宇宙探査艇トンナムレ9

橋本[猫枕]大輔

 警報とともに、照明が非常灯に切り替わった。CRTが真っ赤に染まる。メッセージウィンドウが次々に開き、観測結果、計算結果が積み重ねられていく。中には計算が追いつかないのか、生データをそのまま表示しているウィンドウまである。太陽系の俯瞰図が表示され、トンナムレ9の座標をフィックスして急速にズームしていく。やがて、CG表示された船体が現れた。火星に向けての初の有人探査宇宙船。「UN」と記された白い船体。わずか三人乗りの小型だが、ロールアウトしたばかりの最新鋭だった。ウィンドウの中の宇宙空間にグリッドが引かれ、雑多に数字がちりばめられる。トンナムレ9の未来軌道が白いラインで伸びていく。そしてそれは、アンノウンを表す四角のアイコンから伸びてくる赤いラインと衝突した。
 まるでゲームオーバーとでも表示するかのように、CRTの真ん中にメッセージが割り込んだ。三佐は目をむいた。

 警告! 本艇軌道上に小惑星──回避しますか(Y/N)

 三佐はうなり声をあげた。そっとコンソルに乗せていた両足を持ち上げる。Nキーはダイジョブだ。顔を上げ、「衝突まで」の時間を猛烈な勢いでカウントダウンしているウィンドウを忌々しげににらみつけた。数値は恐ろしい勢いで削られていく。んなディスプレイしてるヒマがあったら! 三佐は右手の人差し指を立てると、歯を食いしばってYキーを押し込んだ。「誰だ、こんなあほなOS積んだのは。」
 叫び声がした。「救難信号発信します!」二尉だ。言いながらもキーボードをじゃかじゃか叩いている。許可を求めてるのではなくて、チェックリスト通りの事後報告だ。
「やれ」三佐は自分のコンソルに顔をうずめたまま叫び返した。弱々しいGが彼をシートに押しつけ始めた。とても我慢できなくて、右手で一杯に引いた姿勢制御用のサイドスティックを左手に持ち替え、右手をキーボードにのせる。窮屈だったが、左手でキーボードを叩くよりはましだった。船体に取り付けられたすべてのロケットモーターをかたっぱしから検索。つかまれ、とインカムに叫んで使えそうな奴を手当たり次第に点火する。そのたびに、スイッチボックスやCRTがぎしぎしと今にもコンソルから外れそうな音を立てる。Gが力強さを増す。
 CRTの表示が変化した。どうにか衝突は免れたようだった。照明が元に戻る。三佐はがっくりと力を抜いて、バックレストにもたれかかる。ロケットモーターの燃焼停止と元軌道への復帰を二尉に任せ、彼はインカムに手を添えた。「生きているか二佐。返事をしろ。」
 運悪くEVAで艇外に出ていた二佐の声が、切れ切れに入ってくる。
『なんとかな。……そんなことはいい。艇長、光学観測だ。あいつの絵を出してくれ。早く。』
 レーダーでの捕捉は続いていたから、光学映像はすぐに出た。CRTに、急速に遠ざかっていく小惑星が最大望遠で映し出される。ミサイルが欲しいな。三佐は口惜しくコンソルに拳を振り下ろした。目標が小さい上に地球を背負っているので、レーダーロックはすぐに外れる。
「艇長」気閘を抜けてきた二佐が唐突に言った。「地球外知性体の存在を信じたことは?」
「なんの話だ。」
「今の奴ですよ。ありゃ小惑星なんかじゃない。」
「赤外線センサに反応はなかったけど」二尉が口を挟んだ。
「見たんですよ、俺は」二佐は右席に滑り込むと、トンナムレ9を擦過した小惑星の映像を読み出して解析にかけた。「ガワに、何か書いてあった。」
「ホントか」三佐は共用のディスプレイに二佐の作業画面を呼び出した。
二尉が額を寄せて、そこに現われた小惑星を食い入るように見つめた。
「……うそ」
「ぷらすきゅうじゅういち?」
「そう読めそうですね。」
「この+は頭が左に跳ねてるように見えるな。小文字のfの鏡文字ってところだ。」
「1の下もすこし右に跳ねてますね。まあ、コレが何を意味しているかは判りませんが。」二佐は得意げに言った。「少なくとも自然の小惑星ではないでしょう。」
「地球製、かな?」
 三佐はそう口に出してみたが、自分でもその可能性は否定していた。彼らこそ初の有人太陽系探査船のクルーであり、彼ら三人より遠くに行った人間は、少なくとも地球人の中にはいないのだ。彼はそのことに気づいて呆然とした。「まさかね……お目にかかれるとは思ってもいなかった。」
「ははは……そうですね」二佐も力無く笑う。
「ちょっと待って!」二尉が顔を上げ、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。「もしかして……、やっぱり!」計算結果はすぐに出た。
「どした?」
 四角のアイコンから伸びていく赤い軌道は、地球を直撃していた。
「核爆発の数百倍?」二佐がウィンドウの表示を棒読みに読み上げる。
「あああああ」二尉が頭を抱えた。「帰るところがなくなっちゃう」
「人類も全滅……だ」二佐がコンソルに顔を突っ伏した。「生き残るのは、俺たち三人だけ。」
「そんなあ。一体どうすれば」
「いっそ、俺たちで作って増やすか?」
「ふざけないで」
「べつにふざけてるつもりは」
 不毛な漫才を始めた二人を尻目に、三佐はある一つの可能性に気付いていた。
 ──あれは、まさか……。
 二人の漫才はどんどんエスカレートしていった。極限状態で理性のタガが外れてしまったのか、普段の様子からは想像もできないほどの応酬だ。二人は両腕を振り回し、あらん限りの声で怒鳴りあっている。その光景に三佐は、運命というものを感じた。
 ──そうか、そうだったのか。
 その伝説は聞いたことがあった。根も葉もない噂だと思っていた。
 チャンスは一度しかない。一瞬の機を捉えなければ、西暦は終末を迎えるだろう。テキはなにしろアレなのだ。アレが落ちるということは、また地球のどこかで誰かがいらんことをしたのだ。だが昔取った杵柄。落研の最終兵器と言われたこの俺の二つ名にかけて、ここは抜かせはしない。彼は眼を閉じて深呼吸をする。ゆっくりと目を開く。そして右腕を伸ばしてゆっくりと手のひらを突き出した。
 それに応じるかのように、CRTの中で小惑星の軌道がずれだしていたが、誰もそのことに気付かなかった。ただ三佐だけは、そうなることを頭のどこかで理解していた。
 右斜め前のシートの二佐と、左斜め前に座る二尉は、突然あいだに差し出された艇長の腕に気付いて怒鳴るのをやめた。思わず二人して顔を見合わせる。腕をどうしたのか三佐に問いただそうとしたとき、それは起きたのだった。
 艇長が、手を引っ込めて、言った。
「がちょ〜ん」
 衝撃は間髪入れずにきた。完璧なタイミングだった。
 トンナムレ9の外壁はめくれあがり、吹き飛び、視界が白く濁って凍り付いた。
 意識を失う一瞬前、船体に衝突した小惑星の横腹が、裂けた装甲の隙間からちらりとのぞいた。

 「」と書いてあった。




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