お気楽ダイバーズ
−与那国ハンマーヘッド編−

大井[ないしょ]俊朗

 ハンマーヘッドシャークといえば2001年夏に日本海沿岸の海水浴場を不幸のどん底に陥れた撞木鮫しゅもくざめ のことである。一般人には忌み嫌われるこの不気味なサメも、お気楽ダイバーにとっては一度は遭遇してみたいお魚なのである。
 このサメは頭部に特徴がある。撞木の名の示すとおり頭の先に棒をくっつけたような形状で上から見ると頭部はT字型だ。棒状にのびた両端には目がついている。どうしてこのような目を持つ必要があるのか(視界を広くするため?)。視神経がビローンと伸びていることを想像するとちょっと気持ち悪い。性質は凶暴、とよくいわれているが・・・
 こんなサメが群れで泳いでいる光景を冬の与那国島で見ることができるのだ。当然、お気楽なダイバーが全国から集まってくる。
 与那国島は八重山諸島の最西端に位置し、天候がよければ台湾を眺望することが可能なまさに西の果ての島である。その周囲の沿岸がほぼすべてダイビングポイントになっており、大物のハンマーヘッドシャークからマクロのアケボノハゼ、地形派には謎の海底遺跡と盛りだくさんだ。近年、報道の影響もあり遺跡ポイントが有名になっているが、与那国といえばハンマーヘッドシャークなので、こいつの話をしよう(実は遺跡ポイントは潜らなかった)。
 ハンマーヘッドシャーク(以下ハンマー)が与那国島で遭遇できると耳にしたのはずいぶん昔のことだ。百匹以上の群れと出くわすこともあると聞いて、ダイビングを始めたころはそんな遠いところまで潜りに行くことはないだろうなあと思っていた。しかし毎年冬になるとダイビング雑誌には大きくとりあげられ、私自身もすっかり潜りにはまって海外までいくようになってしまった。パラオですっかりサメに慣れてしまった私は、ダイビングショップ従業員の「すごいですよーハンマー!」という口車にのせられて与那国島へ赴くことになったのだった。
 1月某日早朝、自宅最寄りの駅から高速バスに乗って関西国際空港に向かう。他のツアー参加者と合流し、石垣島直行便にて石垣島へ。真冬とは思えない八重山の陽気に浮き足立つ。上着を一枚脱ぎ、しばらく待機してから与那国島行きのレシプロ機に乗り継ぐ。夕暮れ時にちかい島につくと、ここも信じられないくらいの好天である。八重山諸島を訪れたなかで一番のコンディションに信じられないまま、暑いのでTシャツだけになる。空港を出ると石垣に戻る飛行機のアイドリング音が遠くに響くだけで、風の音、潮の香りにつつまれる。蝉もないていたような気がする。しばらく迎えを待っていたが、くる気配がないので引率者のインストラクターが現地サービスへ連絡する。どうやらスタッフにきちんと到着日の連絡が引き継がれていなかったようだ。慌てて迎えにくるスタッフの焦りとは裏腹にいつもの日常の時間から沖縄の時間に切り替えるのに都合のいい待ち時間であった。
インストラクター 空港から一本道を東に向かう。なだらかな丘をいくつも越えていく。放牧されている牛がちらほらと目にはいる。運転をしている現地サービスの青年が、今日はハンマーがたくさん出たと言っている。しまった一日早くくればと一瞬思うが、明日から三日間とことん潜るのだから必ず大丈夫、と引率のインストラクターが根拠の薄い希望を口にする。どのみち駄目なときは駄目なのだと十年近い経験から悟っている私には無用の慰めだ。去年の秋にこのインストラクター引率の小浜島ツアーに参加したが、記録に残る長逗留の台風に遭遇してダイビングどころではなかった。そんなものである。
 現地サービスの青年は遺跡ポイントへ行くかどうかを気にしているようだった。ハンマーが出るポイントからは離れているので船を出す回数が少ないらしい。とにかくハンマーと遭ってからだと参加者一同の意志は強く、そこに必ずある遺跡は人気がない。結局、前述のとおり遺跡ポイントで潜る機会は今回はなかった。後で聞いたところ、本格的な調査が入ると潜れなくなるかもしれないとか。唯一のチャンスだったかもしれないが、まあそんなものである。
 さて、どうでもいい旅行記は一気にとばそう。いよいよダイビングの話である。
 ポイントが島の港からごく近くなので、潜るたびに宿へ戻ってくるというスタイルである。天気もよく、タオルや着替えを持ち歩かなくてすむのでありがたい。私はマクロ用とワイド用の2台のカメラを用意して船に持ち込むので手一杯なのだ。宿は島の北部、一番人口の多い祖納という集落にあり、ハンマーポイントのある島西部の久部良まで車で約20分かかる(ちなみに島南部に比川という集落がある。人家はこの3集落に集まっている)。港につくとそこでボートが帰ってくるのをまつ。どうもすでに朝の8時から出航しているようで、1日に6回ぐらいポイントまで行ったり来たりしているらしい。船長はサービスのオーナーのようだが、たいしたものだと感心する。そんなに忙しくては客と話をする時間もないだろう。実際、オーナーとはほとんど話らしい話はできなかった。
 1本目のポイントはハンマーポイントではなく、クブラバリという場所だ。一応チェックダイビングをするらしい(チェックダイビングとはダイバーの技量を測り、以後のダイビングへの参加レベルを決める目的をもつ)。少しがっかりしたが、潜ってみるといきなりナンヨウハギの群れに出くわした。透明度も高い。エントリーした場所の水深は10mほどだったが、そこからずんずん深場へ進んでいく。リーフの外壁に沿って少しずつ降りていくと、ガイドがしきりに指をさす。スレートに「アオマスク」と書いてあり、指し示された方向には確かに黄色の体に頭部の青い魚がペアで泳いでいる。はじめて聞く名前で「?」な私は手に持ったカメラで撮ることもしなかった。が、後で聞くと和名も決まっていない大変珍しい魚だと聞かされた。とりあえず写真に収めておけばよかったと後悔したが後の祭りである(まあそんなもの)。気がつくと深度は30mを超えている。透明度が高いためそこまで潜っている気がしない。しかし、この深度でチェックダイブといえるのだろうか? 後半浅場にあがると、スズメダイ系の魚も多く1本目のダイビングとしては上々だった。
 2本目のポイントはまたもやハンマーポイントではなく、ダンノドロップという場所だった。ここではアケボノハゼが見ることができるという。1本目と同様にドロップオフを降りていくとアケボノハゼがいた。マクロカメラを構えて近づくとなんとすぐに引っ込んでしまう。しまった!と思うとその20cm先にもう1匹いることに気がつく。今度は慎重に近づくと、この個体は度胸がいいのか逃げる素振りもみせない。心の中で激写!連写!と叫びながら必死でピントを合わせてシャッターを切る。他の人も見たいだろうからいつまでも居座ってはいけないと、10枚ほど写してから後ろに下がる。しかしどうやら必死になっていたのは私だけだったようだ。後でビデオを見ても他のダイバーはハンマーを探しているのか周囲に気を配っている。深度を確かめると40mを超えていた。2本目の方が深いというのはセオリーに反するダイビングだ。おかげで浮上しながらたっぷりと減圧停止をすることになった。
 2本続けて大深度ダイビングを行ったあとで、もう1本潜るなんて普段は思わないだろう。しかしここは与那国島。いってしまうのだ。ダイブコンピューター必須の意味が判る。ショップのツアーが初心者を連れて行かないのももっともだ。
 そしていよいよハンマーポイントへ。これ以降、怒濤の7本連続だ!
 西崎の沖合がハンマーと遭遇する確率のもっとも高いポイントで、久部良の港から5分とかからない場所にある。潮の流れがきついので、ガイドから再度注意をうける。ひさびさに自分がかなり緊張していることを自覚する。
 ポイントへ到着すると船上のダイバーが準備を始める。アンカーを打たないドリフトダイビングでしかも潮の流れが速い上にダイバーが20名近くいる。全員が間をおかずにエントリーしていかないと先頭と最後尾が離れすぎてしまって収拾がつかなくなるのだ。落下傘部隊のように並んで次々にエントリーし、一気に潜る。深度10mでいったん停止し集合する。この時点で海底は見えない。深い青が眼下に広がるだけだ。中性浮力がとれないと無駄なエネルギーを使いよけいに貴重な空気を消費してしまう。それは潜水時間を短くするということで、結局はハンマーと出会う確率を減らすことになるのだ。ダイバーの方にはこの中性浮力をマスターすることをおすすめする。キャリアが長くても意識していなければマスターできないスキルである。どのダイビング指導団体も中性浮力の専門講習があるので、まだ受けたことのない人は受けておこう。絶対に損はしないはずである。
 全員が集まったところでゆっくりと深度を落としながら移動し、ハンマーの通り道と思われる場所の上方を通っていく。周囲360度に岩場などいっさい見えず、海底もうかがうことのできない状態でいると、自分が本当に空中に浮いているかのような錯覚に囚われる。テングカワハギやウメイロモドキの群れが通り過ぎるが、ハンマーの姿はない。しばらく青い世界をゆらりと流されてゆく。
 眼下に巨大な根が伸びているのが見えてくると、ガイドがそこに掴まりましょうと事前に打ち合わせた合図をする。そこに降下していこうとすると自分の体がけっこうな潮の流れに乗っていることがはじめて判った。身を捻って流れに逆らうようにして潜降し、なんとか根にとりつく。片手にカメラを持っているのでバランスが悪い。用意していたアンカーフックをBCのポケットから取り出し、根に引っ掛ける。体が固定されると否応なしに潮の流れが全身にあたってくる。とても早いというわけではないが、巨大な海水の塊が通り抜けているただなかにいるのだ。その膨大なエネルギーを思うといまさらながらとんでもない場所に身を置いている自分に驚く。
 しばらく根にとりついたままハンマーが現れるのを待つが、時間切れとなる。根から手を離し、ダウンカレント(下降潮流)に巻き込まれないように力を込めてキックすると風に吹かれたタンポポの綿毛のようにダイバーたちが流れていく。もがく人、死体のように脱力している人、くるくるスピンしている人、流され方も十人十色である。私はそんなダイバー達を眺めながらケンケンのように声を殺して笑っていたのだった(細かいことは突っ込まないように)。ちなみに最大潜水深度は28m。またまた長い減圧停止をするはめになったのだった。
 初日のハードなダイビングを終えた後、疲れた体に鞭打って、いや癒すために祖納の集落を散歩する。昔ながらの琉球様式の家も多く残っており、風情がある。北の海岸線に抜けると墓地が広がっていた。沖縄といえば巨大石墓、亀甲墓が有名だが海岸からなだらかな丘にかけて家ほどもある石造りの墓が立ち並ぶ様は壮観だ。なかには新築で1億円もする墓があるらしい。海の見えるこんな立派な場所に埋葬されるとは羨ましい限りだが、嵐の時は人が近寄ることもできないだろう。私はどこでもいいから骨を砕いて海に流してくれるだけでいい。日が暮れるまで集落をうろうろした後、夕食をとって今日のログ付けをする。ハンマーに遭えなかったことと疲れもあり、22時には就寝となった。
 さて、2日目になるともうダイビングスタイルにも慣れて後はハンマーの出現を待つだけである。1本目は朝の8時45分にエントリーする。どうやら潮の流れが弱いらしく、まったりと流されていると昨日の根が見えてきた。突然ガイドの挙動が変化する。下方を指さしダッシュする。それに呼応してダイバー全員がダッシュする。つまり急速潜降を行うわけだ。私はこの日のために購入したバイオフィンという先割れフィンで力の限り水を蹴った。蹴りまくった。蹴りに蹴った。巨大な影が見えてきて、悠然とこちらに近づいてくる。そこで躊躇した。いったいどれくらい潜降したのか、このまま突っ込んでいっていいのか。すると引率のインストラクターが私の下を通り過ぎていった。猛スピードである。その有様をみて、息が上がっている自分に気がつく。2名のダイバーが現れたハンマーの5m手前まで近づいたところで巨体を翻して消えていった。インストラクターは海底を這うように去っていくいくぶん小さめのハンマーを追っかけている。おいおい、そこって水深何メートルだあ? と私は一気に冷静になった。上を見るとガイドが散らばったダイバーを呼ぶように手を振っている。現在の水深は、と見ると30mを超えていた。一気に10m以上を潜降したことになる。こんな激しいダイビングはもちろん初めてだった。ハンマーヘッドシャーク
 ゆっくりとガイドのいる水深まで浮上する。ハンマーが現れたのでほっとしたのか、マスク越しでもガイドの目が笑っていることがわかる。ダイバー達の興奮も伝わってくる。不思議なことだが水中がざわついているような気がするのだ。私も参加メンバーとVサインをかわしたり、インストラクターにOKサインを出したりと浮かれていた。その後、前日のように根に掴まってさらにハンマーを探す。すぐそばでイソマグロが2匹泳いでいた。しかしハンマーを見た後では彼らは小物だ。他のダイバーからも注目を得ることはできなかったようだ。
 2本目は昼前の11時19分にエントリーし、1本目とほとんど同じパターンで潜る。しかし今回は不発。ギンガメアジの群れを見るも、やはりハンマー恋し。ウメイロモドキやダツの群れでも気分は乗らなかった。ぜいたくではあるが、仕方がない。3本目も同じくハンマーは姿を見せなかった。このハンマーポイントでハンマーが出ないダイビングというのは、40分間ずーっとあたりを見回し続けるという何をしたのかほとんど記憶に残らないものになってしまう。途中でいろいろ魚を見ているはずであるが、思い出せない。ただただ眼下に見通せぬ深淵をのぞみ青い世界を漂っていたことしか記憶にないのだ。
 2日目のダイビングを終え、再び島内散策をしたあと、初ハンマーの記念に居酒屋で冷たいビールによる乾杯を幾度か重ねると、同じく再び早々と深い眠りについたのだった。
 でもってダイビング最終日の3日目である。最後だから遺跡ポイントにいってみませんか、という現地サービススタッフの誘いにも耳を貸さず、ハンマーポイント一本で攻める。
 1本目、同じポイントで同じようにドリフトしていると、突然大きな個体が一匹姿を現してこちらに近寄ってきた。胴回りが太く立派な体躯である。実はこの時期に与那国島近海に集まるハンマーはすべて雌らしい。出産のためにこの海に群れで現れるといわれている。黒潮が直撃し荒れ模様の冬の西崎に何故集まってくるのかまだ判っていない。このふとっちょもおなかの中にたくさんの卵を抱えているのだろう。あるていど近づいて我々を確認すると、180度ターンをして消えていった。ひょっとすると群れの斥候なのかもしれない。
 最後の日の1本目にハンマーが出たことで気分は上々である。このころになると他のグループと何匹の群れを見たかを自慢するようになっていて、直前のグループが20匹見たなんぞと言ったものだから悔しさと期待に胸が一杯の状態である。しかし2本目になると潮目が変わり、ほとんど流れのない状態になっていた。不思議なことに流れがないとハンマーは出てこない。どこか別の場所を回遊しているのだろうか? 根に掴まることもなく、40分間中層に浮かんでいただけのダイビングであった。
 そしていよいよ最後の最後、ラストダイビングである。天気がすこし崩れはじめて、海面も荒れ気味になる。ポイントまで5分とかからないから酔うことはないが、ダイバーは船酔いに強いほうがいい。自信のない人は普段から鍛えておこう。いまはいい薬もある。なにより体調管理が大切だ。夜遅くまで飲んで胃腸を弱めて寝不足などにならないことである。
 エントリーすると潮の流れはかなり強くなっているように感じる。これはよい兆候ではなかろうか。中層を10分ほど流しているとメンバーの一人が底の方を指さした。その方向に目をこらすと、海底に影が見える。しかも一つや二つではない。数え切れないほどの影が蠢いている。これはと思い、とにかくダッシュ! 両足のフィンでこれでもかと水を蹴る。息を止めないように呼吸を心がけるが、深度が増し吸気の抵抗が強くなって一呼吸するのも必死だ。酸欠になる恐怖を押さえ込んで海底へ向かうと、いるわいるわ。ひと目では確認できないほどのハンマーの群れが、海底をゆうゆうと泳いでいるではないか。その数の多さに怖じ気づいて潜降を中止し、水深を確認する。37mを超えている。危なかった。止まってよかった。海底まではあと20m近くある。もう10m潜ればかなり近づけるが、明日は飛行機に乗らねばならない躰なのだ。ここに留まることにして、ハンマーの群れを眺めることにした。しかし中には危険を顧みず、50mぐらいまで追っかけていったダイバーもいた。昨今はなにごとも自己責任であるからまあよいのだが、躰は大切にしたいものだ。ハンマーの群れは50匹はいたのではないかと思う。考えてみればこちらは10名弱で、体躯も劣る我々にもし彼らが敵意を抱いたならば、あっというまに殲滅されていただろう。しかし彼らはその恐ろしい伝聞とは裏腹に、人を避けて消えていったのだった。
 散らばったダイバーがガイドを中心に再集結を終えたあとも、興奮は当分冷めそうもなかった。最後の最後に訪れた幸運に、与那国に来て本当によかったと私は思った。海ではなかなか望むようにことは運ばないが、たまにこういうことが起きるからダイビングは止められないのである。引率のインストラクターも去年の小浜島ツアーでの鬱憤を存分に晴らしたようだ。またいつかここに来よう、と私は青い海に誓ったのだった。
 さて、すべてのダイビングを終え、群ハンマー遭遇の乾杯も存分にすました我々は、翌朝に必ずここには行っておくべきである「どなん」の醸造所見学もつつがなく行い、過酷な日常へと連れ戻された。が、ここで特筆すべきはその朝になってもダイブコンピューターが体内残留窒素ありを示していたことだ。この残留窒素というのは圧縮空気を呼吸するダイビングというスポーツにとって宿痾といえるもので、加圧された空気のなかの窒素が血液や体組織に溶け込んでしまい体内に多くの窒素が残留していることを指す。この窒素が急激な減圧、たとえばダイビング中の急浮上や気密性の低い航空機での高所飛行などで溶け込んでいた血液や体組織で気泡となって減圧症を引き起こすことになるのだ。この減圧症については、落合[いまいちキャラクターの薄かったMSG兼隊長]哲也氏が詳しいので興味のある方は彼にきいてみるといい。この残留窒素が飛行機に乗るまで消えなかったのは初めての経験だった。石垣行きのレシプロ機に乗る時も、石垣−関空便で宮古島を経由するときも気が気ではなかった。ようやくダイブコンピューターの表示が消えたのは関空に降り立つ直前だった。これからしばらく与那国ツアーに参加した面々の挨拶は「からだ痛くない?」だった。みなさんはくれぐれもこんなダイビングはしないようにして欲しい。
 でもって、今回の講座のまとめである。

  1. 与那国島はいいところ!!
  2. ハンマーヘッドシャークは怖くない!
  3. 中性浮力は金を払ってでも身につけろ
  4. 減圧症には気をつけろ!!

 以上である。みなさんも日々精進し、楽しいダイビングを心がけていただきたい。

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