序章
潜水とは、読んで字のごとく生身で水中に潜ることである。
「潜水艦で潜るんは潜水と違うんかい」と言われるとちょっと困ってしまうが、普通は潜水とは言わないような気がするし、まぁ、深く追求するのは止めておこう。
で、潜水には息を止めて潜る(素潜り)方法と水中で呼吸可能にする装備を付けて潜る方法の2通りがある。
素潜りで潜水可能な時間や水深は、個人の能力に大きく左右される。ジャック・マイヨール(Jacques Mayol)のような超人なら100mを越える深度まで潜れるかもしれないが、普通の人にとってその何分の1の深さまで潜るのだって命がけの行為だし
、時間も長くて数分が限度だ。
スクーバダイビング*1,*2では水中でも呼吸可能なので、素潜りでは数分しかない潜水時間を一挙に何倍にも延長できるなど限界が大きく広がる。
そして、適切な手段さえ選べば誰にでも簡単にしかも安全に始めることができるスポーツだ。しかも他のスポーツと違って他人と競争する要素はほとんどない。あのどんな種目でも競技にしてしまうアメリカ人ですらダイビング
による競技は存在しない(と思う)のだから。
もちろん限界はあって、たとえば安全のために普通のダイビングでは水深40m以上は潜ってはいけないことになっている*3のでジャック・マイヨールの深度記録に挑戦することはできない。
また、簡単にそして安全にレジャーとして成立するには適切な方法で潜水し、さらに身に着けているさまざまな装備が水中で生命を維持し安全を守るために適切に動作しているからだということを忘れない必要がある。つまり
機材にトラブルが発生したり、不適切な使用法を取った場合には生命の危険にさらされることになる。我々は適切な装備なしに水中で数分以上生存することはできないのだ。
とは言っても、南のサンゴ礁の海をノンビリと潜っているときにそんなことを考え緊張しているわけではないし、必要もない。いやきっと北の厳しく冷たい海に潜っているときだって同様だろう。
潜水時の困難
ダイビングは誰にでも簡単に始められるとはいえ、いざ始めると最初からさまざまな困難に直面することになる。
一番始めに遭遇する困難は、おそらく「潜れない」、「体が安定しない」、「息苦しい」などだろう。これらはある程度経験を積むことでそれなりに解決するものの、その後も「スムーズに潜降できない」、「中性浮力が上手く取れない」、「エア消費が他人より多い」などと形を変えて初心者を悩ませつづけることになる。おそらくこれらの困難を克服したとき、初級者を脱したことになるのだろうか。
潜降
まずは水の中に潜らないとダイビングは始まらない。つまりは一回のダイビングで最低一回は水面から潜降しているわけで、ただ潜降することを優先するなら、たとえば必要以上のウェイトをつけるなどすればそれほど難しくはない。
しかし浮力は浅い所では大きく、深くなると小さくなる。そのため水面からの潜降を容易にする目的で重めのウェイトをつけると、水中では重すぎることになる。そして重すぎるウェイトは“中性浮力”の大敵であり、その結果としてさらに“エア消費の増大”をまねく。
潜降時にだけ必要なウェイトを、潜降完了後に海中に投棄すれば上の問題は解決するのだが、この方法を大勢が採用するとポイントの海底が鉛で埋ってしまう。いや、その前にウェイトが足りなくなってしまうか。
潜降用ウェイトに長いロープをつけて初心者が投棄後にボートに回収するとか、上級者(ガイドやインストラクター)に押し付けてしまうなんて解決法もあるかもしれない。
あと重すぎて墜落するほどウェイトをつけると潜降開始時にトラブルに気づいても浮上できなくて、そのままあの世行きになるかもしれない。こんな場合もウェイトよりも命が大切ならウェイトを棄ててしまえば助かるだろう。
中性浮力
中性浮力とは「水中で物体が浮きも沈みもしない状態」のこと。手元の辞書には載っていなかったのでダイビング用語なのかもしれない。
ある地点で、浮力が±0になれば浮きも沈みもしないことになる。そして、普通はBCD*4に入れる空気の量を調整して浮力のコントロールを行なう。
とはいえ前に書いたように浮力は水深で変化するので、移動するごとにBCDの微調整を行うなんてのは不可能だし、呼吸すると肺の容量の変化によって浮力が変化する。
さらに水深による浮力の変化は正帰還がかかる方向なのでいったん浮上や降下が始まると適切な対処を行わないと変位が加速度的に増大することになる。
この浮力と水深の正帰還ループに外部から適切なフィードバックをかけて対処することが、中性浮力をとるということになるのだろう。
安易な方法としては、常に沈み気味の状態で泳ぎつづけるという方法がある。おそらくダイビングを始めたばかりの初心者はほぼ全員が意識しなくても手足を動かして微妙なバランスを取っている。しかし本来必要のない動作をするため“エア消費の増大”をまねく上に、水底に近い場所だとフィンによるサンゴの破壊や水底の砂などの巻き上げなどの弊害も発生することになるので、いつまでもこの手法に頼ろうとする考えは捨てた方が良い
。
エア消費
陸上で空気は無尽蔵に供給されているのでどれだけの量を呼吸したかを意識する必要は滅多にない。
しかしスクーバダイビングでは使用できる空気の量は、背負ったタンクに入っている分量に限られる。呼吸しないでいるわけにはいかないので、水中に居られる時間の最大値はこの空気の消費によって最終的な制約を受けることになる。
もちろんタンクの空気以外にも潜水時間に制約を与える要素は多くあるし、必要であればタンクの追加支援を受けることも可能ではあるが、やはり命が惜しければ常にタンク内のエアの残量には気を配っておく必要がある。そしてエアの消費量には個人差があるし時と場合によって差が出るので皆に余裕があるから自分も大丈夫と考えるわけにはいかない。
ダイビング開始時に普通は全員がほぼ同じ量の空気*5を持っている。そして計画(自分が考えてなくてもガイドが考えている)通りに浮上してきたときタンクの中に残っている空気の量が多かろうが少なかろうが、安全な範囲内であればなにも気にする必要はない。
しかし計画途中でエアの残量が少なくなったり、また残量が一定値以下になったら終了なんて計画を立てる場合もある。このときの処置として、ひとつは「そこで終了し全員がエグジットする」でもうひとつは「該当者のみがエグジットし残りはダイビングを継続する」の二通りが考えられる。どちらが選択されるかはその時々によるが、自分が原因で全員のダイビングを中断するのは嫌なものだし、かといって自分だけが先に上がるのも悔しい。
この場合のエア消費は相対的なもので、同行者に比べて余裕があれば全員で終了する場合の責任は自分にはないし、自分だけ余裕が有っても同行者の大半が終了した後も一人だけ継続するわけにはいかない。
そこでエア消費の早いダイバーはエア消費を、他の人よりも減らそうと考えることになる。
姑息な方法として、ガイドに残圧の確認を求められたときに実際よりも多く申告するという方法がある。これはもっとも簡単な方法だか実際にエアの消費が減るわけではないので時間がたつと破滅的な事態がおとずれることになる。もし他にも同様の手法を取って破綻した同行者が居た場合にはそれに乗じて誤魔化すこともできるかもしれないが、自分の命を賭けるにはあまりにもリスクが大きすぎるうえに実質的になんの解決にもなっていないので死んでも構わないと思うとき以外には採用しない方が良いだろう。
水深が深いほど水圧が高く、より高圧の空気を呼吸することになる。肺の容量は決っているので圧力が高いと消費する空気の量が増える。そこで他人よりも浅い場所に居つづけるとエアの消費を減らすことができるはずだ。そういったダイビングも、それで楽しいのなら構わないだろう。だが、もしそのときどきで浮上と潜降を繰返せば結局はエア消費は増えることになる。また、海況によっては1m水深が違うと流れが大きく違うことも多い。そういった場合にはあまり人と違う場所に居ることはできないといった問題もある。
人は呼吸した空気の中の酸素をすべて利用しているわけではない。どちらかを言えばほとんどを利用できないままに、吐き出している。
考えてみればもったいないことに、ほんの少し酸素が減って二酸化炭素が増えただけの空気を水中に排出してしまっていることになる。実際に排気を回収して再利用する装置も存在する。
しかし、そんなものを使用しなくても他人の上で口をあけて待ち受けていれば、吐き出した空気の塊が自然に上昇して口の中に入ってくる。二酸化炭素は酸素に比べて水に溶けやすいので少しは減っているだろう。などと考えてもけっして実行しない方が良い。きっと、口の中には空気と一緒に大量の水が入ってきて、、、エア消費を早めるだけの結果になるから。
「未来少年コナン」というアニメで、海中に拘束されたコナンを助けるためにラナが口移しで空気を与えるシーンがあった。だから直接口から排気をもらえばなんとかなるのかもしれない。
もっともこの方法を相手の合意なしに実行しようとすると抵抗を受けて逆効果になることは間違いなく、安易には実行できない。もし誰か試した人が居ればどうだったか教えて欲しい。
よく考えてみると、必要なのは自分のエア消費が減ることでなく全員のエア消費量が平等であれば嫌な思いも悔しい思いもしなくてもすむことになる。
だいたいダイビングの終了後にどれだけ空気が残っていても意味がないのだから、エア消費の少ない人のエアを多い人が利用すれば、残量が平等になり全体としての効率が良いことになる。
普通は少ない小柄な女性や上級者はエア消費が少ない。その彼女・彼らのオクトパス*6からコッソリ(同意の上でも良い)エアを消費すれば良いのだ。ただし、現場を目撃されるとトラブルが発生したと思われることになるのでガイドなどに発見されないように注意しないといけない。
ところで、なぜエア消費が多いのかを専門家に聞いたところ、うまく中性浮力が取れずにフィンキックなどで微妙な調整をするため無駄な運動が増えることが原因として一番多いらしい。
結局は、
ダイビングにおける困難の大半は中性浮力に還元されるようだ。近い将来に自動浮力制御装置のようなものが開発されるだろうか。もし開発されても高価だったり重かったり、エアを消費したりしては意味がない。
やはり、こればっかりは地道に経験を積んで制御方法を体で覚える以外に方法がないのだろう。ほとんどの人は、幼少の頃に二足歩行という不安定な状況を微妙にコントロールしながらスムーズに移動する手段を取得しているのだから、頑張ればなんとかなるだろう、というかなって欲しい。
すべての悩めるダイバーのために。
*1 スクーバ(SCUBA)とは、SELF CONTAINED UNDERWATER BREATHING APPARATUS(自給気式水中呼吸器)の頭文字をとったもので圧縮空気をつめたタンクとレギュレーターを使用して潜水する。
*2 送気式装置による潜水もあるが、レジャーダイビングで使用されることはない。
*3 レジャーダイビングの場合の安全のための規定。作業では100mよりも深い場所への潜水も行なわれている。また圧力実験の結果からは 1000mを越える潜水も可能と考えられている。
*4 浮力コントロール装置(Buoyancy Control Device)の略称で通常BCと呼ばれる。内部の袋に空気を出し入れすることで浮力の調整を行なう。
*5 10×10cm3のタンクに20MPa以下で充填が標準的(かな)。他にも12×10cm3や9×10cm3のタンクもみかける。
*6 エア切れやレギュレーターの故障などの際に使用する予備のレギュレーター。普段は使用しない。