甲紀18年1月例会レポート、
-あるいは『谷甲州文学賞』について-

阪本[初代]雅哉

  1.  その年に発表された、また応募のあった「小説」のうちから次に題材を取ったものを候補とする。
  2. 候補作品のなかから、選考委員、その他から推薦を受け、選考委員が決定する。
  3. 候補作品、選考過程は一切公表しない。
  4. 海外作品は日本語に翻訳されたものを対象とする。
  5. この賞の、選考委員は授賞しない。
  6. 正賞として○○○を授与する。

副賞は、その年の「こうしゅうえいせい」売上げから、赤字分を差引いた金額。同時授賞者が居る場合には等分に分配する。

選考委員長は谷甲州、選考委員は人外協隊長、編集長、会計、各支部長、人外協隊員のうちプロの作家、他で構成する。

以上のような、要綱で{酒の席の話合いなので、記憶が若干曖昧で、違いや創作があるかもしれない}「谷甲州文学賞」を創設し、毎年授賞作品を選考する話会いが行なわれた。 いきなり、聞いたことも無い団体から賞を授与されても貰った方も困るかもしれない。が、副賞の賞金は例年であれば10万円ほどの金額を期待できるし、
 賞の権威は、副賞の賞金額と歴史の長さで決る。(みよ、ノーベル賞を)の法則にしたがえば、5〜10年も続けば、星雲賞を越えることも可能でありましょう。:-):-)

 例会の席では、毎度のように発送作業と、その他の題材について簡単な話合いを持ったが、その他、些細な打ち合わせ事項については別途編集より告知があるものと考え
る。(「こうしゅうえいせい」の企画、タイトル、原稿募集など)


3月例会レポート

中村[たかしくん]孝

3月16日、

 大阪支部例会がいつもの大阪市立中央青年センターにて開催されました。いつものとおり発送作業があり、その後にいつものように宴会がありました。以上報告終わり。

 というわけにもいきませんので、トピックをとりあげてもう少し詳しく報告します。あ。どうも。中村[不明]孝です。

 私が例会開始時刻の14時に会場に到着すると、阪本[初代]さんをはじめとして数名の隊員がすでに参加していた(いつも思うのだが、阪本さんはいつも何時頃会場に到着しているのだろうか。私より遅れてあらわれることがめったにないような気がする)。購入品などの立て替え払い処理を行う(あ。私が会計担当なんです)。私が持参した画報発送用の封筒・切手を渡して発送作業準備開始(発送分の画報が届くのは通例15時から16時くらいになります)。
 発送作業は。封筒へのタックシール貼り・切手貼り・裏面住所印。画報の各用紙の2つ折り・組み合わせ・3つ折り。画報を封筒に入れてホッチキスとめ。という手順になります。今回はこれにこうしゅうえいせい全員参加企画のためのハガキ&説明をいれる作業もありました。だいたい参加者の中で分担が決まっていたりします(岡田隊員が切手貼り、とか。なぜ現在のように分担が決まっているのか、謎の部分もあります)。

 こうしゅうえいせいの全員参加企画『甲州カルトクイズ』のネタをみんなで考える。もちろんネタを考え付くのは個人個人なのですが、なぜかみんなでワイワイやっているとネタがどんどんでてくるものであります(質はともかくとして)。
 画報発送作業や打ち合わせなどが終わりますと、お時間までご歓談くださいということになります。室内の机で囲まれた四角形スペースが『芸人スペース』となってしまうのもこの時間です。
 甲州先生の古い写真が載っている山の雑誌なども見ることができました。甲州先生の写真を指差して『ほらほら。中野[日本以外全部沈没]隊員』などといっている不心得者もおりましたが(私です。すみません。だって似てたんだもの)。

 定刻の17時になりますと。例会1次会もおひらきです。会場をでて森之宮駅に向かい、途中のポストに発送物を投函します。今回もひとつのポストにおさまりきれず、ポスト投函のはしごをしてしまいました(よくあること)。封筒をポストにいれようとするとホッチキスとめがされていないものがいくつか発見され、『○○○(ホッチキスとめ担当隊員の名前がはいる)のあほ〜』などという声が上がっておりました。この時の発送物の一部が糊付けなのはそういうわけなのです。

 2次会は今月から梅田に戻りました。お初天神通りの酔虎伝にて。いつものごとく、元気な飲み食い歓談でありました。


4月例会レポート

当麻[ガメラ]充弘

 つくばから大阪に引っ越しして初めての大阪例会である。初めてというところが曲者で、まだ家の方が片付いてないため、梅田で買い物をしてから例会に向かう。梅田から一次会の会場に行くのは、JRよりも地下鉄谷町線の方が便利な気がする。
 そういうわけで我々が例会に顔を出したのが3時過ぎ。すでに画報の発送作業は無事に終了していた。議題としては、ニフティサーブで阪本{初代}氏が開設しているホームパーティをパティオという別のサービスに移行することが満場一致で決定した。これについては多分べつのページに書かれているだろうから省略。それ以外にこれといって議題が出なかったのは、珍しく阪本{初代}氏がお休みだったせいであろうか。
 あとは皆でわやわやと喋っていた。落合(の)隊員は宮地家、田中家、前野家の出産祝いを集めるのに余念がなく、落合(哲)隊長と天羽(孔)隊員、清水(宏)隊員とマニアックな話で盛り上がっていた。清水家と荻野家のお嬢さんがたはジュース(空き缶を含む)を持って、会場を動きまわっていた。ちなみに、今日は天羽氏の息子さんは欠席であった。それにしても家族連れが増えてきたもんだなぁ。
 と感心しているうちに5時。一次会を引き上げて二次会に向かおうとするが、なぜか車で来ている人が多く、電車組も一人ぬけ、二人抜けしているうちに、一次会では20人近い人がいたのに残ったのは当麻(充)、当麻(峰)、中村、南川の4人だけとなってしまった。「人数少ないし、別のお店に行こうか?」「2次会から来る人がいるかもしれないから、さすがにそれは…」ということで酔虎伝へ。軽く飲み食べして、そろそろ移動しようかという時点で磯崎隊員登場。「カレーと鶏とどっちがいい?」「鶏さんっ!」ということで大阪駅前第3ビル地下のお店に向かうも、お休み。中村隊員の提案で[お造りのおいしい居酒屋]へ向かう。お店の名前は、『とも吉』。「ともきちぃ〜」ではなくて「ともよし」と読みます。満員のためしばらく本屋で時間をつぶすも、お造りのウニがおいしいのタコが活きているのお酒もなかなかいけるので好評。2軒目ながら満腹になってひとりあたり2500円という値段もまたよし。
 というわけで、三次会までやって家に帰っても、まだ「大阪ほんわかテレビ(提供・大阪ガス)」が見られるくらいの時間だったのでした。(一部、人外協ホームパーティでの中村隊員の書き込みを引用させていただきました。)


5月例会レポート
わたしがそこでみたこと

黒川[ ]憲昭

 これは何の予備知識のないままに参加した者のレポートである)

 とある谷甲州ではないSF作家のファンクラブでのことだった。
 夕暮れの頃、京都である準備を終えた我々はその存在意義である作家が家族の待つ伊勢へ(その日はゴールデンウィークにあたり作家は帰省していた故郷からわざわざ出かけてきていた)と帰っていくのを見送った後残された我々はビアホールへゆくことにした。
 数時間後、もはや自分が飲んでいるのが何杯目のピッチャーか分からなくなった頃、朦朧とした意識の向こうで、素面ならばかなり危険な会話を交わしていた人が私にいった。
「五月に大阪の市立中央青年センターで例会があるから、詳しいことは後でメールするよ」
 翌日、前夜の記憶は遠い霞の向こうにあり、脳の中にまだアルコールが残っていた頃、すでにメールは到着していた。いま思うとそれはデジタル化された避けがたい運命だった。
 メールに指示されたように、午後1時を少し過ぎた頃に古びたビルの七階にある暗い色をした扉を開いた。予想に反して広い会議室には三人しかおらず、そのうちの一人である私を誘った阪本という名前を持った運命はお弁当を食べている。西の壁に並んだ窓の下には初夏の大阪の街が広がり、遠くには六甲の山々が空気遠近法の教科書のように薄くかすんで見えた。
 運命はお弁当を食べたあと、隣の部屋がうるさいと壁に何度か蹴りを入れ、その度ごとに私を少なからず不安に陥れた。だが幸いなことにしばらくして、人々が集まりだした。来る人の顔ぶれは、なぜか前回京都で会った人々が多かったので京都で撮った写真を見せながら、天羽(彼は京都で起きた、そしてこれから起こることの首謀者である)にそのことを訊ねると彼は私の目を見て微笑った。
「世界は一家、SFはみな兄弟」
 眼鏡の奥の瞳はそう語っていた。あるいはテレパスだったのかもしれない。その言葉の意味を考えているうちに回りではいつの間にか会誌の折り込みと郵送の準備が始まり、気がつくと私も封筒の詰め込みを手伝っていた。それは無意識的な行動でありそのとき、いや多分そのだいぶ前からすでに私の精神は何者かによって支配されていたのだろう。
 作業の後しばらく密談を交わしてから、集まった全員で大阪市中央区の郵便ポストの全てを会誌で満杯にして郵政省へ打撃を与たのち、我々は梅田の酔虎伝へと転進した。
 そしてその後、……。
 実をいうとここから先、記憶はまたも曖昧なものとなっている。かなり危険な会話をしていたような気もするが、これとて定かではない。ただ一つ覚えているのは、よかったら今日のことをレポートにして下さい、ということばだった。
 はたして深層心理への意図的な刷り込みが現代の科学水準において可能なのか。そんなことを考えながらいま私はこの文章を書いている。そしてその可能性を探るためにも、私は六月になったらもう一度あの場所を訪れるだろう、果たしてそれはどんな未来への一歩なのかはまだ分からないのだが。
 いま、不意に顔を持った運命の笑い声が聴こえた。


6月例会れぽーと。

当麻[前隊長より上]峰子

 6月15日(日)14時ジャスト。

 めずらしく(おいおい(^^;)時間通りに例会場所にたどりついた當麻たちがドアをあけると中にいたのは三人だけだった。
 しかし、當麻の視線はすでにそこにはない。
(おにぎりだ!)
 黒いノリにつつまれたおにぎり。日本古来の文化がファミリーマート(だったか?)の袋につつまれて燦然と輝いている。
 「おなかすいたよー、おなかすいたよー」
 もはや本能のままつっぱしる當麻。阪本初代隊長夫妻がおいしそうにほおぼってるコンビニ・オニギリをみた瞬間、朝ご飯以来なにも食べてないことを思い出した彼女の目にうつるのは、つぶつぶとお米のたったおいしそうなオニギリのみだ。
「食べるー?」
「地下には、食堂があるぞ」
 さりげにブロックに入る阪本初代隊長。
 ニコニコと慈母の微笑みで阪本(ツアコン)れいこ女史のさしだすオニギリと當麻を結ぶ直線上を完璧に塞いでいる。
(ここでこいつを餌付けしたら、あとでロクなことにならない) 
 というように阪本氏の眼鏡の奥でキラリと冷たく光る瞳に當麻がひるむ。
 9年前の人外協を設立以来、表となり裏となり様々な隊員を操ってきた阪本っちゃんえーかげんにしーや氏の鋭い眼光にはさしもの食欲の権化と貸した當麻も動けないようだ。「美味くはないが、くえないほどじゃない。つれてけ」
「ほら、いくぞ」
「みー・・・」
 れいこさんの差し出すおにぎりに悲しそうな視線をむけながら、現在の飼い主にずるずるとひっぱられていく當麻。食欲には、勝てない。勝てないが目の前のオニギリから目も離せない。
 しくしく。
 阪本夫妻におしえられた通り地下ダンジョンにもぐりこみ、階段をのぼり、降り、右にまがり、左にまがる。あった。さすがだ。なぜこんなにこの場所のことを知り尽くしているのか一瞬疑問がよぎるが、きっと阪本氏だからだろう。その一言で何となく説明がついたような気分になるところが初代隊長の底知れぬおそろしさと懐の広さを示している。
 食事はまずくはなかった。おいしくもないが、少し昔「大学」という施設で飼われていたときに「学食」という名前でだされていたものと同じような味がした。つまり「食べられないほどはまずくなくって栄養はそこそこありそうで、それなりに安い」。おじちゃんが無気味なほど愛想のいいことを含めれば、昔よりマシなような気がする。大人になるのもちょっとはいいことがあるのかもしれない。
 30分後、食事をすませ例会場所にもどった當麻はドアをあけた瞬間ほとばしる熱気にあてられて軽くのけぞった。
 人があふれんばかりにひしめいている。その中に高く積み上げられた紙、紙、紙・・・。画報製造過程ももう第三段階をこえているようだ。わずか30分席をはずしたばかりでこの手際の良さ。中央で発送の歌の無気味な詠唱をくり返し歌い上げながらゆるやかに踊る一群を横目に當麻が作業席にわりこむ。次から次へと流れ作業的に紙がつみあげられる。 部屋の片隅では首脳陣が今年度の「こうしゅうえいせい」の最終発行スケジュールを設定している。しかも、来年は人外協設立10周年らしい。さらに再来年は谷甲州作家デビュー20周年だそうだ。「黙認パーティーをするんだ」ニヤリ。と無気味な笑みが紅い唇からこぼれる。ロリコンと対番にする、とか××とぶつける、とかああするとかこうするとか目を細めて薄く笑いながらでてくる意見の数々。いつも不思議なのだが、みんな悪だくみをしているときにはどうしてあんなに楽しそうなんだろう。桑原桑原。さわらぬ神にたたりなし。みてみぬふりをしていた當麻に一群の中から声がかかった。
「なにかアイディアはないか?」
 アイディア・・・。當麻の頭をよぎったのは伝説の金沢ルネス・エンドレス灼熱カラオケだった。みんな「苦しかった」といいながら目を細めて懐かしげにつぶやくあの伝説のバトル。「苦しかった」といいながら彼らが浮かべるこーこつとした表情をうらやましく思ったのは一度や、二度ではない。なんでも定員の三倍近い人員をつめこんで熱気にあえぎながら呪歌を絶唱しつづけたらしい。その、熱気を今一度。
「あれをもう一度やるのか?」
「あれをやるなら、俺、女性の●●をかぶらなきゃならないんだが」
 少し眉根をよせて考え込むようにつぶやく現隊長、落合氏。
『なぜ、そんなものを? 一体「だれ」のを? 新品だったのか?』という素朴な疑問をだきながら隊長に質問をぶつけることを許されていない當麻が
「あのー・・・入り用だったら買ってきますが」
 とおずおずという。
 無言でさらに眉をひそめる落合氏。なにか深遠な知謀があるらしい。
『やはりこの人達の考えることはいつまでたっても計り知れない』
 おののく當麻。
 こうして例会はもくもくと画報を折り、封入しつづけながら時折、鋭いつっこみをみせる群集と、無気味な笑いをもらしつつさらなる策略をねる首脳部にわかれてふけゆくのだった・・・。 
 というわけで今回の例会は今後の綿密なスケジュールと策謀、戦略が練られたものでした。10周年記念の方はもう少し煮詰まったら、たぶん秋の忘年会のお知らせと同時期ぐらいに画報に掲載されると思います。
 久しぶりに宴会まで参加できてとっても楽しかったです。 
 また来月も遊んでくださいね。




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