山城へのお誘い

伊藤[書籍小包]俊治

  世の中には色々変わった人たちがいる。昔なら、そんな人たちの多くは「地下に潜伏」していた。なかなか仲間が見つからないからだ。
 SFファンだってそうだった、特に地方では。ところがインターネットが普及してくると「仲間」を見つけるのが簡単になる。
 さらに、ネットで「濃い」ページを見つけて、それにハマり、今まで気付かなかった自分の中の「濃い」部分に気付かされることだってある。私がそうだ。
 私が最近ハマった仲間は「お城ファン」という人々。例えばこんな人たちだ。
 ・・・職場で趣味のお城の話を延々として変人扱いされる。彼女(彼)に趣味のお城の話をするのをためらっている。かつてそれが原因でふられたことがあるからだ。本屋では「歴史」「郷土史」のコーナーを素通りできない。 友人が「歴史」関係の事で間違った発言をすると訂正せずにはいられない。例えば「川中島で戦ったのって義経と毛利元就だっけ?」とかいう発言があると、思わず立ち上がってしまう。例えデートの最中でも、「城跡」っていう標識をみると行かずにはいられない。あんまり人の読んでないような本をいっぱい持っていて、しかも読んでいる。昨日の夜のTVに出てきたお城の考証の間違いについて、翌日誰かに言わないと仕事が手に付かない・・・。
 ここに登場する「城」という単語を「SF」に置き換えて、あるいは「歴史」という単語を「科学」に置き換えて読んで見ると、どこかで見たような気がしないだろうか? そう、「お城マニア」と「SFファン」ってどこか似ているのである。まあ、マニアと言うものは何の種類でも似ているのかも知れないけれど。
 他にも共通点がある。

 ということで、私は今お城、それも中世山城にハマっている。
 では、「お城にハマる」ってどんな事なのだろうか。簡単に言えば次の過程を繰り返すことである。

  1.  資料や古本をひっくり返して聞いたことのないような城がどの山にあったかを探す。
  2.  聞いたこともないような名前の駅で降りる、あるいは周囲2Km四方に人間が自分を入れて2.5人くらいしかいないような場所に車を乗り入れる。
  3. 歩く、登る、かき分ける。(30〜120分)
  4. 城跡らしきところにたどり着く。
  5. クマ、スズメバチ、マムシ、不注意なハンターはこの世にいないことにする。
  6. 堀を降りる、堀を登る、石垣や土塁を登る、薮に突入する。
  7. 瓦の破片を拾って喜ぶ。
  8. 写真を撮る。
  9. 歩く、登る、降りる、かき分ける。(30〜120分)
  10. 「どこへ行って来たらそんなに泥だらけになるの」と言う目で見られながら電車に乗る、あるいは車の中を泥だらけにする。
  11. 帰る途中で古本屋を発見し、大量の古本を買い込む。
  12. 家族に嫌がられる、あるいは大量の洗濯をする。
  13. オフ会で写真を見せながら苦労話をする。
  14. (1)に戻って繰り返し。
  15. 更に「濃い」人々は、「縄張り図」を作製する。

 縄張り図というのは城の構造をトポロジカルに表現したもの、つまり本丸と二の丸がどこでどのように繋がっているか、堀切(道を深い溝で分断して簡単には通れなくしたもの)や畝状竪堀(山の斜面にたくさん溝を掘って敵兵の移動を妨げるもの)や土塁といった防御施設がどんな風に配置されているか、を図面に起こしたものである。こういうと簡単そうだが、薮に覆われた城跡で巻き尺と磁石だけを使って一人で測量をするのは想像を絶するような苦労がある。
 ・・・どうだろうか? 楽しそうでしょう。
 かつては孤立しがちだったこういう人々も、今やインターネットのおかげで交流を楽しむことが出来るようになった。それに最近重要なのはゲームの存在だ。特に「信長の野望」シリーズの存在は大きい。お城めぐり、歴史趣味なんてのは、かつてはじいさん臭い趣味だったが、これで一気に若年層へ拡大し、「お城界」では「浸透と拡散」が始まったのである。
 さらにここ十年ほどは架空戦記ものの影響が無視できない。「信長の野望」で戦国時代に目覚め、架空戦記を読んで興味が拡大した人々が、インターネット時代を迎えて一気に趣味に走った・・・こうして今や「お城界」は、すそ野の方のミーハー戦国武将ファン・架空戦記ファン・ゲーマーの人から、ある意味「プロ」である郷土史家・研究者まで切れ目なくつながっているのである。
 また、こういうルートで、この世界に入ってきた人が増えたせいで「戦国時代研究」は文系学問の中でも電子化の進行が目立って速い。
 ただ残念ながら、日本のお城の大部分はただの里山である。興味のない人にとっては土塁など、ただ地面が盛り上がっているだけ、堀といっても地面がへこんでいるだけだ。たとえ石垣があっても姫路城みたいにキレイに残っていることは少ない。崩れかけた石垣など、不規則に石が積み重なっているようにしか見えないのである。しかも多くの場合、それら全てが薮に覆われていて何がなんだか分からない。
 そこでお城には興味も知識もないSFファン向きの山城を幾つか紹介しようと思う。

●鬼ノ城・・・岡山県総社市にある古代山城
 標高400mほどの山の山頂部を取り囲むように約3キロほどの土塁が取り囲む。実際には6〜7世紀(大化の改新くらいかな)くらいにつくられたらしいが、要所要所に高い石垣があり、まるで戦国時代の城のようである。現在は綺麗に整備され、門などが復元されている。
 いつ誰が何の目的で築城したのかよく分かっていない(ので新説のたてほうーだい)。
 伝説によるとその名の通り桃太郎伝説と関連があり、温羅という鬼が築いたそうである。近所の吉備津彦神社は京極夏彦氏の小説にも出てくる妖怪(?)「釜鳴り」で有名だが、この温羅を退治した吉備津彦(地元自治体によると桃太郎の原型)を祭っている。
 妖怪もの、古代日本ものファンタジーの好きな人必見。

竹田城●竹田城・・・兵庫県和田山町にある中世山城
 古城山という350mほどの山の山頂周辺をこれでもかというほど石垣で固めている。この遺構は、赤松広秀によって修築されたもので、戦国時代の山城と言うよりも、むしろ近世山城と言っていい。要するに建物部分が全て燃えて無くなった姫路城が小高い山の上にで〜んとのっかっているのである。
 登山道を登ると40分くらいかかるが、恐れることはない。本丸のすぐ下まで車でも行ける。天守台から見回すと有名なインカ帝国のマチュピチュ遺跡に似ているので「兵庫のマチュピチュ」と一部で呼ばれる。360度の眺望と石垣群はホントにすばらしい。
 小学生の時に超古代文明ものにハマった人、必見。

●安土城・・・滋賀県安土町にある、言わずと知れた某第六天魔王(笑)、中小企業の社長さんの人気ナンバーワン、信長の築いた城
 日本史上、最初に天守閣が作られた城として、最初に「見せる」ために作られた城(防御のことをあんまり考えず、見た目を重視している)としてその筋では有名。熱狂的なファンがいる。完成後わずか4年で燃えて無くなっちゃったので正確な姿は分からず、専門家、アマチュアを問わずみんなが勝手な想像図を作っている。なんでも信長からローマ法王へのプレゼントの中に安土城を書いた屏風絵があるそうで(未発見)、これが見つかってホントの姿が分かったら、人前に出て来れなくなる人続出のハズ。
 正確に言うと安土城は「山城」ではなく、「平山城」である。普通の山城は城跡のある山頂まで30〜40分くらいかかる結構高い山の上にある(大体標高300〜400mくらい)が、安土山は低い山で、山頂まで15分ほどしかかからない。でも山全体を石で作ったように、どこを見ても石垣、石垣、また石垣である。さすが信長。
 滋賀県知事が竹村さんだったころに復元計画が立てられ、「安土城全復元」という無謀な計画もあったが、アポロ計画並の金がかかることが分かってさすがに挫折。でも地道に整備が進められている。麓には元経企庁長官・堺屋太一氏監修になる復元天守閣(5〜7階部分)がたっており、600円もとって見物させている。さすが太一。
 「信長がもうちょっと長生きしてれば、私はもうちょっと幸せだったかも」とか思っている人(たくさんいるんだ、これが)や戦国時代もの架空戦記のファン必見。
 最後に山城じゃないけど、おまけで一つ「平城」(平地にある城)を。

和田岬砲台●和田岬砲台・・・これは幕末に各地の沿岸に作られた西洋式砲台の一つである
 和田岬砲台は神戸に作られたもので、星形の土塁(函館の五稜郭の小型版)で守られた中央に直径17m、高さ12mの円筒型の12個の砲眼の開いた石塔が立っている。かっこいい。ただ、現在は三菱造船神戸造船所の敷地内にあるので、事前に予約しないと見ることが出来ない。
 瀬戸内海沿岸にはこのような洋式砲台がたくさんあったらしい。東京湾にも巨大な洋式砲台があり、その跡がかの有名なおしゃれすぽっと「お台場」である。本気で攘夷をするつもりだったんだね〜、えらいぞ江戸時代。本気でやってれば今頃私も英語がぺらぺらだったかも。
 幕末系架空戦記ファン、必見。

 ・・・みなさん、山城に行ってみたくなったであろうか・・・。
 誰か今度一緒に奈良の高取城を「攻め」に行きませんかあ。

泉鏡花「天守物語」が好きです。




●一般研究編に戻る