私小説・ふぁんだむ・でいず(その一)
「一枚のフロッピー」

松岡[武装ジャーナリスト]ゆきお

 あるものが触媒となって、むかし感じた熱い想いとか、ときめきとかが、よみがえってくることがある。たとえ、それが一瞬後には、気恥ずかしくなって、われに帰るような移ろいやすいものだとしても。

 裕貴は、連休のあいだ、親に呼び出されて、実家に帰っていた。
 家を新築したため、引越しの手伝いが必要だというのだ。
 親は、十年ほど住んでいた官舎を引き払って、郊外に庭の広い一戸建てを買ったのだ。 冷蔵庫とか洗濯機とかいった、大型の電化製品は、引越しを期に買い換えてある。タンスとか戸棚は、やはり素人の手にはあまるらしく、業者にまかせるつもりらしい。
 裕貴は、拍子ぬけしてしまった。当日の力仕事を除けば、特にすることがないようなのだ。
 彼の仕事は、実家に残してきた、自分の荷物の整理だった。
 就職のとき、実家に本をおいてきた。学生のころスチール本棚、四本にぎっしり詰まっていた代物だ。食事代を削ったり、バイト代をつぎ込んだりして増やしてきた。古本屋の御主人に顔を覚えられて、掘出し物をキープしてもらったりもした。
 SFMのバックナンバーは、さすがに後輩に譲ってきたが、それでも段ボール箱にして何個あっただろう。それを全部、物置につっこんだまま、就職していったのだ。
 親に、引越しを機会に、それを整理するよう厳命されてしまった。
 ほこりとかびの匂いの中で、本たちは眠っていた。一冊一冊が、かつて宝物だったはずだ。だが、暑い日差しの下で、もう一度手に取ってみても、何の感激もわいてこなかった。いまの裕貴にとって、さして価値があるものとは思えなかった。
 結局、段ボール三箱分を廃品回収に出した。
 自分でも思いきったことをしたと、裕貴は思った。だが、それでも残っている段ボール箱は、多かった。親が文句を言うのも、無理はない量だった。
 整理の途中、一枚のフロッピーが、出てきた。何かのノートにはさまっていたらしい。ラベルには、とある有名ワープロソフトの名前があった。
 書かれているバージョンからして、彼の学生時代のもののようだった。コピーにコピーを重ねて、どこからか流れてきたのだろう。
 裕貴は、何の気もなしに本の間にはさんで、バッグの底に突っ込んでおいた。
 実家から帰ってからしばらくは、フロッピーのことは忘れていた。連休の疲れと、たまった仕事で、それどころではなかった。
 日曜日の朝、お昼近くになって、裕貴は、マシンを触ることができた。
 物置の中で何年も眠っていたから、立ち上がるかどうか不安だった。まず最初にディレクトリを取ってみた。
 カチャカチャと音を立てて、フロッピーにアクセスが行く。裕貴は、画面に現れたディレクトリを見た。DOSのタイムスタンプが古い。
 裕貴は、リセットを押す。
 モニターにタイトル画面が現れる。
 登録された辞書を覗いてみた。
 「あ」から「ん」まで、ユーザー登録された単語をざーっと流していく。
 元の持ち主が、時間割を作るのに使ったのか。大学の科目の名前が出てくる。中には、裕貴が取った記憶のない講義の名前も見える。
 ある単語が出たところで、画面が流れていくのを止めた。
 それは、女性の名前だった。
 裕貴は、思いだした。
 その名前を登録したのは、確かに彼自身だった。登録してからも、何回も変換していた。画面に彼女の名前が出るだけで、胸が締め付けられるような、息ができなくなるような、そんな気持ちになった。
 われながら、くらい青春だな。
 裕貴は、苦笑いする。
 登録したその単語は、結局、一度も日の目を見ることはなかったのだ。
 「ねえ。なにゴソゴソしてるの。」
 寝室のほうから、同居人の声が聞こえてくる。
 彼女が、ようやく起き出してきたのだ。
 三分後、彼女は、CRTをのぞきこむはずだ。画面の上の自分の名前を見て、いったい彼女は、どんな顔をするのだろう。




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