ひとり旅のメモから

黒川[師団付撮影班]憲昭

 予定では、今回もダイビングのことについて書くつもりだったが、いろいろなところで、同じネタの文章を安請け合いした事の必然で、今回、えいせいの原稿を書く寸前に、遂にネタ切れとなった。
 なんとか面白い話がないものか、と過去のメモをひっくり返したのだが、そんなものが都合良くあるわけがない。いや、あるにはあったが、どれも公開するには差し障りがあって、結局は書けないのと同じことだった。
 昔の、旅行中のメモを読み返す内に、少なからず記憶の訂正を迫られた。中でも、あの時側にいたはずの人が、実はいなかった、という事を知った時は驚きだった。これだから記憶はあてにならない。
 そして数冊のメモ帳をたどった結果、これまで重ねた旅の全てが、ひとり旅だったということを今更ながら思い知らされた。
 ひとり旅という言葉には、驚きとか、興奮する、波乱に満ちた、などのイメージがついて回るようだ。旅先で、ひとりで旅をしている、と話すと時折、毎日楽しいでしょうねといった、無邪気さと羨望が入り交じったような、質問をされることがしばしばある。
 この手の質問に対しては、たいていの場合「まあね」といった半分口の中で消えてしまうような、曖昧な答えでお茶を濁している。別に、真実を語っても良いのだが、相手の幻想を壊すのは悪いような気がするし、本気で語り出すとなるとえらく面倒で、それでいて納得してくれることはほとんどないからだ。
 本当の所、僕にとって、ひとり旅というのはひどく退屈なものだ。
 見知らぬ町で目覚め、宿を出て、観光地を巡り、その間に食事をし、土産ものを選ぶ。そして夕方、宿に帰り着き、シャワーを浴び、ベッドに入ったところで、今日は誰とも話さなかったことに気づく。
 確かに、チケット売場のおじさんや、ドリンクスタンドのおばさんと話はした。だが、それは、単なる言葉のやりとりであって、自分の思いを分かち合うような会話ではない。言葉の通じない異郷ではなおさらだ。
 だが、そんな言葉のやりとりでもあるだけましで、国境を越えるような長距離の移動中には、丸一日声を発しない、ということも珍しくない。
 確かに、その人ごとのキャラクターの違い、というものもあるだろう。羨ましいことに、どんな土地にいっても、数分後には見知らぬ人と話が弾んでいる、という人もどうやらいるらしい。けれども、僕はそういうタイプではないし、旅先でよく見かけるのは、どちらかといえば僕と似たような、寡黙な人の方が多いような気がする。
 ある時など同じくひとり旅らしい人間と、フェリーの三等船室に乗り合わせたのだが、結局丸二日のあいだ、口をきかなかった。彼と初めて言葉を交わしたのは、目的地の港がようやく見えたころで、到着するまでの一時間程はずいぶん話が弾んだから、お互い無駄に退屈な時間を過ごしたものだった。
 そういうことがあると、次に誰かが隣にやってきたら、なんでもいいから話しかけてみよう、と考えるのは自然な成り行きだ。天気の話でも、この土地に魚料理はありますか、でもなんでもいいじゃないか、勇気を出すのだ旅人よ。
 そんな誓いを立ててバスに乗ると、決まって登校中の女子学生の集団なんかと遭遇し、命からがら目的地のバス停で飛び降りるはめになったりするのだから、旅というやつは一筋縄ではいかない。
 どうやら僕は、知らない土地、知らない人の間にいってたとしても、それまでの日常を、簡単に捨てることはできないようだ。
 気がつくと、ひとり旅をしている自分の姿を発見して、呆然としていた。なんてことが度重なると、退屈、というものといかに共存するかが、旅の大きなテーマにならざる得ない。
 暇な時間を利用して、古書店で購入したハードカバーのドストエフスキーを読破しようとしたことがあった。
 だが、ロシア人の呼び名という奴は複雑怪奇で、しかも腸捻転したような翻訳文体ともあいまって、いつも初めから数頁で挫折してしまう。それに、長大な文学は物理的にも極めて重く、旅行時の携帯には向かないことが、筋肉痛と共に身にしみて良くわかった。
 持て余したあげく、結局ロシア人達を、ある民宿のロビーにあった本箱に放り込んで、逃げるように出発した。たぶん彼らはいまも、南の島の、海風の入る本棚に、椎名誠と一緒に並んでいるはずだ。
 またある旅では、土産物屋でけんだまを購入した。これが単純ながらかなり面白く、しばらくは駅のホームや、ファーストフードの店先で、木製の球を親指にぶつけては楽しんでいたのだが。
 ある日、バスを待つ間に、性懲りもなくかちゃかちゃとやっていたら、すぐ近くで笑い声が聞こえる。なんだろう、と顔を上げると子供達と目があった。そうすると、今度はさらに大きな笑い声があがった。どうやら笑われているのは僕で、大道芸人だと思われているらしい。一瞬、帽子を回そうかと思ったが、自分の技術を考えるとなんとなく不当な利益をむさぼっているようなので、やめておいた。もっとも後になってから、ジャグラーではなく、クラウンとしてなら金を取ってもおかしくないことに気がついた。まったく、今考えても、惜しいことをしたものだった。
 そんな試行錯誤の結果、旅先では手紙を書くのが、時間をつぶすには一番良いという、ごく一般的なところに落ち着いた。
 新しい土地に着いたら、まずセットになった絵はがきを買う。さらに郵便局へゆき、その土地の珍しい切手がないか尋ねれば、たいていはなにか探し出してきてくれる。それから日が暮れて、歩き回ることに疲れたが、寝るのにはまだ早いころ、昼間買った絵はがきを机の上に広げるのだ。
 夕食兼用の居酒屋で、隅の方のテーブルに座って、冷えたビールとその土地の食べ物を楽しみながら。或いは、狭い部屋に、申し訳程度に置かれたライティングデスクで、やはり外で買ってきた缶ビールを飲みながら、手紙を書く。時にはブーゲンビリアの咲く、小さな図書館でペンを走らせたりもした。
 その度に、加速度的に字を忘れていることや、昔ながらの字の下手さを思い知らされたりしたが、手紙を書くことによって、退屈さとの共存がかなりできるようになった。
 さらに、手紙を出すということによって自宅宛に、遠く離れた友人達から、返事が届くという、予期せぬ出来事があった。これは暇つぶしのもたらした、うれしいハプニングだった。
 ここで、旅先で手紙を書くときのコツをいうと。それは絵はがきを使うということにつきる。
 絵はがきならば、面倒な時にはただ一言「元気です」と書くだけでいいし、旅に疲れてついつい愚痴っぽくなったときも、相手をそれにつきあわせるような、無様なことをしなくて済むからだ。
 そう、忘れていたが、手紙を書くことによって、もう一つ良いことがあった。これはごく個人的なことなのだが、文章書きがスランプに陥ったとき、役にたつことのだ。
 今回、えいせいの原稿を書こうとして、まったくなにも思いつかなかった。締め切りが過ぎ、いよいよ焦って、さらに書けなくなる、といった悪循環の果て。ギブアップも考えていたある時、ふと、旅先から手紙のつもりで書いたら良いのでは、と思いついた。
 早速、ワープロの側にビールを用意して、南の島の音楽をかける。それから、旅先で余った絵はがきを側に広げ、しばらく考えてから「前略」と書いたら、素直に文章が生まれてきた。これも予期せぬ手紙の効果であり、それがこの原稿なのだ。
 そうこうする内に、どうやら予定の枚数がきたらしい。だが、もう少し何か書きたい気もする。そうだ、これから久しぶりに、あの時側にいたはずの人に手紙を書いてみよう。
 もしかすると、予期せぬ返事が、来ないとも限らない。




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