「脳波覚醒レベルに達しました」
遠い声がする
「心拍脈拍正常。各組織正常に血流確認。羊水圧力減少。」
「ヴァイズII覚醒します。照明徐々に明るく」
瞼が開く、ゆっくりと眼球が動く。以前それと同じ瞳を持った少女がいたことを、その持主は今は知らない。
体をゆっくりと起こし、開いた羊水のカプセルから半身を覗かせた。学者達は慣れた手つきで、彼女の体から機器類に伸びた様々なコードを外していった。
「おはようヴァイズII」
冷たい目をした男は、後藤大尉と名乗った。
研究所の一室で、後藤大尉はレオノフ博士の後を次いでプロジェクトの責任者になった研究者と話し合っていた。
ゆったりとしたソファーに深く座り後藤大尉は口を開いた。
「ヴァイズIIの状態はどうなんだ?すぐにでも動かせるんだろうな?」
「問題はありません、オリジナルのESP遺伝子にさらに改良を加えほぼ通常の活動中でも、ヴォルテを認識・追尾できます」
嬉しそうに研究者は言った。青白い肌の神経質で不健康そうな額にはヴァイズIIについて話すときには興奮で赤みがました。
「ヴァイズオリジナルの時には、記憶の未消去で失敗した。今度は大丈夫だろうな?」
後藤大尉は苦々しい口調で聞き、手を膝の上で組んだ。
「ESP因子を残すときに少々不安は残りますが、大丈夫ですよ改良のときにチェックしてほぼ100%記憶の復活はないと思います」
にこにこしながら研究者は答える。レオノフは失敗したのだ、自分のヴァイズIIの処理は
100%完全なのだと言う自負が彼には有った。
事実ヴァイズのクローンといっても、ヴァイズIIは遺伝子状態での改良で白い肌や顔立ちは似ているが能力も強化されていた。
彼女には、消される故郷の記憶も、思う度に涙を流す母の膝も細胞の分裂の中に置き忘れ、培養カプセルを出てきたのだ。後藤大尉はとうとうと自分の研究を話し始めた研究者を、立上がらせヴァイズIIを連れて作戦行動を始めるために部屋を出ていった。
後藤大尉は警察署の中に入っていった。一人残されたヴァイズIIは瞳を閉じ、深く息をはいた。シートをリクライニングして、ゆったりと頭を預ける。
『この街にヴォルテは、居る』
ヴァイズIIにはわからなかった。ヴォルテがこうもしてまで、後藤大尉から航空宇宙軍から逃れようとするのか・・・。
瞳を閉じて、意識を開放する.拡散した意識は、石の壁も樹木も無視してヴォルテの意識を捜す。
瞳を開いているときでも、ヴォルテが側に居るかどうかはわかる。閉じたときは、さらに視覚も意識に加わり、あたかもその場に同時に居合せるように移動ができるのだ。
その彼女にも、ライラックの花もトーポリの舞う空も追いかけることはできなかった。
[それ]は、ヴァイズ・オリジナルと、その意志を流し込まれたヴォルテだけが持つ記憶だった。それを告げられたとき、ヴァイズIIは自分がレプリカであることを思った。
ヴァイズIIには[それ]が、オリジナルである証明のようにも思えた。[うらやましい]とは思えなかった。[それ]のおかげで様々なことがおこった。ヴァイズ・オリジナルは[それ]を後生大事に持ち続けたからこそ、最後は死んでしまったのだ・・・と。ヴァイズIIは考えていた。必要ないのだと、そんなものがなくても、存在する自分は居るから必要ないのだと・・・。まるで宝物のように[それ]に執着するヴォルテの行動は理解できなかった。ヴァイズIIは、ヴォルテに見たビジョン以外に展開する記憶があることに気がついていなかった。
じきに後藤大尉が出口に姿を見せ、ヴァイズIIは瞳をあけた、ヴォルテは見つからなかった。
オフィスの中でヴァイズIIはヴォルテを[捕まえた]。
ヴォルテはヴァイズの気配を感じた。
いるはずのない女性、自分にすべてを託して消えていった気配
『違うわ、私はオリジナルではないわ』
ヴォルテはヴァイズIIと話した。
話せば話すほど、既にオリジナルは居ないことが再認識された。
『お前は・・・・変ってしまった』
ヴァイズIIは、伝えるべきことを伝え消えた。
ヴァイズIIは会話中に、ヴォルテの中に溢れたイメージをなぜ、気に留めるかヴァイズIIは不思議だった。
イブを餌にヴォルテを誘い出すことに対する罪悪感などない。
心の中に引っかかっていたのは、ヴォルテとヴァイズ・オリジナルの想いだけだった・・・[自由になりたい]とオリジナルは叫んでいた。
「!?」
考え込んでいたヴァイズIIは、突然自分の周囲にまとわりつく思念に気がついた。後藤大尉はまだ帰ってこない。
「しまった!ヴォルテに意識を向けすぎた!」
感覚がはっきりと「危険」を認識する。
ヴォルテかとも考えたが・・・・違う![これ]は自分だ!
ありえない結論に、混乱する。しかし、ヴァイズIIの中の感覚の内圧は溢れて、体を熱くした。髪の毛がザワリと逆立つ。
ヴァイズIIは[自分と同じ意識]を[敵]と認識して迎撃のガードを張った。
『誰?ヴァイズIIIが立ちあげられたなんて聞かないわよ!』
白い肌に赤みが増す。まとわりついた思念は、ヴァイズIIに答えるように1メートルほど前の床の上に固まっていく。
白い靄のようだ・・と、ヴァイズIIは思った。
次第に[それ]は形を作る、自分のテレパス能力が画像を結んでいるだけかもしれないとヴァイズIIは思った。
ぼんやりと人型が生れる。
『ヴァ・・・・イ・・ズII』
自分と同じ声がする。
「ありえないわ!死んだのよ!」
ぼんやりと、しかしはっきりと[それ]はヴァイズ・オリジナルの格好を取った。
「幽霊?」
きつい瞳でヴァイズIIは、ヴァイズ・オリジナルの姿を取った[それ]を睨み据える。
後藤大尉はまだ連絡がない、他のSTAFFも帰る気配がない。ヴォルテの心理攻撃?否、ヴォルテにはこんなことは出来ない!
キリと唇を噛んでヴァイズIIは[それ]に向かった。
『違うわ、私は幽霊ではないわ』
「じゃあなによ!」
『貴女の中の、私。貴女のDNAの中に刻まれている記憶』
「それが、何でこんな風に出てくるのよ!」
『ヴォルテに呼ばれたわ。ヴォルテの中に私の記憶があるわ、貴女の中にもこうして私は居るわ』
ゆらゆらと姿が揺れる。綺麗な顔が悲しげにヴァイズIIに語りかけた。
「私は貴女なんか知らないわ!記憶なんてないわ!」
意識のどこかで[危険]という言葉が繰り返されていた。
ヴァイズIIは初めて[怖い]と思った。
『持っているわ、だからここに私は居るの。だから、ヴォルテは航空宇宙軍から逃げているのではなくて?』
「やめなさい!私は持っていないわ!レプリカである私はそんなもの欲しいとも思ってないわ!」
ヴァイズIIは押されている自分に気がついた。ヴァイズ・オリジナルと名乗る[それ]はヴァイズIIが張ったガードをものともせず、砂が水に染み込むように入ってくる。ヴァイズIIの意識の中にずるずると、その意識の触手を伸ばしているのだ。
「やめて!」
恐慌状態になりかけながら、ヴァイズIIは意識を必死になって閉じようとする。
『なぜ拒むの?思い出して、貴女の故郷よ、こんなところから早く帰りましょう』
「馬鹿言わないで!」
机にもたれヴァイズIIは体を支える。能力の消費が激しい。
呼吸が荒くなる。それでもヴァイズIIは見据えて言った。
「[それ]は貴女の故郷よ!貴女が望んでる[自由]だわ!」
ゆらとヴァイズ・オリジナルであるものはヴァイズIIから退く。
「ヴォルテは何も知らないわ!私が、レプリカが生れたのは航空宇宙軍の培養カプセルの中よ!何処が故郷よ!迎える家は何処よ!ヴォルテにはありはしないわ!トーポリが舞っても、ライラックが咲いてたって、そこは私の家じゃないわ!」
頭が痛い、耳鳴りがする・・・・。
『自由に・・・なりたいわ』
悲しげにヴァイズ・オリジナルの影は囁く。
「自由って何!?ヴォルテみたいに追いかけ回されるのが自由?そんなものが貴女が欲しかったものなの?」
『自由に・・・なりたいわ』
「やめなさい!」
ヴァイズIIはいつのまにか溢れた涙に気がついた。自分で、悲しいのか怒っているのかよくわからない。
「消えなさいよ!貴女の自由はなによ!ヴォルテの故郷はどこよ!私の欲しいものなんか何もないのに、あるように見せかけないでよ!」
声が止まらない。頭が熱い。欲しいものも望むものもあることすら、考えないでいる気持ちが、ヴァイズII自身を傷つけていた。
『自由が・・・・・・』
「そんなもの要らない!」
ヴァイズIIが叫んだと同時に、空気が弾けた。
無音のまま、窓ガラスがふき飛んだ。 ゴウッと、音がして部屋の中の空気が逆巻いた。
「いら・・・ない」
崩れ落ちるように、ヴァイズIIはその場に座り込んだ。
「そんなもの・・いらない」
細い声で、呟く。涙はもう乾いてきて、肌に白い筋を刻む。
ヴァイズ・オリジナルの意識が立っていたあたりの床は強い力がかかった後のように歪んでいた。
ヴァイズIIが拒んだことに対する、報復のようにヴァイズIIの頭の中にヴァイズ・オリジナルの記憶がフィードバックする。
「違うわ・・・・これは私じゃないわ」
「これはオリジナルの記憶よ!」
みひらいた瞳は乾いていた。ヴァイズIIはえぐり取れるものなら今すぐにでも、取りたいと感じた。
恐ろしいほどの渇望が、望郷の念が胸の中で厚く存在を示していた。気が狂うほどの、望み。
「何で私が背負わなければいけない。自由なんて望まないわ」
頭痛が治まってきた額に手を当てて、ヴァイズIIは頭を起す。側の机に捕まって、立ち上がる。
乱れた髪を直し、顔を洗う。鏡に向かって、オリジナルと何処か違うところを見つけようとした。
オリジナルと違うところは、遺伝子操作の副産物の髪のウェーブくらいかとあきらめて、鏡を後ろにした。
通信機が鳴り。後藤大尉の声がした。
ヴァイズIIはヴォルテの位置確認を知らせた。
このために自分は居るのだと、
ヴァイズIIは心の中に刻み込んだ。