大型放射光施設Spring−8

林[艦政本部開発部長]譲治

日時:2000年4月16日
場所:播磨科学公園都市
移動方法:前日までスキューバーのプール実習だったため、明石の阪本家に宿泊。阪本さんのおかげで西明石の駅の新幹線乗り場まで送ってもらう。そこから新幹線に乗りこだまで姫路に行く。その時の新幹線は姫路にしか停車しなかったため。そこから各停のこだまに乗り換え姫路の次の駅である相生に向かう。新幹線で2600円弱。
 相生駅からバスとタクシーの二つの交通手段があるが、土日は運転するバスが激減するため、タクシーで向かう。相生駅から播磨科学公園都市までは4200円くらいだったが、そこからSpring−8まで行くとタクシー代は5590円になった。敷地の広さが実感できる。もっとも広くなければ大型放射光施設など建設できない。タクシーの運転手もSpring−8の存在を知っていたことに驚いたが、よく考えると存在している施設の総数が限られているのだから当然かもしれない。
 正門でタクシーを降り、まず最初に放射光普及棟に向かう。一番驚いたのが直径10メートルほどの車回しの周囲に出店が並んでいること。それでもSpring−8の絵葉書とかマグカップを売っているならわかる。施設の一般公開ではよく見る光景だ。ところがここではそんなグッズは一つとしてなく、地元名産の食材の類いばかりが並べられている。まぁ、食材を並べちゃいけないとはいわないけど、絵葉書くらい欲しかったなぁ。
 とりあえず出店は無視して施設に入る。ここはどうやら普及棟という名前からもわかるように広報のための場所らしい。パネルや機器類の展示がある。ここで聞いた話。
 Spring−8は放射光施設であるが、原理から言ってあらゆる波長が出せる。この波長の中には可視光も含まれる。ただ強力な可視光を照射する装置は別に色々とあるからあえてSpring−8で可視光を照射する必要は無い。だから出していない。ここで可視光を出させるのは鶏を裂くのに牛刀を用いるがごときものか。
 基本的にここでは幾つも出せる放射光の中から必要な波長だけを使うようになっているらしい。運営に関しては三週間が一サイクルで、この中の一週間は調整作業に充てられるのだという。ただしこの数字は標準的なもの。実験内容によってはすぐに放射光が出せて長期間の実験が可能な場合もあれば、精度を求めるが故に調整時間が長く必要で実験期間が短くなる場合もあるらしい。
 Spring−8が第3世代の放射光施設であることはここで伺った。ただ説明してくれた職員は事務系の方だったらしく、技術的な詳細については別の人に聞いて欲しいとのこと。
中央管理棟 放射光普及棟を見てから中央管理棟に向かう。坂道を100メートルほど昇ると問題の場所に着く。階段を昇ると何かの管制ルームみたいな部屋がガラス越しに見える。宇宙船エンタープライズ(初期型)のブリッジをほうふつとさせるデザインで、ディスプレイや端末が円形に配置されている。あれはたぶんスタッフ相互の意思の疎通を図りやすいとの考えだろうか。私が見た時には互いに向き合って何かを議論していた。
 射光による蛋白質の構造分析の展示を見る。どうして放射光で蛋白質の立体構造がわかるのか?これが私は前から知りたかったのだが、職員(たぶん研究者)は喜んで教えてくれた。これはたぶんSpring−8の立地条件にもよるのだろう。地元の人が見学者の大半で、他の施設ならたくさんみかける子供たちの姿が無い。筑波学園都市だって不便だなんだといわれながらももっと子供の姿は目につく。まして地味な分子構造の解析。質問をするような人間がたぶんほとんどいなかったのではあるまいか。
 説明によると放射光による蛋白質の構造解析は幾つかの条件が必要になるのだという。まず分析すべき蛋白質の結晶が必要になる。この結晶に放射光を当てると、散乱・回折がおきて一つのパターンが得られる。このパターンにより分子の電子雲の密度などがわかる。電子の濃淡ですね。
 分析すべき蛋白質の分子組成はあらかじめ解析されている。DNAの解析などでアミノ酸の並びも把握されている。基本的に蛋白質は線上にアミノ酸が並ぶから、この情報も構造解析には必要だという。
 アミノ酸の構造や電子雲の密度はわかっているからそれらのデータと先の散乱・回折パターンを突き合わせて、もっとも観測結果に合致する立体構造を構築する。こうして蛋白質分子の分子構造が決定されるのだという。この時に分子量の差はあまり作業には関係ないらしい。ただ分子量が大きな蛋白の解析には強い光が必要であり、Spring−8の真価はまさにここにあるという。
 ここから先に進むと放射光の利用施設にでる。放射光リングのすぐ外で、数十メートル間隔でパソコンやワークステーション、あるいは何等かの測定機をならべ、パーテーションで区切った島のようなところが幾つかある。これらはそれぞれ放射光のユーザーだという。何しろ直径300メートルの施設であるから周囲を移動するのも簡単では無い。だからリング内を移動するために自転車が幾つか用意されていた。じっさいそれで移動している人を目撃する。
放射光施設 リングの前となると放射線が気になる。しかし、このユーザーがいる部分には厚さ1メートルのコンクリートと厚さ2センチの鉛で遮蔽が為されているという。またリングの扉が開いて中に人がいるような場合には電子ビームがダンプされ、放射光は出ないようになっているという。筑波のトリスタンでもキースイッチのパネルがあり、全員のキーが刺さっていないと――つまり内部に人間がいないことを確認しないと――回路が閉じないため放射光が出ないようになっていたが、たぶん同様のものでしょう。
 中央管理棟を抜けると巡回バスがある。これに乗り長尺ビームライン実験施設を越え、ニュースバルへと向かう。長尺ビームラインは全長1キロ。ここには上下二本のビームラインが並んでいるわけですが、これが意外に難しい技術だという。要するに地球は丸いわけですが、ビームは直線で進む。この微妙な誤差を解決するのに高度な技術がいるとのこと。
 また上下二本のビームラインというのも科学的に興味深い振る舞いをするとか。同じ光源から発生したX線を片方は1メートル上に、もう一つはそのまま直進させる。そうすると重力ポテンシャルを1メートル分余計に受け取ったX線はその分のエネルギーを減少させ、波長が若干短くなる。この二つのビームを1キロ走らせてから干渉させると、波長のズレから干渉縞が生じるという。
 加速器の類いもこれくらいの規模となると、この程度の重力場の違いも感知できるということらしい。じっさいSpring−8では太陽や月の潮汐力による岩盤の収縮によるビームラインのズレさえも周期的な変動として観測できてしまうとか。
 この施設を過ぎると新世代放射光源ニュースバルにバスは到着。この施設は予算の面では若干複雑で、フロアのある区画は兵庫県の予算、その隣は国の予算で動いているという。これは兵庫県の先端技術開発による産業創設のプロジェクトとの関りがあるらしい。
 やはりここで一番興味深かったのは自由電子レーザーの研究。自由電子レーザーの最大の特徴は波長を自由に変えられること。電子ビームの高い制御技術が必要となるが、X線域のレーザーも不可能ではない。
 波長を変えられることで何が可能かといえば、特定分子の電子軌道を励起することが可能な点。つまり選んだ分子だけに選択的に化学反応を起こすことが可能であるということで、この現象を工業レベルまで実用化すれば、その応用は無限ですね。プラント設計の革命になるかもしれない。
 実はSpring−8は構内が広いわりには公開されている施設が意外に少ない。組立調整実験棟で見るものはほぼお終い。ここに展示されているのは日本初の放射光発生装置SOR−RINGの展示。日本にも独自の放射光施設が必要という提言を入れ、1971年から74年にかけて建設されたらしい。
 基本的にSpring−8と同じ構造ではありますが、こちらが一周1436メートルに対してSOR−RINGは17.4メートルと80分の1の大きさに過ぎない。エネルギーにしても16分の1だから、この30年近い歳月の中で施設がどれほど巨大化したか――それはつまり技術の進歩でもあります――がわかります。それでも感じるのは大きさを80倍にしてもエネルギーは16倍程度にしかならんという事ですか。
 とりあえずこの辺を見学して帰途に就く。施設は面白かったが電話でタクシーを呼ぶか、毎時一本のバスを待たねばならない交通の便の悪さに頭の痛くなった一般公開でありました。




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