さて、ここしばらく人外協内外ではどうやら妖怪ブームの様なのである。一般の小説の世界でも、京極夏彦氏だの、宮部みゆき氏だの良く売れているようである。ただ、なぜか一般の人々は皆あまり妖怪について詳しく知らないらしいのである。僕なんぞは、物心ついた頃から水木しげる氏を始めとして多数の妖怪漫画を見て育ってきたものであるから、周りのみんなも(SFファンであれば尚のこと)当然のごとく自分と同じくらいかそれ以上に妖怪や妖怪現象について知っているものであるとおもっていたのであるが。このエッセイは、今まで僕が実際に見たり経験した事の中から、自分なりに「これは、こんな妖怪の仕業だな」とか「こんな妖怪がいるのかも…」などと思った中から幾つかを紹介しようという物である。オリジナルの妖怪も出てくるが、すべて実話である(そんな大層な)。
一、妖怪「隠し小僧」
まずは、軽めのオリジナルから。「隠し小僧」はたぶんSFファンのみならず、どこの家にも必ず居る妖怪である。主に本のたくさん置いてある部屋や、台所などに出没する。
名前を聞いて「ははーん」と思った人も多いだろうが、その通り、こいつは目には見えないが部屋の中に居て大事な本や資料、食材や調理用具などを隠してしまうやつなのである。
たとえば、あなたが何か調べ物をしようとしていて手元に資料がないという時。本棚の中を捜してみても一向に見つからない。ぜんぜん関係のない別の資料は三十回も見つかったのに、肝腎の資料だけがなぜか見つからないのだ。仕方なくあなたは部屋をひっくり返してそれを捜そうとするのだが、なぜか目的の物だけがまったく消えてしまったかの如く見つからない。結局、部屋を散らかすだけ散らかして、あなたはその資料が無いままに作業を仕上げなければならない羽目になってしまうのだ。そして一ヶ月もすぎた頃、何回も探したはずの本棚の、それも何故か一番目に付く場所にその資料を発見したりするのである。
つまり、これは妖怪「隠し小僧」の仕業なのである。他にも、確かに冷蔵庫の中に残っていたはずのマーガリンとか、一個だけ残して置いた筈のケーキを食べてしまったりといういたずらもすることがあるらしい。こやつ、どうやら人の心が読めるらしく、その時その時で一番必要な物を隠してしまうので困ったやつなのだが、それなりに対処の方法がないわけではない。つまり、例えば気になる本を捜そうと思った時には、まずその本の事は考えてはいけない。あくまで「こんな本なんか捜してないよ」というフリをすることである。できれば、ぜんぜん関係のない別の本なんかを読みふけってみるというのも良いかもしれない。そうして、心を落ち着けた処でおもむろに本棚に手を伸ばすのである。ただし、「隠し小僧」の方でも、その瞬間にこちらの意図に気付いて資料なり本なりを隠してしまうという可能性もあるので油断は出来ない。
また、家によって「隠し爺」だったり「隠し婆」だったりする事もあるかも知れない。
二、妖怪「壁越えの松」
まだ、僕が小さかった頃、家の近所にかなり大きな家があった。単に家というより、お邸と言っていいくらいの家なのだが、この家の白壁(当時は未だ土壁の家が当たり前だったので)越しに、大きな松の木の枝が二本、ちょうど大男が両手を広げるような感じで突き出しているのであった。今思えばどうということも無いのだろうが、子どもにしてみれば、これは随分と怖い存在で、特に夜その家の横を通らなければならない時など、あの松の木の枝が、ズゥーと下りてきて自分を襲うのではないだろうかと大急ぎで駆け抜けたものである。
今から思えば、この恐怖というのは、明らかにその瞬間妖怪に取付かれていた訳である。今、ここでは「壁越えの松」というオリジナルの名前を付けさせて頂いたが、あの松の木の辺りには妖怪「ぶるぶる」が棲み付いていたのかもしれない。
「ぶるぶる」というのは、主に夜道に出現する妖怪で、夜道や山道を歩いていると、大した理由も無いのに突然背筋がぞーっとしてぶるぶると震えが来るという状態を指して妖怪「ぶるぶる」と言ったもので、これも姿は見えないが、大抵の人が何度か会っているやつである。
ほかにも、夜道に現われる妖怪で、有名なやつに「べとべとさん」というのがいるが、これも僕は勿論、ほとんどの人が会ったことがあるんじゃないかと思っている。この辺になると有名すぎて、知っている人も多いとは思うのだが、一応説明しておくと、夜道を歩いていると後ろから付いて来る足音がする。誰かと思って立ち止まると足音も止まり、怖いなと思って早足になると足音も早くなってついてくる、というもので、誰にもこういう経験はあるのではないだろうか。ちなみに「べとべとさん」にあったら「べとべとさん、先へお越し」と言えば、足音は消えるそうである。でも、実際そんな状況でそんなこと口に出して言うことなど出来るもんじゃないと思うんだが。
三、妖怪「天井なめ」
これはオリジナルではない。確か鳥山石燕の百鬼夜行図絵に書かれているもので(しまった「隠し小僧」にやられた)、人が寝静まった深夜、あるいは家の者がいない隙に長い舌で天井をなめて染みを付けてしまうというもの。
これも子どもの頃の話なのだが、当時の家というのは何処も天井など板張りで、薄い板を少しづつずらして並べたものであった。当然ある程度家が古くなって来ると僅かなりと雨漏りなどがし始め、天井板にそれこそ舌で嘗め回したような染みが付いていたものである。夜、布団に横になってこの染みや、天井板の木目などを見ていると、何となく不気味な顔の様に見えて怖かったものである。
その内に、その顔が動き出してこっちに向かって来るんじゃないかしらんなどと考え出すと、もうだめで、目をつぶろうとしても、それが気になってつぶれない。かといってずっと見続けているのももっと怖いという具合で、進退窮った経験など何度でもある。
考えてみれば、随分怖がりな子どもだったようで、暗いところは勿論、狭いところも、ひとりぼっちで取り残されるのもひどく怖かったような覚えがある。
そういえば、ぼくがもっと小さかった頃、映画館の暗闇が怖くて泣き出してしまった話など、何度も母親から聞かされた。また、ロビー・ザ・ロボットのおもちゃ(当時「禁断の惑星」の映画が流行っていたのである)が怖かったらしく、動かすたびに泣いていたらしい。
もっとも、当時の映画館というのは、上映中はほんとに真っ暗で足元の明かりなども殆どなかったように覚えている。それに比べて最近の映画館の明るいこと。いろいろと理由もあるのだろうが、あんなに明るくては、映画に没頭しづらいよ、まったく。
四、「砂かけ婆」
これもオリジナルではない、ってもうこの辺になってくると知らない人を捜す方が難しいくらいなものなのだが、僕は、実はこれの実物に会ってしまったのである。と言っても姿を見たわけではない。こいつも例によって人に姿を見せない妖怪なのだ。
こうして見ると昔の人というのは、そういった雰囲気とか、怪音とか怪火とかを感じたり見たりして妖怪という物を想像したのであろうが、それを形にするという想像力はすごいものがある。つまり、妖怪というものは、それを見たり、聞いたり、感じたりした人の心の中に誕生する物なのであろう。
さて、「砂かけ婆」の話に戻るが、今から五〜六年も前のことであろうか。当時、僕は西宮市鳴尾浜のガソリンスタンドで働いていたのであるが、通勤は原チャリであった。宝塚市内から西宮の最も南の端まで、ほぼ真南に下ってゆくのであるが、位置関係から途中一個所だけ、約一キロメートルほど東に走らなければならなくなる。僕の場合、この東西に走っている道路は行き方によって三通りの道があって、北から国道二号線、四十三号線ともう一本、県道の甲子園尼崎線(通称臨海線)となっている。これ以外にも道がないわけではないが、自転車や歩行者の通行が多かったり、道が狭かったりで殆ど利用することはなかった。
この内四十三号線は、交通量が多く又大型トラックなども走っているため、原チャリで走るには危険が多く、また右折もしにくいため、めったに通ることはなかった。また二号線は、交通量は四十三号線ほどではないが、信号が多く連動も良くないため結構時間がかかってしまうという欠点があった。そこで、僕は大抵の場合、臨海線を利用していた。
ある日、それは七月頃であったと記憶しているが、夕方の六時ごろ、僕はその日の仕事を終えて帰宅しようと臨海線を西に向かってバイクを走らせていた。乗っているのはホンダのジャズというアメリカンタイプを模した原チャリである。当然ヘルメットはシールド無しのジェットタイプ、レイバンのサングラスで目元を保護しようといういでたちである。
この臨海線というのは片道二車線で中央分離帯も一応有り、結構広い割に交通量が少なく、バイクとしては走りやすい道なのである。夕方とはいえ、七月の六時といえばまだ結構明るい時間帯である。ちょうど阪神甲子園パークの南側辺りに差しかかった時である。まだこの辺りでは帰宅ラッシュの時間になっていないのか、自動車の通行も疎らであった。現に僕の前を走っているのも五十メートルほど離れて、右側車線を走っている白いワゴン車だけであった。僕は当然左側の走行車線を走っていたのであるが、突然顔にパラパラッと砂粒のようなものが振りかかるのを感じてスピードを落とした。
勿論大型トラックなどは走っていないし、前の車が砂を跳ね上げたとしても距離が離れているし、車線も違っており、まともにこちらの顔にかかる筈もない。幸いサングラスをしていたおかげで、砂粒が目に入ることもなく、そのままバイクを走らせ続ける事が出来たのだが、この瞬間、僕の頭に浮かんだのが「砂かけ婆」であった。
「砂かけ婆」というのは、鬼太郎の友人として一般には良く知られており、鬼太郎とともに数多くの妖怪と戦ってきた婆さんであるが、本来は海岸沿いの松林や山道に出没した妖怪で、旅人が通りかかると、物陰から砂をバッと浴びせかけたものであると言う。また、切り通しの道などを歩いている時に上から砂がぱらぱらと落ちて来るものも「砂かけ婆」の仕業と言う事になっている。
ともかく、この時は周りに砂粒が飛んで来るような状況は何もなく、不思議な感覚だけがいつまでも残っていたことだけは、はっきりと覚えている。
後日、妖怪関係の本を読んでいて「砂かけ婆」の話が、摂津の国、西ノ宮の今津浜で聴かれた話であるという事を知った。今津といえば、僕が走っていた甲子園付近からは、ほんの目と鼻の先ではないか。こうなれば、もう間違いはない。あの時、僕が出会ったのはやはり「砂かけ婆」であったのだ。
如何でしたか。こうして思い出してみると、僕のようなごく普通の人間でも意外と不思議な、と言うよりは後で考えればどうということのない事でも、実際にそれを体験している時点では、訳の分からない体験といったものは、結構経験しているのではないでしょうか。
宜しければ、皆さんも「こんな妙な経験をしたよ」とか「こんな不思議な話を聞いた事がある」という事があれば、どうか筆者までお聞かせいただければ幸いに思います。筆者、こういう話が滅法好きなもので…。もし、そういった話が幾つか集まったとして、機会があればまたいつか発表してみたいものだと考えています。
出来れば、「偶然の不思議」みたいな文も書いてみたいな、などと自分の文才顧みずに考えたりしています。それらしい体験などもあれば、是非お聞かせ下さい。