土肥[都樹の錬金術師]伸生
ホバーユニットが三時間前に動かなくなった。
コンプレッサが完全にイカれたようだった。
航空兵器が戦場から取除かれているこの星で、兵士に機動性を持たせるための標準装備品で走行補助具だ。頑丈で壊れないのが取柄みたいなものだったが、半年もろくに整備できない状態だったからこれでも良く持った方だった。部品の耐用期限もとうにきれていた。
D7は陽の光のあたらない岩場にすわりこんだ。銃をわきにたてかけて背嚢を降ろし、サンドレッドの戦闘服のポケットから丈夫そうなシガレットケースを取り出す。
クローニングによる火星産煙草をくわえる。小さな鉄板を指にはさみ、電圧を上げる。あかく焼けたところで煙草の先に火をつける。こんな酸化剤入りのクズみたいな煙草は兵士しか喫わないが、『喫う』、と言う行為自体が兵士達に精神的な影響があった。
D7の場合は精神安定剤だ。彼は子供のころから喫煙癖があり火星にも煙草があることを喜んだ口だった。
煙をくゆらしながら、どのくらい走ったのだろうと思う。だだっ広い平原だ。
「ふんっ」
腕の傷がピリッといたんだ。
体内部品の更新の時に治すことも出来たが、そのままにしてある。
痛みも、そのまま。
D7は役に立たなくなった、ふくらはぎのホバーユニットを外した。ふくらはぎから制御用ケーブルがズルリとのびる。掴み、ナイフで断ち切った。
ケーブルを中におさめると、足がすっと軽くなった。
ヘルメットも取った。ヘルメットの主要ブロックを外し、背嚢から出したゴーグルのわきに取り付ける。フェイスガードのディスプレイより情報量は減るが密閉されるヘルメットは、もう、うっとうしかった。
防塵マスクとゴーグルを首からつるした。
ヘルメットを放り投げた。
十歳の時に徴兵されて肉体強化措置のあとすぐに実戦に投入された。徴兵されるにしては、かなり歳をくっていたが、あれを徴兵といえるのか。スラムでかっぱらいで捕まってそのまま軍へ、そして、この惑星へ……。あのころの仲間は、もうだれもいなくなった。しかし、あの腐ったスラムで死ぬよりましだったろう。
同じ歳で入隊して、いつもとなりにいた奴がいたが、そいつは脳味噌をこんがり灼かれてすぐにくたばった。兵士は死ぬまぎわに、D7の腕に自分が存在したという印をつけた。あれから八年。いったい何人の兵士を殺したのでろうか。部品の規格の合わなくなるほど老いた兵士、脳をつめた戦車、これも殺人だろうか。識別票のない兵士はたとえ味方でも殺した。
そして、D7は一人だった。
敵も味方も今も、どうなっているのかしらない、気がついたら一人だった。
あれは、自殺行為だった。
『D7、二十人連れて敵の補給基地を襲ってもらいたい』
人間が、友人をお茶に招待したようだな。D7は司令官の笑顔を見て思う。
『補給基地?』
D7はムッとしたが感情は表に出さずに聞き返した。居候とはいえ、なれなれしく戦闘時コード呼び捨てにされたのが気にさわった。D7の隊が星のちょうど反対側にある母基地を離れて二年が経っていた。地球からの指示・連絡が跡絶えた時、一時的だったが、各基地コンピュータの混乱がおこった。混乱に乗じての戦闘は、ほぼ総力戦の様相を呈し、その結果兵員はどこでも不足した。ゲリラ戦を主とする彼等の部隊は移動中にその災難に遇い、母基地とも連絡が取れないまま、この基地に足止めをくっていた。
『そうだ、ビッグ・ワームを三台置いて、一ヵ月前からの物資の管理をしている基地だ』
無謀な作戦だった。
ビッグ・ワームは火星上で最も大きい地上輸送用車両だ。完全装備の兵員千五百人と戦闘車両を燃料と合わせて百二十台を一度に運べるくらいデカイので、機動性に欠ける。その為、重火器の装備も充実し警戒用のセンサ装備が正規の基地並みだった。それが三台並んだとなるとそれだけで形成される警戒のネットワークは半端でなくなる。
通常の隠蔽装備だと百キロ以内に近づいたあたりでもう発見されてしまうだろう。
何だってたった二十人でこんな補給基地を襲わなくてはならないのだ。
『無理です』
D7は気象衛星の情報漏れを拾った資料を机に放り投げた。地球の沈黙以来、軍コンピュータ・ネットワークはこんな情報を集めるに到っていた。
この資料を見る限り、補助コンピュータを働かせるまでもない。
資料には、十日に遡り、かなりの敵兵力が移動している事を示していた。それにまるで気がつかなかったというのもマヌケな話しだが、気が付いたのが、三日前に一大隊全滅したからだというのだから、もうマヌケとしかいいようがない。
『安心しろ、中佐。君達が成功したら、この戦い、我々は楽勝だ』
安心しろ、ね。確かに、数百キロを移動しながら戦闘を行なっている敵は、ここで補給を受けないとかなり苦しいだろうが……。
小さな笑いがD7の口許に浮かぶ。
とうとう、クィーンが俺たちの切り捨てにかかったか……。
最近になって、クィーンによる支配力の弱い兵士は、いつも、切り捨てられていた。
『それから、チームの中に花火師を一人、入れてもらう』
なに・、なんだって? D7は思わず表情を動かした。
『花火師ですって? それはいったい……』
『君の隊には三人いたな、ビオ少佐にいってもらう。後の二人には残ってもらうが』 『ビオを? 待って下さい。花火師達は基地に温存することになっていたはずですが』
『花火師の使用はクィーンの命令だ。それで作戦の成功率は上がる。出発は明後日の十一火星標準時。それまでに他の人選と準備を終えたまえ』
『……』
D7は言うべきことをなに一つ思いつかなかった。了解、とも言わず、司令官のターミナルのスリットに右手中指の爪を伸ばして突っ込む。自分の補助コンピュータにクィーンの資料と作戦計画を検索、写し取る。
黙って敬礼すると、そのまま出ていった。
敬礼を返す司令官の顔がD7に勝ち誇った様なニヤけた笑いに見えた。その笑いを、一瞬、恐怖に引きつらせたいと思った。
廊下を歩きながら計画と資料を処理する。
D7のようなゲリラ戦仕様の指揮官はクィーンの通信ネットワークからはずれて行動することが多い。よって、戦闘プログラムも通常の倍は必要となってくる。しかし、今回のプロクラムは非常に簡略なものだった。
D7は自虐的に笑った。ここまでよくも嫌われたものだ。
出発から七十二時間後、D7の隊は目標地点に到着した。
補給基地にはすでに相当な大部隊が移動した跡があった。轍の跡は少なくとも十時間以上は経っていた。
こういう事態も勿論考えられていた。この作戦はあらゆる事態を想定したクィーンによって立てられいるのだから。いかなる場合でも作戦は決行される。それがクィーンの出した命令だった。
彼等はクィーンの自由にならない、必要のない兵士なのだから。D7の隊はビッグ・ワーム一台を潰したものの、敵は圧倒的だった。
戦力はまったく足りない。
その状況認識がD7の最も冷たく論理的な部分を目覚めさせた。定められたプログラムが働きだす。D7はビオにゴーサインを出した。ビオはニヤと笑って、ホバーユニットを全開にする。フワリと浮き上がりブースターが瞬時に加速をつける。突入していく彼は何発も身体に銃弾を受けながら、敵の真ん中に大地を駆った。
タイミングを測り全員に退避命令を掛けながらD7は敵を撃った。
脳に薬物を注入され、敵が倒れるたびに、歓喜の叫びをあげる。身体の中の冷静なものが的確に的を捉えた。
D7は爆破コードをビオに送った。
何にも考えていなかった。
ビオは最後に『ありがとう』と言った。
頭を撃たれたような感覚があった。外傷はないと即座にコンピュータが返答した。
こいつは……?
マニュアルや自分の中に無い、今まで思ってもみないような感覚だった。
しかし、すぐに忘れた。そんなことを考えている余裕は無かった。次の瞬間、爆風と閃光がD7を襲った。視野を回復させる。巨大なビッグ・ワームが横倒しになり無限軌道をもつ腹部を見せている。爆心地の二台は完全に破壊され戦闘用車両も作動不能に陥っていた。残りはD7らの周りにいた歩兵だけだった。それでも分の悪い戦闘には違いなかった。敵兵が多すぎるのは変らない。
楽しげに命令を下す。
『皆殺しだ』
泥沼は今に始まったことではなかった。
二時間後。何もかも終って、生き残ったのは彼一人だけだった。
そして、嫌になるほど、自分自身でものを考えられるようになる時がくる。
D7は戦線を離脱した。本隊と合流する気にはなれなかった。D7は自分の母基地に向かった。
ビオは前回の戦闘で運動能力が極端に落ちていた。D7は彼を少しでも長く生き残らせる為に花火師に任命した。それなのに、D7自身が彼に爆破コードを送らなければならない結果となった。
ありがとう、か。
あの戦闘の最中、ビオは自分を取り戻したのだろうか。
罪悪感があった。ビオを自分の命令によって殺したことに。自分は最も恥ずべき行為をしたような気がした。しかし、D7は、そう思う自分自身にも戸惑った。
オープンのままのラジオからのノイズが、司令官の悲鳴に聞えた。
D7は空虚に向かって作戦終了の打電をした。
はっ、はは。
笑いと一緒に涙が流れる。ペッ、と残り少ない水分を乾いた大地にはきだす。
俺もそろそろ死んでもいいころだな。ふっと最後のけむりをはきだして思う。もう、疲れた。
「ねえ……」
どこからか声がした。思わず、煙草を落としそうになる。
「なんだ」
声のした方を見ると、すぐそばに、古い戦闘服を着た小さな少女がいた。
「どこへ行くの」
「わからん。どこか……どこへいくのか」
「じゃあ、なぜ歩いてるの」
「歩きたいからさ」
俺はマヌケか? なにをのんきに話しこんでいるんだ。
自分でも気が付かないうちに傍に人間がいたのだ。いくら人間に対してオートアラームが働かないとはいえ、兵士にあるまじきことであった。
しかしなぜか恐怖は湧かなかった。
もう生き残ることにも勝つことにも興味が無くなっていたから。
D7は銃をつかみ、背嚢を右肩に掛けて立ち上がる。ちょっと尻のほこりを払う。
「ここはずっと石ころだらけよ。先にはなにもありはしないわ」
「それは好都合、一人でいられる」
「一人でいたいの?」
「そうだ、一人がいい」
D7は自分のセンサ記録を検索して少女がいつどこから現れたか知ろうとしたが、出来なかった。別に不思議なことではない。至近距離で浴びた「花火」の放射線で、補助コンピュータもずいぶん機能が低下していた。この少女自体、狂った補助コンピュータの見せる幻影かもしれなかった。
−それにしちゃやけにリアルだが。
「それはさみしくない? それとももう、ひとを殺したくないの」
D7はたちどまり、小さな少女を見た。
あどけない顔の少女はニコリとD7をみあげる。
「どこから来たんだ。さっさと消えろ」
こいつは宙から湧いてでたんだ、虚ろな平静さでD7はそう決めてかかった。宙から湧いてでたものは宙に消えてもいいはずだ。
「わたしがわからないの」
その言葉には心外そうな響きがあったが、少女の笑みは消えない。
「わたしはあなたの傍にずっといたわ。わたしはあなたのこころよ」
「俺の、こころ。何をばかなことを」
D7は鼻でわらった。こいつは完全にイカレてる。
「そう、あなたが忘れてしまった、こころ。銃を撃ちたくないというこころ、ひとを殺したくないというこころ……」
大人びたしゃべり方をする幼い少女に、D7は理不尽な苛立ちを覚えはじめた。
何、なんだ、俺が何を忘れてしまったって。
「あなたはつかれてしまったのよ。わたしを忘れてしまって、いままで生きて来たけれどそれでも限界になるくらい」
このガキはいったいなんなんだ! くそ生意気な面をして、わけのわからないことをほざきやがって……
怒りがD7の思考を蘇らせた。これが何者か、本気で考え始めた。
これが敵のはずはない。まして味方のはずも。
人間の生残りだろうか?
そこまで考えて、D7は愕然とした。
こんな所に、人間の、ガキが、いるわけがない!
そもそも人間が、今まで生き残っているわけがない。
キングの指令が途絶えた直後の、あの混乱した無差別で凄惨な攻撃の巻添えで、この星の地上コロニーはことごとく破壊されたはずだ。
酸素があるとはいえ、この星の人間に対して希薄すぎる大気や環境では、機械の組み込みを嫌う人間がコロニー以外で生きていけるわけがない。生存者がいた可能性はクイーンの評価では1億分の1、それも半年前の数値だ。
そしてこの少女はなんの呼吸補助具もつけていないように見える。
喉がからからに乾いていた。希薄なこの星の空気がなお薄くなったように、D7はしばらく呼吸することさえ忘れていた。
「でっでも、そうしなければ、俺達は生きていけない。俺達は生きていけない。俺達そうして生きていかなければならないんだ」
D7は自分で何をいっているのかわからなかった。
「でも、そうして生きていくのも、いいえ、そうでなくても生きていくのにあなたは疲れてしまったのよ。あなたはわたしを忘れてしまった時になにもかもすてて、ただのひとを殺す機械になってしまった。それに疲れてしまったのよ」
「俺は、俺はどうすればいいんだ。敵を殺すための機械の俺にどうやって生きていけっていうんだ」
「あら、あなたはいま、生きているの」
「あたり……ま…え……」
「そらごらんなさい。『そうしなくちゃ生きていけなかった』いいわけだわ」
少女はくすくす笑った。
「あなたは生きながらに死んでいるのよ」
「やめてくれ」
「ほんとのことだわ」
やめてくれ。俺はこのままでいいんだ。このままで、いなければならないんだ。
軍規、感情の廃棄。そして、血の悦び。ビオ。ビオ、俺は……。
そうしなければ、生きていけない
D7は少女に銃をむけた。補助コンピュータから受けるはずの人間に対する制約もなくその動きはスムーズだった。
「また、人を殺すの」
少女はおびえた風もなく言った。
『中佐。もし、中佐が生き残ったら。俺は待っているはずの女がいるんだ。伝えてくれないか。お前の所に帰りたかったと』
彼の手から銃が落ちた。
「いったいなんなんだ、おまえは」
D7はその場にくずれて泣いていた。耳を塞ぎ、幼い少女の前に兵士は泣いていた。
−ビオ、俺はお前を死なせたくなかった。お前とその女と、少しでも長く一緒にいさせてやりたかった。
「言ったでしょう、わたしはあなたの小さなこころ。わたしはあなたの中で重圧にたえられなくなった。わたしは次第にぼろぼろになっていくあなたをずぅっと見ていた」
少女は赤ん坊を慈しむ母親のような微笑みをうかべ泣いている彼の頬にふれた。
「わたしを思い出して。そしていきて」
D7は少女を見た。
「あなたの傍に、ずっといるわ。あなたの中にずっといるわ」
そして、D7の眼に忘れてた兵士の顔と、目の前の少女の顔がかさなった。
「思い出してちょうだい」
死んでしまった、兵士。かつての少年が愛した。
その兵士は言った。わたしを忘れないで、わたしを愛したことを忘れないで。
そうか、君は……。
「きみは、はじめて俺の腕に傷をつけた。俺のこころに傷をつけた」
少女は笑顔をくもらせ、すこし哀しそうな顔をした。きれいな瞳がきらきらゆれた。
D7はようやく気付いた、否、自分にそれと認めることを許した。少女の瞳は透明な赤色だった。それは、涙を失った者の持つ瞳だった。
それは、兵士達の瞳だった。
ああ、俺は、幻影をみているのか……。
「どうして、死んでしまったの。あなたさえ生きていてくれたなら」
心のよりどころがあったなら。
少女はやさしくD7の頭を小さな胸に抱いた。頭を抱く細い腕をD7は掴んだ。柔らかなそれは、しびれにも似たやさしい感触だった。
「わたしは運命にしたがっただけ。でも、あなたは自分自身すら、なくしてしまいそうになった」
少女の声は、D7の耳に心地好く染み込んだ。
「俺にどうしろっていうんだ。いまさら」
「わたしはどうすることもできない。あなたを、見ているだけ、だから自分でみつけて」
「なに、を」
「トム、あなたはなにも変わっていないのよ」
少女は少年とくちづけを交わして微笑んだ。
「愛してるわ、いつまでも」
すうっと、少女は透明になりはじめた。
D7は消えていく少女をだきしめて自らの胸を抱いた。
少女の香りがわずかに残り、すぐにきえる。
「何を、見つければいいんだ」
平原の赤い砂が風に舞いはじめた。もうそんな時期なのだ、寒季がくる。
「きみさえ生きていてくれたなら、そばにいてくれなくてもいい。ただ生きていてくれたなら」
D7はつぶやきながら泣いていた。
寒季がくる。九年目の。
彼はゴーグルをかけマスクをすると立ち上がり、歩き始めた。
失ってしまったものはもうかえらなかった。
九年前の彼女はあんなにも幼い少女だったのだ。D7も同様に幼かった。兵士の不足を補うために充分な処置もされないまま、戦場に送り込まれた彼等は全てにおいて完全な兵士ではなかった。精神も子供のまま、人間に近いまま。
少年は銃を放り出し、左眼を炭化させた少女の骸を抱いて泣き叫んでいた。
『やめて、もうやめて。リノスは、死んだんだ。ぼくのリノスは、死んでしまったんだ』ゴーグルがくもって前が見にくかった。
ゴーグルの位置をすこしずらした。くもりはとれなかった。
「生きた死人のどこがいけないんだよ。リノス」
その声はマスクに少し、くぐもっていた。
それじゃ、あなたは、いつまでも哀しすぎるじゃない。
少女の幼い声は、D7の中でいつまでも響いていた。
どこへいくの。
「そんなのわからないよ」
D7は銃をすてた。
母基地はまだ遠かった。