1月例会レポート

人外(魔)協再び!!
―あるいは深那古野探訪記(笑)−

石川[かってにつけて]尚政

 私は今、この一冊の手記を前にして逡巡している。迷っている。果たしてこの怪異に満ちた記録を発表し、世に問う事が正義に適うことなのかどうか、どうにも判断がつきかねるのだ。それにも増して、これを私に託して何処かに消え去った、あの男の消息も気に懸かるところではある。読者諸兄よ、お笑いになるがいい。私は未だに、あの男の異様に血走った、赤い目の悪夢に苛まれるのだ。だがしかし私は此処に決断する、無け無しの勇気を振り絞り、この手記を発表しよう。そうする事だけが、あの男に対する誠意の証になると信じる。
 尚、手記には所々破損、汚れ(これは血の跡か?)が在り判読不能の個所が在る事をお断りしておく。

−−−−−たのであった。さんざん迷った挙げ句に辿り着いた「之広場」(其れにしても面妖な名前ではある)には木村嬢、鬼頭氏、竹林御夫妻が御着席されており、御歓談の御様子。早速小生も御仲間に入れて頂く仕儀となった次第。どうやら、「屋根魂」に於ける出絵威等亞図流夢の申し込み等為さっておられる御様子、そうこうしている内に陰山氏、小森氏御到着、暫しの談笑の後、場を移す事と相成った−−−−−(以下数行判読不能)

−なる伊太利亜料理店「ぜんぜろ」にて供された献立以下の如し、伊太利亜風麺ぽぅ二枚、魚介具入り伊太利亜式蕎麦一皿、醍醐、卵和え伊太利亜式蕎麦一皿、野菜盛り合わせ一鉢、茄子、醍醐入り麺ぽぅ重ね蒸し焼き一皿、ばなな練り込み焼き菓子二皿、四色冷菓盛り合わせ一皿、白葡萄酒数本、麦酒数十本(一部過大申告有り)他にも多数有った筈であるが、小生の酒精にて混乱せし記憶に残りたるは此ればかりなり。しかしこの場に集いし諸侯、諸嬢の健啖家振りには、ただただ驚愕の一語有るばかりなり。(お前が言える立場かという、外野の突込みが聞こえるのは、小生の気の迷いか?)
 人外協那古野支部の隆盛いや増すばかりと安心した次第。−−−−−(以下数行判読不能)

−−−−する内に空桶屋「翼星」に到着。その後繰り広げられたる饗宴は、正に疾風怒濤、驚天動地、天地狂乱、阿鼻叫喚、縦横無尽、言語道断、横断歩道、天上天下唯我独尊とも形容すべき大盛況のうちに、恙無く終了。唯一の心残りは「勇者王牙雄凱牙亞」の主題歌を熱唱出来ずに終りし事ばかりか。−−−−−(以下数行判読不能)

−−−−−次なるは「深夜足す事の壱」なる酒場にての酒宴なり。この三次会に残りし人員は、陰山氏、鬼頭氏、小森氏及び小生の四名なり。一同四つ葉のシロツメクサ印の玉蜀黍製蒸留酒にて乾杯。改めて旧交を温める事と相成った次第。何時果てるとも知れぬ宴の内に、那古野の宵は更け行くばかりなりけり・・・・・・・・・


6月名古屋例会レポート

猪塚[秘書室長]慶彦

1次会。「の広場」

参加者 木村支部長,後藤隊員,久保田隊員,竹林隊員×2,小森隊員,鬼頭隊員,高木(由)隊員,猪塚隊員の9名

  久しぶりに後藤[よこしまな後ろの後藤のタックスマン]隊員を見ました。
ある女性歌手のコンサートのために名古屋まで来たついでに寄ったとの事。
17:30頃いそいそとコンサート会場へ。当然のように我々は隊歌斉唱で見送りました。
 私が前夜、出張帰りに宴会をしなかったため、2次会の場所決めにとても迷ってしまいました。しかし、「の広場」に来る途中でもらった1枚のチラシが事態を救いました。

2次会。「村さ来」

参加者 1次会マイナス後藤隊員,高木隊員の7名

 「村さ来」へいく途中で木村支部長が「来月の名古屋例会は長野だっ!」と叫んでいました。言ったモンが勝ちらしい。今月(6月)の画報に詳細がでていると思います。
 6月末まで生中が1杯100円というチラシの威力はなかなかすごいものがありました。(2600円/人は久々に安い2次会)なんか久しぶりに2時間フルに宴会し続けたという感じがしました。

3次会。「歌の広場」

参加者 2次会マイナス竹林隊員×2の5名

 最近セガカラってアニソンの新譜が少なくなってきたように思える、という結論でした。(あの店は、新譜情報を貼り付けるのも遅い。モニタ上ではバンバン出ているのに)

4次会。「かぶと」

参加者 3次会マイナス木村支部長,小森隊員,鬼頭隊員の2名

 日本酒と朴葉味噌を頼みました。それに釣られてかどうか分かりませんが、気がついたら隣のサラリーマンのにぃちゃん達も朴葉味噌を頼んでいました。


9月&10月名古屋例会レポート

猪塚[秘書室長]慶彦

9月例会

1次会、「の広場」、6名
 いろいろな話をした。が、1ヶ月過ぎると覚えているワケがないってことに先日気がついた。(編注:この記事は10月1日付けで人外協パティオにアップされています) 考えてみれば、宴会の時の記憶がないことなど腐るほどあるのだから、当たり前だと思うべきでしょう。
 10月の例会のことを打ち合わせたことくらいは覚えています。 ここで高木由香隊員が脱落。

2次会、「bobby’s club STATION」、6名
 最近、「いつものところ」が多かったが今月は新しい店を開拓することに。
 その階下の店も少し(主に店の前に置かれたミニチュア ディスプレイに)こころ惹かれるものがありました。

3次会  「歌の広場」  6名
 いつもの場所でいつものメンツでいつもの歌が。
 (僕らが歌える)新曲が見つからないのはどうしてなんだろう?

10月例会

 画報にも載っていますが、10月の名古屋支部例会は一次会は名古屋港で砕氷船「しらせ」の見学を行いました。
 集合時間は13時、名古屋駅のメディア1にて。
 最初、極端に参加者が少ないのではないかと恐れていましたが、結局6名になり、一安心でした。ここで学んだ教訓。5分くらいは待つべき。
 地下鉄を乗り継ぎ名古屋港へ。どこに「しらせ」が停泊しているのか分からないため、多少迷走しましたが、ちゃんと到着したからよしとしましょう。
 林隊員はデジカメとビデオの2つを抱えてもう、取材といった感じなのですが、我々のほうはとてもいい加減です。
 「ダビット・デリック」さんとは何者なのか、とか床屋の名前はタイガーカットだとか、標語は五七五がやっぱりしっくりくるとか、酒保に酒が売られていないように見えるが、実を言うと符丁なのではないかとか、今や電子海図(GPSだな)の時代だし、一太郎もWORDもあるそうだがプリンターは一世代前のモノに違いないなどとワケの分からないことを言いながら見て回りました。
 今回一番の疑問は甲板に自販機があったのですが、航海中も置いてあって販売しているのかというものでした。(酒保のメニューにはジュースがなかったのです。それに100円だったし)
 そうこうしているうちに仕事を終えた木村支部長とメディア1で集合だと書いてあるのに関らず、ナナちゃん人形の前で1時間も待っていた某隊員とも合流しました。
 次はしらせの前身であった「ふじ」へ。
 2つの船を比べるとやはり時代を感じさせます。雑魚寝以下の3段ベッドなんかはモーターのすぐ横に作られていたりして、今の僕らにはとうてい耐えられないだろうと思わせます。
 ふじは常設の船でしたので、マネキンがたくさんいるのですが、その中にいたのです。どう見ても若い頃の甲州先生が。
 南極だけ有効な免許証など300円払っても十分楽しめました。
 一次会参加者:木村支部長,小森隊員,鬼頭隊員,久保田隊員,高木由香隊員,林隊員,岩瀬隊員,猪塚隊員
 まぁ、二次会からの参加者はいないだろうと思いつつもナナちゃん人形へ行ったのですが、いたんですねぇ〜〜後藤隊員が。
 二次会は「素材屋」でした。結構飲んで、食べたような気がするのですが会計はずいぶんと安く、うれしい誤算でした。
 次は三次会だぁ〜〜とばかりいつもの店に行く途中で後ろを振り替えると林隊員と岩瀬隊員がいないのです。帰られたのですが、挨拶ができなかったのが悔やまれました。どうもお疲れさまでした。
 ここから高木ダンナ隊員が合流しました。
 ついでに四次会。
 日本酒二杯と朴葉みそを食して帰宅しました。


12月名古屋例会レポート
(ミキ☆CONレポート含有)

五藤[航空宇宙軍広報部長補佐心得]三樹

1999年12月、

 ミレニアム最後となる名古屋例会は、愛知県日進市にある宗教公園『五色園』において、「ミキ☆CON」の会場の片隅で行われました。
 例会のレポートに入る前に、まず「ミキ☆CON」とは何かということを説明しなければなりません。これは、早い話が私、五藤=航空宇宙軍広報部長補佐心得=三樹と、私の妻にして元FSF RTの女王みみずとの結婚ベンションだったのですね。周囲から、「結婚して1年半もたってから結婚ベンションかい」という意見も聞かれましたが、婚姻届を出してからは半年、新婚旅行からはまだ2ヶ月しか経っておりません 
Miki CON in Jingai というわけで、今回の名古屋例会の参加者は、後藤隊員、鬼頭隊員、陰山隊員、小椋隊員、竹林隊員×2、小森隊員、木村隊員、久保田隊員、牧田隊員、内田隊員×2(順不同)に僕と、ミキ☆CONの全参加者の 1/4 となり、最大派閥となりました。まぁ、なったからどうしたという訳でもないのですけど。
 さて、例会が始まる前に、まずはミキ☆CONが、陰山隊員の司会によって始まることになっておりました。当日、昼間に東京で結婚式をこなしてから名古屋に向かう陰山隊員を最寄りの駅でピックアップし、六時三十分開始となる予定だったのですが、なぜか、迷うはずのない「藤ヶ丘=五色園」間で迎えの車が消息を絶ち、空腹のあまり暴徒と化した参加者の前に、ミキ☆CONはなし崩し的に開始されたのでした。まぁ、沖縄ではよくあることですけど。
 その後は、飛び散る日本酒、走り回る子供、酔っぱらいがエアガンを振り回す、マグロは散乱するという、ごくありふれた「コンベンション夜の部」のなかで、しっかりと名古屋例会が行われました。そんな状況の中、ひたすら原稿にネームを貼り、スクリーントーンを貼っていた木村隊員、さすが日本で最初にできた人外協支部支部長だと感心することしきりでありました。
 最後になりましたが、ミキ☆CONに参加して下さった皆様、どうもありがとうございました。次も来てね(っていつのことや!)
 それにしても、何故自分の結婚ベンション(のなかで行われた支部例会)のレポートを本人が書かねばならないのでしょうか? うーん、これは、はやく名古屋支部隷属をはなれ琉球支部として独立せねば!




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