帝國陸戰隊防寒具異聞

五藤[宇宙軍広報部長補佐心得]三樹

 国立G大学工学部K研究室は、羊毛紡績の分野では昔から結構名前の通った研究室である。とくに紡績行程の測定と定量的評価に関しては、大きな評価を得ている。しかし、第二次世界大戦当時にこの研究室が軍の依頼を受けて特殊な軍服用素材の作成にあたっていたことは、余り知られていない。というよりも隠しているといった方がよいであろう。
 以下の論文は筆者がその研究室で修士論文を作成中、資料を探していてたまたま見つけたものであり、内容が内容であったのでそのまま隠匿してしまったものである。残念ながら表紙がなかったため作成者の名前は不詳で、後半部分が欠落しているが、当時の研究者が何をしようとしていたのか、またそのことをなぜ戦後も隠さなければならなかったのかが少しは分かったような気がした。(読者の便宜を鑑み、仮名遣い・漢字等は全て現代のものに改めました。:編集)

緒言
 先の第二次オホーツク海戦において問題とされているのが、厳冬季の戦闘における寒さによる戦闘能力の低下である。実際、気温の低下は人間の体力の著しい低下をもたらし、さらに困ったことに、その体力低下に気がつき難いという問題がある。特に解放型コクピットの九四式水偵に乗るためには、よほどしっかりした防寒具に身を包まなければたまらないが、冬季用航空衣では大した防寒性能は望めず、電熱服も連続使用は出来ないためあまり助けとはならない。熱帯地方で問題となる暑さに対しては精神力をもってして対処することも可能であろうが、残念ながら寒さに対しては精神力では打ち勝つことはできない。
 これは過日行われた陸軍の雪中行軍でも証明されている。
 このような過酷な状況で、さらに海軍陸戦隊に求められる仕様をみたす防寒具を可能ならしめる為には従来にない新素材を開発することが急務である。本論文ではその一提言をおこなうことを目的とするものである。

防寒具に求められる性能
 それでは防寒具に求められる素材の諸性質について考えてみる。
1.断熱性
 まず最初に考えられることは断熱性である。防寒具という以上当たり前のことであるが、これ無くして防寒具とはいえない。とくに今後も北方に対して作戦を展開するのあれば、想定される外気温氷点下20℃以下で、尚且つ長時間の作戦行動を行うことが予想される。
 ところで元来人間は恒温動物であるから自分自身が熱を発生しているわけである。高温多湿の環境下では、いかにこの熱を外に発散させるかが問題になるわけであるが、防寒具では逆にこの熱の発散をいかにして防ぐかが問題になるわけである。
 人間の発生した熱量は2つの経路をたどって発散していく。一つは衣服素材を伝わって外へ発散する、つまり衣服素材の熱伝導によるもの。いま一つは太陽からの熱が物質のなにもない宇宙空間を経て地球へ伝わるように、人間の体から直接外へ放射される熱である。防寒具用素材としてこの2つの熱損失をいかに防ぐかが問題となってくる。
2.通気製
 人間が発生してるものは熱だけではない。熱とともに水蒸気も発散しているわけである。そのためいかに断熱性が優れた素材であっても、通気性が無ければ極めて着心地の悪いものになってしまう。たとえ軍服であっても、いや軍服であるからこそ優れた衣服内気候を持たせなければならないことはいうまでもないことである。
3.撥水製
 これは通気性とは相反する性質であるが、重要な項目である。先のオホーツク海戦においても風雪、悪天候による海水の飛沫が衣服への着氷という結果を生んでいるが、これは冬季外套が優れた撥水性を持たないためであり、高い撥水性をもった素材であればたとえ着氷してもその除去は極めて簡単におこなえるはずである。
4.動き易さ
 防寒具といえども戦闘服には変わり無いわけであるから、動き難いものであってはならない。これはおもに縫製の段階で注意すべき事柄であるが、素材の点からかんがえてもいくつかの満たすべき点が考えられる。とくに不必要に分厚くならないことは必要である。たとへ防寒性能が優れていても厚さが10糎もあるようでは陸戦隊の防寒衣服用の素材としては不合格といわざるをえない。
5.不燃性・耐火製
 これも戦闘服にとっては必要な要件の一つであると考える。だたし消防夫用の耐火服を想定している訳ではないのであるから、これを最重要点とするわけではない。しかし、素材としての不燃性は当然必要であるし、防寒具本来の断熱性があればある程度の耐火性能も得られるはずである。
6.防弾、防刃性能
 これについて、現状の防弾衣服では鉄板を用いて防弾性を作り出しているが、この方法には一つの大きな欠点がある。これはやってくる弾丸を鉄板で弾き返すことが基本的な考え方である。問題は鉄板にあたった弾丸がどっちに跳弾していくかである。まっすぐ前に跳ね返ってくれれば良いのだが、思いもよらない方向へ跳弾して却って被害をあたえることもある。故に防弾性能は、とんでくる弾丸の運動エネルギーを吸収するような素材を使うことが望ましい。

陸戦隊用防寒衣素材に対する提言
 では以上の点を踏まえた上で陸戦隊用防寒衣のための素材について検討して
みる。

素材について
 基本素材は羊毛を用いる。引っ張り強度、摩擦強度をなど耐久性を考慮して綿糸を用いた方がよいという意見もあるが、発火温度など耐火性等を考えると綿糸では若干の問題がある。また、吸湿性を考えれば棉の七%に対して羊毛は十六%と圧倒的に優れておりこれらの点を考えて羊毛を基本素材とする。
 元来不燃性のある羊毛であるが、防炎加工を施す。これは羊毛に対してチタニウムあるいはジルコニウムなどの金属錯塩を化学結合させることによって自己消火性を高めるというものである。また羊毛は熱伝導率が棉の1.5に対して1.2と低く、これと合わせて耐火性をも兼ね備えることができる。
 衣服内気候の向上のため、通気性を保ちつつ防水性を保たせる。この相反する要求に応えるため織布を多重構造とする。
 一番内側には水気をはじき湿気を吸収するよう撥水加工を行った羊毛を、その外側に吸水性が高い羊毛を使用することによって衣服内部の水分を吸い上げることが可能である。さらにこの水路構造を連結させることにより、体から発散させた水分を集積することも可能である。この基本構造のうえに、断熱性、防炎性を高めるための構造をもつ複合構造とする。
 しかしながらこのような複合構造とするとなれば生地の問題になってくる。さきに述べたようにあくまでもこれは「戦闘服」であることが主であり、「防寒具」であることは従である。そのためには行動の容易さは必務であり、そのためにはあまり分厚いものでは行動に制約が生ずる。
 この相反する要求に答えるのために考案されたのが「水素断熱法」である。厳冬期の鳥類が羽を膨らませているのは羽毛に空気を充填することによって、その空気を断熱に利用しているわけである。これは通常の防寒具においても同様であり、まことに自然に学んだ賢い方法である。しかしかし、この「水素断熱法」は空気に変えて水素を充填することにより断熱効果を高める方法である。空気の比熱が1.008〜1.192に対して水素は14と飛躍的に高いため、同じ容積で飛躍的にたかい蓄熱効果をえることができる。問題となる充填された水素の漏洩であるが、新開発の漏洩防止材を使用することにより大きな問題とはなりえない・・・

 

 

 

 残念ながらこれ以降は欠落してるため結論は分からず、またこの「水素断熱法」が本当に効果を発揮したか否かも分からない。しかし、どうやら水素漏洩を防ぐのに使ったのが蒟蒻糊であったらしく、この技術が後の風船爆弾に転用された可能性は否定できない。ただそのような素材を使った軍衣が少なくとも公式には存在しないこと、そして当時の大学付属の繊維工場が原因不明の爆発を起こしていることも事実である。




●甲州研究編に戻る