序章、酒場にて
…なんやて。乗り過ごしてえらい目におうた、てか。どんだけ乗り過ごしてん、ゆうてみい。なに? 江坂で降りるつもりが千里中央まで行ってしもた、やて? けっ、かわいいかわいい。え? まだ戻りの電車があったから助かった…やて? そんなん「乗り過ごし」に入れへんわい。乗り過ごしっちゅーのはやなあ…。
一、あびこ
初めて乗り過ごしたんは、まだ学生のときやった。なんかの新年会の帰りやったはずや。新年のめでたさも手伝ったんか、ほどよう酒がまわってたと思うわ。梅田から江坂まで帰ろ、と思うて地下鉄に乗ったんや。
…で、気ぃついたら、そこそこ広い道路の脇を歩いてたんや。どこを歩いてるかもわからへん。そやけどなんとなしに、歩いて家まで帰れる、て思うてたんや。石橋のあたりから2時間半かけて歩いて帰ったことかて二三度あったしな。そやけどなんか長い橋を渡りはじめて…真ん中へんまで来たときに「堺市」て書いた標識があったんや。
その時思うたんは、なんや反対やぁ…ということやった。まわれ右して歩いてたら帰れるやろ…とまだ思うてた――今から思うたらあほやったけどな。
ちょっと冷静になったんは地下鉄の駅のマークと「あびこ」ていう駅名を見たときや。どうやら、おれを乗せた電車は江坂を通り越して終点の千里中央まで行って、そのまま折り返して…あびこまで来たみたいやった。そんでもって、どうやら「車庫に入る」とかいうアナウンスで電車を追い出されて…意味もなく歩いてたらしいんや。
――このまま歩いて帰ろ、とかやってたら朝になる…。そのくらいは判断でけた。かといってタクシーで帰ったらなんぼかかるかわかったもんやない。…どっちにしても学生の頃やし、タクシーなんて贅沢や、ていう意識はあったから問題外や。
始発を待つしかあらへんか…。酔いのさめかけた頭で考えて、近くのコンビニでぬくい飲み物を買うて、風のあたらん所を探したんや――さすがに正月やし風は冷たいしな。ようやく見つけたんが、どっかのマンションのエレベーターホールの脇あたりや。そこの柱の陰にしゃがんでひたすら朝を待ったんや。たしかその時読みかけやった論文を読んだりもしてたと思う――真面目な学生やったんか、まだ逆に思考が働いてへんかったからそんなことをしたんか、よう覚えてないけどな。
二、庄内〜新大阪〜実家
酔っぱろうたら、距離感も方向感覚も変になるわな。これも学生時代の話や。吹田まで帰る電車がなくなったときに、庄内で降りて家まで歩いて帰ろうとしたことがあってん。一時間もあったら帰れる…と思うてたんやけど、なかなか見覚えのあるとこに出えへん。ようやくそういうとこに出たら…新大阪やったんや。不思議やろ。いくらなんでも神崎川っていう大きな川を越えるからそんなとこには行かんはずなんやけどな。
おまけにそのときに猛烈に便意をもよおしてやな…。とっくに客もなんもおれへんけど、まだ灯のついてた、地下鉄かJRかの駅の構内のトイレに行ったんや。そしたら、まだ人が中におるとゆーのに、それが作業とかが終わっての消灯の時間なんか、灯が消されてなあ…いきなり真っ暗闇や。えらい難儀したで。
そのあとはしゃあないから、やっぱり歩いて帰ったわ。新大阪からやったらせいぜい一時間くらいなんはわかってたしな。
三、和歌山市
あれはそやな…たしか…もう就職して南海の住吉大社の近くに住んでたとき…人外協の何かの宴会のときやったはずや。梅田で飲んでて、地下鉄で難波に出て、それから各停に乗って…住吉大社まで十分くらいのはずや。
それが…気がついたら和歌山市や。そらちょっとショックやった。前の、あびこの一件はあったけど、和歌山いうたら、ちょっとした旅行に来るくらいの距離やん。案の定、難波方面行きの電車はもうあらへん。社会人になった、ゆうてもその距離やったらタクシーなんか論外や。駅から外を見回して目についたビジネスホテルに泊まったわ。
ま、翌日が日曜やったから、ついでに和歌山城見物したりして帰ったけどな。和歌山城の日本庭園はなかなか風情があってええで…。
四、姫路
それから転勤になって、西明石に住むようになって…。あ、西明石はなかなかええとこやで。普通・快速・新快速・新幹線と停まるし、終電も遅うまであるし。…そのへんに落とし穴がある、ていう話もあるけどな。
姫路は…もう何回行ったかわからへん。最初は例によって人外協の例会の後やった…。新快速に乗って…気がついたら姫路やねん。これがまた姫路は――そこに行く電車は一時過ぎまであるんやけど、戻りの電車は十一時過ぎまでしかあらへん、ていう駅やねんな…困ったもんや。しゃあないからタクシーで帰ることにしたんや。
西明石から姫路なんて新快速で高々二十分や。五、六千円はかかるかもしれへんけど次の日は仕事やし、しゃあないな…いうくらいの気分やった。そやけどメーターどんどん上がってくし…着いたら一万二千円以上もかかったわ。別の意味で新快速の速さを妙に実感したわなあ…。
次からは――次があったんが情けないというかなんというかやねんけど――健康ランドで夜明かしするか、ビジネスホテルに泊まるかするようになったわ。翌日が休みのときは姫路城も見にいったりしたでえ…。なんつーても世界遺産やからな。何回も見られるなんて幸せや…いうて、ほっとけや!
五、網干
新快速には「網干行き」っていう極悪な奴があってやな…。網干は終点やとゆーのに、ホテルの類がなんもあらへん。しゃあないからタクシーに乗るわいな。初めて網干からタクシーに乗ったとき、運ちゃんに「姫路まで」言うたら…「兄ちゃん、姫路に住んでるんか」「いや、住んでるんは西明石やけど」「なんぞアテでもあるんか」「どっか宿探そうかと」「それやったら、西明石まで(このまま)行きなはれ。姫路まで行って泊まるよりも絶対安いで…」で、そのまま行ったんや。
そのときの金が網干から西明石で一万五千円…。次の機会(があったんやな…)に、網干から姫路までタクシーに乗ったら五千円程度やったし、いっつも泊まってる(と書くと若干情けないけどな)姫路のビジネスホテルが七千円くらいなんで、足して一万二千円程度。ま、差額の三千円をどう見るかやな、この場合。
今はたいてい姫路で泊まってる。…いうても、網干に行ったんは確かまだ四回やったと思うけどな。
六、高槻
おれかてそないにあほやあらへん。乗り過ごしを避けようと思うていろいろ考えたりもした。…たしかこれも一月くらいのことやったと思うけど、茨木で宴会があったときは普通電車の「西明石行き」に乗った。これやったら、どんなに頑張ったかて(無意識のうちに快速とか新快速に乗り換えたりせんかぎり)西明石の向こうには行けへん。完璧や。
――たしかに西明石の向こうには行かんかった。そやけど…気がついたら高槻や。西明石に着いて、そのまま折り返してきたんや。例によって例のごとく…ていうかなんていうか…もうどっち向きも電車があらへん。いつものパターンや。
駅から見渡した範囲にはホテルらしい建物も見えへん。ま、高槻やったらビジネスホテルくらいあるやろ、思うて適当に歩きだしたんやけど…あらへんねんな、これが。後でわかったことやけど、反対向いて歩いたらよかったらしいんやが。まあともかく、しばらく歩いとったら前のほうに灯が見えたんでそこまで行ってみたら…天神さんやったんや。たしかその時で午前二時くらい。歩くのにも疲れたし、風があたらんとこやったらええか…と、そこの境内で朝を待つことにしたんや。
そこの境内は…まわりが一応、塀で囲まれてたけど…れっきとした屋外や。なんぼ高槻ゆうても真冬の夜やし、寒かったわ。コートとマフラーにくるまって、じーっとしてるんや。眠いんやけど、寒さのあまり寝られへん。――もっとも、寝てしもうたらやばかったんかも知れへんけど。「高槻の神社で凍死」なんちゅう情けない見出しで新聞に載るような死に方はしとうないしな。
とにかく四時くらいになったところで高槻駅まで歩いて始発で帰ったけど…。ほんまに寒かったわ。しかしまあ、甲州作品に出てくる「寒い世界」の実態ってあんなもんやないねんもんなあ…すごいわなあ…。
七、猪名寺
このときは確か六甲道の近くで、おれの「酒の師匠」と言える人と飲んでたんや。この人と飲むと最後のほうの記憶がよう飛んだんやけど、いつもはそれでも家には無事に帰りついてたんで安心してたんやなあ…。
そのときも安全策をとって、普通電車の「西明石行き」に乗ったんや。そしたら…気がついたら電車は見知らぬ場所を走ってるやん、しかも西明石に向かうのとは反対向きで。そらあせったで。次の駅の表示は…住道? そんなん知らんがな。路線図見てやっとわかった。要するに東西線経由の電車やったから、環状線突っ切ってそのまま学研都市線を走ってたんやな。全然安全策になってへんかったわけや。
とにかくその住道で電車を降りてどうにかまだあった反対側の電車に乗って…助かった、と思うたわ――所要時間をざっと概算して「西明石行き」の最終に尼崎で接続するみたいやったからな。たまにはこういう「乗り過ごし回避成功」があってもええやん…。
そやけど甘かったんやな、おれは。気がついたらまた電車は見知らぬ所を走ってるんや。次の停車駅は…猪名寺? これも知らん…ま、路線図見たら予想通りやったけどな。ああ、やってしもうた、尼崎をさらに乗り過ごしてしもうた…とさすがにこれはちょっとショックやった。
しゃあないからとにかく猪名寺で降りたけど…ホテルらしい建物も見あたらへん。ま、翌日は休みやし、たしか五月か六月くらいで寒いわけでもなかったから、南に向かって適当に歩いて、どっかの神戸線の駅で始発を待つことにしたんや。二時間くらいも歩いたかいな…尼崎駅に着いたんで、その近くの健康ランドで朝を待つことにしたんや。あ、ここの健康ランドはわりと広うて風呂の種類もいろいろあってなかなかよかったで。
そやそや。これがあってから「安全策」を考えるときは(ていうか、そういうことを考えられる状況のときは)零時以降に西明石に着く普通電車を使うことにしてんねん。これやったら西明石で「車庫に入るで」言うて確実に起こしてもらえるさかいな。これやったらさすがに大丈夫やろ…なあ。
八、雲雀丘花屋敷
就職してから阪急電車はめったに使えへんねんけど…そのめったにない機会を「活用」してしもたこともあったなあ。
石橋で大学の後輩と飲むことがあったんや。で、ほどよく出来上がって、石橋からまず梅田に出ようとして…気がつくと見知らぬ駅なんや。雲雀丘花屋敷――例によって例のごとく、梅田まで行った電車でそのまま折り返してきたんやな。
こんなことが既に慣れっこのおれは慌てず騒がず…駅周辺にホテルらしい建物があらへんみたいなんで石橋方面に向かって歩きだしたんや。たしかそのへんにホテルがあったんを覚えてたしな。
そやけど、池田に着いたあたりでもう午前二時や。これからホテルに泊まったかてもったいないな…と思うたところに「カラオケ」の文字を見つけたんや。一人で入るんも変やけど、ホテルに泊まるよりは安いし、ま、ええか…と、そこで夜明かしすることにして――飲み物と若干のつまみ類をオーダーして、あとはのんびり…の予定やったんやけど…。
貧乏性なんやな、おれは。カラオケBOXで静かなんもけったいやな、と適当に曲入れたら、別に歌わんでもええのについつい歌うてしもうて…ほかに歌う奴もおれへんし(あたりまえや)、一人で一晩(といっても、そのときは三、四時間)歌う羽目に…。
翌日、喉が痛かったんや…。
九、加古川
忘れもしない五月五日、京都で飲んだときのことや。なんで日付まで覚えてるかっていうたら、毎年その日には上賀茂神社で「競馬(くらべうま)」ていう行事があるからで…。その日は走る馬を間近に見ながら飲みはじめて…日が暮れてからどこかの店でさらに飲んで…ま、すっかり出来上がってしもうたんやな。
京都駅行きのバスに乗せられた(らしい)おれは…しかし気ぃ付いたら鞄をどこかに忘れて「ゴマちゃん」柄の巾着袋を抱えて(ひえ…)見知らぬ街を歩いてたんや。…と、そのうち目の前にアスファルトが迫ってきて避けきれずに――激突! 目の上を切って血まみれになってもうた。ま、酔っ払って転んだだけやけどな。
どこをどう歩いたかよう覚えてへん。そやけど、とにかく京都駅にたどり着いて、まだ新快速もあったんで乗ろうとしたら駅員に「大丈夫か」と声をかけられて…「麻酔」が効いてるからかあんまり痛くはなかったんやけど、とりあえず駅員に言われるままに顔を洗って電車に乗り込んだんや。
あとはもうわかるやろ。気がついたら西明石を過ぎて加古川で…ま、姫路まで行かんかっただけでもマシやけどな。状況が状況やし、タクシーで帰ったんや。加古川やったら姫路の半分くらいやと見当ついたしな。タクシーの運ちゃん、おれを見るなり「なんか事件でもあったんですか?」言うたけど…まあ、あとから思い返したら異様やったやろうな。血まみれの男が似つかわしくない巾着袋を抱えて乗り込んできたんやもんな。
家に着いて、鏡みて…だいぶ酔いが覚めてきてたからか、やっと自分の姿を冷静に見られたんやけど…「ほとんどスプラッタ」ていう感じやった。タクシーの運ちゃんの言葉もわかるわ。この怪我も、一週間でおおむね傷がふさがって…一月で少し痕が残るくらいになって…もう今やったらじっくり見んとわかれへんくらいになったわ。人間の回復力ってすごいもんやなあ。
そうそう、忘れた鞄は九条警察に届いてたんや。その近くには京都市バスの九条車庫があって…それを引き取りに行くときに実感したわ。これが既視感(デジャ・ビュ)やな、と。
十、そしてついに…
普段やったら、大阪駅の3番線とか5番線から出る電車は、なんも考えんで乗ったかて、せいぜい行って網干までや。そやけどな、何にでも例外はあるもんやねんな…。
そのときも、たしか人外協の例会があって、そこそこ出来上がってたみたいや。たぶん、いっつもみたいに大阪駅の3番線か5番線から――どっちかは覚えてへん――電車に乗ったんやと思うねん。そやけど…ふと気ぃ付いたら、ようわからんとこ走ってんねん。「あちゃ…また姫路か…しもうたなあ」と思うたけど、どうも様子がおかしいんや。十分経っても二十分経っても次の駅に着けへんねん。乗ってる車両もなんか変な感じやし…。そやけどしゃあないわ、次の駅に着くまではどうしようもあらへん。で、どのくらい経ったかいな…三、四十分くらいか…ようやっと次の駅に着いたんや。そしたら…。岡山なんや! ほら驚いたで。何の因果でこんなことになったんや…と思うたわ。時間は午前三時を過ぎとるし…。
そんでやな。状況がようわからへんし、根拠もなんもあらへんけど、そっから列車が反対向いて大阪に向こうて走ってくれそうな気がしてしばらく待ってたんや。そやけどなかなか動けへん。さすがにちょっと不安になったんで、ホームに出て通りかかった駅員に聞いたんや。「この電車どこ行きやねん」言うてな。駅員、なんて答えたと思う? 「高知ですよ」やて。
高知! いったいなんでそんな列車があるんや…と思うたけど、しゃあないわ。そのまま駅で朝まで待って新幹線の始発で西明石まで帰ったわ。次の日が休みやったら岡山見物してもよかったんやけど、仕事あったしな。
あとで時刻表調べて謎が解けたで。おれが乗ってたんは季節もんの列車で「ムーンライト高知」いう快速なんや。知らんまにちゃんと三百円だか五百円だかの座席指定券も買ってた。…問題はやな、その列車、明石には停まるけど、西明石には停まれへんのや。まあ、そう言うたかて…明石に着いたときの記憶もあらへんねんけどな。
ま、高知まで行かんかっただけ、まだましやったかも知れへんわな。
終章、新たなる旅立ち
あ…なんか長いこと話しながらようけ飲んでもうたみたいや。ほな、そろそろ帰ろか。えーっとぉ…ホームはどこや? 3番線やったかいな。ちょうどええわ、電車もおるし。お、席もあるわ…よっこらせっと。ふぅ…。
ん? なんやようわからんとこ走っとんなあ。ここどこや…。
あとがき
※よい子は決してまねをしないで下さい。場合によると危険です。