日時 | : | 1996年1月21日 |
場所 | : | 東京都杉並区立井草地域センター |
参加者 | : | 記録しなかったけど、そこそこたくさん |
講演者 | : | 足立 真一 |
報告者 | : | 水城 徹 |
今月のおかし | : | やはり、いろいろ取りそろっていたように思う。 提供者は「いつものとおり」東京支部幹事長 佐藤(開拓班) (猫目 兼 スーパー◯◯先生) 泉 隊員 |
突然の休日出勤に阻まれ続け、夢に見続けた、憧れの花の都東京支部例会。
1月
日(日曜日)、前日に積もった雪もほとんど消えた午後、道に迷いこそしなかったものの、乗り過ごしやら乗り換えやら、『東京おそるべし』の感を強くしつつ、たどり着きました。井草地域区民センター。
会議室前には”青年人外協力隊・橋本潤先生を囲む集い”との看板。及び腰で扉を・・・
ひゃあーっ、戦中の読売新聞。戦中ドイツの”新型兵器”の原書。早速自分も、仕事場で発掘した”スカウトロケット・ユーザーズマニュアル”やら毎年発行されている謎の手帳”NASDAノート”やらを供しました。
カーリーさんは、今度ロシアの宇宙開発関係の資料をお持ち下さるとの事で、ロシアにメロメロな水城はそれだけで幸せ。
ガメラたいちょうがつくばで水城を愛人に、やおいの園を築いているなんて噂があったのですね。ひとしきり会話が弾んだ後、お話がありまして(どなただったか、名前をど忘れしてしまいました。すいません)、内容の方は、日本の情報収拾の歴史と現状、いかに間違った情報が流通するかといったお話でした。
その後、新宿の中華料理店で宴会となったのですが、巨大な新宿駅内で方向感覚を喪失したのに加え、台湾ビールで(お酒にはやたらと弱い)へろへろとなった私はあまりよく覚えていないのです。(水城は酔うとおとなしくなります。青くなるまで酔わせると誰彼かまわず敬語を使うという報告も1例あります。)
そのなかで記憶にあるのは、安達”ヒロ”さんの航空高専のご友人の話(久留米などがかなうはずが無い、そう思った)、しぶちょ様に逆らって、生きて明日の陽を拝めないということ、そしてバナナ餃子と大根餅。あと、橋本元秀さんが胃薬を飲んでられた事。大変なのですね。帰り際には、へろへろとあまりに頼りない私を見かねて、内田夫妻と橋本さんには東京駅のバスターミナル近くまでお送りしてもらいました。ありがとうございました。
(水城)
補足しておきます。
今回、講演は、足立(ベンジャミン)隊員でした。詳しい講演録等の報告は、テープ起こし等が済み次第に行われる予定です。なお、このシリーズは、安達(殺人アライグマ)隊員による『幻の超重爆富嶽と風船おじさん』など、続々と予定されております。 お楽しみに。 (神)
先日、
青年人外協力隊とは別の場だったのだが、安達隊員と新宿で飲んでいて、『ど
ん底』へ行ったところ、「だめじゃない、来なくちゃ」と安達隊員がマスターから説諭されてしまいました。
う〜む。やはり、どん底のマスターにとって、我々は「来てトーゼン」の常連客なのだろうか。
そういえば、某書店の映像関係の大ボスが、「若い頃はよく『どん底』で飲んで騒いで、マスターに怒られたもんだよ」と語って下さったコトがあるが、私の知る限り、かのマスターが柔和な表情を崩したコトというのは、一度も無い。
青年人外協力隊って、品行方正な団体らしいぞ。
(神北)
日時 | : | 1996年2月18日 |
場所 | : | 新宿三丁目・シャノワール |
参加者 | : | 記録しなかったけど、そこそこたくさん |
報告者 | : | 佐藤 泉 |
今月のおかし | : | 誰かがもってきた、オッパイ型のちょこれーと^^; 私はそれを忘年会のおりに名古屋で見かけたので、東京に約3か月かかって文化が波及したと考察される(笑)。 |
二月例会が何故シャノワールだったのか私の記憶は定かではないが確かしぶちょあたりが「宴会したい」という話だったような気がする。・・・ということで、今回はシャノワールでした。
4時頃あつまればいいか・・・と、某所よりバスで私は新宿のシャノワールにむかった。「すいませ〜ん、まちわせなんで中をみせてください」困惑する店員に笑顔を振りまきながら、中へ進んでいく。時間は3時30分・・・これ以前にもしきてた人がいたら・・・・合掌^^;
とりあえず、いなかったので「すいませんそのうち5〜6人に増えると思います」と言って席をキープする。ううむ^^;視線がいたい。しかし、入口に近いすみっこなので、安心して某所で購入したものを眺める・・・・ふふふふふ・・・・閑話休題。
そのうち、一人二人と隊員が増えていき、オカマほられてべこべこの車で雪の残る中を走った竜野隊員だの、怪しい本を買うために出てきた林隊員だのがあつまってきた。会話はいつものとおり、怪しい人々が怪しい会話をしていたように記憶する。私はよくわからない怪しい話を横に自分の手元の本を眺めたりしていた。
ガメラ隊長率いる一団が合流したのが5時前位だったろうか・・・・
席が一杯だったので、奥にいったはずだ。目がわるいのでその時気がつかなかったが、綺麗なお姉ちゃんと丸がりな兄ちゃんがいるなあ〜と、その時おもったら、なんと店を出るときに、華燭の典を挙げる、あおみじんこ女史とひらがな氏であった・・・・(笑)。
ガメラ隊長は後日の宴会の準備に余念がなく、満足げに「さあ例会宴会モードだ」と楽しみにしていたようだが、小林しぶちょ隊員は所要で離脱、私も私用で移動を余儀なくされていた為、もうしわけなかった。
その後の宴会は参加した人々の口から語られるであろう。
(佐藤)
この2月の例会に異変が起こっていたことに、読者諸氏はお気づきだろうか?
その異変は『今月のお菓子』に起こっっていた。そう、なんと、佐藤【開拓班】)《スーパー・グレート小沢》猫目先生)泉隊員ではなく、それ以外の持ち込みによる物だったということだ。今まで、変なお菓子と云えば佐藤隊員、佐藤隊員と云えば変なお菓子……だったわけであるから、これは異例と云わざるを得ない。一種の啓蒙の成功と見る向きもあると思う。
さて、明確な場所等は未定であるが、四月の人外協東京支部例会は、『新宿御苑でお花見』というセンが、ソコソコ濃厚になってきている。無論、扇動者は寒さを感じない小林【しぶちょ】千秋隊員である。詳しくは、3月度東京例会では決まると思うので、それ以降、ニフティ内の東京支部ホームパーティか、内田にでも尋ねて下さい。
(神北)
4月度、東京例会はOUT DOOR! ……ということで、いつも慣れ親しんだ杉並区民センターや新宿のシャノワールを離れ、青年は荒野を目指す。高野を目指すのは、そりゃお坊さんだぁ!……というわけで、出かけていった先は蕎麦で有名な深大寺。(といっても、私も東京に出てくるまで『深大寺そば』なんて、名前も聞いたことなかったけど……。)
吉祥寺に集合した我々は、ケンタッキー(ちょっち、毛色の変わったケンタッキー。メニューとか調度とかが違うので、一瞬ケンタッキーと解らないところが余計に変。とはいえ、吉祥寺なので、少々ヘンな店があっても特にインパクトはない。)で食事をし、一路ジンダイジ植物園へとバスで向うのであった。(一名、バイクで追随者あり)
バスはやがて、植物園のゲート前で停車。花見時期でもないのに、そこそこ人が降りる。目の前が入場券発券所。みんなで団体入場を狙ったのだが、団体に切り替わるワクが15人だったかで、ちと人数が足らず断念。都の施設がそんな不親切でいいのかぁ!(おれ、埼玉県民だけど)
諦めて入場券を買い、ゲートをくぐる。中はちょっとした林があり、左右に道が続いている。まずは、お決まりの温室へ。植物園と言えば温室。あの熱気あふれかえり、奇妙な鳥が密林の陰でキキョ〜〜!と鳴き、原住民のタイコの音が響く驚異と冒険の空間――だといいなぁ――に、我々は足を踏み入れたのであった。
バナナだハスだ、シダだと、ひとしきり見回った最期が蘭の部屋だった。なかなか見事――なんだが、『蘭の花を持って行かないでください」』という貼紙に、植物館学芸員の悲哀と涙を見た〜っ――。あきれ返るほどの蘭の中からハエのような花やネコのような花を探したが、さすがに『あの種の蘭』は置いてないようであった。
個人的なことを言えば、水族館とかの動くものと比べてじ〜〜〜〜っとしている花や葉っぱばかりの植物園というのは、あまり楽しいとは思わないんだが、時は春。綺麗な庭園を持った公園をそぞろ歩くというのは悪くはない。
温室を出た我々は、少し時間をつぶしてカリオンが時報を告げるのを聞き、その後、園内一周を目指して歩き出した。パッと見には単なる林にしか見えない園内だが、ゾーンごとに植生を変えてあり、歩いてみると結構面白い。武蔵野の原生種が多く植わっている林を抜けると、竹林があった。地下茎で混じりあって混在しないように、ドカンの中に1種ずつ植えられている竹がちょっと可愛そうだったが、マダケとモウソウ、そしてササしか知らなかった私は、タケ科が実に多様な種であることを思い知らされた。
マダケの竹林の中に入り込んで、地面が持ち上がるか持ち上がらないギリギリぐらいの旬の筍を探し始めそうな信州人たちを竹のゾーンからひっぱり出すと、そこは桜のゾーンだった。
都内の桜は多くがソメイヨシノで、一斉に咲き、一斉に散る。しかし、さすが、植物園。まだまだ見頃の桜が大量にあります。しだれ桜に山桜、色の濃いもの薄いもの。桜も多彩だ。
桜の下には、当然のごとく売店があり、広場になっている。そこで休憩。桜の園のすぐ横は、赤白黄色のチューリップが咲き乱れる花園だ。
この後園内合流した組とともに再び温室を廻り、我々は植物園を後にした。
二次会は、吉祥寺の中華屋さん。『とある御用』で上京した木村名古屋支部長がここで合流。安達隊員御用達のお店だけあり、なかなかに美味。木村支部長から「名古屋支部も、昔と比べればみんなおとなしくなった。皿がテーブルに載り終えるまでに上のものが消滅することは、最近では稀である。」というお話を聞くが、誰も信じてない。
以上、4月度東京支部例会報告である。