あの娘の街まで何マイル?
あの娘は俺の婚約者
こんど帰れば結婚式
蜜月の夜をまちきれず
干し草納屋のあの夜に
あの娘の胸のあたたかさ
感じて眠る幸せを
思い出すたびさむい夜
けれどもうすぐ終わるこの戦
もうすぐ帰れるあの街へ
ああ、あの娘の街まで何マイル?
戻ってきた、最後の兵士はつぶやくようにうたった。
隊を指揮する者たちがそなえた、カリスマ性を帯びる声で。
天井のパイプから雫が落ちて、腕輪に刻まれた階級の上でながれた。
たぶん彼で、最初で最後になるのだろう。わたしには他の様子はわからないが、彼の言うには北のほうの戦線でもすべてが終わったというから。
「それは?」
わたしは唯一、女性らしさを残している長い髪をかきあげていった。
遮蔽物のない窓のそとから、冷たいこの星の風が吹いてきた。
髪が風に流れる。
雪になりそうな空だった。
「ただのはやり歌さ。遠い地球で昔むかしに流行った」
彼は死にかけていた。背中や両足に埋め込まれた生体を強化、バックアップするための装置も剥き出しになり、機能もしていないようだ。
小さな青いショートが剥き出しの機械から時々みえる。
わたしは戦争が終わってからずっと、この崩れかかった基地のなれの果てに住んでいた。この星で三番目の規模を誇っていたこの施設も、いまはただの廃虚だ。わたしはこの基地のオペレーターとして勤務していた。正確にはオペレーターの上に戦闘補助要員というのが付く、つまりオペレーターとしての『機能』のほかに戦闘も行えるというわけだ。だが、彼のように戦闘専用とは違うので『機能』はかなり劣る。
わたしも彼と同様、戦闘で身体の大部分を失い、動くこともままならなかったが、戦闘用にもつくられたおかげでこれまで生きてこれた。
『地球の沈黙』からは整備もろくにやっていなかったというのに。
「俺の友達がよくうたっていてな」
彼は横たわったまま、微かに眼をほそめ溜め息まじりにいった。
「奴も戦争が終わったら女と一緒に暮らすんだといっていた」
わたしは火に薪を投げ込んだ。パチパチと鳴る火のむこうに横たわる彼がこごえないように。
戦争は終わらなかった。
わたしたちは戦うことしか知らなかったのだから。
「その人は、……どうしました」
「死んだよ」
男は言った。
右腕にもっている薪がこきざみにふるえているのがわかる。中身のない左の袖とズボンが冷たい風に舞う。わたしは最後の戦闘で左腕と両足を失っていた。
彼は首をめぐらせ、暗視界モードの赤い瞳をこちらへむけた。
「一瞬だった。俺のとなりで、ちょっと立ち上がったとたん熱線銃に撃たれて蒸発しちまった」
「苦しまずに、死んだんですか」
「ああ、それがせめてもの救いだな」
彼は火に眼をうつして黙った。
わたしも黙って火を見つめていた。
どれくらい、たったのだろうか、窓に雪がちらつきはじめたころ、彼はふたたび口を開いた。
「ここも、ただの廃虚になっちまったなぁ」
「……」
「俺たちが五年前ここを出たときはスゲー装備ばかりだったのに」
「……ここは、もう、三年も前にやられました」
そう、あの日、敵は使用禁止になっていた電磁兵器を使った。
バックアップにコンピューターを埋め込まれていたオペレーター達は同調していたメインコンピューター諸共、瞬時に発狂した。それらの発狂により指揮系統は混乱、兵士達はパニックに陥った。
分野ごとに分けて作られる兵士達は専門外のことはなに一つ出来なかった。とくに作戦の立案、実行などは微妙なところまでコンピューターによって設定されている。戦闘のみに作られた兵士達はなすすべもなく敵のえじきになった。
それでも生き残りの対電磁パルス装備のあった兵士は必死で戦った。しかし、地球からの指示がなくなって、いつかは使われると予想されていたとはいえ、プロトタイプのわたしたちすら底のつきかけた寄せ集めの部品で手術を受けたのだ。戦闘仕様の兵士たちは一中隊にも満たなかった。
激しい銃撃と爆撃で吹き飛ばされたわたしはバックアップ・コンピューターの判断で、機能不能になった両足と左腕を付け根のジョイントで切り離した。そして、わたしは仲間の一人にシェルターに運ばれた。
シェルターはゴミ溜めだった。
そこにいた仲間は、電磁兵器と敵兵たちの手によって中枢神経を焼かれている者ばかりだった。わたしたちもそうしたように敵も指から発する高電圧で容赦なくとどめを刺した。絶縁状態がきわめて悪く中枢に近い延髄に。それで兵士は死なないまでも四肢を完全に動かせなくなるか、または発狂した。
わたしは仲間を、発狂してみずからを傷つける仲間を、死なせてやった。
もしかしたらわたしも狂っていたのかも知れない。
戦闘を重ねるたびにそれはひどくなっていたのではないだろうか。
「いくら対核用の装備がある砲台でも使う奴が狂っちまえばね」
彼はちょっと皮肉っぽく笑った。
「それで、生き残ったのは少尉だけ? 他にはもう……」
「もう、誰も」
「一人も?」
「はい、わたしが生き残ったのも奇跡みたいなものですから」
「そうか……」
彼は瞳を閉じた。
「俺たちの部隊ももうメチャクチャだったよ。敵も味方も、エネルギーのなくなるまで銃を撃ちまくって、エネルギーがなくなると今度は素手で戦った」
苦しそうに首をふる。
「腕を吹き飛ばされた部下が、ショックで発狂してな。敵の死体の腕をもぎとって自分の身体につなごうとしたんだ。とたんにショートさ」
ぱっ、と両手をひらく。
「戦闘用の高出力でドカン」
叫びと、血とオイルのにおいが蘇ってくる。
そして狂気。
残った腕でたたきつぶした仲間の美しい朱色に染まる脳組織。シェルターの白い壁に飛び散った赤い血。
彼等をすくう方法をわたしはそれしか知らなかった。そしてそれを実行した自分を思い出したくなかった。
ふう、と彼は息をついた。
「こいつに仕込まれた戦闘システムはコワイものだな」
コンコンと頭の横をたたく。
「敵のエネルギー反応のなくなるまで戦い続ける。泥まみれで気が付いたら俺は一人になっていた。両腕には指がくいこんだ敵の頭があったよ」
何を言うべきなのか、わたしにはわからなかった。自分たちが生き残るには敵を殺さねばならず。何よりも戦いに勝つために、わたしたちを生かしているシステムは存在していたのだから。
「どうして、俺たちはたたかっていたんだろな」
「えっ」
わたしは彼のことばにとまどってしまった。それを考えることだけでも、わたしたち戦う者にはタブーなのだ。
「驚くことはないだろう。俺たち兵隊は誰でも一度は疑問におもうことだ。皆おもてには出さないが」
「ええ、そう…ですね」
否定はしなかった。わたしは何度それをつぶやいたことだろう、あの人の胸の中で。それに、その事をいま口にしたとしてもわたしを彼を罰する者はもういない。わたしは微笑んだ。
だろ、というふうに彼も笑い、眼を閉じた。喋りつかれたのだろう。
戦争がはじまったのは、わたしが生まれるずっと前のことだった。それより少し前まではどこの国も大きなおおきな核兵器の荷物をかかえてほとんど身動きがとれなくなっていた。それを変えたのが遺伝子工学によるヒトの兵器への進化だった。そしてその毒がその星の身体中にまわったころ、人々はひさしぶりのゲームを再開した。
軍部では次々に生体兵器の開発をおこなった。人は余っていた。
わたしの先々世代から人と機械を組み合わせた兵士達がうまれ、経済状態の悪化で貧困にあえぐ人々は自分の子供を強制徴用させられ、みずからの糧を得た。
子供たちは全身に機械を埋めこまれ、培養強化された新たな組織と身体中を交換されて、次々に前線に送り出された。遺伝子情報の改良による赤血球、免疫抗体産生までもオリジナルとまったく違う子供たちはその時から人間ではなくなった。
それから、お偉方は地球をきれいなまま残そうといい、戦場を惑星開発に失敗し、計画が中断されたままの火星へとうつした。彼らにとって増えすぎた人口を減らし、超通信によるリアルタイムの戦争ゲームができるというわけだった。
戦争は人々を、じりじりといたぶりながら生殺しにしていった。
しかし、いつのまにか地球も月も沈黙していた。
そしてこの星では、地球のゲームボードでしかないこの火星では、戦うことしか知らない子供たちが、底をつきはじめた兵器で戦いをつづけていた。審判のいないゲームは使用を禁止されている兵器までも倉庫よりひきだした。
勝つ、それだけのために。
「これから、どうするんだ」
彼は眼を開き、わたしの方をみた。
「わたしの人のところへいきます」
彼は穏やかに笑った。瞳のひかりはだんだん暗くなっていく。
「あの夜、あなたを見つけた夜に、あの人の夢をみました。あの時、通信機のスイッチを入れなければ中佐の声も聞こえませんでした」
わたしの生き残った予備通信回路は三年前からあの人の部隊のものとしかシンクロしない。ノイズに埋もれる微かな声をあの夜、わたしは聞いた。
基地の側で彼は雪の中に倒れていた。
彼の身体からもれていた青い火は、死んでいった兵士の魂のようだった。
「奴に感謝しなくちゃな」
「そうですね」
バックアップ・コンピュ−タ−が、彼の体内温度が急激に冷えていくのをつげた。
キンッ。
腕輪が固い床とふれ合う。
「花火か……」
彼は揺れる腕輪を見て言った。そして、自分の右腕をあげる。その先は焼けただれ、手首から上がなかった。
俺はなくしちまった。と彼は笑う。
「見れなくて残念だ。戦場ではそいつに会うのがいちばん怖かったけど、とても奇麗だった。なんでかな、俺はすこしおかしくなっていたのかもしれない」
「……」
弱い光を反射して、それは鈍く光っていた。
「そういえばまだ助けてもらった礼をいってなかったな」
わたしは首をふる。
「いいえ、中佐。あなたは、あのひとを連れて帰ってくれました。お礼をいうのはわたしの方です」
彼は笑顔のまま敬礼をした。
「さよなら、まりあ。あんた奴がいってたとうり、いい女だな。いつも聞かされてたよ、君のことは」
制服の襟をとめ、彼に敬礼をかえした。
「奴がいったんだ、最後に。歌をもって行ってくれってな」
背筋をのばし、自分の感謝の気持ちをこめて。
「さよなら……。ありがとう中佐」
彼の死は、静かだった。
わたしは腕輪を手根骨のくぼみに顎で強くおしつけた。
数秒それをつづけると腕輪から伸びた二本の『針』が人工皮膚をつきやぶり骨の隙間を通って神経ワイヤに食い込む。外部メモリからのプログラムがバックアップ・コンピュータのエネルギー制御部へと流れだす。
腕輪のカバーを外すと液晶に数々のデータが表示されていた。
このプログラムは上官からの指示がないかぎり作動しないが、上官がいない今、判断はわたし個人にまかされたことになる。
戦闘はいつも、腕輪を神経ワイヤに接続しておこなわれていた。どんな気持ちだろうか、部下に死ねという時の上官たちは。でも彼等はためらわなかった。所詮、兵士たちは人間ではない。戦い、勝つために作られたのだから……。
わたしの身体の各部を流れ、保存していた重水は、腹部に流れ込んでふくらんでゆく。融合システムが胎児の脈動のように暴走をはじめる。
わたしにシンクロしたタイマーは数字をしずかにおとしていった。
瞳を閉じる。
風が髪を散らす。
しずかで安らかな夜だった。
ーなぜ、いままで待っていたのだろう。
スゥッと夜にすいこまれるように火がきえた。
それは、わたしが知っていたから。
二人でしか生きていられないのだと知っているから。
わたしは、敵の兵士を焼きつくすために作られた。
そう、そのために生まれてきたと教えられてきた。
でも今は、あの人と生きていくために、この世に生まれて来たのだということを知っている。
あの人は歌となって帰ってきてくれた。
「あの娘の街まで何マイル……」
母親が幼い時にくれた歌だった。
毎夜、あの人にうたってあげた歌だった。
窓の外には雪の平原がある。
いまはもう、なにも見えない。その下にある幾百もの死体も。
ああ、今宵の雪のなんと美しいことか。
わたしは自分がないていることに気がついた。おかしなことに、ほんものの左眼はまだ涙を流すことができるらしい。それとも雪が眼に入っただけか……。
「フフ……フフフ……」
愛しかった……この星のすべてが。
雪はふりつづいている。
ふりこむ雪の中、あの人がやさしく微笑み立っていた。わたしは右手をさしのべる。
「会いたかった……」
こんど帰れば結婚式
蜜月の夜をまちきれず
干し草納屋の……
わたしはなにを待っていたのだろうか
さむい夜を
なにを待ちつづけていたのだろうか
ただ一人で
あの人を温みを、すべてを感じるため
一人の夜は終わる。
……そして、歌が終わり、彼女の小さなちいさな花火は、廃虚と化した基地の建物をきれいに消しさった。
その跡も、雪ですぐに見えなくなった。