お気楽ダイバーズ

大井[ないしょ]俊朗

  このところ人外協の一部地域でブームになっているマリンスポーツがスクーバダイビングである。これからは山だけではなく海にも人外協の活動範囲を伸ばさねばならなくなるであろう。その日のために、きたれダイビングの世界へ!
 君にもできる。はじめてでも怖くない、やさしいダイビング入門与太話である。

沖縄編

 国内でもっともダイビングの盛んな場所となると、人口でいえば関東・伊豆半島だろう。なんといってもダイバーの数が違う。なんでも伊豆の浜辺はダイバーが芋を洗うようにうじゃうじゃいるらしい。雑誌でも毎号のようにダイビングスポットの記事を見かける。しかし、国内でもっともダイバーが潜りたい場所といえばこれは文句なく沖縄ではなかろうか。どんなダイバーも一度は沖縄に赴くのだ。
 沖縄の海はたいへん美しい。そして世界的にも豊かな珊瑚礁で有名だ。しかしそれは種類の話であって、グレートバリアリーフのように巨大な珊瑚礁があちこちあるというわけではない。ごく限られたところにお花畑のように存在しているのだ。しかもよく報道されるようにその生息域も年々脅威にさらされている。
 一昨年の猛暑がきっかけとなった珊瑚の白化現象は耳に新しい。農地開発で表土が海に流れて出たとか、米軍のヘリコプター基地の移転で有数な珊瑚礁域が候補にあがっていたりと沖縄の現状は決してあかるくない。だからこそ、いまあなたは沖縄に行き、恐らくは長くはつづかないこの美しい情景をその目に焼き付けるべきなのだ。
 まず沖縄のダイビングで必要なものはダイビングナイフだ。できれば刃渡りが長く、細身のものがよい。これでなにをするかといえば珊瑚の天敵、オニヒトデの抹殺である。彼奴らは貪欲に珊瑚を食べて珊瑚礁を荒らしまくる。自然に対する介入だとか青臭いことをあなたなら言うまい。行動することが大切なのだ。見つけたはしから彼奴らを潰さねばならない。珊瑚礁の未来はきみのナイフにかかっているのだ。ほんとうは引き上げて焼いてしまうのが一番だが、あなたはダイビングを楽しみにきたのだ。獲った彼奴らを持ち運ぶのは嫌だろう。だからナイフなのだ。硬く冷たく輝く白刃を彼奴らの身体におみまいしてやるのだ。
 気をつけねばならないのは、中途半端なことをして彼奴らを半身に切り裂こうなどとすると、しぶとい悪鬼どもはその切り身から再生し2個体となってしまう。やるならば徹底的にだ。細身のナイフで珊瑚礁の奥に潜んでいる彼奴らを引きずり出し、まず中枢部分を刺し潰す。あとは動かなくなるまで石で叩き潰すのがいい。そうこうしていると周囲に小魚が集まってきて君の勇気を称えてくれるだろう。君は英雄だ。
オニヒトデの群と戦う わたしも数多くの悪鬼どもを処分した。ときには彼奴らに囲まれて絶体絶命のピンチに陥ったこともある。しかし、そのときどこからともなく現れた体長1メートルを優に超えるアオブダイの雄に助けられたのだった。あのときの彼の目は「しっかりがんばれよ」とわたしに語っていた。ああ、もちろんだとも。君の勇姿をけして忘れない、とわたしも目で返事を返したものだ。
 視界からオニヒトデが消えてしまえばもうそこはパラダイスだ。色鮮やかな魚の群れがあなたを迎えてくれる。時には先の大戦の遺物を発見することもある。不発弾などは日常茶飯事だ。中にはまだ信管が生きているものもあるので、ダイビングナイフでむやみに叩かないようにしよう。しかし長年海に使っていると原型を残さずに岩とも区別がつかなくなっているものもあるから要注意である。時には海底で英霊に出くわすこともある。そのときは迷わずこの美しい海を残しつづける努力をすると誓って欲しい。へたに「私は国会議員の靖国神社正式参拝には反対だ!」などと言ったらまず二度と太陽を拝むことはかなうまい。遭難するとツアー全体の予定が狂って他の人たちに迷惑がかかるからそこのところを肝に銘じておいて欲しい。
 このように世界に誇れるほど美しい沖縄だが、ああしかし、この海を脅かす輩はまだのうのうとしている。君が本当にこの海を愛するのなら立ち上がって欲しい。珊瑚の海の上にヘリコプター基地をつくろうなどとしている彼奴らを粛清して欲しい。永田町でふんぞりかえっている政治屋どもに海人魂うみんちゅだましいをみせつけてやってくれ。わたしも協力を惜しまない。それにはまず、綿密な準備が必要だ。私は独自の裏ルートを××××××… (以下危険なアジテーションが続くため編集判断で削除)

パラオ編

 ダイバーになったら目指す場所はまだほかにもある。海外にも有数なダイビングスポットは数え切れないほどあるが、近場でいえばそれはパラオ共和国。ダイバーならば行かない理由はない。というかダイバーでなければ普通いかないような小さな島国なのだ。遥か昔からの珊瑚が堆積してできた島だ。島のまわりは環礁で囲まれている。ここのダイビングの醍醐味はその環礁と外洋の狭間、ドロップオフと呼ばれるポイントである。浅い環礁の縁から外洋へ向かって切り立った崖が落ちている。その底は透明度が40mを超える状態でも見通せない。グランブルーの世界へと落ち込んでいる。技術の未熟なダイバーには危険な場所である。この底にどれだけの・・・・。いや、きみならばそんなことはない。ここに至るまでに技術の鍛錬に余念はないはずだ。中性浮力なぞ陸上で屁をこくようにこなしているだろう。
 ここでのダイビングはすべてドリフトダイビングである。緩やかな潮流に身をまかせて流されて行くのだ。流れに乗ってさえいればあまり体力もいらないので気持ちのいいダイビングが楽しめる。
 しかし中にはダウンカレントなるへそ曲がりな潮もある。これはダイバーを海の底へ、底へと引きずり込む海流だ。これにつかまったらまず助からない。抜け出そうとあがいているうちにタンクのエアが切れて一巻の終わりとなってしまう。またこれとは逆にアップカレントなる潮もある。この海流はまったく逆に上へ上へと引き上げるものだ。ならば問題ないように思えるが、急速な浮上は潜水病を引き起こす。海面に出るころには肺胞がずたずたになり意識を失って口から血を溢れさせていることもあるのだ。
 このようにスリリングなドリフトダイビングだが、なにそれほど怖がることはない。だいたいこのような潮の流れはちょっと遊びできましたなんてダイバーにはわかりっこないのだ。運命を大自然にゆだねて潜ることがダイビングの醍醐味なのだから、このような状況に遭遇することがあれば「当り」の人生だったと思えばいい。思ったとたんにもうすべてが終わっていることだろう。
 さて、パラオの海で特筆すべきは魚影の濃さである。さほど珍しい種類でない魚も数百、数千の群れとなって眼前に現れると迫力あるシーンとなる。ゆっくりと塊になって動くマダラタルミの群れや、飛び去る雲のように走るイソマグロの群れは壮観である。この海での主役は間違いなく魚たちなのだ。
サメに襲われる安全停止中のダイバー そしてなによりの驚きが鮫の多さだ。上下左右全方位に鮫の姿を観ることができる。どこを向いても視界のなかに一匹はいる。ほとんどが2mに満たない鮫で人間を襲うことはまずないが、それでもすぐ近くまで寄ってくることがある。あの知性のかけらもない凶悪な目でのぞき込まれると身震いがする。からかおうなどと考えてはいけない。自分の身長よりも小さな鮫でもその顎は強力だ。華奢な人間の片腕など平気で噛みちぎって持っていってしまう。海に血の臭いを感じるとそこらじゅうから鮫が集まってきて、凄惨なショーがはじまってしまう。ここは謙虚に潜る場所なのだ。
 ダイビングの合間に休憩のため無人島に上陸する。白い砂浜、コバルトブルーの海、南国の可憐な花、椰子の木、そして野良犬があなたを迎えてくれる。こんな島にはどこからきたのか一匹は野良犬がいて、ダイバー達の昼食の残りを糧にして生きている。みなおとなしくて気のいい犬たちだが、たまに歩くのがやっとというぐらいの老齢の犬を見かける。生きること老いることとはかくありきかと哀愁をさそう。あなたにも慈悲の心があるなら、安らかな眠りへ導いてあげて欲しい。その後は海に流してあげれば、すべて大海が解決してくれる。
 フルーツバットが生息している島もある。現地のガイドがボートから空気銃をひっぱりだしてきたときには一瞬ひやっとしたが、彼はわたしには見えない蝙蝠を狙い撃ちし、獲物を手に意気揚揚とボートに帰っていった。なんでもスープにすると美味いのだそうな。現地の人間しか食べてはいないようだったが。
 パラオ編の最後に食事の話でもしておこう。中心の島には日本人が経営している居酒屋もあるし、韓国人の焼肉の店もある。しかしおすすめは中華料理だ。本格的な中華料理が日本より安く食べることができる。英語が公用語だから特に不便は感じないだろう。60歳以上の人の中には日本語を上手に話す方もいる。現地語の中には日本語から発生した言葉も残っていたりする。だれにもわからないと思って日本語で変なことを言うと、藪の中に連れ込まれるかもしれないので気をつけよう。現地の人たちはいたって気のいい人たちなのだが、なぜか夜は外出禁止令が布かれている。夜になると物騒だというから、あまり遅くまでふらふらしないことをお勧めする。また酒場で現地人と一緒に飲むのを注意したほうがいい。からだの大きな彼らだが、アルコールには弱いようだ。文明とともに高濃度のアルコール飲料が島に入ってきたが、彼らの体はまだそれに対応する酵素をもっていないのだろう。

日本海編

 話を日本に戻そう。
 日本は海に囲まれた島国だから、ダイビングポイントはたくさんある。伊豆や南紀、高知のように名の知れた場所の多くは太平洋側にあるが、日本人なら日本の海すなわち日本海で潜らねばモグリである。
 佐渡や隠岐、壱岐対馬などの島では大型の回遊魚と出会うことができる。しかし本州沿岸部も捨てたものではない。ここで一般的なのはメバル、スズメダイ、ヒラメ、カレイ、アイゴ、カサゴ、アナゴ、カワハギなど普通に食卓にあがるような魚たちである。皿の上で成仏している姿からは思いもつかないほど生き生きとした彼らの生態を目の当たりにできるのだ。海岸に近い岩礁域はまた魚達の産卵の場所でもある。春先にはさまざまな種類の稚魚達を見ることができる。中には小さすぎていったいなにになるのかも判らないようなものもいる。特に日本海ではタイの幼魚が浅瀬で暮らしている。タイやクロダイは成長するにつれ沖の深い海へと移ってゆくが、幼魚のころは好奇心旺盛でダイバーの後ろをついて回ったりする。振り返ると小さな桜色をしたチダイと目が合ったりするのだ。よしよしはやく大きくなって私の胃袋に収まるんだぞ、と思わず微笑えんでしまう。
 さてこのような海だからこその問題もある。そこは生活の海でもある。海の幸を糧に生きている人々はダイバーを快くは思わなかった。漁業権という既得権とダイビングは最初の出会いから戦いの連続だったのだ。潜ることがファンダイビングではなくフィッシュピアッシングで始まったせいでもある。それは漁民の目から見れば密漁となんら変わりはなかった。日本海はまた某独裁国家の工作員が暗躍するところでもある。当時のダイビングギアが黒で統一されていたこともあり、アクアラングにマスクをつけていれば普通のダイバーか工作員かそう簡単に見分けはつかなかった。漁場を荒らされ、妻子を攫われた漁民たちがダイバーを襲う事件が相次いだ。この状況を憂慮した政府が北米で野心的な活動を行っていた指導団体PADIとNAUIに本土上陸を申し入れ、ひそかな啓蒙活動がはじまったのだ。ルパンV世がいつの間にかカラフルなダイビングギアを使うようになったのも、ダイビングがテーマのトレンディな映画も「明るく楽しいダイビング」を民衆の意識下に刷り込もうとする政府の苦肉の策だったのだ。
 こうしてダイビングが荒くれ男の遊びから若い女性中心のリゾートの遊びになるにつれ、漁民とダイバーの距離も徐々に近くなっていった。バブル絶頂期のころ急激に増加したダイバー達にちょっと手を貸すだけで現金収入が得られることを知った漁民達は、ようやく共存の道を模索しはじめたのだ。いまでは休漁日にダイビングポイントまでダイバーを乗せる漁船は珍しくない。ようやく平和な海が訪れようとしている。
 しかし昔の悪夢はまだ人々の胸の奥底に眠っている。私も潜っている最中に何度か漁船から銛を打ち込まれたことがある。本気ではなく威嚇ではあったが、生きた心地がしなかった。怨恨の鎖はまだ完全にはとけてはいないのだ。くれぐれもサザエを拾ったり、アワビを獲ったり寝た子を起こすようなことは慎むように。そんなことがしたいのなら、漁業権を買ってしまえばいいのだ。きょうび金で買えないものはない。海が好きなら一石二鳥ではないか?

フロリダ地下水脈編

 最後にお遊びのダイビングではなく、冒険としてのダイビングを紹介しよう。20世紀は多くの未開地が開かれて冒険の場所が失われていったが、潜るほうはまだまだ命がけの冒険が残っている。
 一般にダイビングといえば海や湖、あるいは河で行うものである。しかし中には危険な場所を好んで潜るダイバーたちもいる。その一つが洞窟ケープの中で潜るというダイビングである。日本ではほとんどないが、海外では結構盛んなようである。なかでも米国フロリダ州の地下水脈でのダイビングは常軌を逸している。
 洞窟や地下で潜るという行為は、太陽光は届かず狭くて見通しの悪い場所で、緊急の場合に浮上して危機的状況から脱出するというセーフティを完全に捨て去った危険な行いである。米国ではこういった狂気の沙汰ともいえるダイビングが以前より行われていた。装備が未熟だった時代にこのようなダイビングを行っていたとはさすがにメリケンのやることは一味違う。当然、生きて帰れなくなったダイバーもいる。いるというかこのケーブダイビングだけで1000人ぐらいはお陀仏さんになっているのではなかろうか?
 なかには単独で潜ったまま行方不明になった者もいるだろうから、正確な数字ははっきりはわからないだろう。
 なかでもフロリダ州の地下水脈を潜って、その流れを探るという冒険野郎たちはぶっとんでいる。
 最大深度100m、最長おそらくは40km(ぐらいか?)にも及ぶという地下水脈をはるかメキシコ湾に向かってたどっているのだ。張り巡らされた道標のロープ。それがまさに命綱だ。洞窟内はもちろん暗い。ライトの電池は無限ではない。漏水、過放電の可能性はゼロではない。予備を持つにしても、数時間持続する特別なライトは大きくそう何本も持ち運べない。もちろんエアタンクだって使う量は半端ではない。新しい支流や、もっと先まで探査するとなると、まずエアタンクをポイントポイントに設置していくことからはじまる。もちろん数十キロを延々と泳ぐわけではない。タンクと同じように水中スクーターを設置していく。なんども言うが地下は暗い。そして寒い。ダイビングでは基本的に体温は奪われていく一方である。彼らは体が水に濡れないドライスーツを着て潜っているが、トイレはどうしているのだろう?
 数時間も潜っていたら膀胱はぱんぱんになるはずだ。私などは1時間ももたない。いつかドライスーツのなかに漏らしてしまうのではないかと気が気でないのに。きっと特別開発した大人のオムツを装着しているのだ。蒸れない匂わない気がつかれない、冬のダイビング必須のアイテムなんて日本で売り出したら伊豆あたりでは爆発的ヒットになるだろう。もちろん私も買う。みんなには内緒だが。
 彼らはただの頭のネジが足りない奴らではない。ダイバーとしての技術(度胸も)は特級品だ。何時間も潜っていられるという精神力もさることながら、狭い洞窟内でも底に堆積した砂をまきあげず自由自在に動けるという人間離れしたテクニックの持ち主たちなのだ。そもそも洞窟内は何度も言うが暗い。頼りはライトの明かりだけである。しかしそこで下手に砂を巻き上げると狭い洞窟内の視界はすぐにゼロになってしまう。ライトの明かりは浮遊物に乱反射して使い物にならなくなる。洞窟内の砂は粒が細かく、一度巻き上がると数時間たたないと沈まない。こうなると普通ならパニックに陥ってしまう。命綱のガイドロープも手から離れてしまえばもう二度とつかめない。そうやって現実に何十人ものダイバーが命を落としているのだ。だから彼らは自らに過酷なトレーニングを課す。どんな状況でも砂粒一つとして動かすことのない移動テクニック。目を閉じたままどんなことがあろうとガイドロープを手から離さない注意力。長時間の低水温にさらされても狂わない判断力。半日にも及ぶダイビング後の減圧停止の孤独に耐えられるように暗記でフリーセルを行えるという暗記力。すごい。現代に蘇る忍者だ。いったい何が彼らを駆り立てるのか?
 名誉も地位も彼らの目には入らないだろう。暗く深い洞窟のなかで彼らはなにを思って潜っているのだろう。誰か直接聞きに行ってもらえないだろうか。私は「一緒に潜ればわかるさ」なんて洞窟に連れ込まれるのが怖いから、絶対に行きたくない。

地下大水脈

 さて、入門編といいながらちょっとディープな内容もあったが、基本的にダイビングはお遊びのスポーツである。自分自身に合った潜り方をしていればなんら問題はないのだ。ほんの数十分でも重力を感じない世界へ手軽に連れて行ってくれる。そのあとに命があるかないかはあなたの心がけ次第なのだ。どうです? ダイビングはじめてみませんか?。




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