2006年キャンプレポート

阪本[ツアコン]礼子

 10月14−15日、いつものようにいつもの石川県県民の森キャンプ場で恒例の人外協秋のキャンプが実施されました。今年は素晴らしい晴天に恵まれました。これまでは関西方面からの参加者は北陸道の賤ヶ岳SAで待ち合わせていたのですが、今年はとりあえず15時めどの現地集合となりました。 阪本家は明石を7時過ぎに出発して、途中大津で女子大生のお嬢さん一人(甲州先生のお嬢さんのお友達カオリーヌ)をピックアップしたあと、一路山中温泉をめざしました。お昼前に山中温泉のスーパーについて、名古屋のNina家と一緒に食料品等の買い出し。こんなにいるのかというくらいに缶ビールを買い込んで、さらには嬉々として日本酒を買いに走るNina旦那、すきな物を買っていいよといわれて餃子をカゴに入れるカオリーヌなど、なかなか楽しい買い物でございました。
 買い物を済ませ、いざキャンプ場へ。紅葉にはイマイチの山を眺めつつ県民の森へは13時ころに到着。すでに落合隊長一家と人外協看板イラストレーター磯崎さんたちはすでにキャンプ場に到着していました。「くる途中に熊みた〜」とのこと。しかしキャンプ場の管理人さんの話では今年も熊は里に下りておりキャンプ場ではあまり注意はいらないけど、イノシシがいてあちこち掘り返したりしているとのこと。今年も山の恵みは少なかったようです。
 とりあえず借りるケビンやキャンプサイトのお金を払って手続きをすませ、先に器材をおろしてテントの設営に取りかかることにしました。いつものように15時到着だったら急いでテントやタープを張るのですが、なんせ13時には到着しているので明るいお日様の元でのんびり準備をすることができました。そうこうしているうちに甲州先生ご一家のご到着。まりかちゃんのお友達も一緒にやってきてさらににぎやかになりました。女性陣は定番メニューのカレーの準備、飯ごうにお米をといでおいて後は火にかけるとこまでやっといて、花原隊員の到着を待ちます。そろそろカレーができあがるかというころに、花原隊員がやってきたので、ビールを1本渡して飯ごうは一任。準備が一段落すると甲州先生の奥様がもっていらしたごちそうをつまみつつすでに宴会モード。
 さすがに暗くならないと夕食という気分にならないので、とっぷり日が暮れてからカレーモードになりました。夕食後はすることもないので、早速キャンプファイアーへ。キャンプ場の一隅に積み上げられた薪に火がつけられました。この頃に荻野家が到着。歩ちゃん&航くんも加わります。キャンプファイアーの火が囂々と燃えさかる頃に当麻家が到着。遅い夕食を済ませた後はめいめいすきに遊びます。歌を歌ったり(もちろんアニソン)お酒を飲んだり、子供たちは周囲に落ちている杉の木の小枝を集めては火にくべるという、普段は絶対やらせてもらえない遊びに夢中でした。
 さすがに火が弱くなって、遊び疲れた子供たちと酔っぱらいたちが次々と沈没していき、キャンプ場は1時にはすっかり寝静まっていました。

キャンプの調理中 キャンプの朝

 翌朝はまたまたいつものように早起きした人からおいしいものが食べられるというアルゴリズムのもと、ソーセージやおいしそうなパンやスープが並べられておりました。
 そしてしばらくすると日曜参加の中谷隊員とお子さん、そして井中隊員が合流。かなり人数も増えてにぎやかに。中谷隊員は2年ぶりの参加で、お子さんもすっかりお兄ちゃんになっていました。
ああ、よそのお子さんの成長は早い。
 ひ ととおりおなかがくちくなったら、甲州先生がさっそく稜線の縦走に出かけることに。そう、これは散歩ではなく縦走だったのです。一昨年展望台から撤退を余儀なくされた当麻ともき君はもちろんついて行ったのですが、驚いたことに小さなお子さんがこぞって甲州先生の後をついて行ったのでした。この縦走のレポートは恭也くんに付き添っていった落合さんにお任せしましょう。
 残った私たちはのんびりと片づけやバーベキューの準備をしながらおしゃべりしたりひなたぼっこしたりしておりました。
 そろそろお昼だよねーまだ帰ってこないねーあれーもうお昼だよー、とバーベキューが始められず待つこと2時間。甲州先生を先頭に子供たちが帰ってきました。みんなさんざん歩いたのでおなかもすいたことでしょう。今年はたこ焼き器でホットケーキミックスを使ってすずカステラを作ってみました。子供たちには好評だったようです。カステラ作りを担当してくれたお嬢さん方も楽しそうでした。いつものバーベキューに加え、PONKI隊員が持参したサザエやお肉、焼きそばなどでおなかいっぱいになりました。
 食事の最中にふと甲州先生のズボンを見るとなぜかひっつきむしが一面に。
「どうしたんですか、これ?」
「いやー、先頭歩いて藪こぎしたからなぁ、、、」
一体どういう道を歩いてきたのでしょう??2時間の縦走で子供たちをたくましく鍛えてきたのですね?そして10年後くらいにはきっとどこかの山をこの子たちをつれて制覇しにいくのですね、甲州先生?
 2時をすぎる頃にそろそろ片づけを、というわけでみんなで器材のお片づけ。余った食材を分ける際、ともき君はバナナを元気よく手をあげてゲットしておりました。
 キャンプサイトをすっかりきれいにしてゴミを持って駐車場へ降りて、笠井隊員のカメラで全員で記念写真を撮って解散となりました。あ〜楽しかった。

追記:今年は晴天に恵まれ山は熊の心配もなく、大変楽しいキャンプでした。14年前に始めたキャンプがここまで続いて、幼かった甲州先生のお嬢さん方は成人して、2世隊員の参加も多くなり、感慨もひとしおです。今年のキャンプで大変印象に残ったことは甲州先生の奥様幸さんの「孫が生まれても絶対におばあちゃんとはいわせない」という発言でしょうか。私自身も年を感じる今日この頃、この発言の気概にあやかりたいと思います。来年縦走が実施されるなら参加してみましょう。うーん1年がかりで体力作りをせねば、、、。


2006年キャンプレポート

落合[世界級]のぞみ

 人外協の子供たちは、当然のように山登りが大好きだ。今年もまた、「甲州せんせ〜、ハイキング行こ〜」と、どこぞの子供が言い出した。キャンプ二日目、昼食前のことだ。
 よっしゃと立ち上がる我らのリーダー、甲州先生。でも、どっか気だるそう。
 わ〜いと続く子供たちは、3歳〜小学5年生までの6人。各両親と、それに甲州先生の次女どのが、「え〜!!私はいいよ〜」と嫌々ながらも、ついていく。
 思えば一昨年、私は、1歳の息子を抱っこしながら、このハイキングに着いて行った。いきなりの急勾配。はあはあという自分の息が耳にこだまし、心臓がばくばく、200メートルも進まないうちにギブアップ。「誰かうちの娘を頼みます〜」と長女を見捨てて山を降りた。下山(?)途中、当時3歳の娘さんを連れた、ももちんとすれ違う。「のぞみさ〜ん、この**美味しいですよ〜」。彼女は、山登りを嫌がる娘の泣き声をものともせず、登山路傍らの葉っぱを摘みつみ食べながら、優雅に登っていた。とても真似できない、と思った。
 そして今年、ももちんは、ハイキングコースの入口で靴紐を結びなおしていた。さすがは元山岳部だ。心構えが違う。私は3歳になった息子の手をひき、谷家次女とともに山道を登り始めた。その先に見える看板には「斧いらずの森**km」と書いてある。斧いらずの森ってなんじゃ!斧がいらんほど深〜い森なんじゃろうか。この先が思いやられる。(突:「斧入らずの森」じゃなかったか?斧を入れてないという意味に思ったが…)
 山道には栗のイガがたくさん落ちていた。もちろん、中身の栗は入っていない。リスだか猿だか熊だか判らないが、動物の食事あとだ。そういえば前日、この「県民の森」という敷地に入ってすぐ、わが家と閣下を乗せたシエンタは熊と遭遇した。幸い、50mは離れていただろうか、道路を横切る黒い塊に乗員一同驚愕した。熊が登っていった斜面横で、夫は車を止めた。(何するんじゃい〜。熊やぞ。怖いやんけ)と思う私の思惑など知ることのない夫は「ほらほら、このりん、あそこに熊がのぼっってくで」と娘を右の窓へ呼び寄せる。(体当たりされたらどないすんじゃ〜!!)私は、獣とかホラーとかに対して人としての原始の恐怖が湧き上がるタイプである。
 そんなわけで、栗のイガを見るにつけ(熊が出るんちゃうか)とびくびく。ところが、ももちんの長男は、栗のイガに有頂天である。「うわっ。栗や〜栗や〜」と歓喜の声がつづら折の上の方から聞こえてくる。しばらくして追いつくと、彼の大切にしているポケモンのマフラーを腕に抱えているから、暑くてはずしたのだと思い「貸してごらん、持ったげる」とマフラーを奪い取ったとたん、ばたばたばたとイガが散乱した「あ〜。ぼくの栗〜!!」イガが手にささって痛いから、マフラーで包んでいたらしい。大切なはずのマフラーは泥だらけだ。所詮、ポケモンも山の幸には勝てないようだ。
 やがて低学年の子供たちは、自分の手ごろな枝を拾って、杖代わりにするようになった。誰も教えてないのに、杖の便利さを知るとはたいしたものだ。・・というのも甲州先生の山登りの速度は速い。杖でもないと着いていけないのかもしれない。しかし、誰も音をあげずに着いていっているから偉いものだ。さすがは、生まれた時から人外協のメンバーになっているだけのことはある。
頂上の絶景 頂上についた。絶景である。登ったものにしか見ることのできない下界の姿。
 4歳娘を連れたガメラ、ももちんも山頂へ到着。ちなみにうちの3歳息子は、お姉ちゃんへのライバル心か、疲れを知らない男の子魂なのか、甲州先生と小学生のメンバーと同じペースであった。おそるべし野人の血。
 頂上についたももちんは、リュックを下ろすとイオン飲料の2Lペットボトルを取り出した。「はい、みんな喉渇いたでしょ」。いつの間に詰め込んだのだろう。さすがは元山岳部。ハイキングコースの頂上に、自動販売機が無いことをよく知っている。一同、むさぼるように回し飲み。小学2年生、多感な年頃のわが娘は、「いらない」と拒否した。おいおい最初にダウンするなよ。
 さて下りは、元来た道でなく、反対側を下りることに。ところが登りは快調だったわが息子が下りではべそをかきはじめた。そもそも、山は登りよりも下りの方が難しい。ハイキングコースとして整えているはずの階段は、一段一段の高さが高くて足に負担がかかるし、坂道はつるつる滑る。当然ながら4歳娘を連れたガメラ、ももちん一家が遅れだした。ガメラ一家で小学1年生の息子だけが元気に甲州先生についていく。だが、やはり疲れが出てきたのか、稜線をいきなり走りだして大人の肝を冷やすし、杖を投げ捨て「もっといい杖があった〜!!」と新しい杖を拾ったが、3歩でバリッと音を立てて砕けるし、後に付き添う私を常に笑わせてくれた。
 ようやく「斧いらずの森」を発見。ハイキングコースから少しそれて散歩できる森になっていた。名前の割にはたいしたことない。
 今度は3歳息子を連れたうちの夫婦が遅れ出した。谷家次女は、親切にも私たちについて、息子の介助をしてくれる。心強い。そのうち彼女がつぶやき始めた。「だいたいね〜お父さんはいつも早すぎるんだよ。私たちが小学生の頃も、ほんとどんどん歩いていくんだから」。そうか、家族でよく山登りに行ってたんだね。「小学生なのに高山だよ〜。しんどかったよ〜」う、うんそれは確かにすごい。私は二十歳過ぎてから高山に登るようになったが、いつも半泣きで登っていた。山小屋泊まりなので荷物が少なかったにも関わらずだ。「海外行って何が嬉しいって、ホテルに泊まれることだよー」。そうだね、さすがに海外でテントは無いだろう。
 それにしても、ホテルに泊まることの幸せを知っている彼女って、それはそれで親の教育が良かったんじゃないのか。生まれた時から、ハワイだ沖縄だとホテルのプールで過ごさせる今時の親たちに聞かせてやりたいものだ。などと、息子の手を引きながら想う。
やがて花畑の下り道に出た。花だらけで道が見えないし、左は谷だ。はるか先で「きゃあ!」とかいう娘の声が聞こえた。どうせ蜂かなんかが出てきてパニックを起こしているに違いない。道を探しながら息子の手をひいて歩いているうちに目がまわってきた。足がもつれて倒れこむ。谷家次女が先頭を代わってくれた。歩きやすい。前を誰かが歩いてくれるだけで、こんなに歩きやすいものかと、あらためて気づく。
 完走。森林浴センターの横に着いた。ガメラ一家(マイナス1)を待つ間、池の巨大鯉を堪能する。ああ、ハイキングっていいなあ。また、家族でどこぞの山を登りたいものだ。ホテルはしばらくお預けだ。


2006年忘年会レポート

大井[ないしょ]俊朗

 去る甲記27年11月18日、19日、播州は赤穂にて人外協力隊忘年会が開かれました。赤穂といえば年末年始のTVには欠かせない物語、辛抱たまらん若様がいじめっ子に切れちゃって、お約束をやぶっちゃったから、一族郎党まるっと失業しちゃって、でもって忠義とか看板持ち出して、怪我させられた老人によってたかって逆切れしちゃうという、終身雇用制神話が崩れた現代にはちょっとピンとこなくなったお話の舞台となったところです。そういえば最近忠臣蔵は12月に放送しなくなりましたね。季節感が無くなったというか、正月休みでないと数字とれないんですかね。毎年やらずに4年に1回ぐらいにしたら、と思ったりして。
 さて、そんな赤穂に行くために、新大阪に引っ越したばかりの私は姫路駅にて有志と集合。レンタカーを借りて行くことになっていました。当日集合時間前に到着したのに何故か遅いとみんなに責められ、そのせいか予想外の運転手に任命されてしまいました。車の運転は好きなので、別に構わないのですが、最近ほとんど運転していない私にまかせて大丈夫ですかみなさん、と心のなかで小さくつぶやいたのを白状します。
 ここで今回の忘年会のキーワードの1つとなる「カーナビ」と遭遇します。今時のレンタカーはほとんどカーナビが無料でついてるんですね。しかもちょっと古めの機種が。新しい機種を使い慣れていると、設定方法や案内のタイミングにかなり違和感を感じるようです。まあ私は自分の車は今はもっていないし、持っていた時にもカーナビは装備しなかったので、よくは判らないんですけど。
レンタカーを借りてまず向かったのは世界遺産姫路城です。昔の日本沈没TV版の前半で、しつこく地震に襲われた白鷺城。あんな南の海域で起きた海底異変と近畿圏の姫路との地震をピンポイントで予想した田所博士、すごすぎです。姫路に恨みでもあったんでしょうか。あいにくの小雨のなか、少し急いで姫路城の天守閣まで上って降りて、姫路城の駐車場で目的地を登録し、座標のずれが修正されたのを確認して出発です。最初の有料自動車道への誘導も、なんでこっちなの、とみんなが頭をひねる方向でスタートしましたが、なんとかたどり着きました。自動車道に乗ってしまえば1本道ですから問題はありません。
 今夜の宿となる祥吉にたどり着くと、玄関前の駐車場は結構混んでいます。人気があるのかなあと思いながら玄関の自動ドアをくぐると、入り口のド真ん中で阪本初代が仁王立ちしています。なんだか道場破りにきているような様子です。恐れをなしたのかお店の人が誰も近づいてきません。後で何をしていたのか聞いてみたところ、入ってきた客に挨拶もせずに品定めをするようにジロジロ見ていたので、睨みかえしてやったということでした。これが今回の2番目のキーワードとなる宿の「仲居さん」です。頭に入れておいてください。
 そんな始まりでしたが、宿の部屋は最近改装したようで綺麗です。男性部屋にはなんだか判らない間取りがあったりと無駄なスペースがありますが、まあ気にしないということで。外はオーシャンビューだったりしますが、日が沈んだ瀬戸内海は真っ暗です。夜の漁をする時期でもないですし、基本的にお酒を飲んで眠るだけです。景色は関係なしです。
 東京組がまだ到着しておらず、食事までに時間があるということでまずは温泉です。参加メンバーもすっかり温泉が似合う年齢になりました。温泉のない忘年会なんて考えられません。宿は高台の上にあるのですが、大浴場はエレベーターで海岸近くの下まで降りてゆきます。まあまあのお湯でしたが、1つ気になる点がありました。露天風呂に雨よけがないんです。まだ小雨が止んでおらず、私の頭頂の柔肌に雨粒が刺さります。痛いです。全国のスキンヘッヅを代表して言わせてもらいます。露天風呂には屋根つけてください。
 お風呂から上がると、入れ替わるように到着した関東組が大浴場へ。しばらく風呂上がりのビールで喉を潤しながら待ちます。景気よく部屋の冷蔵庫のビールが空いてゆき、いい酔い加減になったところで全員揃い、いざ宴会場へ出発です。
 食事の前に今回の参加メンバーをおさらいしましょう。関東方面から中矢隊員、小野塚隊員、鬼頭隊員、新婚ほやほや坂野隊員ご夫妻。名古屋支部からは竹林隊員ご夫妻。大阪支部から花原隊員ご夫妻、阪本隊員ご夫妻、笠井隊員、そしてわたくし大井の総勢13名です。
 お楽しみの夕食の内容は「量より質が重視プラン」。めっきり食事の量の減った我々にはぴったりのコースです。まずは刺し身が大きく盛られて出てきます。海の傍で育って魚にはうるさい私ですが、赤穂も海の街、刺し身は新鮮でおいしい。特にウニは甘くて絶品でした。と、ここで問題があがります。2番目のキーワードを思い出してください。そう、仲居さんです。宴会の席におばさんの仲居さんが1人専属でつくのですが、このおばさんがうるさいうるさい。食前酒はおいしいから飲め、これはこう食べろ、その食べ方は違うとか、極めつけはビールを自分でこぼしておいてそのままとか。ほかにもアワビとかいろいろ出てきましたが、この仲居さんのせいでなにを食べたかあまり思い出せません。まあ、脳裏に焼きつくようなインパクトのある料理がなかったということも事実です。この日はビールよりも小鼓純米吟醸の2号瓶が飛ぶように飲まれて行きました。お酒がたくさん出て宿のほうも驚いていたようです。
 とりあえず宴会場を後にして部屋に戻り、腰を据えての酒盛りに突入します。この時、お酒とつまみの用意がまだだったので、お酒を飲まない笠井隊員とお酒大好き鬼頭隊員に宿から少し離れたコンビニへ買いだしに行ってもらいました。でもちょっとこの組み合わせは失敗。大好きなお酒を前にあれも飲みたい、これもおいしいからとメンバーの顔ぶれと年齢を考慮しない鬼頭隊員の買い込みに、お酒を飲まない笠井隊員はストップをかけられず大量のお酒が戻ってきました。鬼頭隊員、ジンもおいしいですが、もう若くないので割るものなしでは飲めません。ごめんなさいでした。
 酒盛りはあいかわらずの様相で続きましたが、沈んでゆくメンバーが半数を超え、もう寝ようと1時過ぎに打ち切られました。私は早々に眠ってしまった竹林さんのいびきの待つ部屋で、周到に用意した耳栓をして床につきました。
 さて、翌朝の食事も同じ仲居さんがつき、これはこつがあるから触らないでと1人用鍋をガチャガチャうるさくセットしていき、熱いですから触らないで、出来たら自分が蓋をとるからと何度も言っていたにもかかわらず、花原隊員が蓋をとると目ざとく見つけてまだですと注意をしてきます。もう大人なんだから好きにさせろよなあ、こっちは客なんだし。どうも決まりきった出来の悪いルーチンワークの中に組み込まれてしまったようで気分が悪くなりました。一期一会で客の性分を見て応対してもらいたいものです。
 そんな宿を後にして、せっかくだからと赤穂観光に出発です。まずは赤穂浪士ゆかりの大石神社へ向かいます。ここでカーナビがやってくれました。というか一度設定したはずの目的地が消えてしまい、先頭で車を走らせていた私はずんずん西へ進んでしまいました。しばらく走っておかしいことに気が付き、一旦停止して目標を再設定。いま走った道を戻ります。なんとかたどり着き、神社の参道に向かうと、なんと参道の両側に四十七士の像がずらりと並んでいます。でもちょっと顔が変。どうやら中国で作ったらしく、日本人らしい顔をしていません。兵馬俑のできの悪いレプリカのようです。しかも武具がところどころ壊れています。ちょっと悲しい。どうか直してあげてください。
 神社はちょうど七五三の時期でけっこう人がいます。みんなが気に入ったのは「水みくじ」。購入したおみくじには一見なにも書いていないように見えますが、水につけると内容が浮き出てくるというもの。水盤を囲んで盛り上がってました。そして神社の南側に赤穂城を一部復元した本丸庭園があり、きれいに整備されていて花見の季節にはよさげな感じです。本丸の奥には天守台があり、高いところ大好きなみなさんは大きな段差をものともせず登って行きます。この庭園は二の丸も復元中のようで、完成したらかなり大きな公園になるようです。天気がよかったらもっと楽しめたんですが、このあたりでまた雨粒が大きくなってきました。
 この後、関東組を赤穂駅に送ろうとしたのですが、またまたカーナビのガイドに混迷。わけのわからない裏道に入ってしまい、駅に到着するとちょうど電車が出発したところでした。そこでいったんは分かれたものの、電車の時間がないということでまた呼び戻されて駅で再合流。みんなで海の駅を目指しました。海の駅は駐車場がぱんぱんで大賑わい。私は駐車スペースを探して5分ぐらい同じ場所をぐるぐる廻り、ようやく係に案内された場所はミニバンには狭い場所。でもしゅぱっと停めてみせました。運転席から出られずに、苦労しましたが。
 この海の駅では名物の牡蠣に人気が殺到し、牡蠣フライ丼と穴子丼をみんなで購入してお昼にしました。やはり旬の味は最高です。他にもいろいろありましたが、ナマコをお土産に買った笠井隊員は全部食べ切れたのでしょうか。個人的にはシャコがタッチの差で売り切れていて残念でした。
 お腹も一杯になったのでそろそろ解散しようということになり、関東組を新幹線の駅がある相生駅まで送ります。途中、真っ赤な中華風の道の駅が目に入りました。「あいおい白龍城」というそうで、一度寄ってみたいという気にさせるなにかがあります。
 関東組を無事に相生駅に送り届け(新幹線は出発した直後でした)、私の運転するレンタカーは下道を通って姫路へ向かいました。カーナビは何度も必至に有料道路を勧めるので、音量をゼロにして、みんなに無視されてしまいました。最初からこうして、地図だけ見ればよかったなあ、と思ったのは私だけでしょうか。



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