「私の名前はエミリオ・パディス。よろしくな、小さな同士」
男はそう言って、指の半分が消えた右手をジャムナにさしだした。
ジャムナは少し驚いたが、すぐにその小さな手で、男の手を握った。
「私、ジャムナ」 大きな手は暖かかった。
二人はすぐにうちとけて、男は指は戦争で無くした、と冗談のような口調で言った。
「何故義手にしないんですか?」
不便だろうにとジャムナは言った。忘れないためだと男は笑った。
ジャムナはそれ以上聞かなかった。男も言わなかった。
ジャムナが胸の中で、謝りの言葉を何度か考える間に、SPAの幹部たちが二人のいる部屋に入ってきてしまった。
ジャムナは謝れなかった。
ジャムナは若干14歳でありながらSPAとコンタクトをとり、養父である航空宇宙軍将校を、テロに見せかけて殺した能力は、幹部だけでなくSPA内でも大きく評価されていた。
SPAはジャムナにエミリオ・パディスという教師をつけた。
ジャムナはパディスから、一般常識から、テロリズムのノウハウまでたたき込まれた。
エミリオ・パディスは Mr.無しで自分を呼ぶようにと言った。
ジャムナは少し考えてパディスと呼んだ。
最高に近い教師は、とても優秀なテロリストを育て上げた。
「ジャムナ寝てんのかよ」
「やめてよカトリおきているわよ」
目の前でちらついていた手を払い、ジャムナは助手席に座り直した。窓の外は薄暗い風景の中、遠くに移民時に植樹された常緑樹の森が見える。ジャムナとカトリが乗った車は森を横切る道に向かっていた。
「あの森の中にいるって話しだけど」 カトリがため息をつく。
「うんざりだな」 アクセルをふむ。 「エミリオ・パディスは居そうかい? ジャムナ」森を眺めながら口を開く。
「パディスは好きよ、あんな森」
「答えじゃないな」
「いい加減なのは、情報の方よ、『居るかもしれない』なんて報告したのは誰なのかしら、それで動く私たちのことなんてかんがえてないのね」 可笑しそうに言う。
「君は見つからない方がいいだろ?」 カトリは不機嫌な口調のまま。
道脇の標識に明りがつく。
「 意見が対立して出ていったって話しだけどね」
「ウワサだけど」 ジャムナはまた外に目を向けた。
ジャムナはエミリオ・パディスが怒っているのを見たのは一度しかなかった。
ある日、集会中に口論が個人的な中傷合戦になってしまったことがあった。エミリオ・パディスは、危ないからといってジャムナを隅の方に下がらせて中心の連中の仲裁に入っていった。
ジャムナには顔が遠くに見えていた。
パディスに食付くように向こう側の男が何か言っていた。
みるみるパディスの顔色が変った。気が付いたのは数人で止めようと近づいていった。パディスの動きが速かった。
鶏のようにけたたましかった男は、パディスの指の無い拳をくらって壁に叩き付けられた。驚いたジャムナは慌てて駆寄ろうとしたが、大人たちに阻まれて近づけなかった。
周りの人間に宥められながらパディスは足早にドアに向かった。ドアの前で止まり、ジャムナを呼ぶ。人ごみを分けるジャムナの頭の上で、誰かが「陸戦隊」と囁いていた。
追いついたジャムナの肩をパディスは震える手でたたいた。
ジャムナの視界に入ったパディスの右手は指の残骸が手のひらにきつく食い込んでいた。
街灯の明かりが一人の男のシルエットを浮べた。
ヒッチハイクのサインを右手を挙げて示す。
「どうするカトリ?」
「悪いけど無視するぞ、今日中に向こうに着くんだからな」
「そうね、作戦中だし」
すれ違いざまカトリは男に大声で謝ってまた前を向く、ジャムナは体をずらして振り返り、遠くなった男を見る。
「怒っているかい? あの人」
「怒ってなんかいないわ」
ジャムナには見て取れた。 大きく振った両腕の間にある懐かしい顔。高くあげた右手。
SPAの活動の基本を組上げた、パディスの生きたままの脱退を幹部連は許さないだろう。 だが、パディスの提唱する「経済のテロリズム」は今のSPAでは実現しないだろう。
パディスは彼の言う「静かな戦争」の為にSPAを離れていったのだと、ジャムナは感じた。 いつかパディスと同じ場面で航空宇宙軍と、いや地球政府の連中に対することがあるかもしれない。
希望でしかないとジャムナは思った。
遠くなって見えなくなり、ジャムナは前を向いた。
男は車を見送って反対の方向に歩き出した。歩きながら右手を見る。男は明日義手を付けに行くことを思い出した。
失ったものの為に、在るはずの無いものが付き、静かにそれは時を待つ。
「『静かに時を待て』ラッセルの言葉だ、ジャムナ」
男は呟いて笑った。
エリヌスの事件の後の、残ったSPA狩に「エミリオ・パディス」の名前もしくは、該当する人物はいまだ見つかっていない。