1月例会レポート

竹林[Nina]孝浩

 あまりよく知られていない事実であるが、毎年1月の大阪例会は合唱大会ということになっている。これは阪本[初代]雅哉隊員が高専時代に、合唱部に属していたということに由来している(彼は高専時代には何とバスケ部と合唱部と掛け持ちをしていたのである。ただし、彼が合唱部にいたのはわずか1週間だけだったそうである。なぜ1週間だけ合唱部に所属していたかについては、本人は堅く口をとざしている。)

 まあ、そういうわけで、今回の例会場所は音楽室であった。まあ、人外協のことであるから、まともな合唱大会になるわけがないというのは当然のことで、まず、1曲目の『折込の歌』で幕開けとなる。はっきりいってこれは大変シュールな光景であった。毎度おなじみ、大阪例会名物の折込作業を

♪発送作業だ、 発送作業だ、折込だ!
 折ったら、ホイ。
 封筒入れろホイサッサ。
 入れたら閉じろ、 ホイサッサ。
 宛名シールに切手貼り!
 スタンプ押してできあがり!!
 あとは、ポストを占拠しろ!

と、歌いながら作業をおこなっているのである。(ちなみにこの歌は実際の発送手順と大きな隔たりがあるということで、 来年までに、作詞者の中村[不明] 孝隊員が歌詞の修正を行なうことがこの時決定した)。やったことがある人ならわかると思うが発送作業は結構時間がかかるのである。で、この発送作業の間、この歌がエンドレスで歌われるわけである。というわけで、このレポートを書いている現在でも『折込の歌』が脳裏にこびりついて困っているのである。

 で、やっと2曲目に移るかと思ったら、岡村[体操のお兄さん]隆司隊員が、古本屋で、『惑星CB−8越冬隊』を買ってきたということで、唐突にオークションが始まる。彼はこの本を3冊100円(残り2冊の内1冊は『梅田地下オデッセイ』だったそうだ)で買ったそうで、30円からオークションが始まった。
 激しい競り合いの結果最終的には竹林[奥様はNina]幹子隊員が『一千円+「ほしいほしい」の歌(雅楽バージョン)』で落札することになった。これに対して最後まで小椋[引っ越しの神様]雅夫隊員が同額+『引っ越しのマサマサはお得やさかいのテーマ』で戦ったが、やはり、生田流正弦社箏曲准師範のキャリアと押しの強さに破れさった。

 その後は、天羽[137機動旅団長]ガジラ作詞、溝口[日本沈没]幸生作曲のゴールデンコンビにより次々に名曲が作られていった。『ゴミの絵描き歌』(作詞者みずからが、模範例を黒板に一生懸命かいていた)、『おっさんシャレにならんで−鬼嫁に捧げるバラード』などである。

 しかし、何より凄かったのは、岩瀬[従軍魔法使い]史明隊員の司会である。あの、合唱の合間に「こうしゅうえいせい正」の全員参加テーマの検討やらなんやらの議事を進めてしまえるというのは凄い才能である。「じゃあ次、『俺はミッチナー』いきます」といって歌い始めて、1曲終わると「で、さっきのハガキを集めるという方法なんですが、、」………うーむ。

 まあ、こんな感じで例会は進み、最後は『谷甲州を讃える歌』で幕をとじたのであった。しかし、こんなに疲れる1次会もめずらしいよな……

注:上記レポートは記憶をもとに書いてありますので、一部事実と異なることがあります。ひょっとすると大部事実とは異なっているかもしれません。ごくまれに有り得ないことではありますが、全て事実と異なっている可能性もないこともありません。
   したがって報告者およびこのレポートに名前の挙がった方々に事実関係を問いただすことは御遠慮ねがいます。……………ご、ごめんなさい!!


2月例会レポート

南川[上皇さま]朋子

 土砂ぶりの雨の中を1時過ぎに、1次会会場に到着。
 編集長が先に印刷済みの画報を置いていかれてあったので、初代の指導の下、アンケートの切断作業から発送作業が始まった。
 人数が少ないうちは静かにもくもくと作業が続いたのだが、やっぱりだんだん増えだすと誰からともなく「発送作業の歌」が歌われだすのだった。
 3番目に来たのが、岡田くん。その次が初参加の気狂い丁稚さん。その後は三々五々集まりだす。(すみません。すべての方のお名前がわかりませんので、省略させていただきます。)
 そんなこんなで「発送の歌」で大賑わいの中、作業がどんどん進んでいく。普通あれだけうるさいと進むものも進まないのでは?と思う程の中を画報はどんどん折り畳まれ、封筒に入れられて行くのだ。毎月やってるだけのことはあるのである。今回は画報の枚数も多く、封筒詰めするものも多かったのにも関わらず、4時には終了。「発送の歌」の威力たるや、である。
 その後の1時間はさすがは大阪。芸人さん達の独壇場であった。時折思い出したような連絡事項が出て来るが、芸は続く。そんな中でも「人工無能ミッチナー」を作り出す才能は計り知れない。
 そうこうしているうちに5時になり、今度はポストを占拠し、2次会会場に向かうのであった。

 私はここで、東京に帰ったため、その後何があったかは全く知らない。きっと誰かが報告してくれることであろう。


3月例会レポート

金子[みにやん]崇彦

 その週末、なぜか大阪にたたずんでいた私は、右も左も分からないまま駅にいた。
 その時、なにかの啓示のように頭に浮かんだ……
 「定例にゆけ」
 場所も日程も確認しないまま来てしまったため、牧田「ポチ」和彦氏に連絡を取り、日曜日に梅田で待ち合わせることにしたのだった(ご迷惑かけました)。
 当日梅田で合流した後、大阪例会会場に向かった。当然定刻より2時間ほど過ぎている。まぁ全国何処へ言ってもこれは同じである。
 会場ではまだ「甲州画報」が届いていないので仕事がない、と思いきや私の初仕事は「自分の封筒抜き」だった(笑)。
 「甲州画報」が届くと、みなワラワラと動きだし、一心不乱いや、発送の歌を謠ながら折り初めた。流作業がきれいに決まる。どんどん詰まれてゆく封筒。あっという間に終わるのであった。この後は記憶が定かではないが、気がつくと、確か・・・ポストの前を占拠して投函の儀式を行っていたと思われる。
 さて、あとはサバト、いや宴会だ。いつもの場所で受け入れを拒否された我々は、受け入れ先を探し大阪の街に消えていったのであった。


4月例会レポート

藤井[あしがる]泰三

 広島支部から就職のため大阪支部に移ったあしがるは慣れない大阪の町をさまよい、なんとか定刻に一次会の会場に到着しました。ほとんどの方と初顔合わせだったと思います。(以後よろしくお願いします)
 ちょっと遅れて編集長が来られて、発送作業が始まりました。切手を貼るという単純な作業を仰せ付かったのですが、片っ端から貼ったため、二次会以降に来られる人の封筒にも貼ってしまい、切手が足りない(!)という事態を招いてしまいました。
 皆さんのレポートを読んでいますとかなり騒がしい環境下で作業が行われているようですが、何か黙々と手作業に励んでいる、といった印象を受けました。(人数が少なかったからかな?)
 そのあとポストを占拠し、二次会に移行しました。いやはや、皆さんよく食べること、飲むこと。料理が来てもあっ!!という間になくなってしまいます。それからあとから人が増える増える。一体何人くらい来られたのでしょうか?うーむ、さすがは本拠地だとおもいながら手巻き寿司を巻いては食べておりました。
 さらに三次会へ。ここでも大量のビールが消費され、宴会はさらに盛り上がっていくのでした。
 あしがるは思いました。「・・・そうか、広島でのxxさん迎撃突発例会なんてのは人数が少ない分、おとなしかったんだ・・・」

 なお、あしがるは6月から8月まで広島にいます。(いわゆる販売実習というヤツです)広島支部の皆さんまた遊びましょう。


5月例会レポート

脇坂[気違い丁稚]和博

《一次会》
 初めまして、脇坂[気違い丁稚]和博と申します。なにやらアブナイ役職名ですが、以後お見知り置きを。(役職名で呼べない!と言われた)
 前回の二次会の席にて、岩瀬[従軍魔法使い]史明編集長より仰せつかった今月のレポートを書くため、例会場所(森ノ宮青年センターですが、今回は視聴覚室でした)に行きました。もっとも、作ったガチャポンのタキシード仮面を見せに行くと言う別の目的(おい、おい!)もありましたが……
 定刻が過ぎ、人がかなり集まり、しばらくの歓談後に、夏の合宿の事が話し始められ、予算やゲスト、「合宿をゴージャスに計画」・「めるへんめーかー関西定住化作戦」などを、話し合われていたような、なかったような気が……う〜む。
 その後、いまちかねの「甲州画報」が届き、一斉に発送作業が始まりました。私は「月にかわって、おりこみよ!」とばかりに、折り込みの仕事を。(ちなみに、私は手が遅く、生産ラインをよく乱す)
 発送作業が終わるぐらいから、あちらこちらで歌われる替え歌の数々は、なかなか凄いものがありました。
 さて、恒例のポスト占拠はと言いますと、入れた封筒が投入口から又、取り出せるほどになっていました。
 JR大阪駅にて溝口[日本沈没]幸生隊員のライブと、二次会との二手に別れることに。音楽オンチな私はもちろん後者の方に。

《二次会》
 すでに二十五人分の席が店長さんにより取られており、困惑しながら十人ぐらいの人数で広々とした席に着いたのでありました。そして、岡村[体操のお兄さん]隆司隊員の持って来られた、サンダーバードのジェットモグラに乾杯をし、宴会。
今回は、ライブとの兼ね合いから人数が少なく少々盛り上りに欠けるものの、人数が少ないがゆえに、料理が死ぬほど食べられる事になり、処分に困るほどでした。

《三次会》
 三次会は走って行ったため酔いが回り思考回路がショートしたのであまり書けませんが、沖田夫妻がここで加わり、そして落合[MSG]隊員に、「人外協パワー・メイクアップ!」のかけ声と共に、お化粧されていたのは鮮烈でありました……


6月例会レポート
「人外協潜入24時 曾根崎の奥地に幻の黄金蛙を見た」

小谷[ ]弘樹

6月20日、日曜日。

 私は、久しぶりに、関西の地を訪れた。電車の中の女学生の「新庄の彼女、むっちゃ、むかつくやん」という、こてこての関西弁に、微笑みが思わずもれてしまう。
 などと、かっこつけている場合ではなかった。14時36分に新大阪着。例会は14時からである。完璧な遅刻に、命中精度は発射地点から目標までの距離に比例するんや、と訳のわからん言い訳をつぶやきつつ、大阪市立中央センターに向かう。結局、到着したのは15時10分を回っていた。前回、よせてもらったときには「人外教」となっていた部屋予約の表示が、今回はちゃんと「人外協」になっていて、ほっとする。
 部屋に入った。突き刺さる視線。何故か知らんが拍手もちょっと。部外者の上に遅刻は目立っていかんな、と思いつつ、仕事を求めてうろうろする。結局、詰め係りに安息の地をみつけたものの、作業は殆ど終わっていた。
 雑談モードに移る前に、落合[MSG]隊員に、米国の極秘情報をフロッピーにて手渡す。雑談は、ニフティの悪名高き人達に対する噂話で盛り上がった。私はといえば、某氏に対する攻撃不行き届きを、責められる羽目になってしまった。
 なんやかやしゃべっているうちに、17時近くになり、部屋の片付けが始まった。岩瀬[従軍魔法使い]さんが、一種、形容しがたい笑顔で近づいて来た。しかも、ターゲットは私みたいだ。要件は、今、私が、この原稿を書いていることで、容易に察しが。ぐげ。
 その後、二次会というか一次宴会場所の酔虎伝に移動。私は端の席で、おとなしく杏子酒などを、ちびちびやる。しばらくすると、柏谷さんが来て、
 「あっこは話が下品でついていけんから席かわって」
とのこと。胸ふくらませ、目を星目モードにして真ん中の卓に行ってみると、某社のウインドウズドライバは、ベンチマーク用に細工してあるねん、という阪本[初代隊長]の業界まる秘大奥襖の下貼り話であった。きっと、柏谷さんは、まっとうでないコードの話が大嫌いな人なのであろう。

 しかし、その後の、この卓の話はというたら、あんさん。

という混沌。綿100%。それはコットン。20時頃には北大使館に移動となった。
 ここでの状況は、奥が、セクシャルバイオレットbPゾーン。伝聞では、手前側がセラムンゾーンだったらしい。私は奥側にいた。
 とりあえず記憶に浮かんだ情景を列挙。わからないものは、酔っぱらいの妄想とでも。
 この数なーにのコーナー。
 30、7、3、10=0・5、200=10。
 正木さん、そこだけは駄目(MSG談)
 さっぱりわかりませんが、世の中には知らなくていい世界があるんです。きっと。


7月例会レポート

久保田[OEM]満

 阪本[初代]隊員の所に遊びにいった次いでに、大阪例会に出させていただきました。当日は坂本隊員の買い物に同行させていただいた後(何故かその時、私は数本のGamesoftとプリンターを握っておりましたが)2時に多少遅れて大阪市立青少年センターに到着(大阪の地下鉄はよう分からん、なんか相当乗り換えだけで歩きまくったような気がする。田舎者が都会に出るといい運動になるな〜〜)

 さて今月の例会は、沢山のお仕事が有りました。甲州画報・東京支部紙の折り込み、封筒詰めは言うに及ばず、隊費の振込用紙の金額・口座番号等の記入、(これの書込は結構大変でした…………二人ががりで100枚手書き ゴム印が欲しかったです。)何ぞをやりながら「笑ってお仕事」と訳の分かる人には分かるギャグ(某Mソフト会社のTVCMです)を飛ばしておったりした私でした。
 まぁ一息ついた頃、誰ぞが「東京支部紙のリレーコラムはどうなったんだろう」と言い出すと、「順番ではカーリーさん」だとか、「おぉぉちゃんとカーリーさん書いておるぞ、で次はだれなんだろ??」とかの声がもれる。で支部紙を見ていた誰ぞが「南川隊員だ!!」と叫ぶと、エェーとの大声が南川隊員から聞かれる一幕も有ったりしました。(当然回りからちゃんと書くようにって釘刺されてましたが……)
 後は、従軍魔法使隊員支援の為の今年の隊費の支払い(仕事か??7月に集まった分はこうしゅうえいせいの仮払いにあてられるそうな*1)、ダイコンでの売り子の決定(昨年は半日がかりでも決まらなかったのに今年は30分で簡単に決定)、昨年に引き続いてのキャンプをするかの決定(10月にやる方向で話しはまとまりました。一部では幹事まで決まったとの話しも有るけど……)、あと一部の人達が集まって2月11日が何やらと話しておりましたが、(予定を明けておいた方がいいのかな??)
 しかしこれでも時間が余ったんですね、こんな例会って私は初めてでした。
 17時になり二次会の酔虎伝へ…………途中の郵便ポストは僅かの差で画報が少なくて占拠出来ず……
 酔虎伝に着いて見ると、一人さびしそうな後ろ姿を見せて座っている落合[MSG]隊員を発見、そのまま合流で宴会開始、セーラムーンのお菓子(パチンコの景品らしい)や骨董品クラスのおもちゃの事など諸々の話題で盛り上がり、そろそろ終わりかなと言う頃「さっき出たサラダの感想を聞かせてくれ」と牧田隊員が聞いて来るでは有りませんか、その後ろには店員さんも一緒に。確かに一番はじめにパイナップルやシーチキン、胡瓜等使った変わったサラダが出ておりました。人数の割にはちょいと少ないなと思っておりましたが、聞く所によると新メニュー開発の為の試作品とのこと。丁度いい毒見役……もとい……味見役とばかりに出されたんで有ろう。もう脳の先までしっかりとアルコール毒で汚染された状態の私はシーチキンはパイナップルに合わないとか、お花畑をアレンジしたのはいいとか適当な事言っている(ほとんど批判的な事ばっかりだったような気が……完全に酔っ払ってる時に聞きに来る店が悪いんだよ〜〜)だけでモニターとして役に立たなかったと……まぁ酔虎伝のあの新メニューが闇に葬り去られたでありましょう。(あぁ合掌)……
 時間も来て三次会へと言う事になりましたが、買い物の疲れ(いや地下鉄連絡疲れか)が有った為、私らはそこでドロップアウトさせていただきました。後はどうなったんだろう??
 さて、長野に帰って来て見てもお腹が痛くならなかったから、あの水滸伝の新メニューには毒は、入っていなかったようだ。


8月例会レポート

岡田[スイカ太郎]恭典

 中途半端に雨が降って、蒸し暑い15日の午後、森之宮の市立中央青年センターで、支部例会がありました。
 僕が会場に到着したのは、定刻よりも15分も前でしたが、すでに阪本[初代]氏、小椋[マサマサ]氏、柏谷[のぞみ]氏、南川[ともくん]氏がおられ、さっそく仕事(切手貼り&会場の予約)を命じられました。(いつもの事だ……(^_^;))
 しばらくして、岩瀬氏、岡村氏、高橋[海苔子]氏など続々集まり、暑いくらいでした。
 画報の折り込み作業中、岩瀬氏が画報の一部を忘れてくる、というアクシデントが起こりましたが、それでもなんとか、時間内に作業を終える事ができました。(メデタシ、メデタシ…)
 その他、一次会の主な話題は一週間後に迫った合宿の最終チェックでした。
 その合間をぬって、僕は岡村氏から、1/200イントレピッドII(『蒼窮の軌道爆撃隊』の口絵参照)と1/200B−52を見せてもらい、その大きさにビックリ。(B−52に、コイツが乗って飛べるとは思えん…)
 その後いろいろあって、1/700B−52を作る約束をする。
 一次会の最後で、ハスミ・オービット社の社章を作らないか?…という提案があったが、どうなることやら…。

は? ハ? ペ?

 さて、二次会は、いつもの酔虎伝。例によって例のごとく、場所がすでにキープしてある。オードブルまで並んでいる。人外協様々である。
 沖船長の乾杯の音頭で、宴会は始まった。
 二次会では、これといったエピソードがありません。いつもの様に、呑んで食べて、そこそこ騒ぎました。
 会計がすんだ頃に、花原[まちゅあ]氏と磯崎[閣下]氏が参加。
 すでに花原氏の手には中ジョッキが握られている。さすがは人外協である。

 三次会は、ニューミュンヘン北大使館店です。「部屋」に通される。みんな安心して、さわぐさわぐ。酔いもまわってきた頃である。岩瀬氏が言った。
「今日のレポートだけど…」
「い、いかん!つかまってしまった…」
 中村氏が出張帰りにやってきた。今回はアメリカだそうだ。お土産が配られる。ちなみに『ミッキーのえんぴつ』だった。10時すぎにお開き。今日はみんな帰るようだ。

 お・や・す・み・な・さ・い…


9月例会一次会レポート

落合[生物資源生産担当]香月

イラスト版レポート


9月例会三次会レポート

花原[私を「まちゅあ」と人は呼ぶ]和之

9月19日(日曜日)。

 休日……のはずなのだけど、27日が締切の日本機械学会材料学部門講演会の原稿のためのプログラムを書くために大学に行く。午後6時、一応書き上げてどうにかこうにかコンパイラに通るようになったので、そこで切り上げて例会(の二次会)に行くことにする。
 午後7時45分、二次会の会場(いつもの酔虎伝)にたどり着きました。しかし、そこにはまだ多くの食料が残されていました(酒は少ししか残っていなかったが)−なんと人外協らしくない光景でしょうか。そして、私には人外協残飯処理班としての任務が与えられたのです……。
 さて、三次会(いつものニューミュンヘン)です。まず、「航空宇宙構造工学の研究テーマ募集」について。せっかく税金を趣味の世界で使えるかもしれないのに……応募する人がほとんどいないのは寂しい、という岩瀬編集長のお言葉。まだ間に合う(来年の4年生の研究テーマにもできるし……)ので皆様のアイデアをお待ちしております。*
 あとは、ワールドコンの話などで盛り上がっていました。「MSGおことわり」「MSGとLSDは似ている」「ワールドコンでも結局、ビールをドラッグストアに買いに行って飲んでいた(日本にいるのとやっていることが変わらない)等々…。 なお、次回の大阪支部例会はキャンプ地で行なわれることが確認されました。(つまり、大阪支部での例会の意義は画報の発送作業が行なわれることにある、ということらしい)ただ、酔虎伝ではいつものように宴会が行なわれる予定ですが。
 午後10時、ニューミュンヘンを出たところで、JR、阪急、地下鉄とそれぞれに帰路につきました。(元気な一部は四次会へと向ったようですが……)

追伸
 ロックウッド中将が中将自身の系で過した生涯の時間は(暦年齢に対して何と言うのでしょう? 経験年齢とでも言うのでしょうか)何年だったんでしょう? それでも無茶苦茶長生きだと思いますが)


11月例会レポート

当麻[隊長兼ガメラ]充弘


 11月大阪例会は森之宮に久しぶりに、当麻[ガメラ]隊長をお迎えして行なわれたものである。隊長御自ら画報の発送作業をなされる姿に隊員全員感激のの涙するものであった。次の文章は隊長、御自らのレポートであるからにして皆姿勢を正して読むように。

マサマサ


 というわけで大阪例会報告である。

一次会、  真面目な話や編集作業や発送作業をした。
二次会、  酒を飲んだ。ビールも飲んだ。
三次会、  ビールを飲んだ。酒は飲まなかった。
以上

ちなみに、前日は東京例会だったので、その報告もしておこう。

一次会、  参加しなかった。
二次会、  酒を飲んだ。ビールも飲んだ。
三次会、  歌を歌った。ビールを飲んだ。
以上

ついでに、大阪例会の翌日にはパソコン通信のニフティサーブの宴会が京都であった。人外協とは直接関係はないが、スペースが余ったので報告しておく。

一次会、  ビールを飲んだ。酒は飲まなかった。
二次会、  歌を歌った。ビールを飲んだ。
三次会、  なかった。
以上

大阪例会レポート補足

 さすがに上の報告だけだとあんまりなので、補足の報告をしておきます。

一次会
  私が会場に着いた頃には、すでに発送作業は大部分が終わってました。岩瀬編集長の編集作業の手伝い(といっても、単なる切り貼りだけですが)をしながら、隊費の変更についての話合いがありました。これについては別項に掲載してありますので参照してください。
 編集作業や発送作業が一段落着いたところで、これからの画報の編集方針についての話合いがありました。画報の新しい書き手を発掘するため(現状では書き手と読み手があまりにも分化されすぎていますので)
   「もっと甲州で遊ぼう」
という話になりました。これについては岩瀬編集長あたりからネタ振りがあるでしょう。たぶん。
 また岩瀬編集長の編集作業を楽にするために、大阪例会報告を参加者のだれかが版下の形にまで作り上げて岩瀬編集長に渡す、という事も決りました。この結果できたのがこのページです。今回はそれほど目新しいページにはなってませんが、今後もっと意表をついた例会報告が掲載されることでしょう。きっと。
 ううむ、こういう風に書込んでいると、なんか大阪例会では真面目な話しかしていないような雰囲気になるなぁ。実際はぐちゃぐちゃと与太話をしながら、こういう話もしていたということですんで、
 そういうわけで、大阪例会はいつものように終わって、いつものように通りのホストを甲州画報で占拠した後、いつものように梅田の酔虎伝での二次会へと移動しました。

二次会以降
 酔虎伝では予約をしていなかったはずなのに、すでに席の準備ができていました。どうも第三日曜日には無条件で用意をしてくれているみたいです。そのあとはいつもの宴会モードに雪崩込みました。三次会以降もいつもの宴会でした。何次会まであったのかは私は知りません。


12月例会レポート

年末寄書き編




●活動事例に戻る