98年新年会レポート

坂野[一年生に、なったら♪]肇

 例年通り(らしいのですが)1月2日の18時から道頓堀の近くのエーデルワイスで新年会が開かれました。

 今回初参加でしたので、メーリングリストでの情報:「難波から橋を渡ってすぐに右、後は入り口にたっている牧田さんを見つける。」を頼りに、歩いて、歩いて、歩いていたらどうやら行きすぎてしまったようでした。その後、引き返してとりあえずたどり着いたのですが、あまり人の気配がないので、まだ、自分が正しい店にたどり着いたか確信が持てません。仕方無しに入り口付近で待つことしばし、12/27での忘年会でお会いしてた方を見つけて一緒に店に入りました。
 それでも、私が到着したのが18時ちょうどくらいでして、すでに10人くらいのかたが来られていました。その後少しして幹事の方は送れてくるので先に飲み食いしててほしいという電話がありました。
 それからも続々人が店に入ってきまして最終的には30人位になったように思えます。
 またその後、でいぶさんが来られていきなり、忍者君本の行商が開始されました。このほかにカーリーさん本も売られていました。
 だんだん、体内に含有されるアルコールが増加していき、ただでさえ少ない記憶力が限りなく0に近づいていきました。ただ今の時点ではそこで、あった物事は多少覚えてはいるんですが、人名は全くと言っていいほど覚えていません。新年会でお会いしたみなさま、再度名前をお聞きしても怒んないでください。
 やっと、幹事の方がこられて乾杯、宴会が始まりました。(えっ。それまでに食事も、お酒もだいぶ減し、グラスの上下運動もあったんじゃないかって?それは、宴会の準備に使ってしまったんですよ。(笑))
 またそれと前後して、私の役職名「一年生になった〜ぁら(おんぷ)」に「いっちゃん」略称がつきました。と言うわけで今度から「いっちゃん」呼んで下さい。
 宴会の最中のことについて書こうと思ったのですが、少ない私の記憶の引き出しをこじ開けてみたら、こんな記憶しか残ってません。
 ノストラダムスの大予言は相変わらず今の小学生でも話題になっている事が話題にあがっていました。(小学生の頃かかる病気みたいなもんかという結論に達しました)、恐怖の大王は実はええ人で、名前が「恐怖の」と「大王」だとかに話がそれて(膨らむとも言う)いきました。
 森岡さんとは別の作家について「次の作品がおそいなぁ」と言う言葉に、森岡さんが動揺されていたみたいです。
 ジャイアントロボの歌の話題が出て、私が歌えないという話になって、、、(う、後の方を覚えてない)またこれも恒例らしいのですが、牧田さんがバーテンをされていました。
 店の中では時々、BGMにピアノが演奏されていましたが、私の記憶では、ビートルズとアニメと特撮しか演奏されなかったような気がします。
 エーデルワイスから引き上げてきて、(会計でも牧田さんが雑務をされていました。ご苦労様です。)半分以上のかたはバラバラにかえって行かれました。そんで、それでもまだ「なんとはなしに」(私にはそう見えたのですが)残っている7人(まだ、名前を覚えていないので列挙出来なくて残念ですが、、、)でとりあえずどっかに入って飲むか食うかしようと言うことになりました。
 その二次会として、近くのビルの居酒屋に入ろうとしましたが、まだ2日なのですでに閉められてしまっていました。まだ開いている店を探し歩こうか迷っているうちに沖田さんが「当日はこのくらいにして、翌日また食べに集まることにしよう。」と話をまとめて帰って行かれました。これには、まわりの方が「めずらしいな、何か裏があるに違いない」の様なことを言っていた様な気がします。
 まわりも最初は「じゃ帰るか」っていう雰囲気でしたが、帰る途中で「じゃあ、ラーメンでも食べて帰るか」という一言で金龍に寄ることにしました。(これが単に帰りがけに寄っただけ終わらなさそだったんですが、酔っていて気になりませんでした)これが20分位の短い2次会となりました。
 案の定ラーメンで復活したのか、さらに居酒屋に突撃をかけ3次会に突入。しかし、まだ腹の方は復活してないようで軽い物中心となりました。ここで、まちゅあ氏ダウン。
 1時間ぐらいだべり続けてMSGさんの所に行くことに決め、タクシー2台に分乗し移動開始、途中でMSGさんの所に行くメンバーが取っていたホテルの部屋にまちゅあさんを押し込んだりもしました。
 MSGさんのお宅に押し掛けて再び飲み始め、四次会開始(苦笑)話題は、パソコンや、車のことだったと思います。鬼頭さんとMSGさんとの話が面白く結局、朝まで起きていました。
 明け方、MSGさんが「これも飲んでほしい」とクレーム・ド・カシス(梅酒の梅の代わりにカシスをつけ込んだリキュール)を持ってきて、数人が試すがとても甘くって飲めない。仕方が無く、コーラで割って飲んだ人曰く、「コーラをさらに甘くした飲み物」らしいです。
 10時ごろ、MSGさんのお宅を出発、途中の難波で他の方は沖田さんと会うため降りられ5次会に向かわれました。私は、友人との約束のため北上しました。

 なんか、2次会以降が長くなってしまいましたが、以上が新年会レポートです。


夏キャンプレポート

小野塚[shine]真

7月19日快晴

 ルネス金沢から谷甲州先生一家の待つバーベキュー会場まで僕たちは花原隊員の車で向かおうとした…。みんなに置いていかれていた。仕方がないので、みんなで地図を見て、多分このあたりであろうと当たりを付けてとりあえず出発。まっ、すったもんだはあったのですが、みんなの待つバーベキュー会場に到着いたしました(この間、本隊の阪本初代たちは金沢で自生している郵便ポストを見つけては、次々に占拠するという快挙を成し遂げていたらしい)。
 僕はこの時、初めて甲州先生にお会いしたのですが、本当に木村隊員のイラストにそっくりなのですね(あっ逆か)。
 バーベキュー(焼き肉か?)の間も、箸がない、ビールが足りんぞ、通りすがりの(お隣でバーベキューしていた)方々から、イカを20杯位頂いてしまうなど、すったもんだしましたが、楽しくおいしくバーベキューでした。バーベキューの間に甲州先生と落合隊長たちは、来年の記念パーティの来賓に、恐山からイタコさんを呼ぶとか何とか、難しいお話をしておりました。
 バーベキューも終わり、キャンプ参加者はキャンプ場に向かったのでしたが…迷いました。
 夕食にスパゲティを食べ(女性参加の皆さん、夕食準備ご苦労様でした)、酒会が始まりました。「温泉いくぞー、誰か酒飲んでいない奴を確保しろ」と阪本初代の声。夕食後、飲んでいなかった僕が拉致されたのは言うまでもありません(甲州先生の車を運転するのは緊張しました)。温泉は良かったぁぁ。
 その後は夜中迄、飲み明かし、語り明かしておりました(色んな話が聞けて面白かったです)。
 翌日、流しそうめん、流しみかん(!?)、流しスイカ(!!)を堪能して、キャンプは終了しました。何が楽しかったかっていうのは言葉では伝えられませんので、秋には皆さん参加いたしましょう。楽しい事は請け合いです。
 夜、相模原の自宅にたどり着いた僕は一本の留守録メッセージを聞いたのでした。「ルネスから、どこをさまよっているんですか?道がわからないのなら携帯に電話ください。阪本より…・。」 こうして旅は終わるのでした。


石川県キャンプ案内
丸山公園キャンプ場

杉本[給湯室長]直彦

1998年10月

 概要
 白山から流れる手取川にそった高台の公園内にあるキャンプ場。位置的には手取川第二ダムの下流にあたり*1、四方を緑溢れる山に囲まれ*2、鳥たちのさえずりも耳に心地よい*3。また、そばを流れる手取川に下りれば、川原でのキャンプファイヤーも可能*4。テントサイト*5は広々とした平坦地で*6、ゆったりとしたスペースを確保しており*7、大人数でのキャンプにも十分に対応可能*8。テントサイトの隣は、気軽にキャンプが楽しめるようにとバーベキューテーブル*9、炊事場*10が完備されている。そして、「テントでの寝泊まりはちょっと*11」という方のためにガス、トイレ完備のロッジも用意されている*12ため、初心者にも安心できるキャンプ場である。 キャンプ主催

所在地  :   石川郡尾口村瀬戸
アクセス  :   小松ICから三十キロ、国道三六〇、一五七を経て瀬戸野を左折して一キロ*13 
営業期間  :   九月末まで営業*14
お勧めポイント  :   絶景なのはキャンプファイヤー中に眺める満天の星空*15。夜空を横断する天の川の元で宇宙の神秘について語り合うのもいいかも。また昼食後の腹ごなしには、川べりにぽっかり開いた洞窟の探検など*16いかがでしょうか? 


*1  現場には「ダムが放水されることがありますのでご注意ください」との記述があった。 
*2  後述する管理人に「この辺は紅葉はまだなんです。一部葉が色づいているのは酸性雨のせいですので、気になさらないでください」と言われた。我々に一体何を気にするなというのだろうか(いい案配に深夜、酸性雨が我々を襲いました)。
*3  時折猟銃の音が響く良い場所でした。
*4  薪がなかったため、キャンプファイヤーでは燃料が不足、MSG隊長を始め、有志が「オレ達は環境に厳しい人外協!」と叫びながら手斧を振りかざし、生木を切り刻んでいた。当然生木は燃えにくいので盛大なキャンプファイヤーにならず、生木に火をつけることに終始した(結局燃えたら満足してその日のキャンプファイヤーは終了と相成った。残念)。
*5  当日唯一のお子様となった天羽家のガっちゃんは「キャンプに来たらテントで寝るのが醍醐味やねん!」と言って、天羽家専用テントで宿泊となった。ロッジ宿泊の我々のような軟弱者には吐けない素晴らしい台詞だが、後に初代の受け売りであることが判明。「このロッジきれいやろ。でもなキャンプの醍醐味はテントで寝ることやな。今晩どっちで寝る?」無論初代もテントでの宿泊である。 
*6  確かに平坦で広々としていた。しかし、テントを立てていた者達は意外な敵に遭遇し、我々は敗北した。その敵とは「隊長!ペグが刺さりません!」そう、キャンプサイトであるにもかかわらず、数センチ下に石の層があり、テント、ターフを立てるためのペグが刺さらなかったのである。
*7  テントサイトは十以上あったが、この日利用したのは我々だけであった。
*8  今回のキャンプは谷先生一家(先生、奥さん、お嬢さん2人+お友達1人)を筆頭に約二十人程度であった。
*9  炭用コンロ台を装備した便利なバーベキューテーブルが八つあったので、翌日の昼食のバーベキューは非常にお手軽であった。ただし、本テーブルは二千円の利用料が必要。しかし、管理人がいなかったので、使っていないことが確認された(観測していなければよい)。ここで夕食後、酒がいい感じで脳細胞を腐食させた当たりで、人外協リサイタルが開かれた。お題は「お嬢さん方のリクエストにお応えする」 
*10  燃えるゴミ、、、ではありません。解散前にゴミの分別整理を行なった場所。その分別の基準は管理人の指導に従った。「ゴミは基本的に持ち帰ってください。燃えるゴミは川原で燃やしていただいてかまいません。ビン・カン類はまとめて管理棟前に置いておいてください。」プラスチック等を「燃えるゴミ」として分類している我々に一体何を持って帰れというのだろうか。酔っ払った某氏は「燃えないゴミ」だから持って帰らなければならないとか「乾燥させれば燃える」から持って帰らなくてもよいとの議論があったが、結局何も持って帰らなかったような気がする。
*11  例年のごとくキャンプ場の朝は早く、朝食は冷酷である。予想される「欠食」を回避するため、某研究者は朝食会場わきのテントを早期確保したが、熱烈な「キャンプ愛好家」の説得(強制退去)に心打たれ、ロッジに移動。予想通りの観測結果を得ることとなった。 
*12  きれいなロッジで私は快適に夜をすごさせていただきました。
*13  私事で申し訳ないが、このキャンプでの一番の収穫は、私が「ハンドルを握ると人が変わる」ことが判明したことである。往路まちゅあ氏の運転で助手席に座っていたが、情けなくも酔ってしまった。途中無理を言ってハンドルを握らせていただいたところ、同乗した磯崎女史いわく「人が変わったように」元気になることが判明した。
*14  この事実が暴露されたのは現地に到着してからである。現地到着後、前述の「酸性雨」管理人に問いただしたところ、管理人としての契約は9月末までであり、現在管理人不在の無法地帯であることが判明した。まあ、あの辺であんなに寒くなってからキャンプする奴なんて知らんということでしょうか。
*15  本当にきれいな星空でした。ただし、生木を燃やすぞキャンプファイヤーだったため、発生した煙と上昇気流が雲を呼び、生木に火がつく頃には薄曇りとなってしまった。さすが環境に厳しい人外協。 
*16  主役合計六回にわたる探索隊を組織することとなった。中心となったのは谷家お嬢さん連と天羽家代表がっちゃんである。その後ろに、心配してか自分が行きたいからかたくさんの大人が群がり、狭い洞窟を一列になってもぐっていった。私は第二次探索隊に参加、途中地底湖があったため、それ以上の探索を断念した。しかし第六次探索隊である天羽家探索隊は、その最深部まで到達した模様。

全員集合写真



人外協キャンプレポート

天羽[137機動旅団長]ガジラ

 このあいだキャンプにいきました。
 いくとちゅうMSGにソフトクリームをおごってもらったけどちょっともりなおしていて多かったです。
 キャンプでは、どうくつへいきました。そして4回も行きました。おくにいくほどじめんがくずれてきました。
 おとうさんが、おくが二またにわかれていると言いました。
 ぼくはどうくつがこわかったです。
 テントがすこしせまかったです。
 ねぶくろでねているとき、てんとのすみからすみまでまわりました。
 それでかえるとちゅうトロくんがいました。
 それでかえるまでトロくんのことがあたまにこべりついてしまいました。
 トロくんのことはMSGかおとうさんかぼくにきいてください。
 MSGはわらうとおもいます。
 かえるとちゅう20Kmのじゅうたいがあったので大つインターでごはんをたべてかりました。
 天ぷらうどんを食べたけど中みは小さくてころもだけおおきかった。
 さいごへ
 こうしゅうさんのおねえちゃんへ、あそんでくれてありがとう。


98年忘年会レポート

鬼頭[不死身のエンジニア]剛彦

 ここに 98年度の人外協忘年会レポートをお届けする。なお、記述に不正確・不明瞭・不適切な部分があるとすれば(多分いっぱいあるが)それは筆者の常に不足している記憶力と、過剰摂取した酒精のなせる業である。ご了承頂きたい。

●行きの道中
 ちょっとニフティのPATIOに書いたとおり、今年は地元ということもあり、車で行こうとした。ところが、半分冗談でリスキーだと書いたところ、ほんとに当日エンジンが掛かんないんでやんの。う〜〜っ、これだからラテンなカラクリはーっ、もう、シャレんならん。止むを得ず、同行する約束の陰山氏の家に電話。「うちの車が壊れたから車出して」
 さて岐阜から電車を乗り継ぐこと一時間、弥富に到着。したところ、陰山家は何やら宴たけなわ状態であった。聞けば夫人の友達が集まって忘年会の真っ最中とか。年の瀬ですなあ。当然陰山氏もビールですっかり出来上がっていて、必然的に筆者がドライバーを務める。かくして、一行(二人)はシトロエンAXではなくプリメーラで一路鳥羽へ。
 途中差し入れの日本酒を仕入れに近所の酒屋へ寄った後、時間に余裕があったので、高速を使わずわざわざ地道をひた走る。国道の流れもよく(四日市、津、松阪の市街部を除く)、予定の高速道路時間+一時間ほどの旅程。なかなか快適なドライブであった。もっとも、かなり免許が危ない道中でもあったが。付近は陰山氏の営業担当地区で途中経路に不安は無く、要所要所で彼の解説が入る。ただし実は彼も地道のみでは一度も行ったことが無いとのこと。そうか、普通は高速道路があるのに好んで一般道なんか走らんのか。
 鳥羽に到着はしたものの、いきなり目についた「鳥羽SF未来館」(ご存知の方もあろうかと思うが、かつて沼津の「国際秘宝館」のTVCM中でついでに宣伝されていたアレである)に気を取られているうちにその真向かいにある宿を見落としてしまい、入り組んだ町並にしばし迷う。旅館の場所は「SF未来館」の真向いだ、と言えばこの上なく簡潔で的確な道案内になると思うが如何。

●編集会議
 到着してみると、結構な人数ですでに何やら「こうしゅうえいせい土方」の編集会議らしき物が始まっていた。見るまに、各隊員本人のいない所でとっても順調に続々と担当原稿が決まっていく。内容に関しては別途発表が行われるであろう。
 今年も参加者は二十人ほど、大阪方面からは初代をはじめ主だったアクティブメンバーはおおかた来ているようだ。また関東圏からも安達隊員や林隊員ら多数の参加。名古屋支部からは木村支部長とNina家、筆者と陰山隊員、久保田隊員(って飯田在住の名古屋支部員だよね?)が参加している。(ちゃんとしたリスト無しでごめん)
 会議が一段落すると花原隊員差し入れのブランデー(だっけか)の品質チェックが数人によりさっそく始まる。それに便乗して筆者らが持ち込んだ一升瓶の中身の確認も類似のメンバーで執り行われる。
 会場となった旅館「海月(くらげではなくかいげつ)」は、特に豪華だとか高級だとか言うことは無かったが、落ち着いていてアットホームでサービスは良くて飯はうまくて宿泊料はリーズナブルで、個人的に大変気に入った。良いところを見つけていただいて、幹事のNina夫妻に感謝。鳥羽へは会社の慰安旅行で何度か来たが、いつも高い割に内容の悪い印象が強かったので、ちょっとびっくり。

●買い出し
 なぜかいつもと違い、今回は持ち込みの品がが少なかった(まあ去年が多過ぎたか)ので、急遽買い出し班が編成され、近所のコンビニに急襲をかける。いつものノリで、消費できるかどうか不安になる位の分量の酒とつまみを買い込む(でも大丈夫)。かさばるのを嫌ってビールは少な目だが、後ほどこれが正解であったことが判明する。
 購入品はフォアローゼスの黒とシーバスリーガルと、あと何だっけか。その他女性参加者向けに坂野隊員のチョイスでワイン等を少々、つまみにチーズやら乾きものやらを適宜、菓子類は押さえ目に。一応旅館に遠慮して、隠すようにしてこそこそと部屋に持ち帰る。
 夕食の六時までに間があるので風呂に入る。と、そこは既に天羽隊員を中心とするギャグ応酬の場と化していた。改めて人外の忘年会であることを実感する。

●宴会(広間にて)
 最初に旅館の女将の挨拶で始まった本番の宴会、海老づくしの鍋である。とてもおいしい。それを食う手も休めず色々な話題やギャグがそこかしこでひきもきらずに交わされていた。が、残念ながら酒宴の例に漏れず内容はほぼ完全に覚えていない。・・と、思い出した。そう言えばスパムねたとかあったな。
 我が社は未だかつてSPAMメールを出したことはありません、誤解無きよう、とSPAMの発売元が広告を打ったそうだ(これは本当らしい)→もしそこがSPAMメールを出したら「本家SPAM Mail」で希少価値品だから、普通のSPAM Mailには怒っても、本家SPAM Mailは来て喜ぶ、来ないと怒る人が出る→それを見てマイクロソフトがSPAM Mail市場は将来性があるとMS SPAMで参入してくる→MS SPAMはRFCのInternet SPAM 標準から外れた酷い作りになっている→Windowsバンドル販売で非難される→で、当然MSの主張「SPAMはOSの一部です」#SPAM及びSPAM Mailに関する詳細は、誰か身近にいるモンティ・パイソン並びにインターネットに詳しい友人に尋ねること。
 その他は、天羽隊員と陰山隊員が争ってみんな天羽隊員の敵に回ったとかあったらしいのだが、もう何が何やらよくわからん。
 あ、いつの間にか猪塚隊員が来ている。
 鍋の最後は恒例の雑炊。料理の量もたっぷりで、もう満腹。日本酒は片づいたが、最後にビールが結構残っている。仲居さんがそれを部屋に持って行って飲んで良いと言ってくれた。

●部屋で
 勢いは衰えず、そのまま引き上げた部屋で宴会の続きに突入する。ふすまを外し、テーブルをならべて買い込んだ酒とつまみ、引き上げてきたビールを広げる。敷いてある布団は脇へ寄せてその場で落ちる人達に備える。
 宴たけなわの十時頃、小野塚隊員が到着。東方遥か宇都宮から客先のクレーム処理もそこそこに(^_^;)鳥羽まで駆け付けたのであった。
 その場でダウンしそうになる人々を傍らの布団に運びつつ、騒ぎは続く。その夜ここで何が話されていたか、まったく覚えていない。ただただ歓談していた印象のみが残っている。
 結局二時頃でお開きになり、何とか後片付けをして就寝。

●宿の朝
 翌朝、死んだような眠りから覚めると(でも酔いはあんまり醒めていない)良い天気である。もう朝飯の時間であった。予想よりだいぶ豪華な膳(昨夜の宴会の材料のガラで味噌汁なんかが作ってあり、旨い)を平らげ、部屋に引き上げ、引き続きごろごろする。しかしそれだけでは何なので、ゆうべのコンビニにコーヒーその他を買いに数人でぞろぞろと向かう。朝日がまぶしい。部屋へ戻ってから源氏物語のムック(完璧に女性週刊誌のノリのやつ、誌名を忘れた)やらロボコンマガジン創刊準備号やらを回し読みしてみんなで爆笑する。
 テーブルの上には昨夜の残りの酒瓶がいくつか置かれている。一頃に比べると酒量が落ちたなあとか、まさかここでボトルが空くわけは無いだろうとみんなで言い合いながら、瓶をもてあそんでいると、誰が口火を切ったか知らないが、残ったターキーとフォアローゼスが回し飲みでいきなり空く。目のあたりにしながら信じられない。ローゼスなんか壜に2/3くらいあったのに。
 陰山隊員がみんなと一緒になって壜を空けるのに大きく貢献してしまったので、必然的に帰りも筆者がドライバーとなる。よって、減っていく瓶たちを、自分は指をくわえて眺めていなければならなかった。ああ。
 さて、チェックアウト。みんなは宿に荷物を預けて歩いて水族館まで徒歩で向かう。筆者と陰山氏は車を駐車場において合流。
 が、ここで一部メンバーは別働隊となり宿の向かいにある「SF未来館」に向かう。もちろん展示内容に非常に興味はあるので、行った人にぜひレポートをお願いしたいものである。(花原隊員のレポートが予定されていると同行した猪塚隊員からあとから聞いた)

●超水族館
 オプションで見学した鳥羽水族館は「Super Aquarium(超水族館)」と自称している。かなり偉そうであるが、水族館としてはなかなかの物である。新しくてきれいで広い館内(新しくないとすればメンテにずいぶん手を掛けている)と充実した展示物は、好敵手と目される名古屋港水族館に負けていないと思われた(その辺で張り合っていては超水族館の名が泣くか?)。だいぶ前に改装されたはずだが、それ以前の大昔に来たときに感じたボロさはもう無い。
 ペンギンは名古屋港水族館の奴よりはるかに愛想が悪かったように思う。ふてぶてしいと言っても良いくらいであった。
 ジュゴンやジンベイザメなどはデカい生き物がのたーっと動いているだけなので変化に乏しいが、アザラシなんかは同じように大きいのが何頭も非常に元気にプールで泳ぎまくっていて、見ていて気持ちがいい。
 個人的には微生物の世界の展示が非常に面白かった。一分の200(200分の一ではない)のミジンコの模型とかがとってもあさりよしとお的でらぶりー。部屋の奥のほうにあったエコロガリウム(生態観察館)を見て、S・R・ディレーニの『スターピット』を思い出し、懐かしさにちょっと涙ぐむ。

●昼飯
 宿まで荷物を取りに戻り、みんなで通り一本離れたうどん屋で昼食をとる。日曜日の昼飯時ということで、観光客でわりと混んでいた。店内に入り、二十一人がいくつかに分かれて席に着いたが、その後更に混んで、入り口に結構待ち行列ができていた。
 ご当地風のメニューはと探すと伊勢うどん御膳というのがあり、筆者はこれを注文。伊勢うどんというのは、うどんの白玉をどろっとしたたまりに浸けて食する物である。たいへん美味しかったが、名古屋の味噌煮込みうどんよりキャラクターはいまいち薄い(普通のうどんに近い)。
 セットになっていた刺身の乗った手こね鮨もたいへん美味しかった。

●帰り道
 一泊で散々騒いだ帰りはさすがに疲労がたまっている。水族館へ向かうあたりから体調を崩した様子の陰山隊員はすっかり風邪を引いてしまったようで(朝からあんなにガンガン飲むから、、、)帰りは伊勢自動車道をおとなしく帰る。
 同乗した木村支部長ら電車組を名古屋駅まで送ってから筆者もそこで別れようとすると、不調の陰山氏に自宅までの運転を頼まれ、結局また弥富経由で岐阜へ帰り着いたのはすっかり暗くなった頃であった。今回車で行った結果、弥富からかかった交通費は一人当たりで行きが550円(ガス代のみ)、帰りが1100円(高速料金込み)程度と、非常に安上がりであった。以上、レポート終わり。


鳥羽水族館レポート

松岡[傍若無人な冷蔵庫]研

 二日目のオプショナルツアーの行き先に選ばれたのは、宿から徒歩10分ほどのところにある「鳥羽水族館」です。宿に近くにあった「SFみらい」と書かれた、ひみつのおたから展示館にひかれた隊員もいたようですが、やはり「太陽系最大級」とも「銀河系最大級」(手元にあるパンフレットにはこの記述がない。後に残る資料に残さないあたり、商いの常道を心得た水族館であると思われる)とも言われる水族館をひとめ見てみたいというひとが多かったようです。
 さて、そのなんかしらんが最大級である水族館、その秘密の1つに、AT互換機を思わせる設計思想が垣間見られます。通常よくある水族館なら、初めから終わりまで「順路」というシーケンシャルなルートに従って展示物を処理していかないといけない、またそれを限られた面積にできるだけ多く展開するために内部回路が非常に複雑な構造になりがちです。しかし、この鳥羽水族館では、汎用バスに差し込まれた拡張カードのように、館を貫くように一直線に用意された通路にたいして垂直に各種展示コーナーが設置されており、見学者は自らの見たいコーナーを自由に見学できるようになっています。このような設計とした場合、バスにあたる通路が十分なトラフィックに対応できるように設計されていないと、コリュージョンなどが起きてしまうことになりますが、鳥羽水族館ではこの通路を海沿いに置くように設計されており、将来、全宇宙からの見学者が来た場合にも拡張が用意にできるようになっています。展示コーナーもまだまだ海側への拡張が可能であると思われます。さらに、1度に大量のトラフィックが発生しないように、あちらこちらの通路にぬいぐるみやアクセサリなどが売っていて、流量制御ができるようになっています。このようによく考えられた設計から推測すると、きっと各展示コーナーも新しいバージョンのコーナーが開発されると簡単に交換・入れ換えが自由にできているような設定になっているに違いありません。
 その展示コーナー、AからJまで10の常設コーナーと特別展示室、「マリンギャラリー」という展示場などが用意されており、淡水魚、海水魚、深海魚、アシカにイルカにペンギンにラッコにカワウソにカエルにジュゴンにマナティに……と、だいたい思いつくようなものはそろっていました。ジュゴンやマナティは、野菜の高値に苦しむ庶民をあざ笑うかのようにレタスをぼりぼりと食べ散らかしていました。
 アシカは当然のようにアシカショーに出演。普通の水族館や遊園地ではショーの時間しかアシカは出てきませんが、ここでは間の休憩時間のときも、別のアシカのトレーニング風景をそのまま公開して、待っている客やショーの時間とタイミングがあわない客に対してもサービスを心がけています。ちなみに私のいった休憩時間では、「カーリー」という名前のカリフォルニアアシカが、明日のデビューを夢みてトレーニングに励んでいました。
 と、ここまで見てきて、凡百の水族館とあまりにも違う点が多く、館内見学中も不思議に思っていたんですが、館内の片隅にひっそり飾られていた、初代館長の銅像の台座にきざまれていた文字を見て、その謎が解けました。
「株式会社 鳥羽水族館」
 そう、ここの水族館は公共施設ではなく、株式会社だったんです。しかもどうやらこの館長、その数年前にもなんか別の商店を創業している、輝く日本の社長さんだったわけです。いやー、やはり日本の中小企業の社長はすごいわ、わっはっはっはと新たに感心しながら、われわれは鳥羽水族館を後にするのでした。

 ……え、他の隊員は何をしていたか?
 ……えーとですねぇ、なにしろ、太陽系だか銀河系だかで最大級な水族館なわけです。で、入館してすぐにはぐれてしまい、それから1時間以上、水族館を出る直前まで他の隊員とはほとんど会わなかったんですわ,これが(^^;)
 というわけで、でかい事は間違いありませんので、現地では携帯電話か、集合場所と時間をはじめにきっちり決めておかないと、本気でえらい目に会います。逆に、はぐれる理由はいくらでも付けられますが、悪用しないように。

鳥羽水族館はホームページも用意してあります。


鳥羽水族館レポート(イラスト?版)

 


見たふりをするための「SF未来館」

花原[私を「まちゅあ」と人は呼ぶ]和之

 …さて。今年の人外協忘年会が行われた鳥羽の旅館の斜め前には「SF未来館」なる建物がありました。キャッチコピーは「人類が破滅する未来…云々」というもので、まさにSFの王道を意図していると言えるものです。そう思って建物をながめてみると、安っぽいつくりの中にもそこはかとなく奥の深さを漂わせているようです。隣にあった「秘宝館」なるもの(これはどこにでもありますね)と比べても格の違いは歴然です。
 なんといってもSF、しかも未来! 日曜日、朝からバーボンによって十分に精神を高揚させた我々は、人類のSFな未来を探るべく、1200円の入館料を握りしめ、果敢に突入を試みたのでした…。

 人類は1999年 − おお、もう来年だ(いや今年かな) − 天変地異によって滅亡します。しかし、宇宙へと逃れた若干のエリートは、ふたたび地球に舞い戻り、生き残った人々の選別を開始します。選別のポイントは…ずばり、ボディです。なお、選別された人々の中には男性の姿がなかったようですが、やはり危機に際しては女性のほうが生存に適している…からなのでしょう。
 こうして選び抜かれた女性たちは、様々な改造を受けます。なぜか下半身に重点が置かれているのですが、このあたりがきっとSFな未来なのでしょう。なお、そこに配置されていた未来のコンピュータではなぜか磁気テープが主流のようでしたが、ひょっとすると未来にはそういった方面のテクノロジは衰退している…ということを表しているのかも知れません。
 さて、滅亡に瀕した人類を救うには、やはり「産めよ増やせよ地に満てよ」しかありません。そのためか、子供を作るための方法の様々な詳細が展示されていました。SFな未来におけるかなり重要なポイントなのか、このあたりは特にリアリティを重視した展示がなされていたようです。なお、子供は妊娠三ヵ月で出産され、後は育児装置の中で育てられます。そこでのキーワードはずばり、イースト菌です。なぜイースト菌なのかは私ごときにはわかりかねますが、きっとイースト菌には特殊な効能があるのでしょう。
 超イースト菌によって、栄養たっぷりに成長する子供は、なんと三年程度で大人になります。さすがはSFな未来です。しかし、なんといっても大切なのは子供の作り方です。ここではSF未来な子供の作り方に関する展示がなされており、未来の人類の復活にかける意気込みが伝わってきます。
 未来の人類はどのような姿をしているのでしょうか? これは我々としても非常に気になるところですが、最後にその展示がありました。それによると未来の人類は…両性具有で、男女両方の性器をそなえており、身長3mの非常に「立派な」身体をしていることがわかります。いざというときには、究極の近親相姦によって次の世代を生み出すことができるわけです。これには我々も圧倒されました。SFな未来というのは、こんなにもすごいものなのです!

 以上「SF未来館」を簡単にご紹介致しました。なお、当時の我々は、フォアローゼズならびにワイルドターキーの影響化にあったため、この文章のみをもとにSFな未来について語るのは危険です。たいへん印象的な展示でしたので、是非ご自身で確認されることをおすすめします。




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