1990年正月例会レポート

溝口[日本沈没]幸生

 みなさんこんにちは。今回私『5月13日に大阪でライブやるよ』溝口がレポート担当です。どうぞよろしく。
 今回私は1時間ちょっと遅れたのですが部屋にはいってみると[蔵書の整理するのは何かあるんじゃない]の中村さん、[宿酔いでもはるばる岡山からきたよ]の石丸理恵さんの二人だけが広い部屋のすみでぽつねんとしてらっしゃいました。部屋が広いだけに妙にわびしかったですね。
 私スネア・ドラム(いわゆる小ダイコですね)を持って来ていたのでさっそくセットしてパラパラやっていると、[大津は寒いよ]の磯崎さん、[就職きまって良かったね]の当麻さん、[何てったって大阪支部長]の米田さん、[しばらくぶりだね]の森村さん、がやって来られ、やっとにぎやかになったのでした。そうこうしているうちに[人外協のヘッドはえらいんだぞ]の阪本さん、[今年から名古屋市民だがね]の陰山さん、[同じく名古屋組だよ]の猪塚さん、[年末買ったパソコンの調子はいかがですか]の山川さん、そして[早くお酒が飲めるようになるといいね]の中野さんがやって来られ、今回初参加の岡山の石丸さんに陰山さんが全員を紹介して、なごやかな空気になったところで、今年のSF大会での企画と参加人員の確認があって、私は良く知らんのですが何かウラ合宿の件についての会議にいきなり突入してしまったのでした。
 会議が終わったので、ヘッドの阪本さんのにじゅうウン回目の誕生日を祝して、磯崎さんの持ってきたケーキにろうそくを立てて、一つ一つが君の人生だねって言って、HappyBirthdayをしました(ケーキ大変おいしゅうございました)。
 集まった時間が遅かったので、あっという間に時間となりました。ここで森村さんがリタイア、残りの皆で大阪に移動します。移動中(忘れてましたけど、一次会ではもう一人、[色ものやってますか]の前野のだんなさんもおられて、当然この時もおられます)、も相変わらず、あほげな話をしておりますね。二次会の阪神地下のローゼンタールだったずがスーパードライと名前が変わった店に行きますと[お久しぶりね]の西尾さん、[今回顔みせだけでしたね]の正木さん、[例会参加二回目だよ]の花原さん、そして[年賀状どうもありとう]の岩瀬さんが、出来立ての甲州画報を持って登場されました。磯崎さんの画のおめでたい表紙のイラストには全員バカウケでたのしかったですね。
 二次会が終わって、石丸さんが帰られるとの事で大阪駅の中央口で例の人外協名物のお見送りをする。周囲の善良な皆さんの注目のまとになりながら帰っていかれました。やれやれ。
 カッパ横町の某所で三次会です。あいにく混んでいたため最初は2グループで飲んでいました。どんな話をしていたのか、あまり覚えていませんが、
SF界は広いようでも案外せまいかなあとかの話をしていた様に思います。途中で名古屋組も陰山さん以外は帰られた様です。何やかやでけっこう長い間飲んだ後、私は荷物が重いのでここでリタイア、残りの方はリタイアされた方や、どこかへ行った方と別れたと思います。
 今回はわりとフレンドリーな雰囲気で、こういうのもええなあと感じた一日でした。皆様お疲れさまでした。(一応参加された方の名前は全部入ってると思いますがもし抜けた方がおられましたら、私の不手際です。どうもごめんなさい)


2月例会レポート

松岡[武装ジャーナリスト]ゆきお

 気がついてみたら、バレンタインDayでいくつ戦果があっても、それほど心がときめかなくなっていた。年をとった証拠なのか、ただ単に無感動になっただけなのか?

2月18日(日曜日)

 バレンタインDayの数日後だけあって、武装ジャーナリスト(以下B・J)が青年センターについたとき、やはり義理チョコが飛びかっていた。大阪支部長は、今年は予算の関係なのか、ラッピングもしないまま、袋ごと回すだけだった。
 B・Jは、前野博士の奥さんから、一応包装してあるチョコレートを分捕った。(遅ればせながら、ありがとうございます。妻がおいしくいただきました。)
 青年センターでの議題は、バッコンの件。誰が行くのか、交通手段は何かということを話していた。残念ながら、原田氏をはじめ、行けそうにない人がいるそうだ。鳥取至上主義者としては、少々残念。
 砂丘のあるコンベンションは、全国でも新潟と鳥取だけ。参加するかたは、五月に鳥取でお会いしましょう。
 他の議題としては、ガッチャン対策委員会があった。(先日無事出産されたそうで、まことにおめでとうごさいます。)
 その後、部屋の前のほうでは、アクエリアス計画。うしろのほうでは映画の話題と二つに割れてしまった。機動爆雷があーたらこーたらという話しと、ルドガー・ハウアーは変なやつだという話しを両方フォローするのは、B・Jにとってもきついことだった。(この席でB・Jは森村氏と映画とかテレビの趣味が一致することに気がついた。うーん、やはり同世代)
 二次会は、例によって酔虎伝。テーブルが二つに割れたため、盛上がらないかと危惧されたのだけれど…
 研究室を抜け出したまちゅあ氏が現れて、編集後記ぬきの画報を持った岩瀬氏と土肥くんが駆け付けて…
 まぐりんが店に来たころには、隊長はつぶれかけて、B・Jは清水こーすけ氏のビデオウオークマン片手にアニソンを歌っていた。はは。

PS. ところで、有権者のかたは当日投票なされましたか?


3月例会レポート

岡田[桃太郎侍]恭典

 「お水とり」も済んで春らしくなってきた一八日、

 森之宮の市立中央青少年センターで、支部例会が行なわれました。
 僕が部屋に入ると、中には隊長と、広島から来た岡田[若年寄]隊員(あぁややこしい…)がおられるだけでしたが、暫く雑談しているうちに、みなさん続々とお集まりになられました(名古屋支部の土屋[フハハハ]、猪塚[秘書室長]、陰山[空の要塞]、細野[副隊長補佐]の各隊員、それから横浜の中原さん《細野隊員の中学時代の同級生です》、鳥取等から来られたばっ☆こん実行委員会(片山[まだ未定]隊員他四名)のみなさん、それに朝一番の飛行機で来て夕方の便で帰られた東京の向井[……というわけでわたしは独自に国連治安維持軍を名乗る]隊員、ごくろうさまでした)。一次会の参加者は他に磯崎[閣下]、清水[オフィサーズクラブ・オーナー]、田中[暗号兵]、当麻[ガメラ]、中野[日本以外全部沈没]、中村[不明]、前野[いろもの物理学者][弧高の夫婦漫才]夫妻、松岡[武装ジャーナリスト]、米田[ハル米田]の各隊員でした。
 総勢二○名程の大所帯となり、部屋の中は熱いくらいでした。
 ここでの話題といえば、天羽さんちのガッちゃん(尊雄くん)のこと。磯崎さんが写真を持って来てて。「かわいい」って、一番はしゃいでいました(女性陣はだいたい似たような反応だったけどね)。もちろん、夏の打ち合せも、滞りなく行なわれました。
 さて、二次会は毎度お馴染み梅田の酔虎伝(曽根崎一号店)。今回はテーブル席だったせいか、みんな、どこかおとなしかった(ように思う)。
 ばっ☆こんの面々と前野ご夫妻は、一次会だけでリタイヤ。かわりに岩瀬[従軍魔法使い]、花村[まちゅあ]、牧田[略称ポチ]隊員が参加。
 テーブルでは、陰山氏、田中氏を中心に、アクエリアス計画について熱のこもった討論が交わされ、他のメンバーは黙々とエネルギー摂取に取り組んでおりました。
 土屋氏、細野氏、それから横浜の中原さんは、この後帰られ、残りは三次会に移動する。
 三次会は「ニューミュンヘン」です。陰山氏による『ゴジラ談議』は、清水氏を巻き込み、『伊福部音楽』から『ウルトラ・シリーズ』『ITC』を経て、『キャプテン・ヒューチャー』まで飛び出す始末。みんなで大合唱してしまいました。元々は、アクエリアス発進シーンには、どんな曲が良いか、というたいへん真面目な話だったんですが…(お店の方々、お騒がせしました)。
 九時半ごろに、お開きになりましたが、何名かは飲みに行かれたようです。
 みなさん、ごくろうさまでした。


4月例会レポート

石丸[いずれ虚空に飛び去ってしまう]理恵

4月15日、

 いつも通りの中央青年センターで例会は行われました。
 二時少し過ぎて私が顔を出したとき、既におられたのは、隊長・中村隊員・岡田恭典隊員、当麻隊員・清水隊員・森村隊員・磯崎隊員・田中隊員(順不同…しかしこの書き方は目まいがするな、やっぱ……)だったと思います。
 甲州画報四月号発送の準備をしておられるところでしたね。その傍らで中村隊員が「アクエリアス計画」の一環・艦旗デザインか何かの為の資料を山と積み上げて、デザイン担当の磯崎隊員に悲鳴を上げさせていました。
 それから、今後の活動予定の話をした後はよもやま話……富山の方の隊員さんが亡くなられたとか(石本隊員です。改めてお悔やみ申し上げます)、隊長から皆に知らされたのですが、随分不謹慎な発言をしてしまった気がします(向こうにも支部を作ってもらうだの、たまにこっちの例会に来てくれたりしたら、正に幽霊隊員だの……ああ)。また、銀英伝を読んだのどうのとか、やはりあれって女の子だけにウケる小説だったんですな(あっこの話はよしましょう☆)。そんなことしているうちに、原田隊員と正木隊員、岩瀬隊員と土肥隊員も甲州画報をもって見えられました。皆で折って封筒に詰める作業が済むと、青年センターを引き払って、二次会会場へ。
 移動の途中、私は懇願に負けて……もとい熱心な説得に折れて、SUN−PACKに行くと皆に約束してしまいました。蛇足だけれどあの申込みは二十才未満保護者承諾要で、焦りました……。
 二次会は酔虎伝曽根崎一号店にて。この時人員の入れ替わりは正確に記憶しておりません。ごめんなさい。ビールや酎ハイを飲みながら何の話をしてたのかも……うーむ。ところで、人外協で、先生をしている人って多いんでしょうか。別に自分も教職につくつもりな訳ではないのですが。そういえば自分は哲学科の学生だと言うと、当然皆で「そ、そ、ソクラテスかプラトンか、に、に、ニーチェかデカルトか」とか歌い出したあれは何だったのでしょう。
 とにかく、私は二次会までで帰ったのですが、またしても帰りの列車の時刻を調べてないという不届きをしでし、面倒をお掛けしてしまいました。
 いづも重ね重ねすいません。
 その日もまた、皆に手厚く見送られて、問題児は大阪を後にした訳です……。
 今度くるときは、手土産に吉備団子を持ってきてとのご要望もいただきましたね……確か。都合が良ければ次も顔を出す気でおります(ええんかいな…
…ああ、それより岡山例会のメドはいつ立つのだろう)。


5月例会レポート

中村[不明]孝

5月20日(日),

いつもの青少年センターで例会があった.


6月例会レポート

鵜川[茶くみ少年]育子

イラスト版レポートです


7月例会レポート

吉森[お局様]恵美

大阪支部七月例会
コマ1
コマ2
コマ3
コマ4

 7月例会はいつもと違い、梅田のホワイトローズであるとのこと。私は焦りましたね。だって、青少年センターは地図に載っているがホワイトロースは載ってないもんなぁー。一抹の不安はあったもののなんとか目的の場所を見つけることが出来た。

7月15日は、時折雨の落ちる湿気た日だった。

 私と、同じく広島支部の黒岩<自己申告は”もののけ”だったのに>淳子の二人はホワイトローズの扉をくぐった。
 貸切られた3階ではすでに待っている人がいて挨拶をしているとたいちょが重そうな紙袋をもって「おー広島支部長。人数揃ったら折るぞー。なんといってもなぁ東京支部は20Pの支部誌を送ってよこしたんや。」「それとなぁ、SUM-PACKいくんならこのゲームおぼえるんやでぇ。」そうこうしているうちに、どんどん人が集まり皆で家内制手工業した後、話し合い。これは真面目に。1.SUM-PACK関連の連絡事項等、2.Tシャツ販売、3.こうしゅうえいせい煮の進行状態などがでてきた。後はゲームのルールを覚えるものや磯崎さんの描いている原稿に魅入る者などてんでのうごきを始めた。
 5時になると曾根崎の”酔虎伝”に移動。ここでうちのだんなが加わり宴会が始まった。ここではおよそ17名。この間うちのだんなは特に磯崎さんに迷惑をかけ(ほんっとおにごめんなさい。)黒岩さんは<でかまるこ>と役職名が変った。私といえばバッコンでの木村<でいぶ>さんに続いて当麻<ガメラ>さんと兄弟縁組した。木村さんとは誕生日が10日しか違わないから双子。
 三次会は(たぶん)ミュンヘン。ここでは既に皆酔っているのでただの酔っ払い集団と化していた。土肥隊員が自分を「ジェーンですう。」と言ってしまったのでそれ以来私等は彼をそう呼んでいる。
 私と黒岩さんは米田さんと高橋さんに送ってもらいホテルへ帰った。が、だんなは四次会まで付いて行ってしまい本当に迷惑をかけてしまいその場にいた方は申し訳ありませんでした。懲りずにまた遊んでやってくださいね。

花博ドラゴン 花ずきん恵美

 最後に将来への展望ですが、そんなものはあるわけない。


8月例会レポート

春本[四国支部留守番]順司

8月12日

 人外協の大阪支部例会に初めて参加しました。阿波踊りで盛り上がっている徳島を出発し、天保山桟橋に到着すると、異常な人混み。こんなに沢山の人が阿波踊りを見に行くのかな? と思ったが、どうも雰囲気が違う。そうか、例の「天保山ハーバービレッジ」(中に水族館「海遊館」があるのでも有名)なんだなーと、地下鉄の駅まで来てようやく気がつく。(それにしても、高架の『地下鉄』なんて大阪港駅ぐらいだろーなー)
 地下鉄を乗り継ぎ、地下鉄「森の宮」駅へ到着。大阪市立中央青少年センターを目指す。到着すると、楽器や楽譜を抱えた高校生や大学生らしき健全な男女の集団が・・・。「これはおかしい」、と地図を引っ張り出してよーく見ると、実は「大阪市立中央青少年センター」ではなく、実は隣の「大阪府立青少年会館」でした。チャンチャン
 気を取り直して向こうの大阪市立中央青少年センターへ。部屋に入ると、阪本「隊長」、中村「不明」、清水「オフィサーズクラブオーナー」、岡村「体操のお兄さん」など数人の隊員がすでに到着していました。
 まず、「こうしゅうえいせい煮」の『折り込み付録』の「図解アクエリアス」の紙折りを行いました。(実は、以前設計の手伝いをしていた時、図面折りをやっていましたので、紙折りは得意科目なのです)。
 そのうちに、前野夫妻、米田[琵琶湖]支部長、磯崎「閣下」、岡田「桃太郎」、土肥「都樹の練金術師」、牧田「通称ポチ」、当麻「ガメラ」、岩瀬「魔法使い」、溝口「にっぽん沈没」、井田「?」などの隊員がエサを持って、続々と登場。集まった所で、SUM−PACKとTOKONの人員の割り振りを決めようとしましたが、予想より参加者が少なく、特に2日目は『巻張』へ行く人が多く、結局隊長権限で(?)適当に決めてしまいました。
 その後、メインイベントの「こうしゅうえいせい煮」の編集後記と目次の張り込みを行いました。(購入された皆さんへ;中に一部紙がはみ出していたり、折り込んであったりしてあるものがあると思いますが、大目に見て下さい)
 なんとか5時ぎりぎりまでに会場を撤収、二次会へ。場所は梅田曾根崎町の「酔虎伝」。花原「まちゅあ」と黒松(隊員ではない)が参加。アメリカ帰りの前野夫妻のおみやげ、紙製の3Dドッキングベイ(?)と「マンダラ・カレイドスコープ」に意外なほど(前野夫妻談)人気が集まる。
 そのうち、三次会へ。場所は「ミュンヘン」。店を出た後、なぜか「酔虎伝」の方へ戻り、解散。その後、有志だけで三次会へ。場所は「アメリカン・バー」。なぜか、偶然に田中「暗号兵」隊員と遭遇。
 その後、中村隊員、清水隊員、当麻隊員と私が隊長宅へ連行される。当麻隊員が眠っている横で、恐怖の徹夜「航空宇宙軍ゲーム」が開始される。
 自称「西日本で一番強い」隊長を、残る3人が連合軍を作り、隊長を叩き潰すと、あっさりと「西日本で一番強い」という称号を返上し、私に「四国で一番」という名誉ある(?)称号を与えてくれました。(しかし、四国で何人の人がこのゲームを知っているのだろうか……?)
 夜がしらじらと明けだしたころ、当麻隊員が目覚め、寝ている隊長と私を除いた3人でさらにゲームは続く……。
 こうして大阪の朝は明けて行くのでした。


9月例会レポート

落合[いまいちキャラクターが薄い]哲也

 いよいよファーストコンタクト。前日は、早めにRT(注:リアルタイム会議、つまりパソコン通信の複数同時会話のこと。落合隊員はSFフォーラムRTの超常連で、そこで人外協に勧誘されてひきずりこまれたのです)を抜け、十時起床。
 会場の大阪市立青少年センターに3時半到着。1時間半の遅刻。げげげのげ。
 やばい。遅れた。パンツ脱がされたりとかするのかな。いや。あんな事やもっとすごいアレとか。バンド固めに締めとこ。きゅっ。
 人外協・・と、あった。用意した、三角形の頭巾を握りしめる。がらがら。
 「しししつれいします。」
 「・・は?ここ、人外協ですけど・・」
 明るい室内に微に漂う紫煙と矩形に並んだ机が部屋に緊迫感を演出している。(う、なんかギャグかまそうかなでもここではずしたら終わりだしどうしよ。)
 しかし、名を名乗ると、おお、あんたがそうか、そうかねそうかねまあよくきた
 こっちにおいではいはいそこだよ。ジュースのみなよ、鳥食うかい?はじめまして私、従軍魔法使いの岩瀬です。おお!そうですか、こちらこそ、宜しくお願いします。と、真剣なSUM−PACKの反省事項について天羽さんが議事を進めるなか、居場所を確保。あっという間に一次会の終了。
 天羽さん一家は残念ながら離脱。
 一同梅田へ・・・環状線の車中、UFOからコンタクトがあり、しばし交信して
いると、「ここに他人の振りしてるのがいる。」と前野(妻)さんに指摘されてタジタジ(死語?)となってしまう。
 「活珍王」では、女性軍のなかに座るはめになり、うしみつくん化。
 ここで更に面子が増え、総勢28名となる。
 絶頂時の参加者は隊長をはじめ、磯崎さん、陰山さん、岡村さん、飯野さん、岡田さん、岩瀬さん、原田さん、溝口さん、松岡さん、前野夫妻、段垣さん、中村さん、中野さん、田中さん、土肥さん、当麻さん、柏原さん、赤座さん、金ちゃんさん、智恵美ちゃんさん、米田さん、花原さん、黒松さん、正木さん、牧田さん、僕。(カンニング用リスト感謝いたします。隊長 :-))
 このメンバーで以外にノーマルな?宴会が取り行なわれた後、3次会会場「ミュンヘン」へ・・・・・。店員わずかに唇をひきつらす。
 う、これの事だったのか。歌う陰山さん、幹事大変ですねの米田さん、困る前野(夫)さんと**る前野(妻)さん。いろいろ説明有難うございましたの岩瀬さん、・・・・ど・、土肥ジェーン隊員・・・・・・。
 切羽つまったらやろうと秘かに思っていた「練馬名物股座納豆」も、ここではインパクト弱いだろうなぁ。とかなんとか思っていると、隊長より役職名の決定を告げられる。「君の役職名は[いまいちキャラクターが薄い]だ!だはは。」
 ううう。この後、大盛狂のうちに3次会も幕を閉じ、解散となった・・・・・・

 が、浮かれる僕は4次会にまで押しかける。うーん。頭痛い。
 隊長さん、当麻さん、正木さん、牧田さん、御迷惑をおかけしました。
 来月も宜しくお願いします。うへへ。

 結論。(論旨と要点)楽しいところですね。どしどし参加したいと思います。
 結果。終電を終点まで寝過ごしてしまいましゅぅてん、ほんま、困りましたわ。


9月例会レポート
のちょっとだけシリアスレポート

天羽[特殊解]麻衣子

 数ケ月ぶりに(ひょっとすると1年ぶりぐらいかな)例会に参加しました。もう何ケ月も前から「秋になったら、ガッちゃんも連れて例会に行こうね」と楽しみにしていたのですが、9月の例会はなかなかハードな内容になり、どっと疲れたぞ、というのが正直な感想でした。
 簡単に言ってしまえば「SUM−PACK」の反省会だったのですが、話を聞いてみると、単に「SUM−PACK」についての反省会というわけではなくて、もっと大きな意味での反省会、「人外協のあり方を考える」がテーマだったように思います(でも、時間が足らなくて未消化に終ってしまいましたので、引き続き考えなければならないテーマです)。
 とにかく、企画を立てておきながら、誰もそれが企画であるという認識がなかったらしく、そのために参加者や甲州先生にもご迷惑をかけたようでした。
 「SUM−PACK」に参加していなかった私が偉そうに言えることでもないけど、企画を立てる限りは、自分が楽しむ以前に、参加者を楽しませることを優先的に考えるべきなのではないでしょうか(もちろん、スタッフも楽しめれば、なお良いわけですが)。
 毎月の宴会でワイワイと楽しくやっている分にはいいけれど、それをそのまま企画に持ち込み、責任の所在もあやふやなまま進行してしまったのは、やっぱりまずかったように思います。
 今回、「SUM−PACK」に参加していない隊員の前で、3時間にも及ぶ反省会を行ない、後で、一部の隊員から「こんなに時間を取る必要はなかったのに」という声も出ましたし、例会に初めて来てくださった方にまで気を配る余裕がありませんでした。この点については、司会を務めた天羽(司法行政卿)孔明も、深く反省しておりますので、どうぞお許しください(でもね、天羽ファミリーも「SUM−PACK」には参加してなかったんだよ〜ん)。
 ただ、今回のことは、「SUM−PACK」に参加した隊員だけの問題ではなく、これからの人外協の活動を考える上で、避けて通れない道のように思います。人数が増えたために、まとまりがつかなくなり、つぶれていった多くのサークルの例もあります。これからも、楽しく「人外協」を続けていくために、もう一度考えなおす時期が来たのではないでしょうか。
 と、まぁ、長々と書きましたが、反省会に終始した例会だけで帰宅せざるをえなかった天羽ファミリーは、二次会で気分を変えることもできず、家に帰って「疲れたね」とタメイキをついたのでした。育児の息抜きにと思って、やっとこさ参加した例会がこんな調子では、何をしていることやら、わかりません。
 みんなが「ガッちゃんだ」「かわいい、かわいい」と言ってくれたことが、唯一の救いでした。今度会う時には、もっと楽しい例会でありますように……と願って、ペンをおきます。


10月例会レポート

前野[孤高の夫婦漫才]裕子

 9月例会に引続き、人外協の現状と今後を考える、という至ってシリアスなテーマで例会は終始した。司会進行役の前野[いろもの物理学者]の遅い登場を持って稀代に入ったのは3時をまわってから。(同居人とはいえ、事情により家を出た時間は違うのでその管理義務は負えない)比較的和やかな雰囲気(私と森村隊員がおちゃらけていた・・・せいでは決してない)で話しは進み、先月からするとかなり前向きな内容だったと思う。
 まず SUM-PACK の反省点の確認が行なわれた。米田隊員のレジュメにのっとりかなり細かい点について質問が出たが、事実関係の徹底的な認識は決して無駄なこととは思わない。この質疑応答の詳細は会誌上での正式な報告に譲る。
 続いて、今後の人外協、という趣旨で「人外協」を組織として認識し、体系づける具体的な方策について議事進行。どういう具体案が出たのか、このまた詳細については隊長及び岩瀬隊員の方から正式な報告がなされるものと思うので、この場では概略を述べるにとどめる。

 概ね以上のような内容が話合われた。
 SUM-PACK を機に人外協がその活動のありかたを問われることになったようだ。確かに、お遊びであくまでも余暇の活動では有るが、甲州さんが好きで、ついでに宴会ができたらいいや、だけでは済まされなくなってきたのも事実のようだ。
 森村隊員が「企画をす際、人外協という名だけでお客は期待と共に集ってきてしまう。人外協という名はビッグ・ネームだ」というような趣旨の発言をされたが、これは SUM-PACK 依頼の例会での話し合いの意義を端的に表した言だといえるだろう・単なる反省にどまらず、隊員一人一人前向きな自覚を持とうという動きは奨励されるべきではないだろうか。
 とはいえ、堅苦しいのはご免だ。やはり気の合う仲間で(ときには甲州さんと共に)酒飲んで騒ぐのは楽しい。だからこそ、楽しくてかつ充実した活動(ファンクラブとしての面目を失わずに)を続けていくためにも、組織や運営はしっかりしていなくてはいけない、ということなのだ。当り前のことだが、これがなかなか難しい。会運営の荷重は大抵主催および一部の会員にのみかかってしまいがちだ。そこで分業を施し、いかに楽しく長持するかを皆で考えようという訳だ。11月の例会では更に多くが話合われることと思う。それも楽しからずやである。
 以上例会一次会のみの報告でしたが、やたら真面目に書いてしまった。私がこんなに真面目になるのは幼稚園の入園試験以来ではないだろうか?(物心ついてこの方いいかげんが性根になっているので)「人外協見直すべし」の動きは個人的にもエキサイトする部分も多かったし、これはやっぱり人外協が好きなんだな、と思う今日この頃なのでありました。
 報告終り。




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