2月広島支部例会レポート

岡田[略称・若年寄]忠宏 

2月24日

 快晴とは言えない、どんよりとした曇り空のもと、記念すべき広島支部第1回例会兼顔合わせ会が行われた。
 集合は午後6時30分、広島天満屋の正門前ということであったので、10分ほど前に行って藤井隊員と一緒に待っていると、時間きっかりに吉森支部長がこられた。さらに数分後、支部長の友人の、西村嬢もこられた。
 集合したところで、流れるままに、お好み村にでも行こうということになった。
 結局、参加者は、吉森恵美広島支部長、岡田[略称・若年寄]忠宏、藤井[特殊工作班長]秦三と、吉森支部長の友人の西村嬢(未入隊)の4名であった。(注1)
 最初は自己紹介的に話が流れていたが、ふとしたはずみで、もう決まっていた(と彼が思っていた)藤井隊員の役職名についての話になる。(注2)
 なんだか、ずっとこの話をするか、僕と藤井隊員で漫才をしていたような気がする。
 そのあとに、吉森支部長の役職名も何となく決まった。(注3)
 他にした人外協関係の話と言えば、真面目な話では、支部報をどういう風に出すのか、とか、山口支部と合同で、花見でもするといいなーという話とか(注4)。あと、巨大な豆腐の話の番外編的な話もでた。
 それと、吉森しぶちょう、いかにたいちょの毒牙(注5)にかかり、人外協に入隊してしまったかと言うような話もあった。
 そのあと会場を変えたが、ファーストフードの店で、結局、話の続きをする。(注6)で、一通り、話が済んで、笑いまくったあとに、お開きになった。(9時30分だったか)
 この時点で、重大な事実が明らかになる。
 広島支部は、例会で一滴もお酒を飲んでいない!!!!。
 本当に人外協なのであろうか。
 これからは人外協下戸支部と呼んでください。(笑い)(注7)

広島支部一同の図
(注1)  これは、例会が始まった時点での役職名である。そのあとに悲劇がおこることを、藤井隊員は、予期していたのだろうか。
(注2)  最初は[特殊工作班長]だったが、僕が、彼を紹介した時に彼をおたくと言ってしまったことから、「オタッキー」「おたく」「ひのまる」「君が代」(あぶねー)「あか」(前2つと矛盾するところが、藤井隊員らしいと僕は思う)と変遷し、この中のどれかに決まりかけていたのだが、彼のポロリと言った[足軽]という役職名に結局決まった。(雑兵、3士と言うのもあった)かれはこれにも抵抗していた。(かれは足軽という言葉にトラウマがあるらしい)しかし3人の支部で2人が賛成すればそれまでである。(合掌)
(注3)  西村嬢の発案で[お局様]にきまった。このとき、広島支部は、戦国・江戸時代に行ってしまった。(若年寄にお局様に足軽じゃあ)
(注4)  こいつは、真面目な話です。山口支部さん何とかしてみませんか。
(注5)  そう言えば、バッコンには西村さんも、支部長と一緒に参加されるようですから、それまでに入隊が決まってなかったら、隊長の出番じゃないかと(笑い)え?毒牙じゃないって?
(注6)  関係ない話だが、ポテトが入れ物に入り切らずに溢れていた。いい加減だなあ。
(注7)  僕は完璧に下戸です。藤井隊員はあまり飲めません。でも支部長はそうじゃないと言う噂も、・・・・、噂ですから。

祝★第一回山口支部例会及び
  4月広島支部例会レポート

吉森[お局様]恵美

 4月8日朝

 前日迄の雨が嘘のように上がり「雨女」の異名のある私は胸を撫で下ろした。本人にその気はなくとも言われると気になるものだ。
 予定した西条発岩国行きJRには岡田[若年寄]隊員、藤井[足軽]隊員と隊員外の友人黒岩淳子の三名がこれも予定通りに乗り込んでいた。この便かもう一本後の便に間に合わないと合流する術を考えていなかったのでまずは一安心。車内で三人を紹介してのどかやかな天気のもと一路岩国駅へと向かった。

 改札口ではタナトストレーナーを着た和田[隊長役職名をはやくきめてね]山口支部長がにこやかに迎えてくれた。お喋りに興じていると吉田律子隊員がどんけつの永野洋二隊員がやってきて全員集合と相成った。
 車の和田支部長といちど別れ、昼食を買い出してからバスで錦帯橋へと向かい、橋のたもとで再会して川原土手でお昼になった。
 話題は「甲州先生の消息」「たいちょってやっぱり男の人なのね」「人外協は如何にして成ったのか」「作家の自殺」「牛・豚さんの屠殺のしかた」「今夜のおかず」「○ぺが面白いのは五十巻からよ」等。前後して観光も行われ<白蛇保存館><吉香公園><節操のないミニ動物園>を経てロープウエイで<岩国城>に登り市内を一望し下山。
 この間もいろいろな話が出たが、特に山口支部の今後数カ月の例会予定が決まった様子。まずはおめでたい。興味のある方は連絡すると良い。
ちなみに五月は<徳山動物園>であった。
 その後時間もよくなったので再び錦帯橋へ行き、そこでいったんお開きとなった。ここで和田支部長とお別れして残りは岩国駅で解散。帰りも行楽ラッシュにかかることもなくとても良い一日でした。


第2回広島・山口支部合同例会レポート

永野[名前はまだ無い]洋二

1990年5月20日

 5月20日、前日までの雨が嘘のような好天(確か前回もそーだったような気がする)の下、第2回広島・山口支部合同例会が行われた。
 参加メンバーは吉森[お局様]恵美広島支部長、和田[ゆかさまだけは止めて欲しい]由香山口支部長、そして私の3名(ちょっと寂しい)。
 今回のテーマは『徳山動物園でレッサーパンダを見よう』というわけで、午前十一時ごろ徳山駅に集合した我々は、バスで徳山動物園へ向かったのである。バスの中では、吉森支部長の旦那さんが、社員旅行で高野山へ行った話から、山の中を走るバスの現状と正しい在り方についてとか、古典SF等についてのまっとうなSF談義などをしているうち、動物園に到着。入場料300円なりを支払
い、入場した。
 本日の目玉であるレッサーパンダは、確かに<生きて動くぬいぐるみ>といった感じで、可愛かったが、和田支部長曰く「レッサーパンダってよく見るとけっこう凶悪そうな顔してる」ということで、確かに目つきはよくない。またタヌキ(たくさんいた)やアライグマ(たくさんいた)を見た時には、これだけいるなら1匹ぐらいとって帰ってもわからないんじゃないかと話していた両支部長が、天竺ネズミ(ようするにモルモット、これまたたくさんいた)を見た時には、これは1匹だけでいいと言っていたのが印象に残る。だれしも、夜中の公園にネズミを捨てに行くような事態はさけたいらしい。(意味のわからない人は佐々木倫子の『動物のお医者さん』を読もう)その他、シンクロナイズドスイミングをする白熊、長年にわたりアフリカゾウと世間を偽ってきたマルミミゾウ(特徴が似ているらしいがアフリカゾウほど大きくならない)を見、和田支部長が鏡を使ってペンギンをからかったりして、ちょうど1時間ほどで園内を1周した。
 時間もちょうどよいので、昼食でもということで動物園の食堂で食事をした後、まだ時間があるので、他にどこか面白い所はないかということになり、和田支部長が駅でもらってきた観光案内図を見ると、『万葉の森』というのが近くにあるようなので行ってみようということで、エネルギー補給も済んだ我々は元気に歩き出したのであったが、ここで一つ重大な、ミスを犯していることに気づいた者はいなかった。それは、我々が参考にしたのは正確な地図でなくただの観光案内図だったということである。そのため、それからの1時間半、我々は炎天下の路上観察者あるいは緑のオアシスを求めてアスファルトの砂漠をさすらう探検隊と化したのである。というのはオーバーだとしても、目的地についたころには、全員が「水をくれー」「日陰をくれー」と叫びたくなる心境になったのは事実である。
 目的地についてまずは一息ということで、木陰に入り、吉森支部長のお土産の生八橋を食べ、一息ついたところで森の中の散策に移った。
 『万葉の森』というのは、ちょっとした森林公園(というほどのものでもないが)のようなもので、森の中に遊歩道が有り、その名の通り、万葉集の歌に出てくる植物を植えたコーナーや、庭園のようなものがあり、散策のコースとして最適といった感じの所である。
 しばらく歩き回った後、木陰のベンチで雑談をする。話題は「次の例会について」、「石飛卓美先生TV出演」、「田中芳樹先生の作品には漢字が多いか?」、「地方書店における谷先生の本の取り扱いについて」、「バッコンにおける隊長を始めとする人外協隊員の行状について」などなどで、結局<次の例会は宮島水族館>と<人外協というのはやはりとんでもない代物である>という結論に達した我々は、帰途につくために徳山駅へ向かって再び歩き出すのであった。


6月山口支部例会レポート

吉田[あ、忘れてた]律子

6月10日良く晴れた日曜日、

 史上最初の山口支部単独例会が行なわれた。6月例会は広島支部と合同で宮島で行なわれるが(4月の岩国市での花見といい、5月の徳山動物園といい、どうも出歩くのが好きな支部である)、遠出が出来ない隊員(要するに山大の金欠学生)の為に、近場での単独例会が企画されたのである。
 午前10時30分、山口駅の前に集まったのは、和田支部長、永野隊員、私のいつものメンバーに加えて、石橋・鈴木2名の山大SF研所属の隊員と、隊員ではないが山大SF研の宮川くんの6名。これで、二人を除く山口支部全員が始めて揃ったことになる。
 強い日差しの中、暑いの日に焼けるのと騒ぎながら、我々は、山口県立美術館で開催中の『アルフォンス・ミュシャ展』に向かった。今のところ例会に使える適当な場所がないので、どうしてもイベントや施設を渡り歩くことになってしまう。人数が少ないだけに会場を借りることも出来ないし、安くて長居の出来る場所を捜すのは並大抵じゃないのだ。ま、移動例会も悪くはないけど。
 『ミュシャ展』はいつもの特別展示よりは大規模で、真面目な山口支部員は見るのに時間がかかり、それぞれが図録と絵葉書を手にいれて(会場では本物のリトグラフが2種類販売されていたが5万円代と7万円代のお値段では手が出なかった。クスン…)、やっと落着いたころには、お昼はとっくに過ぎていた。
 とりあえず、山口の商店街まで移動し、スパゲッティ屋で遅い昼食をすませてから解散となった。
 美術館では展示を見るのに忙しかったしスパゲッティ屋は混んでいて始めのうちは一緒に座れなかったので、あんまり皆で話をしたりは出来なかったが、この例会で宮川くんの入隊が決定し、とりあえず目出度し目出度しのお開きであった。


6月広島・山口支部合同例会レポート

吉田[ええっと…]律子

6月17日、昨日までの雨も上がり、からりと晴れた日曜日、

 広島県は宮島で人外協山口・広島の二つの支部の合同例会(別称、宮島でラッコとスナメリを見る会)がひらかれた。
 当日、宮島口駅に集まったのは、広島支部の吉森支部長とそのお友達、岡田隊員、藤井隊員、山口支部から永野隊員と私の6名。今回の企画のいいだしっぺである和田山口支部長が現れないのでそのまま駅でだべっていると、『創竜伝』の6巻の話がでた。広島では数日前に発売されたらしいが、山口支部員は二人ともまだ見ておらず、改めて山口は田舎だと認識してしまった(山口市内の本屋に出回ったのはさらに数日後である)。
 さて、待つこと一時間、やはり来ない。しかたなく山口支部長不参加のまま、宮島行きの船に乗込んだ。
 嫌になるほど良い天気(広島支部長は雨女だそうだが)の道を延々歩いて水族館に着くと、エアコンのきいた館内はまるで天国。入場料千三十円も許せてしまう。
 入場した時間が良かったらしく、館内ではいろいろなショーをやっていた。ラッコは御馴染みのお腹にのせた貝と貝をぶつけて割るところを見ることが出来た。が、中には頭のいい奴がいて、プールの縁のコンクリで貝を割っていた。「あ、怠けている」「いや進化したんだ」等と言いながら次へ進んだ。
 テッポウウオが餌を打ち落とすとこやピラニヤの食餌もあったが、一番うけたのはピラルクの食餌で、でっかい魚が、やはりでっかい口で小魚をガボガボと水ごと吸込んでしまうところは凄かった。
 今回のお目当ての一つのスナメリ(とても小さい種類のクジラ)も相変らず可愛くて、長いこと水槽の前で見ていると、わざわざ目の前に来て芸をしてくれる。「これは、頭が良いに違いない」「ジョーイの代わりに使えるのではないか」「そうしたら、ずいぶん人懐っこい艦になる」「敵艦が前にきたら芸をしたりして」等という話が出た。
 最後の出しものは、入口付近にある大水槽での食餌シーンである。周囲30mもあるそうだが、色々な魚がひしめきあっているので、ちっとも広く見えない。アクアラング姿のお姐ちゃんがわざわざ水槽に入って餌の小魚をやっていたが、何度もあるショーとしての食餌と人口(魚口?)密度の高い水槽での運動不足の相乗効果か、魚が異様に太っている。特に鮫などは、本来の美しい流線形でははなく、お腹がポッコリ出ているのが悲しかった。「暫く餌をやらずにいれば魚のお腹がへこむのではないか」「そうすれば、魚の数の方もちょうどいいくらいに減るだろう」というのが大体共通の見解だった。
 さて、見る物を見てしまうと皆空腹に気がついた。昼食はやはり名物の穴子飯が食べたい・ 適当な値段の店を捜して、やはり名物のもみじまんじゅう屋の立並ぶ通りを徘徊したが、観光地の悲しさどの店も高い。暑さで参りかけていた我々は、ようやく八五○円の穴子丼に妥協点を見出したのであった。
 お腹もくちくなると、ようやくいつもの元気が戻ってきた。カンカン照りの道を歩いて、お土産用のもみじまんじゅうを見て歩く。昔は、オーソドツクスなこし餡のものしか無く、何年か前に始めてチーズ入りが出来たのだが、今ではあるわあるわ、よりどりみどり。
 確認しただけでも、あんもみじ(普通のこしあんのやつ)、つぶあんもみじ(以下もみじは省略)、チョコ、チーズ、クリームチーズ、クリーム(カスタードクリーム入り)、フルーツ、アーモンド、レーズン、抹茶、抹茶風味つぶあん(生地に抹茶が入っている)、柚風味チーズ等があった。
 捜していた『元祖チーズもみじ(変わりもみじのなかでも一番最初に出た固形チーズ入り)』も無事発見し、どうせ職場で配るなら面白いものがいいが、自分も食べることになるのでゲテモノは嫌だしと、あれこれ物色していると、しゃもじを売っている土産物屋があった。しゃもじも宮島の名物である。飾り用の大きなのに好きな文字を入れてくれるので、草々3本買い求め、2本にはそれぞれ『人外協 広島支部』『人外協 山口支部』と入れてもらった。特大の一本には『うちの娘がいっちゃんかわいい 谷甲州』の文字を入れ、記念に御本人に贈ることにした。
 最後に岡田隊員が小さめなのを個人で一本買い『闘魂 人外協』と入れてもらったが、とうとう店のおばさんに「人外協ってなに?」と聞かれてしまったそうである。後はあまり暑さに耐えかねて一度喫茶店に入った他はひたすら土産物屋を冷かして回った。「何と言って宗教の勧誘をことわるか」という話題がでて、「うちは浄土宗です」、コーランのレコードを流して「うちはイスラム教です」、「うちはじんがいきょうです」の三つの意見に落着いた。
 懸案になっている長崎支部との合同例会も話題になった。中間の山口あたりがいいかな?という案と、いっそ石飛先生の家で中四国・九州例会をすれば?という案が出されたが、結局結論は出なかった。確かに石飛先生の家でやらせていただければ、何処からも遠くて公平かも知れない。
 馬鹿話に興じているうちに日も傾きはじめ、大しゃもじともみじまんじゅうを抱えた我々は、宮島に別れを告げ、長い帰途についたのであった。


おまけ

個人的なスペース・ワールドレポート

吉田[ええっと…]律子

時は6月最後の土曜日の午後4時頃。

 所は九州、八幡のスペースワールドに見るからに脳天気そうな連中が、やってきた。学生にしてはちょっと老けたこの集団、実は山大の20歳代の職員からなるスペースワールドツアーの参加者である。
 4時からはトワイライト券なる安い入場券もあるのだが、アトラクション券を別に買うよりはと、パスポートを買って入場した。
 地面はコンクリで固めてあり大きな木もないため、建物と建物の間は日陰ひとつなく、遊ぶ前から暑さで参ってしまいそうな所である(案外、アイスクリームスタンドの売上を伸ばそうとする経営者の陰謀かも知れない)。土曜日の午後だというのに場内は混んでもおらず、炎天下で並んだりせずにすんだのが、唯一の救いだった。
 3時間位で場内をほとんど回ってしまい、最後の花火(期待は一切しないように)まで見て帰ったが、ディズニーランドのように一日中遊べる場所ではないようだ。
 アトラクションはおおむね楽しめたが、なんだかよく判らないものもあった。
 一番しょーもなかったのはスペースファイターで、小型宇宙艇に見立てた乗物に乗って敵を撃ち落とすのだが、レバーの反応が鈍くて照準が合せられないし、あてずっぽうに武器(何の武器かの説明はなかった)の発射ボタンを押してみても、発射されているのかもわからないし、ましてや当ったのかどうかもわからない。ゲームセンターの機械の方がよ
っぽどましにできている。何でこんなのに五○○円もとるんだ! と言いながら出てきた。きっと、製作者は自分でやってみたこともないに違いない。日本の企業って何でこんなに遊びはのセンスが無いのだろう? 映像や効果音をうまく取入れれば、もっと楽しいものが出来そうな気がするだけに余計残念だった。
 さて、スペースワールドの呼びものは、なんといってもディスカバリー号とスペースキャンプである。
 キャンプの横にでんと立っているディスカバリー号では、暗くなりかけたころに打ち上げのパフォーマンスがあった。ガス等を大量に使った大掛りなもので、結構臨場感があって楽しめた。これだけのことが出来るのに昼間は大きなプラモのフリをしているなんて、なかなかオチャメな奴である。
 次にスペースキャンプだが、パスポートにはスペースキャンプ見学は含まれていなかったので、見ることが出来なかった。
 肝心のキャンプそののもは、3泊4日の正規のコースの参加資格が何と高校3年まで。私は既に参加出来ないが、一般向けに1泊2日の短期コースがあってこちらは費用一万七千円で参加できる。NASAで宇宙飛行士の訓練に使用されているのと同じ機器でトレーニングができるそうなのだが、スペースワールドが無くなる前に(あの閑散とした様子では危ない)、人外協でツアーを組んで参加しませんか? こーゆーのが好きな人って、きっといると思うんだけど……。


中四国九州合同例会+
山陰SF研究会例会

レポーター 宮本[家老]英雄

9月23日〜24日島根はここです

 人外協広島支部例会に入会しました新参者の宮本です。
 合同例会があるときき、参加しました。これはその時のレポートです。
 例会会場は島根県の山のなか、日本一の強力SF作家石飛卓美邸。
 私のところからは国道54号線で一直線、約一時間半。幹事の井田さんのくれたのはきわめてアバウトな地図。近くまで来たら電話するようにとのコメントつき。近くまできて、さて電話と思ったら、思わぬ盲点あり。
 なんと公衆電話がない。しばらく探して、ようやくラーメン屋のピンク電話を発見。迎えの車をだしてもらう。
 石飛邸について、アバウトな地図しか書けない理由を納得。こんな目印もない山のなかでは、初めての人はたどりつけない。もし迷ったら大変な目にあうであろう。
 石飛邸は広かった。昔からお客の多い家だったそうだが、30人近い人数でもOKであった。着いた時には山陰SFの人を中心に10人以上の人が集まっていた。
 広島支部長さんにもお会いした。
 集まる人は山陰、広島、遠くて山口くらいと思っていたのに、岡山、四国、名古屋、東京と遠方の人が多いのに驚いた。
 不気味な男性コーラスによるアニメソングの合唱カセットのせいか、夕食の席は宴会と化し、アニメソング、特撮物主題歌の合唱が始まり、盛り上がる。この盛り上がりには陰山氏の働きが大きかった。 陰山氏は石飛さんに「おまえは女が描けない」といじめられていたが、全々こたえた様子はなかったようである。
 翌日は帰る時には、石飛茸園特製しいたけをお土産に売ってもらった。
 SF大会でも売れるとおもうが、石飛さん来年はSF大会で売りませんか?
 天気は悪かったけど、夜には雨があがり、花火もできた。
 石飛さんは大変だったでしょうが、(特に奥さんありがとう)また呼んでくださいね。


人外協広島支部+その他
忘年会 in 広島レポート

藤井【足軽じゃねーぞ特殊工作班長だ】泰三

11月24日

イラスト版レポートはこちら

18:00
 私と岡田[若年寄:当時]隊員は、居酒屋「ボロ」の前にいた。 今から始まる人外協広島支部の忘年会に出るために大学の研究室を抜けてきたのであっ た。広島支部忘年会、と言っても大阪から隊長と東京から沖田[闘う酒飲み]隊員、山口から和田支部長と永野隊員が来るのがわかっていたが。
 実際にきたのは以下の通りである。
 隊長、沖田隊員、吉森支部長、岡田隊員、宮本隊員、黒岩隊員、吉森氏、和田支部長、 永野隊員、私、それに支部長のお友達2名の以上12名であった。
 一次会は比較的静かであった。「究極超人あ〜る」の「春風高校校歌」を歌ったくらいである。私は、約半数の人と初対面であったので、猫をかぶり、おとなしくしていた。(と書くと「あれでかよ」と言う声が聞こえてくるが)
 ここではみんなひたすら物を食べていた。(人外協の胃袋は恐ろしい)
 もちろん、飲むべき人がしこたま飲んでいたのは事実である。
 ここでの会話はあまりよく覚えていないが、隊長が「昭和は64年が最後だから、とてもキリがいい」(注:2の6乗は64である)と言っていたのが印象的であった。
 後、誰かがスペースワールドに行きたいと言っていた。(この時は冗談だった)

20:00
 一次会は終わり、1人抜けて残り11人で吉森氏いきつけのパブ「ペコちゃん」に行く。ここでは商魂たくましいママ達に完全に邪魔者扱いされながら、大いに騒いでいた。(吉森氏談:当分あの店には行けません)
 ここで隊長と沖田隊員は岡田隊員に向かって、「どこに就職するんや」「中国電力です」「なんや、それなら中国地方は征服できるやんけ」ということで、岡田隊員の役職 名は中国を征服する者すなわち「青きオオカミ(予定)」となったの であった。(あのー 「白きメジカ」は?)
 そうこうしながら飲んでいるうちに、たまたま隣に座っていた男性3人組に声をかけ、我々と妙に意気投合し、さらに彼らがSHARPの人間であることがわかり、隊長はなぜかしきりに退職をすすめていた。(上司+部下二人と言う構成だった)
 そのうち、当然、「隊長に化粧させろ!」ということになり、女性軍が手に手に得物(?!)をもって、隊長に化粧をしてしまった。そのうえ沖田隊員も化粧させられ、皆で笑っていた。(さらに犠牲者がでたが・・・省略してしまおう)
 ところが、なんと、例の3人組のうちの一人に向かって「あいつも化粧させろ!」と皆で言いだし、とうとう化粧させてしまったのだ! うーむ、おそろしい。(ここはSF大会の会場ではない:念のため)
 さらに、もう一人の方に話を聞いてみると、「本屋に行ってまずどのコーナーに行かれます?」「ハヤカワ、創元ですね」「!」「『遥かなり神々の座』はご存じですか?」 「ええ、あれはおもしろいそうですね」「!!」
 ………結局彼は入隊したのであった。
 酒の席で見知らぬ人を人外協に入れてしまうとは、さすが、というべきであろうか。 それともSHARPってのは…(私と岡田隊員の愛機はX68kである。どうでもいいけど)最後に皆で「CATS’EYE」を歌って「ペコちゃん」を出る。
時既に11月25日 00:30であった。¥4300也。学生の私にはとても痛い。
 そのままタクシーで吉森家に。

 吉森家につくと、隊長はいきなり2階にあがり、ハードディスクに色々なツールをインストールしたあと、沖田隊員のIDを使いNiftyに入り、RTを始めた。
 むろん、電話代は吉森家負担(!!)である。
 人のIDでアクセスしているのをいいことに、途中(いろもの物理学者)氏と(MSG)氏とを電話で呼び出し、彼らも巻き込んでRTは人外協が占領した観があった。
 隊長は言いたい放題RTで言ったあげく、RTを岡田隊員にまかせ、下に降りて他の隊員と、ヤキソバやポップコーンを食べながら、「銀河英雄伝説」をみていた。(「宇宙が2次元だ」「レーザー光線がみえてる」「爆発する時に煙が見える」「艦載機は何のためにあるんだ」等、文句ばかり言いながら、であるが)
 銀英伝を見終わった後、布団をしいて寝ることになったのだが、みんな寝ようとして 静かになると、いきなり隊長が「合唱をしよう」といい、歌を歌いだした。
 ……結局私が寝たのは03:30過ぎだった。(岡田隊員談:その後、隊長は、私と永野隊員を巻き込んで、川原泉の話やら何やらをして、さんざん眠れないようにしておいて、そのくせ話のとぎれた2分ほどの間に寝てしまうという極悪なことをしたのでした)
 実はこの時点で、「明日はスペースワールドで長崎支部と合同例会をやろう」ということが決まっていた。(いつにまにか長崎支部との連絡をとり、本決まりになっていた)

09:30
に起きる。私と岡田隊員と黒岩隊員と支部長のお友達以外は、車2台に分乗して「スペースワールド」に行く。
 残念ながら、私はここで脱落したので、後のことはわからない。
 かくして私はやたら軽いさいふとともに帰途についたのだが、途中、広島バスセンターで

「長崎が近くなる! 11月30日より広島←→長崎直通高速バス運行予定」というのをみた。
……みなかったことにしよう


長崎支部緊急お茶会レポート

楠本[ツアコン]礼子

来る11月11日、

 米子の井田隊員が会社の慰安旅行で九州にいらっしゃるとのことで、緊急のお茶会(長崎支部では例会といわず、、主にお茶会といっています)をひらくことになりました。が、5人いる隊員のうち原田支部長姉妹は家庭の事情で、大森嬢は仕事で出席できず、結局私楠本”ツアコン”礼子と清水”足抜け出来ないSE”隊員の2名に井田隊員の3人というさびしいものになりました。場所は、最近つとに宣伝の派手な長崎オランダ村(園内はオランダをイメージして作られた巨大なイミテーションタウン、但しお土産屋が多数をしめる)、待合わせの場所は大航海体験前(シミュレーションマシンの一種で大航海時代の船の旅を楽しむ)。お互いの目印は私らがSFマガジンの12月号。井田さんが DAIKON4のTシャツとみまごうことのないもののため、無事落ち合うことができました。
 3人で園内を散策した後、園外カフェテリアに落着いておしゃべりしました。先日華燭の典をあげられた土屋さんご夫妻の写真や引き出物をみせていただいたり、長崎支部の現状をお話ししたり(長崎は女性ばかりのアマゾネス集団で、井田さんはいたく驚いていらしたようですが、、)で、アッという間に時間切れ、井田さんの出発時間(なにせ団体旅行でしたので)になりました。
 この日の長崎地方は曇り空で気温もさして上がらなかったのですけれど、井田さんはTシャツにジャケットをはおっただけの姿で寒そうに見えました。風邪などひかれなかったでしょうか?私はこの翌日から3週間もゲボゲボズルズルしてしまいました。今後屋外で活動するときは、時期は4〜10月までに限定することを原田支部長に提言しておこうと心に決めた楠本でした。

追記  よくよく考えたら、私のこの日の帰宅はPM8時をまわっていました。これというのも、オランダ村〜空港間の船の時間が正しく記載されていなかったからだ! おかげで私は陸路トロトロと家路についたのだ!(下記の地図を参照下さい)
 しかし、4〜10月などコロット忘れて2週間後にはスペースワールドで遊び回った楠本であった。(この詳細は広島支部から報告があるでしょう) あ〜 私って元気、、、。

長崎の交通機関


「結婚を祝う会」&ガッちゃんレポート

天羽[特殊解]麻衣子

11月10日、

 土屋君と細野さんの結婚を祝う会にガッちゃんを連れて参加してきました。SFファンというだけでも、かなり変なのに、二人は劇団員でもあるわけで、輪をかけたように変なのは、自明の理というやつでしょうか。とにかく、披露宴ではいきなり孫悟空が乱入したり、新郎新婦がケーキカットならぬ「丸太切り」をしたり、という変り種がポンポン飛出し、なかなか楽しませていただきました。
 人外協の有志による「寿プレゼント」は、当日、確かにお二人にお渡ししましたので、有志のみなさんにご報告しておきます。
 お二人に、何がほしいかたずねたのですが、これというリクエストもなく、有志のみなさんからも具体的な案が出ず、ただ「笑えるヤツがいい」という意見だけはあちこちで飛びかっていました。「笑えるモノ」を捜すのは案外簡単なんだけど(天ちゃんにこういうのを考えさせると天才的なのよね〜)、使えないものをもらっても困るだろうし……というので、結局何になったのかと言うと、ペア☆パジャマとお風呂セット
 パジャマは、星を散りばめた中で怪獣クンが暴れまわっている柄……だったかな(すぐに包んでもらったので、ウロ覚えなの)。
 で、ここからが「笑えるお風呂セット」で、「ゆ」の文字入りのノレン(オシャレ!)と、木の風呂桶(!)にお風呂用品を詰め込んで、とどめにそれを刺し子模様の風呂敷(!)で包んで、そのまま持って行きました。
 新居に遊びに行く機会があったら、是非、このお風呂セットを見てやって下さい。でも、ひょっとするとノレンの後ろに番台かなんかがあって、風呂銭を取られるかもしれないので、ご用心☆
 さて、ガッちゃんの報告を。満九ケ月になりまして、人外協名古屋支部の有志の方からいただいた出産いわいのベビー服が着れるようになりました。たくさんもら
ったので、とっかえひっかえ着せ替えしています。なかなかありがたいプレゼントでした。あらためて……どうもありがとうございました☆




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