「呑み続け、喰らい尽し、笑いのめす。これを称して三幸と号す」
人外協がその名に恥じぬ人外の地にて因習的に催しているとされる狂乱の宴、「県民の森定例キャンプ」に関東勢より参画するの機会を得たので以下その様子を可能な限りお伝えせんとす。つーか個人的に埼玉>石川というロケーションにはいろいろ孕むものもあるが大勢に影響なしということでこれはオミットの方向で。ただまあ「どのくらい掛りました?」の質問に「えーと12時間くらいですか?」と応じて場を凍り付かせたくらいに留めておく。
というワケで案ずるより産むが易し道は続いているのでアクセル踏んで時間が過ぎ無事現地に到着するの事。
「えーと大橋さんですか?」
「あーはいそうです」
で常連の皆様に合流する。
メンバーは・・・
(申し訳ありません。初代夫妻、まちゅあ氏以外顔も名前も判らないのでお手数ですがフォロー願いたく宜しく御願いします orz )
予定の15:00に1時間を残し隊員はほぼ集結。
事務所に挨拶を済ませ落ち着くと早速雑談が始まる。錆びる錆びない>レアメタル>文明論まですらすらと行き着く様に流石は甲州組門下生、と感心することしきり。そうこうするうち谷先生御一家も予定時間通りにいらっしゃる。
おおお谷先生だー!!
何しろナマで動いてるのは始めてのビギナーなので感動しつつもそそくさと名刺交換してしまう。<マテ
当日は特に午前中など豪雨というか土砂降りというかな状態だったので先行危ぶまれたのであるがキャンプ開始と同時に続いていた小雨も止み、その後キャンプ中もパラつくことはあったがまま持ち堪え天候には恵まれたといえる。
どうも団体行動は不慣れなタチで、てきぱきとそれぞれの職務を遂行される古参隊員の間をおろおろ右往左往しているウチに炊飯の準備が整い(でも皮むき器はあるといいかも)、気が付けばもう酒宴が幕開いていたりして油断も隙もない宴会進行モードである。
<冒頭の通り、県民の森キャンプ即ち呑み続け食べ続けるの事>
<ネタで家一軒建てるのは剛毅で勇者であるの事>
<まちゅあ氏とスペイン旅行との関係及び対策について議論沸騰するの事>
適度に場が和んだとこで徐ろに谷先生への突撃取材が敢行される。
えーとどこまでOKなのか??多分検閲入ってると思いますが。
ここで私もちょっとだけ話題に貢献した。
カレーで御飯も食べ終わるとキャンプといえばのキャンプファイアーに座が遷る。
10月も末の山中は、寒い!!。取り敢ず当日当夜はもう相当な冷え込み。谷先生同席での正にリアル甲州状態何と豪華なシチュエーションw。
<嫁取りは7000以上である事>
<ウサギと隊員の関係について。因みにドイツ軍では古参兵の事を"野兎"とか呼ぶ>
<日本沈没と"縁側で蜜柑">
個人的にも何点か酔った勢いで質問してみる。ワイルドターキを酌み交わしながら谷先生とダベる!!をーこれは現実のコトなのか?!?!。
夜半から遂に空がグズ付き出す。轟沈してる人も居るので(私自身1時間ほど落ちてたと思うがまあ昨夜0:00からの移動なので許してちょ)火の始末を見届けて1日が終わる。
私はバンガローを借りたが前出通り寒い!!。来年参加を希望される方は断熱タイルを含め防寒には万全の気構えで臨んで貰いたい。総て自己責任である。因みに当夜の私はアンダー、シャツ、セーター、ジャンパーの上にウィンドブレーカでシュラフというチャレンジャーもかくやという積層重装甲でこれを凌ぎ翌日日中もそのまま通した・・・だったのです。翌日も気温はさほど上昇せず特に午前中は火を囲んで過ごしていたが、その輪からはぐれ平気な顔して突っ立ってたのはこういう理由でした。寒かろーと気を遣って貰った方々すみませんでした。
翌日は朝食が済むとそのままエンドレスに焼き物喰いシークエンスに突入!!。"キャンプ胃"とよく云われるがアレはホント。みんな体のどこに消えていくやらさんざん既出通り"呑み続け、食べ続け"話し続け切れ目無く笑い続けるあー愉しいw。
<随所で三秒規約頻発の事>
<日本沈没と謝罪と賠償と・・・ここでも半島ネタは健在w>
焼き物からバーベキューにシフトするかしないかというとき地元からもう1人参着。
・・・何か谷先生が"お父さん遅い!"と御家族から突き上げを受けていたがそれは違うぞ!プロたるもの性急な動作を慎み常に精神的余裕を確保し・・・炊事には関係ありませんかそうですか。うーんほのぼの<と日和る
食べても食べてもホント果つる底なし次から次へ出てくる。特に肉が発揮する物量は凄まじく、非力な仮装巡洋艦を率いて航空宇宙軍の正規フリゲート群に立ち向かった外惑星連合の士官達の心情に思いを馳せずにはいられなかったウソです書いてみたかっただけですすいません。御幣餅も美味しゅうございました。
<歴史無謬論>
そうこうするうち時間が過ぎた、で終了予定刻限が迫る。そしてまさかデザートまで戴けるとわ!!。マーマレードで良かったかな??チーズケーキも美味しゅうございました有り難う御座いました谷夫人様。
洗い物、設備撤去収拾、剰余物資を分配して一泊二日の宴は幕を閉じた。
皆様お疲れ様でした御世話様でした〜。
来年も出来たら宜しくです〜。
そう、既にもう来年も参加する気十分な私です。
正直、人外協隊員としてこの催しに参加しないというのは・・・
大損ですよ?
ご存じの通り、人外協の忘年会は毎年各支部持ち回りで行われる。昨年は、、、どこだっけ?
それはともかく、今年は名古屋支部の主催で行われるわけである。ところで人外協名古屋支部、名古屋支部と言いながら名古屋在住の支部員はいない。東海市在住だったり、刈谷在住だったり岐阜在住だったりする。そのうち一人は那覇市在住である。
かくして以下のような決定が行われた。
「名古屋支部の忘年会は、名古屋支部員の住んでいる沖縄で行う」
というわけで、那覇市在住の名古屋支部員である僕の所に、どこか良い場所がないか探すよう指示が来たのであった。
忘年会の会場としては、美ら海水族館の近所が良いとのリクエスト。
「ダイビングでは何度も沖縄に行ってるけど、美ら海水族館には行ったこと無いんだよね」
とのこと。
そこで、その方面に詳しい知人にどこか良い場所はないかと尋ねてみると、
「ロイヤルビューホテルが良いですよ。あそこなら美ら海水族館に隣接しているから」
との情報をいただいた。早速下見に行ってみると、たしかにホテルを出て階段を下りると美ら海水族館の出口がある。ということで、このホテルを推薦、決定となった。
ところで、全くの私事なのだが近視矯正手術(レーシック:Laser in Situ Keratomileusis)を受けた。当初の予定では忘年会の前々日、11月24日に手術の予定だったのだが、たまたまキャンセル者がでて、1週間前の11月17日に手術を受けることが出来た。実は、手術後1週間は飲酒が禁止されている。そのため、忘年会に行ってもお酒が飲めないという、ちょっと情けない状況になるところだったのだ。1週間早まったのは、これはもう日頃の行いの良さの賜であろう。
那覇から、美ら海水族館のある本部までは車で1時間30分ほど。すこし遠回りして美ら海水族館に着いたのが、集合時間の20分ほど前だった。とりあえず水族館の年間パスポートをつくる。一般入場料金が1,800円、年間パスポートが3,600円なので、2回以上行くと元が取れるのだ。
待つことしばし、今回の幹事であるNina夫妻と、初代夫妻が登場。
「眼鏡していない五藤さん、ヘン」
いや、自分でもわかってますから。
「視力はどう?」
「ばっちりですね」
「近くはみえる?」
「それは今ひとつ」
そのために、近所のホームセンターで矯正用眼鏡(老眼鏡とも言う)を買ったのだ。
「結局、眼鏡いることに変わりはないんや」
大きなお世話である。
やがて、三々五々隊員が集まってくる。時間も過ぎたので、集まった人間で水族館へ入場。どうも携帯電話普及以来、待ち合わせに緊張感が無くなったように思う。もっとも、携帯電話がちゃんとつながればの話だが。
何人かは「黒潮の海」という巨大水槽を上から見ることができるガイドツアーに行くとのこと。ほかもバラバラに水族館を見学。僕と妻は、もう何度も水族館に来ているので、一回りした後、美ら海水族館のある国立海洋博公園内にある海洋文化館のプラネタリウムへ。でも、今ひとつだった。
そうこうするうちに日もかげり、いったんホテルへ。ここで甲州画報の袋詰め作業を行う。…という予定であったが、肝心の画報が届かない。事前に前野[いろもの物理学者]隊員宅に郵送されているはずなのだが、その前野一家が到着していないのだ。どうも、前日も近所の方々と宴会だったらしい。それでも5時過ぎには到着。じつは僕、画報の袋詰めをするのは今回が初めてである。ちゃんとシステマチックに行われていたのですね。
袋詰め作業も滞りなく終わり、6時30分、ホテル内の座敷で宴会開始。そういえば、今回の参加者の大半とは10年以上のつきあいだ。初めて一緒に呑んだときには、みんなまだ20代だったかも。改めて見回してみると、みんな老けたなぁ。
宴会の内容は、差し障りがありすぎで書けない物ばかりなので悪しからずご了承いただきたい。ただ、都庁職員の黒田さんと紀宮様の御結婚の話で盛り上がっていると、突然ホテルの宴会係の人(おじさんだった)が、
「実は、当ホテルには皇太子殿下がいらっしゃったことがあって、雅子様もご一緒の予定が、ご懐妊がわかって急にお一人でのご訪問になったんですよ」
「そのときには、レストランを貸し切ってお一人でお食事なさってました」
とか
「秋篠宮ご夫妻もご宿泊されました。そのときは、そのためだけに壁紙を全部はりかえたり、大変でした」
と、いきなり話に加わってきて、ちょっと驚いた。いったい「人外青年協力隊」はどのような集団だと思われたのであろうか。
それにしてもU子さん、会社経営者に、
「あんたんとこ、儲かってるの?」
は無いと思うよ。
8時30分頃、宴会はお開き。みんな酒の量が減った。これも寄る年波のせいかも。続きは、今回唯一の独身であり唯一の一人部屋である鬼頭隊員の部屋で行われることになった。僕も当然参加するつもりで、とりあえず自分の部屋に戻ってベッドの上で横になったら、不覚にも起きあがれなくなってしまった。これは、年齢のせいでなく、先週受けた近視矯正手術の結果、今まで以上の画像情報を処理しなければならなくなった脳の過負荷によるものに違いない。ぶっ倒れた僕を見捨てて宴会に参加した妻によれば、宴会では次のような状況だったらしい。
「夜中に気持ちよく寝ていたら、突然殴られた。理由は、妻の夢の中で一人で食事に行ったから」「夜中に気持ちよく寝ていたら、突然殴られた。理由は、“私が酒呑んでいるのに、なんであんたは眠っているのよ”」等々。まあ、何処のご家庭でもあると、すくなくとも我が家ではよくある話ではあると思う。
さて、翌日は朝食を食べて現地解散。海洋博公園はいい加減行き飽きている僕と妻は、そのまま家へ帰ることにした。
忘年会のあった土日、大変天気が良く、寒くないどころか暑いほどの陽気だった。しかし、その数日前までは天気も悪く寒かったのだ。というわけで、沖縄県民はあの気候を「寒い」と言っているわけではないこと、数日前は寒かったのだと言うことを最後に付け加えてレポートを終えたいと思う。
来年は内地の忘年会に行きたいなぁ。雪を見ながら日本酒とか。そのときは、那覇から直行便のある場所を希望します。<加筆訂正:みみず女王様>