あるナイトダイビングでの写真

お気楽ダイバーズ
−ナイトダイビングのすすめ−

大井[ないしょ]俊朗

 ダイビングというものは綺麗な魚や珊瑚礁を見て楽しむものと思っていないだろうか? しかし光のない、よってほとんどそんな光景が目に入らない状況で行うダイビングもあるのだ。以前紹介した地下水脈を探険するのもそうだが、もっと気軽に冒険気分を味わえるのが夜の海に潜るナイトダイビングだ。
 よりによって何故なにも見えないような夜中にすき好んで潜るのだ、と思うかも知れない。だがよく考えて欲しい。無重力に近い状態で周囲は漆黒の闇。音はほとんど自分の呼吸音だけ。こんな状況は宇宙でEVAするぐらいしか味わうことはできない。それをいとも簡単に、超難関の選抜試験や厳しい訓練、大気圏離脱のGを耐えることなく体験することができるのだ。ということで、今回はナイトダイビングについて書いてゆく。
 まず夜の海に潜るための装備であるが、通常のダイビングの機材に加えて容量の大きいハンドライトを持つことになる。もちろん潜水仕様だ。以前はホームセンターでも売っているのを見かけたが、潜水時ほどの耐圧性を保証しない防水ライトが出回りはじめて今では専門店以外では手に入りにくい。懇意にしているダイビングショップかダイビング器材の量販店で探すといいだろう。雑誌などですでに欲しいライトの型番を調べているのならインターネットで購入することもできる。次にひとりひとりの位置を確認できるような発光体をタンクの上部につける。これは定期的に発光するフラッシュライトや、コンサートなどでよくみかける使い捨てのケミカル・ライトを使う。ライトを持っているからそんなものを持たなくても、と思うであろうが海の中で「ライトを照らすことができない」状態になるかもしれないため、できれば用意したい。
 で、これで夜用の装備はすべてである。意外に思うかもしれないが、あとは通常のダイビングとなんら変わることはないのだ。
 潜ることは普段となんら変わることはないのだが、ナイトダイビング特有のスキルというものはある。一つは意思の伝達方法である。昼間なら相手がこちらを見て手でシグナルを出しているのが簡単に認識できるが、暗闇の中ではそうはいかない。片手でシグナルを出してそれをもう片方の手に持っているライトで照らす。あるいはライトの動かし方で意思表示する。なにか発見した時にはその周囲をライトの光で円をつくるように照らしたり、注意を引くためにライトを水平に振ったりする。
 このようにナイトダイビングの要ともいえるライトだが、使い方を間違えると恐ろしいことにもなる。くれぐれもライトで直接ダイバーの顔を照らさないことだ。眼が眩んで一時活動停止状態になるし、下手をすると眼に重大な損傷を与えることになりかねない。
ダツに… そして夜の海には光に集まってくる習性をもつ生物がいる。そのなかには非常に危険なものもいるのだ。その代表がダツという魚である。ダツは大きくなると体長は1mを超える槍のように細長い魚である。上顎と下顎は前方へ長く突き出していて堅い。普段から海面下を回遊しているが、夜になると光に向かって突っ込んでくるのだ。この魚による事故の報告例で良く聞くのは、夜の海で操業していた漁船の照明に向かって海面からダツがミサイルのように飛び出し、船員の体に当たって怪我をするという話だ。はっきり言うとダツの長く飛び出した顎が体に突き刺さるのである。運悪く目に刺さって失明した人や、雨あられのように降り注いだダツの群れで剣山のようになってしまった人もいるという。だからナイトダイビングの時には船上から海面を長時間照らしたり、海面直下で水平に照らしたりしてはいけないのである。私自身ナイトダイビング中にダツを見かけたことがあるが、それは月夜の夜に海底から水面を見上げた時だった。月光でほのかに明るい水面付近を泳いでゆく影を見たときにはどきりとしたが、戯れに彼らにライトを向けるような無謀な行為は行わなかった。本当にしゃれにならないのだ。一度パラオでシュノーケリングをしている時に1mをゆうに超える大物のダツが目の前を横切ったことがある。日中で危険のないことが判っていたが、その顎、顎から覗く鋭い歯には震え上がった。あれに突かれたら痛い。いや、単に刺さるだけではない。刺さった後、彼らは顎を抜こうと暴れる。そして刺傷部をぐりぐりとこね回して傷口をぼろぼろに拡げて手がつけられないようにしてしまうのだ。ああ痛い…。
 ライトでもう一つ注意したほうがいいのはウミヘビである。沖縄ではイラブーと呼ばれその燻製が薬になると珍重されているウミヘビだが、れっきとした毒蛇である。しかもその毒はコブラをも上回る神経毒であるという。昼間によく見かけるのだが、こいつは夜も活動している。たまたまみかけてライトで照らすとあろうことかライトに向かってくるのである。蛇に走光性があるとは思えないが、私は西表のナイトダイビングで2回ほどこいつに追いかけられたことがある。しかもついこの間は本当にライトの前までに寄ってきて、その「小さな」口をあんぐりと開けたのである。私はもう必死になって逃げた。恥ずかしながら恐怖のあまり声が漏れたかもしれない。水中では音ははっきり聞こえないが、叫び声は聞こえるようである。ダイビングが終わったあと、船上でみんなが私を指さして笑っていたような気がする。ウミヘビはおそらくライトの熱に反応したのではないかと思う。だからみなさんもむやみにライトをウミヘビに向けないようにしよう。一度おいかけられはじめたら、いったん振り切っても周囲の闇のなかに潜んでいるのではないかと疑心暗鬼に陥って安心してダイビングを続けることが難しくなってしまう。
 なんだが物騒な話が続いた。話題を変えよう。
 夜に潜るポイントは本土であればビーチがほとんどである。夜に沖まで出ていくと密漁だの違法操業だのとかんぐられるからかもしれない。船は一般の漁船を使うことが多いから、船長も夜は休みたいだろう。しかし沖縄や南の離島にいくと昼に潜ったのと同じ場所でナイトダイビングをすることができる。昼は魚も多く透明度のいい沖縄や離島の海の夜は一味違う。ボートでのナイトダイビングはある程度の深さのある場所を潜ることができるし、重い装備を担いで海辺を歩くこともないので体にも優しい。
 何故にわざわざ夜の海に潜るかといえば、それは夜にしか見ることのできないものがあるからである。すなわち魚たちの寝姿である。日中はダイバーなぞ動かない障害物のように動き回る魚たちであるが、夜になると動きブダイの木が鈍くなるものが多い。中には珊瑚や岩の隙間に入り込んで、目を開けたまま(瞼がないから)熟睡しているものまでいる。特にブダイの仲間は狭い場所に潜り込んで自分の周囲に内分泌液で作った透明な膜を張って熟睡している。目の前までライトを持っていって照らしてもめったに起きることはない。また、昼とは体色が変わる魚もいる。チョウチョウウオの仲間などはあの鮮やかな黄色が黒くくすんで、ちょっと疲れた感じになる。アオヤガラなどは夜になると体に横縞が浮かび上がってくる。まるで漫画の囚人服のようだ。
 夜行性の生物もたくさん見ることができる。代表的なのがエビやカニなどの甲殻類だ。昼は珊瑚や岩陰の奥に潜んでいる彼らも夜は堂々とそこらじゅうにはい回っている。ライトの光があたってきらきらと光る小さな光点があればそれはエビの目だ。海底を素早く移動しているのはカニやヤドカリ。たまに大物の伊勢エビががさがさと走り去っていく。ウミサボテンなどは砂の中から伸び出してきてサボテンの棘のように無数の細長いポリプをのばしてプランクトンを食べている。一見海草のように見えるウミシダは異星の生物のように歩き回っている。ライトのガラス面近くをよく見ると動物性プランクトンが集まってきている。そのまま岩場の上に持っていくと、どこからか線虫のような細長い生物が寄ってきて絡みあってボールのようになる。他にもなんだかよくわからない小さなモノはいっぱいいる。じっと凝視していると痒くなってきそうだが、そもそも海中にはそんなものがびっしりいるのだ。気にしてはいけない。
 小さなものといえば定番の夜光虫という原生動物がいる。名前のとおり、光を出す生物なのだが、そのほのかな一瞬の青白い光を見るのはナイトダイビングの定番イベントになっている。彼らの発光を見るには、いったん潜っているメンバーが持っているすべてのライトを消し、暗闇に目をならしてからおもむろに自分の視野の海水を手でかき回す。するとその水流の乱れに刺激されて夜光虫が発光するのである。本当に一瞬で消えてしまうが、初めて海中で見たときには感動したものだ。実はこの夜光虫、水上でも確認することができるらしい。夜の岸壁や砂浜でけっこう簡単に見ることができるそうだが、昨今の海辺は人工の光で明るいから普通に水面をみていても気が付かないのであろう。しかし沖縄でも離島などでは真っ暗な海を小型のボートで走るだけで引き波のあたりがきらきら光るのである。これは一見の価値はあるので是非見ていただきたい。
 こんな神秘的なイメージのある夜光虫であるが、実は赤潮の原因となる生物の一つでもある。大量発生してひとところに集まると海面で赤く濁って見えるようになるらしい。基本的に日本のどこの海でも生息しているので、集合して赤潮となった彼らをあなたもどこかで見ているかもしれない。
 夜のダイビングで楽しいのは生物観察だけではない。冒頭でいったように、真っ暗な海の中層を漂っている時は上下左右、360度なにも見えなくなる。まるで漆黒の宇宙空間の中を泳いでいるような(あくまで想像だが)気にさえなってしまう。ダイバーがライトで海底を照らしている様子も、すこし離れて見ていると飛翔体がサーチライトで地表を精査しているようにも見てとれる。一団のダイバーが固まって移動をしていると壮観である。ライトの明かりも遠目ではエメラルドグリーンに近くなるのでたいそうきれいなのだ。その飛翔体の群れは高速で移動するわけでもなく、音もなくゆらゆらと移動していく。重力制御を行う異星のものか!? 地球を侵略に来たのか!? などと一人空想して遊ぶのも楽しい。
 さて、世の中にはダイバーでさえ夜は潜らないという人もいるぐらい「普通でない」ナイトダイビングだが興味を持っていただけただろうか? いままであまり夜は潜らなかったというダイバーの方は、是非試して欲しい。そこにはまた新しい世界がある。そして「まだ」ダイバーでない方は騙されたと思って、一度沖縄や南方の海外にでも行ったときに体験ダイビングでいいから海面下の世界を見て欲しい。体質にあわないならそれで止めればいいだけなのだ。昨年そうやって試して、すっかりはまってしまった隊員を私は約2名知っている。そう。こうしてお気楽ダイバーズは着々と増殖しているのである。
 




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