「トラクター工場はどうだね。なかなか景気がよろしいという話だが。」
中佐はすこぶる上機嫌だ。建物の中も、活気があふれている。
何か、大きなプロジェクトが、動き出しているらしい。
南部は、そんな実感をいだきはじめている。
もっとも、そのために、彼が東京に呼ばれたのであるが。
「おかげ様ですが。受注残をこなすのに、工員が足りなくて大変ですよ。」
「うーむ。それはいかん。いかんなあ。」
言葉とはうらはらに、中佐の口調は、それほど困ってはいない様子である。
雑談のあと、ようやく中佐は本題を切り出してきた。
「さて。わざわざ東京まで来てもらって、申し訳ないのだが…」
当番兵が、人の背丈ほどもある書類筒を、何本か抱えて入ってくる。
まだ薬品の臭いが鼻をつく、青焼きの図面が、テーブルに広げられた。
図面に書かれていたのは、戦車だった。
南部は、くいいるように、図面を追った。
異様に大きい転輪。低い車体。傾斜した正面装甲。
別の図面には、懸架装置の詳細が、示されている。
かなりの高速性と、不正地走行能力を、兼ねそなえていることは、南部にも理解できた。
「クリスティーですね。」
管理者としての業務が増えているとはいえ、最近の事情にうといわけではない。
海外の専門誌を、船便で満州まで取り寄せたり、欧米の自動車業界を視察したり、情報収集に怠りはなかった。
クリスティーというのは、米国の自動車技師の名前である。米国陸軍の軍用車両の設計にかかわって以来、斬新なコンセプトの軍用車両を発表し続けてきた。
もっとも、一部で注目を集めてはいたものの、評価はかんばしくなかった。
設計思想があまりに、当時の軍事常識から離れていたからだった。
戦車に求められていたのは、動くトーチカ、つまり、歩兵直協での行動のみだった。歩く歩兵と共に作戦するならば、それほどの速度は必要ない。
しかしながら、ヨーロッパ正面で発生すると予想される戦いでは、従来の戦車戦の常識が覆される可能性があった。
整備された道路交通網、そして機械化された軍隊。
「厳密に言えば、そうではない。」
中佐は、そう言って、南部の発言を待った。まるで、口頭試問だった。
「ミッションに手を入れているようですね。」
「あくまでも、装軌での走行を基本としている。北シベリアの大平原は、欧州と違って、道路は舗装化されておらんからな。」
中佐は、あくまでも尊大な態度を崩さない。
「私の工場で試作せよ、ということですか?」
「そういうことだ。だがね、一点制作の置物をつくるわけじゃない。量産をにらんでやってみて欲しい。」
南部は、頭の中で、工数を計算した。かなり苦しくなるが、実現不可能な数字でははなかった。
「わかりました。お受けしましょう。」
「そう言うと思ったよ。」
こうして、零式高速戦車、いわゆる「ゼロ戦」が開発されることとなった。
ゼロ戦は、その高速性と長い巡航距離をいかして、シベリア東部の戦線で活躍するのだが、それは、後の話である。