一般研究編に戻る−序−
一度目、二度目は、かわいいもんだった。
三度目で海は干上がった。
四度目は火星で。まだ、やってるのか？
そして、五度目で、すべて終わり。
六度目？ へえ、おまえ、まだ、やる気か？
もし、おまえがまだ、続ける気なら、
ごめんだね。
悪いけど。
俺は下りるよ。
−少年−
ザクッ。
砂にブーツが、めり込む。
−あれはいつのことだろうか。
砂漠を歩きながら、少年は思う。
杖がわりの銃が、変に邪魔に感じてきた。
いつも傍に微笑む少女がいた。あの少女が笑うのを見るのが、いちばん幸せだったあの頃。今となっては、すべてが夢だったような気がした。
少年は立ち止まり、背嚢をゆすり上げ、日焼けした顔で灼熱の火の玉を見上げると、眼を細めた。昼間は白い砂が少しずつ血の色に染まりつつある。
朱色の風が、少年が頭から被った日除けのボロ布をなびかせる。その下は支給された黒いタンクトップとカーキ色のデニム地のズボン、擦切れた合成皮革の軍用ブーツ。
−もう、戦争は、終わったのだろうか。
ここは、戦の星。海は砂漠となり、生き物はただそこを這うのみ。
砂漠の眩惑。砂の幻想。
人は、砂の楽浪へととりこまれ、死より帰らず。
もう、だれもいない。
ひとりきりなのに、少年は歩きつづける。すべてを失ってしまったのに、少年は歩きつづけた。
陽炎のつくる、まぼろし。そして、現実。
夢を見ながら歩を進め、たたきつける風と砂の痛みに目を覚ます。
現身と、空蝉。
繰り返し、くりかえし。
そして、少年は朱色の中に墓標のように浮び上がる街を認めた。
−街−
少年は、かつては整備され、防砂シールドに蔽わて、美しく輝いていた高層の建物の間を抜けていった。現在は略奪と破壊の醜い痕があった。その外れにある、スラム化した地区に入っていく。夕暮れの街は風の音しかしなかった。
ほんの二年前までは、このくらいの時間になると色々な血の混じったガイジン達がだいぶあやしくなりつつある色々な母国の言葉を喋りながら家の中の砂を掻き出し、共通語のスラングが飛び交い、スラム全体の廃墟に染みついた汗や生ゴミの匂いが鼻をつき、色とりどりのガキ共が走り回っていた。
少年もその中にいて、ここが、彼等の故郷だった。風と砂に風化していく廃墟には破壊の痕は無かった。ただ、人骨が散乱している。何も彼もが消毒されてしまった様だった。懐かしくもおぞましい臭いすら、乾燥した無味なものに変わってしまっていた。
この街を犯したのはIVＳ型のバクテリアだった。偏執的な殺人狂の学者が造
った巧みな遺伝子工学の産物は、その造り出された強力な増殖力と蛋白質の分解能力で、人を瞬く間に白骨にしてしまう。
少年が、攻撃の事を知ったのは、どうする事も出来ない、遠い戦場だった。
少年は、通りに面した廃ビルのひとつに近付き、その前に立つと息をついた。
廃ビルの中に入り、十数階分の階段を上がる。
二年振りに部屋のノブに手を掛けた。
朱いろの光りが溢れ出る。少年は眼を細めて、中へ入った。西向きの窓の夕日は、まだ、沈みきっていない。
少女は部屋にいた。
少女は少年を待っていた。
少年は背嚢を下ろし、身体からボロ布を外して床へ落とした。
ホコリが舞う。ホコリの粒子は、朱いろの光りを空間から切りとった。部屋の中央にまるいテーブルとふたつの椅子。ぼろぼろのテーブルクロスの上には、
二つのグラスとデキャンタ。部屋はあの時のままだった。少年が、赤道の戦線に出発する前日の夜の。少女は、あの夜から毎日々々、少年の帰りを待っていたに違いない。少女はウェイトレスの仕事から帰ると、いつものように食事を取り、少年が軍の酒保からくすねてきた、とっておきのブランデーを棚から出して、少年の帰るのを……。
白い少女はテーブルの側の椅子に、横顔を朱に染めながら、うつむいて眠っていた。
帰ってきた少年は、無表情に少女を見つめる。
不意に、その瞳から涙がおちた。
「まってて、くれたのか」
涙は、抑えられた感情の綻びから、流れ出た。
長い間、泣くことを忘れていた。
−ふふ、
少女はやさしく微笑む。
−ばかね、どうしたの、何を泣くの。当たり前の、こと……。
少年が少女の頬にふれると、少女の白い骨は椅子の上に静かに、崩れていった。朱の中にひざまづき、少女の頭を胸に抱いた。
少年はおえつをこらえきれず。涙を止めることが出来ず。
いつまでも泣いていた。
あの夜の事を少年は鮮明に思い出す。まだ、少年は十六、少女は十八だった。 Ｔシャツにショーツというシャワーを浴びたばかりの少女は、カン・ビールを片手に、少年の前で楽しそうに笑いながら云った。
「あなたはいつものように帰ってくるの。そして、わたしはいつものように食事の用意をして……」
少女はパァッと白い両腕を広げた。
「ふたりで、いつものように、また、ここで暮らすの」
少年はグラスの氷をカラカラならす。笑いながら。
「それじゃあ、俺はもう二、三本アルコールを仕入れてこなけりゃ。この酒はもう残ってないだろうから」
「だめよ！」
少女は、いきなり強く云った。
「……なんで？」
少年は、少女の何かを恐がるような表情に戸惑いながら云った。
そして、そんな少年に、少女は今までに見せたこともない、やさしく、哀しい笑顔を浮かべた。
「時間は今夜で止まるの。
このお酒もこのまま残ってる。続きはあしたの夜、わたしにはあなたが帰ってくるまで明日は、こない……」
そして、時は止まった。
少年は、震える少女の素肌の背中にキスをして部屋を出た。少女はいつものように眠っている。いつもの朝のように。だから、少年は、少女を起こさぬように部屋を出る。
起こさぬように、何も云わない。
時間は静かに、ゆるやかに動き始めた。
少年は、少女と、くちづけを交わす。ほとんど蒸発してしまって一杯分にもならない酒をグラスに移す。
「あなたのために」
少女の唇を酒でぬらし少年はそのグラスを一息にあおった。
手を放し、グラスが散った。窓からの、あかい光りが、よわく鳴る。床の上に、束の間の、ルビーのカケラ。
静かに足音。
ドアが閉じた。
−夜空−
廃ビルの非常階段は所々に骨が散乱していた。
少年は少女の頭を胸に抱いて、時たま背嚢を背負いなおしながら、かまわず硬いブーツで骨を踏み、砕き、階段を上がる。
行き着いたドアを開けると、空間には星が溢れていた。夜の空気は澄み切っていた。夜だけが変わっていなかった。
少年は、この街で捨てられた。親は、彼を生んだまま、いなくなった。
少年に親を恨む気はない。お陰で、少女に会えたのだから。
そっと抱きしめた。壊れてしまいそうな少女の身体。やわらかな唇。
きしむフェンスから吹き抜けてくる冷たい風が、少女の暖かさを、少年に思い出させる。
遠い夏夜。街の灯に消えかけた星を見ながら少女が云った。
戦争が明日にも始まりそうな気配の中。軍属一年目のまとまった休暇をもら
ﾒﾝﾂ
った少年と少女、そしていつもの仲間とのバカ騒ぎの後だった。
「なんで、戦争なんてあるのかしら。みんな死んでしまうっていうのがわかっているのに。神様はどうして、人間をほっておくのかしら」
少女は、汗ばんだＴシャツから伸びた腕をフェンスの上で組んで、白いおとがいを乗せる。スリムジーンズの足を交叉させて、素足に履いたサンダルでコンクリートをコンコン蹴る。
少年は、少女の隣で背中を錆びたフェンスにもたれて、カン・ビールを飲んでいた。チラリと少女の横顔を見る。
「神様は何も与えてはくれないよ。許してくれるんだ、すべての罪を。人は許してもらえるからこそ罪を悔やんでくるしみ、苦しみを越えてあらたなる物を手に入れる。平和もそう」
少年は自分でもわかるくらいに酔っていた。
「でも、もし神様がゆるしてくれなかったらどうするの」
「その時は……、そうだな、俺が許す。すべての罪は、俺が許すよ」
少女は顔をしかめて、少年の方を向く。
「それって、すごく傲慢じゃない？」
少年は笑い出した。
「どうした。なんか、弱気じゃない。こいつを叩き折った人が」
妙に白い自分の前歯をコンコン叩く。
少女は吹き出した。そして怒った顔をして、「それは、あなたが悪いんでしょう」と云うとまた笑いだした。少年のちょっとした浮気心に、少女の拳が飛んだのだった。荒んだ街で育てば、女の子とはいえ少女も喧嘩とは無縁ではない。その時、少年は見事にふっ飛んだ。
少女は笑いがおさまると一つ息をついた。そして、フェンスに両手をかけて、両手両足を伸し、首を後ろにそらす。風を全身にうける。Ｔシャツが風をはらみ、ベリィショートの髪がゆれる。気持ち良さそうに、瞳を閉じる。すっと伸びた肢体のラインが綺麗だと少年は思う。そして、いつもと違う少女に、少年は、ちょっと首を傾げた。
少女は頭を戻し、大きく澄んだ瞳を開いて前を見る。そして、何気ない口調で云う。
「ねえ、あと一年待ったら、ずっと一緒にいられるんだよね」
少女の瞳に、街の灯がうつっていた。
それだけが望み。ただ、それだけが……。
二年の軍役に就くと市民権が取れ、これまでよりもましな暮らしができた。
でも、一度、戦争が始まれば……？
−ああ、ああそうか。
少年は、微笑み、フェンスに左手を掛けて、深く腰を折ると右手のビールを屋上のコンクリートに置く。起きあがって隣の少女の腰を後ろから、やさしく抱きしめて、額を、少女の肩につける。
「……ああ」
振り返った少女の笑顔は、心にやきついたまま。
−二人−
今、少年は、汚れた姿でコンクリートに座り込んで云う。笑いながら。
「そうさ、これからはずっといっしょだよ」
少年は背嚢から白い端末ケースを取り出した。ケースの中には剥き出しの基盤と配線、組み込まれたキーボードとモニタ。雑に繋いでむりやり押し込んだ
無線機。基地には誰もいない。だが、メインＡＩは生きているはず。スイッチを入れて、幾つものコードを打ち込むと、モニタに文字がうきでる。
少年は、ほっと息をついた。
人が死んでしまっても、いつまでも生き続ける人の哀しい罪。
『モクヒョウヲ シテイシテクダサイ』
小さなモニタは問いかける。
少年のひびわれた指先がそれに答える。
『Ｊ−１０１ ＴＯＫＹＯ』
『イエス サー』
モニタがアウトし、数秒後、実行中、解除不能のサイン。
少年はケースをロックして下へ置く。
夜空を見上げ、瞳を閉じる。
透明な風が、少年を通って行く。
いつだって、少女のことを忘れたことはなかった。生き残り、帰ることだけを考えていた。たとえ、すべてが滅んでいるとわかっていても。
少年の想いを夜空がとりこむ。
海の砂漠に、飲まれていく巨大な都市に、かさなる小さな、ふたつの想い。
幸せだったあの頃。夜は、今から始まる。
傍らの少女が微笑んで、少年は、彼女の肩を抱く。
「おまえは、俺の帰る場所だ……」
少女に伝えられなかった、言葉。
はじめて出会った時から、伝えたかった、言葉。
赤くなる少年の頬に、少女はキス。
少女の微笑みは、それはそれは、幸せそうで……。
−おかえりなさい。そして、ただいま。
二人は、お互いの故郷へ。
星が一つ流れた。
ながれ星は死んだ街に降りそそぐ。
朱い光を伴って。
−了−
いつか、ビルのコンクリートの破片に、誰かが、見つけるのかも知れない。
少年と少女が、抱き合う影を。
それまで、二人の姿は、風と砂に削られていく。
少女の影が少年に問う。
少年の影が少女に問う。
二人はそれでいいのだ。
どんな形にせよ、二人は何にも、あてはまらぬ形なのだから。
何にも完成できなかった、形なのだから。