減圧症体験記

落合[海人]哲也

 あんまり普通の人がしないような体験をしてきたので、ここにレポート書いちゃいます。
 何をしたかというと、減圧症というのに罹りまして、その治療に行ってきたのですね。減圧症ってのは、急な負の圧力変化に体が曝されたときに、血液などに溶解している不活性ガス(窒素)が気泡になってしまい、体の各部位に変調を来すというものです。皮膚がピリピリかゆいというのから骨髄に気泡がたまって壊疽死しちゃうなんていう重大なものまで、いろいろあります。私の場合、偏頭痛と関節痛、疲労感などの症状でした。
 なんで減圧症なんかに?と言いますと、減圧症がしばしば「潜水病」と言われるように、潜水には減圧症(その他)の危険が伴います。大気中だと、地表から−1気圧の状態になろうと思えば3万m以上の山に登らなければなりませんが、海中に入ると10mも潜れば+1気圧となります。
 あ、ここで注意。本文中ではSI単位は使いません。面倒だから。PSIなんて単位も使いません。しんどいから。
 さて、高気圧下で呼吸すると、その圧力に応じて体内に溶解する窒素量は増えます。呼吸しなければ窒素の吸収も無いんですが、人間そうもいきません。また、圧力が減じていく時には、充分ゆっくりとしたスピードならば呼吸により余剰窒素は排出されますが、減圧速度が余剰窒素が排出されるよりも早いスピードだったりすると、行き場の無くなった窒素が気泡になってしまいます。つまり、水中に深く潜って急に浮上すると圧力差が急激で大きいために体内に蓄積された窒素が悪さするって事ですね。なお、こういった減圧に関する理論は種々ありまして、今もなお新しい潜水基準などが提唱されたりしています。「18m/min以下で上昇しなさい」というのが普通なんですが、最近では「いやいや。9m/minぐらいじゃないとあぶない」とか。減圧症にはならないまでも、サイレントバブルと呼ばれる微小な気泡は大抵のダイバーに発生してるぞとか。また、人間の体の窒素許容量は大気圧下の2倍まであるので、水深10m以浅ならば減圧症にはならないなどなど。
ダイビング 説明はこれぐらいにして私の話に戻りましょう。スキューバダイビングを3日間、まさに天国のような与論島でたっぷりと堪能した私は、潜水後24時間経過してから与論島から沖縄本島に渡る飛行機に乗ったのでした。高圧下で体内に余分に溶解した窒素は24時間ほどで全て抜けると考えられています。安全対策はばっちりだったというわけなんですが、なんと、離陸時に後頭部がメリメリメリメリメリとわしづかみにされて引っ張られるような痛みが。「わっちゃー。(減圧症を)やってもたか?」こ、これはヒジョーにやばい。何故か。飛行機の離陸中なんです。これからどんどん気圧が下がるというのに、機体はまだまだ上昇するというのに。ボクの血がビールみたいになっちゃうよー。こわいよー。ってなもんです。
 むむむ。どうなるんじゃ?と思っていたのも束の間、ちょっとした鈍痛は残るものの、痛みがすっと消えていき、その後はなんともありませんでした。症状的にはかなりヤバいんですが、この時の私はまだ根性でなんとかなるだろうと思ってたんですね。翌々日には大阪までの、本番とも言うべき大飛行を控えていたにもかかわらず、前野家での宴会の事しか頭になかったのです。おそらく本当のところは、離陸後に機内の与圧が安定したんでしょう。
 2日後。前野家訪問と沖縄観光を終えてその後、沖縄〜大阪の飛行は恐怖でした。誰にも言わなかったけど、怖かったです。しかしさすがは世界最大のジャンボ機。与圧も安定しており、何事も起こらなかったため「さすがはワシの根性や。男の気合見せてもうたで。ようシノいだ。」とか楽天的に考えていました。
 が、それから2週間の間、徐々に「寝ても寝ても体がだるい」「後頭部左側に偏頭痛が」「なんか手首が痛い」「足首の関節がチクチクする」という症状がしばしばあらわれました。
 それが継続的になった時についに根性療法を断念。チャンバーと呼ばれる高圧治療設備のある病院へ行く事を決意したのでした。幸運にも車で5分もかからない場所にある大阪労災病院がそれで、早速診療に。
 ちなみに、たとえどんな軽いものでも、減圧症を治すには再圧治療以外に方法はありません。つまり、気泡になっちゃった窒素を、もう1度圧力をかけて血液に溶け込ませ、今度はゆっくりと減圧して呼吸で排出させるわけです。まぁ、もう1度ダイビングに行って自然に再圧治療しちゃうって手もあるんですけどね。昔の漁師さんなんかは「フカシ」と言って減圧症にかかった人をもう1度潜らせて再圧治療と同じ事をしていたそうです。
 さてさて。病院到着。何科に行けば良いのか受付嬢もよくわからなかったりしたんですが、大阪労災病院では麻酔科が再圧治療室を持っているとの事。普通に受付を済ませて診察を待ちます。この時、「うん。減圧症なんて潜水後に症状が出たら即刻チャンバー送りなんだから、ワシは救急扱いでさっさと診てくれるやろ」などと考えていたのですが、甘かったです。看護婦さんが症状と潜水記録を聞いてくるので答えたりした後、随分と待たされてようやく診察室へ。
 「施設は突然使えるものじゃないんですよね。他の治療にも使ってますから」
 「は?はい」(なんだ?)
 「なので夕方4時半頃に来てください。3時間ほど入りますから、食事などは済ませておくように」
 「・・・はい。」(診察は?)
 治療するのはわかるが、診察は無しか。嘘でも聴診器あてたりしないのか?とそのとき看護婦さんが横から何か言う。お、なんだろう?
 「それから、その時には診察費を用意しておいてくださいね。先に会計をしてからタンクに入りますので。出てくる頃には受付閉まってますから。じゃぁ、後程」
 診察無いのね・・・はい。しかも、一つしか無い施設を使う飛び込みの客に迷惑そうな雰囲気。とほほー。俺はいたわってもらえないのかよ。
 気を取り直して、一旦帰宅。飯を食って3時間を耐えるための書籍などを持って病院へ。種々の手続きを済ませて、看護婦さんが「タンク」と呼ぶ高圧治療室へ。
高圧治療室 む。確かにタンクだ。幅1.8m、奥行き2.5mほどの丸いタンク。その手前に更衣室があり、まずはパンツ一枚になって帯電防止の浴衣みたいなものに着替えをさせられます。一応、高圧治療というだけあって、火気には注意しなければならないわけですね。酸素分圧が高くなるとそれだけ良く燃えますから。
 というわけでこの病院では紙すら持って入ってはダメ。デジカメなんてもってのほか(持っていったんだけど、「持って入っていいですか」なんて言い出せもしなかった。ちなみにチャンバーに入るという事を知ってた竹林[Nina]さんには「ダイコン(ダイブコンピュータ。潜水時間や深度などを計測し、所持者の体内残留窒素量などを計算してくれる潜水用のツール)持っていけば」などというさらに不真面目な事を言ってた)。「中にスピーカーがあって、ラジオを流しますから。退屈はしませんよ」って言われても・・・。
 狭いチャンバー内に入ると、分厚い扉が閉められてハンドルがグルっとまわって密閉完了。もう、いきなりすごい閉塞感です。内部を見渡すと、カメラが窓の向こうから覗いていて、スピーカー、マイクなども設置されてます。治療室担当者とのやり取りはこれで行うわけですね。
 突然スピーカーから声が。「ダイバーの方ですから耳抜きは大丈夫ですよね。じゃぁ行きます」
「え?」と思ったときには始まってました。
 やや甲高い、エアが入ってくる音とともに、徐々に気圧が上がっていくのですが、これが連続的なので耳抜きは常時していないとだめでした。口を半開きに、内耳のあたりをちょっといきませて・・・。こりゃ鼻をつままないと耳抜き出来ない人には辛いでしょうね。しかもダイバーだから大丈夫ってわしゃまだ経験本数15本のビギナーだぞ。
 さらには途中から、チャンバー内にあるクーラーが轟音をたてて全開運転を開始。加圧してるのですごく温度が上がるんですね。しかも高圧なのでファンを回すにも頑張らねばならないらしく、とんでもない音響です。室内はクーラーが効いていても加圧中は30度以上になってました。その轟音の中「どうです?痛みは消えましたか?」との質問。わかんねぇよ。騒々しいし暑いし。でも適当に答えちゃう。
「はい。すっきりです」
 思えばこの時、すでに窒素酔いだったのかもしれません。窒素酔いというのは、血中に過剰に窒素が入ると麻酔のような、酔っぱらったような状態になってしまう症状の事で、個人差はありますがおよそ30mほど(4気圧ほど)潜ると症状が出るそうです。
 10分間の加圧が停止し、ふと内圧計と書かれた計器を見ると5kg/cm2を示してます。平常時大気圧で0Kg/cm2を指すようになっているので、都合約6気圧。水中に50m程度潜ったのと同じ状況です。もー気分はサイコー。けけ。けっけっけっけ。ワシ、えらい高圧環境におるんやのー。関節痛かったけどな、治ってるがな。かかかかか。ひょっひょっひょ。お?なんやこれは。酸素マスクやな。かっこええがな。よっしゃ。はめたろ。すはー。
 「はい、酸素は今吸わないでくださいね。」
 「ア、ハイ」(異様に甲高い自分の声)
 監視されてるんだった・・・。しかしなんやな。声が高いやないの。ヘリウムガスじゃなくてもこんな声になるのか。歌いたい。ヒジョーに歌いたいけど、カメラとマイクで監視されてるし・・・。でも歌いたい。いや独り言でもいいから・・・。喋らせてくれよなぁ。けけけけ。
 我慢しました。できました。私は窒素酔いにはちょっと強いのかもしれません。酸素マスクにラブリーアタックをかました以外は、結構冷静に「普段の6倍の圧力環境ってどんなもんや?」という実験をします。といっても丸腰ですから、手を振ってみてその抵抗を確かめてみたり、呼吸抵抗を味わってみたりといった程度でしたが。結果、所詮は空気。6気圧とはいえ、通常の1.5倍程度かな?と感じるぐらいでした。ただし呼吸抵抗は結構あって、ねっとりとした空気は意識して吸わないと息苦しく感じるほどです。よく「息苦しい雰囲気」とか「重い空気」とか「ねっとりとした空気が・・・」なんて言いますが、そういうのはこれぐらいの圧力がかかってるって事ですね。うん。(実際の粘性とかは理科年表を見てね)また、自分の声もスピーカーから出る担当さんの声も遠くから聞こえます。
 てな事をしている間に、至福の高圧環境は終わりとなります。6気圧の時間は10分間、その後10分かけて減圧し、3気圧弱の状態へ戻ります。さきほど、加圧中は暑いと書きましたが、当然減圧すると逆ですね。温度が下がります。しかもクーラーはあるけどヒーターは無い。ほろ窒素酔い気分のところに、いきなり酔いを醒ます減圧(窒素酔いは圧力が下がると解消します)と室温低下。これはヘコみます。温度計を見たら湿度は30%ほど、温度は18〜9℃。「おいおいおい。浴衣一枚だぞ俺は」なんて高飛車にはなれません。「寒いです。許してください」てな雰囲気。しかもこの気圧になると、ほぼ普通の環境と似たような状態になるので、ラジオを聞くぐらいしかする事はありません。かかってるのは関西ローカル毎日放送。時間は17時をまわっていて、もう少し我慢すればダイナミックナイターで阪神戦だな・・・、今日はどこと・・・今日は月曜・・・。あうううう。野球無いやんけ・・・。さらにヘコみます。しかも、再圧治療のテーブルなどは確認してませんでしたから、何分加圧で何分停止、などというタイムテーブルがわからないのです。退屈の極みの45分間、諸口旭のイブニング・レーダーと仲田幸司(元阪神投手)のウンチクを聞かされ、30分間かけて仲田幸司の話を聞きながら2気圧弱に減圧、ここで酸素マスクをかけて30分間仲田の声を聞いて、30分間仲田と一緒に1気圧まで減圧。やっと3時間弱の治療終了となったのでした。
 さらば。仲田。ありがとう仲田。ロッテで頑張れよ。
 わけのわからない事を思ってる間に扉が開く。
 シャバの空気はうめぇなぁ、おい。
 そこへ麻酔科の医者(昼間の担当は違う人だった)が来て、「すっきりしました?」「ええ」「よかったですね」と言って去っていく。おーい。それで終わりかーい。まぁその方が都合がいい。こっそりとチャンバー内部をデジカメで撮影。1枚しか撮れなかったけど。
 担当さんと一緒に再圧治療室を出る。「ありがとうございました。もう2度とこんなところの世話にならないようにします」お決まりの挨拶をして私の再圧治療は終わったのでした。
 さてその後。減圧症で関節が痛いなんていうのは、気泡が神経などを圧迫するために起こるのですが、2週間ものあいだ放ったらかしていた罰があたって、どうやら知覚過敏になっていたようです。再圧治療後1週間ほどは、体のいろんな場所にチクっとした痛みや、発症した時には関係なかった関節が痛んだりしてました。今はもう大丈夫です。たぶん完治してるはず。治ってるよね。ちょっとコワイです。まだたまーに後頭部に隙間があるような感覚が・・・。
 担当さんは「まぁ大抵の場合タンク一発で完治しますから」とは言ってたけど。
 それにしてもタンク一発って言い方はなんなんだ。チャンバー入りってのは点滴マニアの点滴と同じようなもんなんだろうか。「うーん。最近調子悪いから点滴一本いっとこうかな」みたいな。
 ちなみにタンク一本のお値段、保険が効いて3割負担で25,000円也。チーン。
 日帰りダイビング2回分だなぁ。とほほほほ。




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