期案の一種&大戦末期に2両製作された赤外線投光器搭載の実験車の混血というインチキ大会です。わざとやりました。だって「もし、こっちの方が量産型で、実験車もこれだったら、超かっこいいぞ」と思ったんだもーん♪ ほんじゃね。

 今月の教訓『甲州は日本の生命線』


SF『大逆転!阪神日本一』

小林[夜マゲでハガキが読まれた♪]英明

 そんなわけで私が、成田亨画廊のパーティに紛れ込んで酒を(タダで)飲んできた小林です。ビイル美味しうございました。
 さて、画報42号『電波が〜』のチホ車について、一部の人に「本当にあったのか」と聞かれましたが、あれは勿論大うそです。あの記事で本当なのは、メーザー右翼と模型展示だけです。
 SF大会プログレス3号の『スクラッチモデリング』なる企画案内を読んだ私は、これに参加すべく大会一月前から製作にかかりました。

……などの理由で、設定を『ノモンハン・ショックが生んだ日本製突撃砲』としました。アイデアは甲州先生より早かったのだ。うははは。
 大会当日、企画が中止となったため、模型はアートギャラリーに置かせてもらいました。見てくれた人は少なかったけど、けっこう好評だったので嬉しひ(他のイベントに持ってった時も受けていた♪)。
 というわけで、その時の作者のコメントに加筆したのが42号の記事なのです。展開が強引なので、たいていの人はウソだって判ったでしょ?
 ちゅーこって、ほんじゃね。

BGM/ピンクレディ『キス・イン・ザ・ダーク』




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