いつでもどこでも執筆環境を

鬼頭[不死身のエンジニア]剛彦

1.はじめに ― 人外協と原稿執筆 ―

 少なくともここ十年くらいの間に文章執筆環境はすっかり電子化されてしまった。不況をよそにワープロやパソコンはそこそこの売れ行きを示している。『電子化された文書処理』がいかに楽か、世間でもかなり認識が行き渡ってきたようである。筆者みたいにパソコンの出始め頃からキーボードに馴染んでいる人間などにとっては、ちょっと長い文章をまとめようとするともうワープロの編集機能のお世話にならなければ非現実的だと感じるほどになってしまった。
 また電子化されたテキストは再利用性が高い。たとえ数語の短文でも、紙にメモった自分の汚い手書き文字を改めて打ち込み直すなんてうざったくてやってらんねえ、という筆者の思いに同意なさる方も多いに違いない。
 現在の人外協には、入隊された作家の方、入隊してから作家になられた方、同人作家の方、ヘヴィなネットワーカーの方、えいせいや画報の〆切に追われている方など、様々な『日常的に文章を書き続けている』方々がおられることと思う。御大.甲州先生は言わずもがなである。
 そういう方々ならば、いつ何時浮かんで来るかも知れないアイディアをその場で書き留めるため、波に乗っている間は所用の合間を縫い寸暇を惜しんで執筆を続けるため、あるいは即座に返信の文面を作成するために、紙の手帳よりも便利な手段を常々捜し求めておられることであろう。
 たとえ自分は腰を据えて一所でしか執筆しないという向きでも、時として移動中や取材先でも物を書く必要に迫られる場面、書きたいと思う場面が、少なからず発生するのでは無かろうか。
 筆者は実のところそれほど日常的に書き物をする機会がある訳では無く、このように稀に原稿を書いたりする程度なのだが、にもかかわらず以前より肌身離さず携帯できる文章執筆環境というものに強い関心を持ち、理想の環境を追い求めてきた。その過程において色々な機械を実際に使って感じた事.考えた事を、何らかの具体的な形に還元したく、ここに駄文として残させていただきたいと思う。

2.要求される諸特性

2.1 バッテリ充電式電池の図
バッテリの持ち

 外出先でストレスなく長文を、しかも逡巡.推敲しながら打ち込もうとするとき、重要なのが「電池の残量を気にせずにいられること」である。移動の車中は当然として、喫茶店や図書館等でも基本的にはコンセントは使えない。そんな時電池切れを心配しなければならないようでは、原稿用紙の代わりとしては役不足、と筆者はあえて言おう。
 標準サイズのバッテリで二時間程しか持たない、いわゆるパソコン系の機器(Windows/Macを問わず)はこの点では全滅である。その二時間を使い切ってしまえば、ただの箱であるのみならず、出先ではそのままデッドウェイトとなる点、事態はさらに深刻である。
 携帯性を重視して筐体のサイズを切り詰めた、ミニノート(A4の1/3サイズ、東芝リブレットみたいな奴)やサブノート(B5サイズの製品群)、A4薄型(言わずと知れたソニーのVAIOノートとか)などが、そのままバッテリのサイズも切り詰められている結果、電源の持ちに関しては必ずしも携帯使用に向いてはいないというのは皮肉なことだ。ある処理を行うために必要な電力は、例えばWindowsを使っている限りにおいては大体一定の値に決まってしまうため、これも止むを得ない結果ではある。
 ついでに言えばノートパソコンにはサスペンド時だけでなく電源をオフにしておいても一定電流を消費し続け、満充電から一週間程度でバッテリが空になってしまうという困った特性がある。たまにしか使わない使用パターンでも鞄に入れっ放しには出来ず、常にACアダプタに繋いでおかなければならない。
 パソコンではなくても、表示画面にバックライトを備えた高機能.高性能指向の携帯機器も、バッテリの持ちに関してはどちらかというと不利である。
 理想を言えば液晶電卓のように、買った後一度も電池切れを起こす事なく製品寿命が来てほしいものだが、さすがにそれはまだ無理のようだ。とは言うものの、一方、単三アルカリ乾電池2本〜4本で連続使用十数時間〜数十時間の電池寿命がある製品がいくつか存在する。筆者の使用事例は後述するが、この辺りのスペックになれば実用的にも執筆中に電池のことを忘れていられる。一度この手の機械を使うと、電池食いの(普通の)機械を使うのがかなり苦痛になる。

バッテリの劣化寿命

 さらに、通常あまり問題にされないことだが、バッテリの劣化による交換を勘案したランニングコストも重要である。
 毎日ノートパソコンを常用していると、おおよそだが、1日に1回の充放電を繰り返していると思ってよい。事実1年前後の使用期間でバッテリの寿命がきて、満充電後の使用可能時間が極端に短くなるのがわかる。これはニッカド電池やニッケル水素電池で顕著なメモリ効果(中途半端な充放電を繰り返していると本来の電池の充放電性能を発揮できない現象)のことではない。所要の充放電回数を消費してしまった事による正当なバッテリの劣化寿命である。
 最近ノートパソコンのバッテリとして主流になっているリチウムイオン電池は二次電池の中でも比較的高価であり、新品のバッテリを購入すると通常二万円程度の金額が飛んで行く。各機種専用のバッテリは値引きも期待できず、パソコンを真面目に活用しようとすれば一年〜半年に一度、それだけの出費を覚悟しなければならない。さらに多少旧い機種ともなると在庫も店頭には無い。バッテリの入手そのものが困難になる。
 これを回避する手段としては、常に本体と共にACアダプタを持ち歩き、本当に必要なとき以外は可能な限りバッテリを使わない工夫をするしかない。本末転倒な印象を抱かれるかも知れないが、使用パターンとして自宅と職場のみで使い行き帰りの途中では立ち上げないというケースもまま見られるため、これはあながち意味の無い使い方ではない。いや、かえってこの使用形態のユーザの方が、世間では一般的なのかも知れない。この場合ノートパソコンを持ち歩く意味は、データの一元管理とコンピューティング環境の統一にある。積極的なモバイル使用とは分けて考えるべきであろう。(ここで稀有な存在なのが、IBMのTP235に代表される、ライオスシステム製のOEM機種群、いわゆる「チャンドラ」系である。これらはバッテリとして、規格化されたハンディカムのバッテリパックを流用する設計になっている。これならば流通量がけた違いに多いがゆえに数千円台で街のカメラ店で購入でき、極めてコストパフォーマンスが高い。複数の予備と充電器を購入しておく事も容易である。セルの改善で性能の向上したバッテリの発売も期待できる)

2.2 キーボード
キーのピッチ

 電池の持ちとともに文章入力の際ストレスの元になりがちなのが、キーボードの操作性、打ち易さである。「キーボードのサイズも、所詮は慣れだよ」とおっしゃる向きもあるかも知れない。しかし、タイピングに慣れてきてある程度の速度で打てるようになると、すなわちキーを連打する打ち方が身についてくると、キーボードの物理的制約が無視できなくなってくるのである。(ちなみにある程度頻繁に文章を作成する機会がある方で、タッチタイピングをなさっていない方にはぜひ習得をお薦めしたい。これができるのとできないのとでは、文章入力の作業効率だけではなく書いているときのストレスやら、ものを書くことに対する心構えやらから違ってくると言える。筆者はこれを身に付けて初めて、思考を妨げずに文章を入力できるようになった気がしている。ちょっと一週間〜一月ほど我慢して、打つキーを指に無理強いしていれば、ある日突然、そこから先にすばらしい世界が開けるはずだ)
 一般的に「ピッチの狭いキーは打ち難い」とよく言われる。これは事実なのだが、では何故か。あまりきちんと理由を説明した文にお目にかかったことがないので、ここで筆者の経験に基づく持論を述べる。キーボードの例
 打ち易いキーピッチと打ち難いキーピッチの境目はどこにあるかと言えば、並んだキーの上に指を揃えて置いたとき、いわゆるホームポジション状態で指と指の間に隙間があるかどうかで決まる。僅かでも余裕があれば問題はない。キーボードごとのピッチの違いは最初は多少違和感を感じるものの、すぐに慣れることが出来る。むしろコンパクトなキーボードの方が指の動きが少なくて済み、却って楽な位だ。
 これがもう少し狭くなって打つ時に指どうしが擦れるようになると、途端にストレスを感じるようになる。筆者にとっては丁度旧型のリブレットがこれに相当する。確かに慣れればタッチタイピングは「可能」なのだが、指が擦れ合う限りストレスは付いて回る。そして更にピッチが狭くなると、ホームポジションに指を置くことが出来なくなり、配列の如何にかかわらずタッチタイピングはほぼ不可能になる。ここで言うタッチタイピングとは、ただ単にキーを見ずに打てることではなく、両手でストレス無くキーを連打できるという意味である。WindowsCEマシンのカシオペアがこれに相当する。手首を浮かせて指を一本ずつ下ろせばタッチタイピングの真似事くらいは出来るが、快適な文章入力環境とはとても言えない。ここまで来るといっそ更に筐体を縮めてPDA(電子手帳のこと)のHP200LXの様に手のひらサイズにしてくれた方が、両手親指でタイプするときに指がキーボードの中央まで届き易くなって快適である。
 上記の内容で判るとおり各人の指の太さによって打ち易いキーピッチの下限は一義的に決まり、好み以前の要素が厳然と存在する。普遍的な、何ミリとかいう特定の数字がある訳でもない。ちなみに余談を許していただければ、NECのモバイルギアの外形寸法はキーボードで決まっているが、あのサイズは画面寸法とのバランスも含めて少なくとも筆者にとっては意味無く大き過ぎる。横幅をジャストA5サイズまで縮めてもタイピングには問題無い筈である。

キーの配列

 キー配列のうち文字キーに関しては、多くの実例がある通り慣れてしまえばおしまいである。入力効率にさして差異はない。これは幾種類かある配列のどれもがそれぞれなんらかの合理性を備えていることと、所詮ある文章を入力するための打鍵数に何倍もの開きはないからである。 多くのパソコンユーザはJIS配列(日本で普通に売っているパソコンのキーボードの配列)のアルファベットにまず慣れてしまい、ローマ字で日本語入力を行う。そしてある程度キーボードを見ずに(キーを探さずに)打てるようになった状態でそこに安住する。実はその上で仮名入力を習得すれば更に1.5倍程度の速度向上が見込める(打鍵数は約2/3)が、そこまでの努力を厭わない者は少ない(筆者も何度か習得を試みたが未だ身に付かない)。一方ワープロ専用機から入ったユーザは仮名入力で使用する傾向がある様である。考えてみれば不思議なことだ。更にキーボードを換えてOASYS配列(正式にはニコラ配列?)で入力する等まで実施すれば更に入力速度の向上が見込めるが、一般性との兼ね合いで難しい所である。
DVORAK配列でローマ字入力は効率がいいかは不明。TRONキーボードは、筆者が個人的には使ってみたいと思っているのだが、現在購入不可能のようなので言及しなかった。それ以外のキーボードについてはさらにマイナーすぎて実用範囲外であると判断し、やはり言及しなかった。ユーザー、およびファン、シンパの方がこれをお読みになっているとすれば申し訳ない。

2.3 仮名漢字変換
仮名漢字変換キー

 先のキーボードに対する要求事項とも関連するが、通常はまずまず合理的な配置に落ち着いているものの、一部パソコンの仮名漢字変換ドライバソフトで、とんでもなく不合理で使いにくいキー配置の物があり、いつまでたっても慣れることができず、辟易することがある。頻繁に使うキーが遠い、配置が合理的/直観的でない、等が原因である(お前のせいだよ→OADG(DOS/V)配列!)。
 ただパソコンの場合は大抵、ドライバソフトの設定でキー割付けを変更できるようになっていたり、第三者が提供する対策ソフトが別途出回っていたりして、手の施しようもある。筆者も変換起動キーを右親指ですぐ叩けるところに割り付け直している。面白いのは仮名漢字変換用のキーを持たない海外仕様の機械でも、ローマ字入力とスペースキー.矢印キー等を組み合わせて何ら不自由なく日本語入力が行えてしまう事である。変換専用キーって一体何の為に在るのだろうか。余談だが、濃いユーザの中にはキートップに仮名刻印の無い英語キーボードで仮名タッチタイピングをしている強者も居ると聞いた。
 さてここでひとつ配慮が必要なのが、一般の機械との間における使い勝手の互換性である。自分の機械のキー配置をカスタマイズしまくって最高の環境を追求するのは良いが、何かの都合で他所へ行った時にそこの機械を使おうとしていきなり石にならないために、多少の不便さは我慢して自分の環境にある程度は一般的な環境と共通性を持たせる、あるいは自分がどちらの環境も使えるように慣れておく、等を心がけたほうが良いだろう。
 ワープロ専用機の場合は、カスタマイズこそ出来ないものの変換に必要なキーが専用で設けられ、それぞれの機種ごとにそこそこ快適な日本語入力環境が実現されている。パソコン側に取り入れて欲しかった点も多く見受けられる(現規格のキーボードがこれだけ出回ってしまった今となっては既に手後れだが)。

仮名漢字変換機能

 読みを入力して漢字仮名混じり文に変換する機能の善し悪しについては、実のところ満足できる環境は少ない。
 パソコンやDOSベースのPDAでは筆者も結構色々な仮名漢字変換ドライバソフトを試した。その中では今の所、他でも聞く評判どおり、ATOKがDOS版.Windows版を問わずやはり使いやすい。レスポンスと変換効率共に頭一つ抜きんでている感じである。筆者はユーザではないがMacの世界でもおそらく似たような状況なのではないかと思う。かつて他のドライバソフトを使っていた時には多大な時間とエネルギーを割いて辞書を鍛えた事もあったが、どうやらそれでは越えられない壁があるようだ。
 ワープロ専用機では苦い思い出がある。以前知人からオアシスポケット3を譲ってもらった時の事だ。こいつは今で言うモバイルギアと類似の横長のデザインでサイズは一回り小さく、電源は単三2本で連続使用8時間、筆者としてはかなり理想に近い文章入力環境を手に入れたと当初は喜んだものだ。機能的にはその当時の普通のOASYSそのものという感じで、特にワープロとして不足があった訳ではなく実用的に文章作成が可能だった。そう言えば翻訳家の大森望がこれで文庫本を一冊訳したとどこかで書いていたっけ。
 ところが、他のOASYSがどうかは知らないのだが、オアポケは仮名漢字変換がかなり馬鹿だったのだ。明らかに辞書の語彙不足を感じる。それだけでなく、変換の学習容量も不足している。しばらく使っているだけで、使いはじめ辺りで入力したパターンを忘れてくれるのには参った。
 馬鹿な辞書を補うため、変換時に何かと操作が増える傾向にあったが、これがまた煩わしかった。通常の仮名漢字変換システムには当たり前のように備わっている変換の取り消しや単語の切り直しが、不可能もしくは非常に困難なのだ。
 だが気に入らないからといって、パソコンじゃあるまいし、仮名漢字変換ドライバソフトを入れ替える訳にもいかない。結局埃をかぶる事になってしまった。

2.4 ディスプレイ

 短い電子メールのやり取りなどでは問題にならないが、推敲しつつ長文を編集するとなると、ある程度の長さの文脈が俯瞰できるような表示文字数が必要になる。ただしそれがどの程度のものかは人によって差があるようだ。
 筆者はワープロを導入する以前から、原稿用紙に書き散らした文章を短冊状に切り離し、取捨選択と並べなおしを行って作文の下書きにした事もある程の編集指向である。広い画面=出来るだけ多くの表示文字をずっと求め続けてきた。その為にはどんなに小さな字でも、たとえ略字でさえ厭わなかった。あまり眼の為に良い傾向ではない。
 逆に、知り合いにも何人か居るが、昔から原稿用紙をほとんど無駄にすることなく一気に長文を書き上げていたような人は、そこまで広い画面を必要とはせず、とりあえず入力中の一文が見えていれば事は足りる様である。
 言うまでもなく画面サイズと携帯性は相反する要因である。何処で妥協するかがポイントだが、先に述べたように、これも個人的な要素で左右される。長文の編集で一般的にぎりぎり実用になる表示能力の下限としては、一行当たり全角40字、一画面12行程度(画素数に直すと、640×200程度)であろう。これでも筆者にとってはかなり不足気味であるが。
 キーボードの項でも触れたHP200LXの偉大な所は、あの小さな筐体でこの表示能力を実現しているところである。一般的に同等サイズのPDAは押し並べて表示画素数がこれの半分以下しかなく、他機種に対して筆者が最も不満に感じている部分である。(まあPDAに長文作成能力を求める奴は普通居ないので、これは筆者の無い物ねだりである事は承知している)
 画面面積そのものはそれほど重要ではない。確かに大きめの方が楽ではあるが、これは慣れの要素が大きい。ドットピッチは狭くても構わないから、液晶画面は表示画素数が命である。
 ブラウン管を使ったデスクトップのモニタだとこうはいかない。例えどんなに高画素な表示仕様のパソコンでも、ブラウン管の品質如何では画面がボケてしまって意味をなさない(安物セット売りパソコンのモニタが最悪)。だが、液晶画面ならばは目を凝らせば必ず1ドットずつ明瞭に見えるのだ。
 最近サブノートパソコンでもXGA解像度の画面(1024×768)を持った機種が出回るようになった。かなり高価ではあるが、それだけの価値は有ると筆者は思っている。「あんな小さな字なんて実用にならない」とお考えの向きは、本当にそうか、一度じっくり確かめてみて頂きたい。

2.5 外出時の通信について

 執筆した文章を転送するための通信環境も重要なポイントである。締め切り間際で外出先からの滑り込み入稿、コンベンション会場からネット上にリアルタイムでレポートをアップ、おまけにその日参加する宴会の場所をBBSで確認、と携帯通信機能が必要とされる場面は多い。
 最近は携帯電話等が以前には考えられなかった位普及した。従来はモデムからモジュラーケーブルを引っ張り出して公衆電話に繋ぐしかなかったのに比べると、何とも便利になったものだ。喫茶店や駅の待合室、休憩所で腰を落ち着けてゆっくりアクセスできる。もう公衆電話アクセスには戻れない。
 旅先の宿から通信したい場合でも、部屋の電話に繋ぐより簡便で確実である。PHSならば電話料金もほとんど変わらないはずだ。数人で泊る時など、宿代に通信費が乗ってきて清算時に煩わしく感じることもない。
 現在出回っている通話端末はほとんどがデータ通信対応になったようで、それらを使用すれば特に問題無く接続できる(アダプタは必要だが)。対する編集機器側も、PCカードスロットのあるノートパソコンは勿論のこと、現在販売されているワープロ、PDAのほとんども携帯電話系を使った通信に対応している。特に最近の機種は初めからのインターフェースを内蔵しているものが多い。非対応機種の場合でも、転送速度は遅いが、モデムと通話端末を繋いでいわゆる見做し音声方式での通信が可能である、らしい(と言うのは筆者はこれを試みたことがないので)。通話エリアの問題はあるにしても、ことインフラに関しては現時点で整備はほぼ完了していると言える。
 さらに自宅でも、普段使っている電話回線による通信環境に何らかのトラブルが発生した時に非常手段として使える。
 筆者の知る範囲では、現在携帯電話等を所有していても通信に使用している方は案外少ないようである。しかし以上のような理由により、とりあえず常用するかどうかは別にして、お手持ちの通話端末で回線と接続する手段を確保しておく事をお勧めする。
 複数の機種を使用した経験が無いため実際に接続する際の各種ノウハウに関して筆者はさほど持ち合わせがないが、最近モバイルは流行りらしく関連書籍も豊富に出回っているため、実際に導入される際にはそれらを参照されたい。
 ちなみに筆者はと言うと、PHSと接続アダプタが一枚のPCカードになったオールインワンタイプの端末を愛用している。カードを挿すだけで他に何も要らないのと、事業者がDDIポケットで相手が通常回線用のアクセスポイントでも普通のモデムとして機能する(α‐dataモード)ので、極めて便利である。ヘッドセットと付属のソフトを使えば通話もできる。それに安価。
 ただしカードにはバッテリも操作系も載っておらず、パソコンに挿し電源を入れっぱなしにしてソフトを立ち上げておかないと待ち受けが出来ない。だがそんな事をしたらバッテリが速攻で干上がるため、事実上不可能。つまり『携帯できる電話』としての機能は半分しかないことになる。この辺が痛し痒し。

3.執筆事例(筆者の場合)使用機種一覧

3.1 使用機種

 現在、筆者が外出先で文章作成に使用しているのはNECの文豪ARDATA(CA‐2000T)とヒューレット.パッカードの200LXの二台である。
 前にも少し触れたHP200LXはDOSベースの定番PDAである。データメディアはフラッシュメモリカード。発売時期は旧いが強豪ひしめく現在でも非常に使える代物である。人外協でも多くの隊員が購入してそれぞれ非常に有効に活用されたようだ。筆者のところでは今でも手帳として現役である。しかし本機のPDAとしての優秀性を述べる事は本稿の目的から外れる。
 眼鏡のハードケースを一回り大きくした程度の素っ気無い樹脂製筐体を開くと、例のキーボードとディスプレイが現れる。
 本機のキーボードは両手で本体を支え、二本の親指でキーを押すアクションが特徴的である。キーのピッチとサイズ、それにとりわけ重さ(反力)は絶妙に設定されている。あれより軽いと親指で触ってしまった時にタイプミスになってしまい、使い難いのだ。
 ディスプレイもPDAとしては画素数が多く、同サイズの他機種よりも長文の閲覧と作成に向いているのは先にも書いた通りだ。ネットからダウンロードしたテキストを放り込んでおいて文庫本代わりに読んだり、書きかけの原稿を入れておいて、何か良い言い回しが浮かんだときにそれをその場で書き込んだりと、テキストを扱うのにこれ程向いたPDAも他に無い。筆者が未だに他のPDAに乗り換えられないのも正にこれが原因である。これでもうほんの少しサイズが小さければ…。
 文豪ARDATAを端的に表わすと、「単三電池で長時間稼働するA5サイズの『文豪』(ワープロ専用機)」という事になる。実勢価格は7万円ほど。現在の文章作成のメインはこちらである。この文章も大半は本機で書いている。
 普段使っているパソコンと環境は違うし、専用機なので融通は利かないしで、ワープロと聞いただけで毛嫌いする向きもあろう。だがこの機械には今のところ余機を以て代えがたいものがあるのだ。
 本当にA4の紙を二つ折りにした大きさしかない筐体は、同じNECのモバイルギアより更に幅が狭い。厚みも20ミリそこそこしか無く、鞄のなかで場所も取らない。単三アルカリ電池4本で60時間持つ(カタログ値)ので、電源を気にする必要はほとんどない。もし電池が切れてもコンビニでスペアを買えば済む。
 ところが一旦蓋を開けると、結構な広さの画面(画素数は640×480)とそこそこゆとりのあるキーボードが目の前に広がる。感覚的にいつも原稿用紙を持ち歩いているようなものである。しかもこの原稿用紙はタッチタイピングで文章を打ち込んで編集できる。かなり快適な作文環境を実現していると言える。
 成りは小さくとも現行生産の『文豪』、民生市場で競争に揉まれている専用機だけあって買ってきたそのままで文章作成に不自由はない(買ってきた状態からいじる手段が無いとも言う)。キーボードはピッチが多少狭めで却ってタッチタイピングに好適。適度な反力とクリック感を持つ。性能的にも、編集操作の反応などはちょっと遅めだが、入力はちゃんと指についてくる。仮名漢字変換も高速で不自然な動作や違和感はない。下手なパソコン用の日本語入力環境より却って快適で効率がいい位である(オアポケとはえらい違いだ)。本機で会議の議事録を取ってみた事があるが、自分も話に参加しつつ充分記録が取れた。
 文書ファイルのやり取りに関しては、添付の外付けドライブでフロッピーディスクを読み書きするようになっている。それに加えて本体にあるPCカードスロットで、フラッシュメモリカードとメーカ指定のモデムが使える。フロッピーやカードにDOSフォーマットで書かれたテキストファイルをそのまま扱える。
 とは言えしかし、ARDATAも所詮は文豪=Aワープロ専用機である事に由来する不便な点は多々ある。フラッシュメモリに対して文書のテキスト保存と呼び出し以外何も出来ないとか、その保存と呼び出しにしても我慢の限界に抵触する位遅いとか、本体内蔵のオマケ機能に国語辞典はあるのに和英辞書は無いだとてめえ何考えてんだいったい的な部分とか。
 結局、所詮これも我慢しながら使っているのだ。筐体のサイズとキーボードと画面面積、それに電池の持ちが今のままで、WindowsCEマシンにでもなってくれたらどんなに有り難いか。
 最近、追加規格でWindowsCEのサポートする画面解像度が拡張され、それに対応した、サブノートパソコンと見間違えそうなCEマシンが数機種発売された。シャープのモデルなど本機とほとんど同一のサイズである。しかしながらそれらは例外なく、リチウムイオンバッテリを使ったバックライト付カラー表示仕様、となっている。NECにはかつてのモバイルギアの時のように、豪華絢爛カラー仕様と質実剛健モノクロ仕様を同時発売して欲しかったのだが…。

3.2 執筆状況

 筆者は今、何か文章を書く必要が生じると(例えば今のような時だ)、鞄のなかにARDATAを放り込み、書き上げるまでそのまま持ち歩く。
 書きかけの文章のテキストファイルを、普段はポケットの中の200LXに挿したフラッシュメモリカードに入れておく。朝の通勤時の混雑した車中では、さすがにA5サイズでも広げるのは憚られるので、200LX上のDOSソフト、Vzエディタでちまちまと作文する。
 で、会社の昼休みや、帰宅途中に駅の待合室で十数分の時間が出来た時、おもむろに200LXからカードを引き抜いてARDATAに挿し、まとまった量の文章の執筆に勤しむのである。あるいは休日、気が向いた時は喫茶店へふらりと入り、じっくり呻吟しても良い。書き終われば文書を保存して再びカードを200LXに戻す。こうしてファイルはDOSフォーマット状態でカード内に一元管理される。
 ARDATA単独でも別に問題はない。本体内蔵の2Mのメモリに書きかけの文書を入れっ放しにすれば、電源ONでそのまま続きが書き始められる。
 その上あろう事か、筆者はたとえ自宅に居る時でも、パソコンからファイルを持って来て好んでこいつを使うほどである。茶の間だろうが書斎だろうが寝室だろうがどこでも場所を選ばず、コンセントにも繋がずに文章を書ける点、きわめて高い開放感が得られるが故である。
 原稿執筆も最終的な仕上げ段階に入ると、全文の整合を取るのはさすがにARDATAの画面でも狭く感じるので、パソコンの画面上でエディタのウィンドウを何枚も開いてマウスでの切り張り作業に移る。そして最後は大き目のフォントで縦書きプリントアウトして赤ペンでチェック。しかしこの仕上げ作業は長くても二〜三日程度で終了する。それ以前の長い長い期間、いくつも書き溜めた文章の種は先に書いた機械の中で持ち歩かれつつ暖められるのである。
 通信に関しては今まで、使っていたPHSカードが前述の機器に対応していなかった事と、メールの一元管理をしたかった事、昔からの環境を変えるのが億劫だった事などから、自宅で通信端末として使っているサブノートパソコンを必要時に別途持ち歩いていた。
 アクセスする時だけ起動してデータはその場でカードに移し、後は執筆環境に持ち込むため、パソコンと言えども電池の持ち等に不都合は無かったが、しかしやはり機能の重複する多くの機械を持って歩くのは馬鹿馬鹿し過ぎる。
 そこで先日、ついにPHSカードをPDA対応機種に買い換えた。これを機に鞄をダイエットすべく通信環境の再構築を検討中である。

4.おわりに

 以上、長々しい文章にお付き合い頂き、感謝する。如何だったであろうか。もし読者にとって何らかの参考になったのなら、自分としては望外の幸せである。
 ところで、以上の内容は1999年4月の時点のものであるが、ご承知の通りこの業界は秒進分歩である。技術革新にによってその時点でベストと考えられる作業環境は常に変化し続けている。現に本記事執筆中にもWindowsCE版ATOKの発売がアナウンスされている。
 更には、結構なハードウェア性能を要求するが、そろそろ実用的な音声認識による文章入力がパソコン+市販ソフトレベルで使えるようになってきたようだ。ライターが口述筆記をこれで行っているという雑誌記事も目にした。そのうち携帯機器側の性能が上がれば、キーボードのさまざまな特質の違いに頭を悩ませることの無い、究極の日本語入力手段を手にする事が出来るかも知れない(ただし人前でこれを実行するのはちょっと抵抗があるが)。
 いずれにせよ、本稿の内容が一瞬で古びてしまう可能性は充分に有る点、ご了承願いたい。ともあれ、その時は今以上に使える道具が手に入る状況になっている訳で、それはそれで喜ばしいことである。




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