ブルネイの水上集落に
センス・オブ・ワンダーを見た

花原[まちゅあ]和之

 [ブルネイ]
 ボルネオ島の北部にある小国。正式国名《Negara Burunei Darusalam》。面積5700平方キロメートル、人工25万人。石油と天然ガスを産出するとっても豊かな国。ちなみに、その最大の輸出先は日本なのです。

 水上集落の写真を新聞で見たのは昨年の正月、まだ修士論文のごたごたが続いていたときのこと。たしかなにかの広告で、いまでも多くの人がそこに住んでいて立派に町としての機能しているとか書いてあった。で、何となく次の旅行はブルネイに行こう!と考えたのが、ことの始まり。そして、三月末。学会発表とシンポジウムの原稿をどうにかこうにか片付けて、僕は、成田〜マレーシア〜タイ〜マレーシア〜ブルネイ〜マレーシア〜シンガポール〜成田という旅(注1)へ出発したのです。ここに紹介するのはマレーシア(半島部)から、ボルネオ島に渡り、ブルネイにたどり着くまでの話です…。

4月7日[ペナン〜ジョホール・バル〜クチン]

 朝。寒かった……ペナン〜ジョホール・バル〜クチンのバスはA/C・TV・トイレ付きのなかなか良いバスだったんだけど、冷房が強すぎた。西欧系の人々はわりあい平気そうにしていたけど、僕は凍えてふるえていた。まさか、この熱帯の国でこんな寒い思いをすることになろうとは。「早く、着かないかな…寒いよぉ……」
 昼。暑い……。冷房の効いた建物の中は天国。とは言うものの、観光するためには熱帯のお日様と戦わなくてはならない。「暑いー」(勝手なものだ)
 そして、夜。空港へのバスがあるはずだけど、わからない。尋ねる人によって答えが違うのだ。仕方がないのでタクシーを探す。が、降ってきた雨のせいか、なかなかつかまらない。うろうろしていると、バスターミナルの近くで、でっぷりしたおっさんが声をかけてきた。以下、会話は標準大阪言語にて意訳して記述する。 
 「兄ちゃん、タクシー探してるんか?どこ行くんや?」「ま、そやけど…。スイナ空港までなんぼや?」「25ドルやな(注2)」(高い気がする。うーむ。ま、時間もないしな)「よっしゃ、ええで」……しかし、彼に案内されて行った先にあるのは、普通の乗用車。いわゆる、白タクであった。いつぞや新聞記事で見た、タイで襲われた新婚夫婦のことなどが、ちらりと頭をかすめた。(…まずい。ぼられるかもしれんし、ここは避けたほうがよさようや)「おまえ、まともなタクシーとちゃうやんけ!」「そんなんいっしょやで!」……とりあえず、僕は逃げるようにして足早にそこから立ち去った。結局何とか(正規の)タクシーをひろって、空港までたどり着いた。値段は20ドル。やっぱり白タクはやめた方がいい。そこからは1時間20分の空の旅で、ボルネオ島・クチン(マレー語で「猫」の意)に到着した。

 4月9日[クチン〜シブ〜ビントゥル]

 朝。6時40分に目覚める(注3)。早々とバスに乗って船着場へ。ここから、シブまで約5時間の河を上る旅。船はよく揺れて、何年ぶりかで船酔を経験した。
 シブに着いて、ミリまでの乗り継ぎのバスを探そうと思っていたら、宿の客引きが声をかけてきた。シブで泊まる気はなかったからバスのことを尋ねたら、そいつは別の(どうやら白タクの)客引きを連れてきた。白タクの冒険ボルネオ編(注4)はこうして始まったのだった…。
 とりあえず手持のマレーシアドルが残り少ないので、両替がしたいから銀行を教えてくれ、とその客引きに尋ねる。値段の交渉もしなきゃいけないんだけど、銀行が閉店してしまったら確実にシブに一泊しなきゃならなくなる。日程の都合(クチン〜ブルネイ〜クチンで一週間)を考えると、せめて、今日中にはビントゥルまでは行きたい。……が、しかし、それが間違いの元だった。両替には思ったより時間がかかったので、もう、彼もあきらめて出発しただろう…と、思っていたら甘かった。なんと、彼は僕を(わざわざ)待っていてくれたのだ。しかも、他の客を待たせて…。彼は僕を見つけると嬉しそうに「おらへんようになったかと思て心配したで」と寄ってきた−。
 彼に連れられて行ってみると、オンボロの白のバン(タウンエースだったと思う)の側に六人ほどがたむろして、こっちを見ている。これはまずい、と思いながら値段の交渉…。「ミリまでなんぼや?」「70ドルや」「そら高いで、それやったらほか探すわ」「高いことあらへん。それに、わいら、おまえさん一人を待ってたんやで」「……」(くっそ〜しゃあないな)金を払って助手席に乗り込むと、運転する中国系のおっさんが何かを言ったが、ひどい中国語なまりの英語なのでほとんど聞取れない。が、僕が首を傾げていても、おっさんはにこにこと機嫌よさそうにエンジンをかけ、運転を始めた。
 三十分ほどで、舗装道路から地道になった。僕らを乗せたタウンエースは、ほこりを巻き上げ、(A/Cはついてないので)窓を開けたまま、走る〜。尻が痛い、視界がきかない、髪がわやになる……舗装道路の有難さを実感する。
 「もうすぐビントゥルや。ポリス・チェックがあるやろから、ビントゥルまで行くのに、20ドル払ったってゆうてや」−夕暮れ、運転手のおっさんが言った。(なるほど、正規のバスならここまで20ドルか。ということはミリまで正規料金で40ドルくらいか…) やがて、 銃を肩にかけたミリタリー・ポリス(というのかな?そういう雰囲気だけど)が見聞をしていた。パスボートを要求されたので、赤い菊の御紋の日本のパスポートを見せると、一瞬驚いたようすだったけど、すぐに何も言われなくなった。ここでも、日本人は(しかも学生は)やっぱり無害だと思われているようだ。(注5)
 午後八時。ようやくビントゥルの町にたどりついた。「うちでちょっと休んでミリまで行くからな」−−なりゆきで連れて行かれた、運転手のおっさんの家は平屋だけどなかなか立派だった。車庫にはきれいに磨かれた乗用車があって、テレビ・ビデオ・電子オルガン・ドラムセットがあった(リッチやなあ)。シャワーを借りて、風とほこりでごわごわになった髪を洗う。疲れた。荷物を枕にして、石の床に横になると、すぐに眠りに落ちた。かすかに、そこの家の人が毛布を掛けてくれたところまでの記憶がある。

 4月10日[ビントゥル〜ミリ〜バンダル・スリ・ブガワン(ブルネイ)]

 午前一時、ゆり起こされて、目覚める。ミリに向けて出発。また、途中から道が舗装されていない。なんとなくSF大会の行き帰りのドライブを思い出す。(注6)それにしても、全く他の車を見かけない。午前四時、またしてもポリス・チェック。乗客の一人がかなりしつっこく取り調べをうけた。が、言葉がわからないから、何がどうなっているのかさっぱりわからない。銃には弾が入っているんだろうか−そうだろうなあ。午前五時、ようやく検問を過ぎる。後で聞いた話では、いわゆる「わいろ」というやつで通してもらったらしい。融通がきくというべきか、とんでもないというべきか…。そして午前六時、ようやくミリの町にたどり着いた。眠い。
 ミリからバスで国境の町へ行き、双方の国の入出国管理局を経て(あっさり通してくれた)ブルネイ入国。再バスで、首都バンダル・スリ・ブガワン(BSB)へ。金持ちの国だけあって、目にする住宅もみんな広くてきれいだ。いいなあ。ぼけっとしていると、小学生が乗り込んできて、いきなり煙草をふかしたのには驚いた。少年の歯には、すでにヤニがこびりついていた…ま、いいけど、ここは日本じゃないんだし。そして十二時、ようやくBSBにたどり着いた。
 さて、食事をしようとして、困った。あちこちの食堂で、飲物はあっても食べ物がない。 そこで、ハタと気づいた。「さよか。ちょうど断食の月なんや…」(注7)思い起せば、博物館やなんかが、やけに早く閉まって居たりしたのは、このせいであった。とりあえず、中国系の店を見つけてなんとか食事にありついた。

 たどり着いた水上集落[うろうろ]

 念願の(?)水上集落を見に行く…。水の上に柱を立てて、その上に家を建て、家と家の間に道路を作り、それが発展した町。家の下の柱を縫ってボートが走り、板を渡した道の上を自転車が走る。これまで水の都といえばベネチアがすぐに思い浮かんだけど、あっちは町の中に水路が張り巡らされているのに比べて、こっちはまさに水の上にあるわけだから、こっちのほうがこの言葉にふさわしい。こういう迷路のようなわけのわからない場所は、幼い頃に夢みた「ひみつ基地」(注8)を思い出させる。将来、宇宙空間に(外惑星系かどうかは知らないが)できる町も、こんなふうに居住用のカプセルをパイプ通路でつなぎ合わせた集落ができて、それが有機的に広がってゆくようになると楽しいんだけど。通路のすきまでなにやらいかがわしい商売がおこなわれていたり…。このほうが、巨大な円筒形ドーム都市よりも、人間が住む街らしい(人工重力をどうするかという問題はあるが)と思う。ああ、センス・オブ・ワンダー…。

 4月11日。

ブルネイを後に、再びミリへ。結局ほとんど水上集落を見に着たようなものだった…。

  1. こう書くと計画性があるように見えるが、始めからこういう順に回ろうと決めていたわけではない。結果的にこうなっただけである。
  2. マレーシアの通貨はマレーシアドルです。だいたい1マレーシアドルが50〜60円。
  3. 旅に出ると、朝は早く起きて、朝昼晩とちゃんと食事を取り、歩き回って適度な運動をし、夜は早く寝るという、実に健康的な生活ができるものですね…
  4. 実はこの前年に「スマトラ編」というのがあったのです…。
  5. いつぞや、モロッコに行った時のこと。荷物検査があったので荷物を開こうとすると「おまえらはええからはよ行け」と追い立てられたことがあった。…他の人の荷物はちゃんと調べていたのに。
  6. あのときも睡眠不足の中、車で移動することがよくある。
  7. イスラム教には断食の習慣があって、この間は昼間食事ができないのです。
  8. 幼いころの僕は、よく工事現場やなんかでこういう空想にふけったりしたものです…。




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