ガイドがエントリーポイントへの到着を告げた。
停船と同時に、乗船前のオリエンテーションに従って全員が手早く装備を身に付けていく。マスクを洗うために舷側から海面に身体を乗り出し、同時に海のコンディションを確かめる。思ったほど海底の様子はよく見えない。潮目から少し離れた止水帯にいるはずなのだが与那国島の他のポイントと同じく、ここでも海水の流れが強いため透明度の高さの割には海面からのルックダウンの条件がいまひとつ良くない。潮の干満と海面をわたる風、そして島自身の地形という三つの力が微妙なバランスにより拮抗したとき、島の周りのある地域にごく短時間の静海面があらわれるのだが、南西方向から休むことのなく供給される黒潮の流れを完全にうち消すまでには至っていない。この島が東シナ海から海面に忽然と突き出た、いわば切り立った山の頂であることを潜る度ごとに実感させられる瞬間だ。
全装備の装着が終わった者から順次船縁に座って待機する。このときBCD(ジャケット型浮力調整装置)から全て空気を抜いておくのがこの島でのダイブ、いわゆるドリフトダイビングの特徴だ。ガイドの合図と共に全員一斉にバックロールエントリーで海に飛び込み、そのまま海底十五メートルの集合深度まで一気に潜る。透明度は八十メートルくらいで、この島にしてはそれほど良い訳ではないが、周りの地形を楽しむには十分だ。流れが、上で思っていたほど強くないのが意外だったが、これはやはり潜行ポイントを選んだガイドと船長の力量と経験の確かさを証明するものにほかならない。
全員が緩やかに流されながら一団となって予定深度に到着した。ガイドはダイバー達に問題がないことを確認すると、島の外側、海底遺跡ポイントに向かって誘導を開始した。
与那国島の海底には遺跡が眠っている。
こんな話がダイバー仲間で話題になりだしたのは、いまから五年くらい前からだったろうか。それが平成八年にベストセラーとなった「神々の指紋」によって巻き起こった超古代文明ブームによりにわかに脚光を浴び、NHKや日本テレビによる紹介、さらには平成九年三月の琉球大学による調査などによって現在ではダイバー以外にも広くその存在が認知されるようになった。
もともと与那国島はダイバーの間ではかなり人気の高い場所で、雄大な地形とハンマーヘッドシャークの群やカツオなどの大型回遊魚を見るために中級から上級クラスのダイバーが訪れる島だ。そこへ新たに海底遺跡ポイントというビッグネームが飛び出し、現在その人気は日本のダイビングポイントの中でも屈指のものとなっている。琉球大学の調査のあった翌年、平成十年の八月中頃に島を訪れた時、大型魚の現れる時期とは若干ずれているにも関わらず、ダイバーの数は利用した現地のダイビングショップだけでも十五人近くいた。確かに伊豆半島や沖縄本島周辺と比べれば、ダイバーの数はかなり少ないといえるが、与那国島という場所から考えるとかなり多い数だといえるだろう。それほど与那国島は本土から遠い。
まず位置的には日本の最西端というだけあって、那覇まで520km、石垣島まででも127kmの距離がある。ちなみに台湾までは110kmで晴れた日には台湾の山並みが見えるらしいが、今回は残念ながらその機会がなかった。
さらに交通アクセスが控えめにいっても悪い。与那国島と外部との交通手段のもっも主要なものは石垣島から日に二便運行される飛行機と、週に一便のフェリーだ。飛行機は日本トランスオーシャン航空のYS11で乗員は六十名あまり、話によると島の人間に優先的に座席が割り振られるとのことで、夏休み期間中などは切符の予約自体が難しい。もっとも予約のキャンセルも結構多いようでキャンセル待ちをする心の余裕があれば案外簡単に乗れることもある。
「フェリーよなぐに」は全長六十七メートル五百トン未満で旅客定員は百五十人、瀬戸内のような内海ならともかく外洋を航行するには少々心細い。船員によるとやはり季節風が強い時分にはよく欠航するそうなので、あまり船便をあてにするのはお勧めできない。
そしてようやく与那国へたどり着いて、いよいよダイビングを始めるとき、沖縄本島などと少しそのやり方が違うことに戸惑う人もいるだろう。与那国のダイビングは基本的には全てボートからのドリフトダイビングで、しかもエントリーの仕方はガイドロープを伝ってBCDの空気を抜きながら潜行などという教則通りの悠長なやり方ではなく、グループがバラバラにならないために一気に十メートルくらいまで潜る方法をとる。これは島の周囲は切り立った崖で、海流を遮るような環礁や湾などはなく、全てのポイントが潮流の影響をまともに受けるからだ。それに加えて海底の地形も沖に向かって緩やかな傾斜をもった場所は限られている。もっともドリフトダイビングは、ただ流されてゆくだけなので慣れれば楽なものだ。
早い流れを避けるために定着性の魚の群の住む場所は、だいたい深度四十メートルくらいの岩場の影にあり、圧縮空気の消費量は多分想像以上に多くなるのではないだろうか。さらにこの深度まで潜るならば、船に上がる前の減圧停止は必須で、強い流れで上下に揺すられながら定深度にポジショニングすることを身体が覚えるまでは少々やっかいだ。このドリフトダイビングで潜っている時間は平均でタンク一本で四十分あまり、これを一日に三本おこなうのがこの島のダイビング・スタイルとなっているようだ。
島でのダイビングの最終日の三本目に、ようやく海底遺跡ポイント付近の海も潜れるようになった。ガイドによればもともとこのポイントのある海域は潮の流れが悪く、これまでは潜る者もいない場所だったようだ。
目の前の視界がにわかに広くなった、この長く続いた岩影の左側に海底遺跡があるはずだった。そして岩影を出たとき、身体が一気に左方向へ持ってゆかれた。用心していたが思ったより強い、油断しているとマスクをはがされそうな潮が流れている。
岩影にぴったりと寄り添って、ゆっくりと這うように進んでゆく。あたりは火成岩特有のあちこちに穴のあいた板状の岩で、普通なら穴に手をかけて進むことが出来るのだが、そのほとんど全ての穴の中にはガンガゼと呼ばれるウニが先客としており、よそ者が指をかけることを全身で拒んでいる。
用心して岩から顔を突き出すと、前方はステージ状の平たい岩であり、その端に例の階段と呼ばれている重なった石が見える。とりついている岩から、五メートルほど浮上すればテレビでおなじみの映像が見えるのだろうが、そんなことをすればすぐに潮流に身体をさらわれて、皆からはぐれてしまう。下手をすればそのまま石垣島までの海中旅行となることは間違いない。
両手で安全そうな窪みを掴んで、岩から出来る限り離れないようにしながらようやく階段まで到達する。確かに石が三つ段になっているが、階段にしては少し一段の高さが高いように感じた。あるいは古代人は皆長身だったのかもしれない。
約十五分ほど虫のようにそれらしい所をずりずりと動き回って「神々の指紋」とやらを捜したが、ついに納得できるものは見つからなかった。ポイントを離れるとき遺跡と呼ばれる一帯を一瞬一望出来たが、それまで自分がいた場所とあたりの風景の違いを見つけることは遂にかなわなかった。
ピックアップポイントまでドリフトしながらあたりを観察すると、まるで摩天楼の上を飛んでいるような気がしてきた。それほどまでに海底の風景の中に直線や立方体を捜すのは容易だった。そんな風景を見ながら思ったのだが、これだけたくさんの岩があれば、その中の一部が偶然階段状になったとしてもおかしくないのではないだろうか。例えば和歌山の白浜近くにある「三段壁」のように。
考古学の知識に乏しいことや滞在時間が短かったことなどで、断言するまではいかないが、それでもあの海底遺跡が本当に古代人によって作られたものと思うかと聞かれれば、多分迷いながら「違う」と答えるだろう。おそらくあれは、古代人ではなく我々の想像力が生み出した遺跡なのではないだろうか。
とはいっても、もし与那国島へゆく機会があるならばぜひ一度遺跡ポイントに潜ってみて欲しい。この日本に本当の超古代文明の遺跡である可能性を持ったものがあるのだから、美しい海の中でその真偽を自分の目で確認するだけの価値はある。