1997年10月
人外協のキャンプに初めて参加したのは……いま必死に記憶の糸をたぐっている……記憶というのは神経のシナプスにこびりついた脂のような代物らしい……脂がふるくなってすりきれてくると、記憶もだんだんうすれてくるという説明を、あまり学術的ではない立場の友人から聞いたことがある……FBOOKのシスオペの江下雅之さんだが……東大で数学を専攻していたから学術的ではないといういいかたは失礼かもしれないが、とにかくいまは変なライターなわけで……うちの飼い犬のてっちゃんがまだ子どもだった頃だから……いまはてっちゃんは子どもではない。バリバリの種付け犬として、相手にした女は十匹以上、作った小犬は五十匹をくだらないという猛者である……種付け犬の最大の条件は、ものおじしないということであって、それは相手がどんな女でも勃起できる、やりまくれる、相手がかみついてこようが、いやがってすわりこもうが、むりやりケツをこじ起こしてちんちんをねじこむ馬力があるいうことであって……その点からいえばてっちゃんは飼い主には全然似ていない……てっちゃんはいま五歳だから、おそらく四年前のことだ。たしか、私の(当時の)妻と息子もいっしょに参加した……息子はいま中学一年であるが……もうそろそろオナニーぐらいおぼえているのであろうか、聞いてみたことはないが……私は中学二年のときであった……息子は小学三年生ぐらいだったわけだ……といっても、キャンプで泊まったわけではない……童貞を捨てたのは高校二年だった……。
二年ぐらい前から人外協のキャンプ地は石川県民の森ということになっているが、私が初めて参加したのは、たしか甲州さんの家の近くの公園だった。そこでバーベキューをしたのだ。
そのあと、人外協の皆さんがどこで泊まったのかは、私は知らない……もしくは、忘れた。
四年前はたしか……だんだん思いだしてきたけれど……人外協のメンツが来るまで、甲州さん一家といっしょにバーベキューの準備をさせられていたのだった。だから、火付けは全部、私がやった。みんなが来たときには、火付けからなにから、準備はほとんど終わっていたはずである。
去年は参加しなかったが、一昨年は参加した。といっても、やはり泊まりはせず、バーベキューのみの参加だった。このときは、場所は石川県民の森になっていたと思う。人外協のワカモノが炭に火をつけられなかったときだ。
今年はテント持参で、キャンプにも参加した。初のお泊りだ。今年は甲州さんをはじめ、人外協のワカモノたちもちゃんと火付けができるようになっていた。おそらく陰で血のにじむような練習を重ねてきたのであろう……私のような才分がある者には必要のないことだが……。
しかし、人外協のワカモノたちは……四年前もそうであったはずだが、その点についての記憶は私にはない……音痴であった。焚き火を囲んで次から次へとアニメの主題歌を歌うのだが、それがことごとく音痴である。それを平気な顔で聴いている谷甲州という人も、音痴であるにちがいない。
さいわい、谷家のうつくしいお嬢さまがたは音感があるらしく、とうの昔に人外協のワカモノの歌の輪から非難して……じゃなくて、避難して、あっちで遊んでいる。このお嬢さんがたは、モダンバレエだのバトントワリングだの新体操だのといった、音楽と密接な関係にあるスポーツに堪能であり、音痴とは縁がないことはほぼまちがいない。だれに似たのであろうか、とにかくお父さんに似なくてよかった……あと五年ほどしたら私は新体操になりたいものであることよ……。
思考が混乱してきた……人外協のキャンプは別として、谷甲州という人に初めて会ったのは、いつどこであったのか、いまたぐりよせているところだ。
…………。
思いだせん。
あ、東京で会ったのだ。あの頃はまだ甲州さん、東京に住んでいた。どこかのアパートの、狭い部屋の窓という窓を目張りして、昼も夜もわからなくして仕事しているという話を、たしか聞いた。ニフティ関係のオフだったのかもしれない。冒険小説フォーラムとか、本と雑誌フォーラムとか。いや、違うかもしれん。SF大会だったかもしれない。
忘れた。
とにかく、甲州さんは小松に家を建てて、引っ越してきた。
びっくりした。
おれほどではないにせよ、めちゃくちゃ売れっ子というわけでもない士農工商SF作家の甲州さんが、なにをどうごまかしたのか知らないけれど、立派な家を建てて引っ越してきちゃったんだな、これが……自慢じゃないが、おれんちは親の家だ。生まれてからずっと住んでいた親の家の隣家がたまたま空家になっていたので、親がそれを買いとって、私が住んでいる。私は一銭も出していない。
四年前の人外協のバーベキューのとき、帰りに甲州さんの家に寄った。
ちゃんと部屋があって、窓があって、屋根がついていた。
立派な家だ。
犬はいなかった。
その後……去年だっけ?……新田次郎賞という立派な賞をお取りになって、きっとネコババした金は返したのだろう。いまや立派な持ち家である。
私などは、いまはたまたま生まれた場所に住んでいるけれど、本来あきっぽいたちなので、家なんぞ自分で建てようものならすぐに飽きてしまい、たちまち売りはらって別の土地に移り住んでしまうことだろう……というのはひがみなのである。ほんとはうらやましい。おれも自分の家がほしい。
年に四冊も五冊も新刊を出されて、いまだに死なずにいるというのも不思議だ。
私なんぞ、ここ三年ぐらい、小説本を全然出していない。
うらやましい。
うらやましいことはほかにもあって、わけのわからん集団とはいえ、れっきとしたファンクラブ……といってもいいんでしょうね?……の人外協まである……それにしてもこの「人外協」という名前、なんとかならんのか。私は長いあいだ「人外境」だとばかり思いこんでいた。
ここで唐突に断言するが、ファンクラブというのはベンチャービジネスに金を貸してくれる銀行のようなものだ。
ベンチャービジネスというのは、日本でやってるとつらいものがあって、ようするにアイディアや技術はあるけれど、自慢じゃないが資産も資金もないぞ、この海のものとも山のものともわからないように見えるけれど、きっと儲かるにちがいない、いや絶対に儲かるにちがいない、かならず儲けてみせる的会社にだれか金貸してくれ、といつも叫んでいなければならない……しかも日本の銀行はこういう会社に金を出さないんだわ、これがまた。
金を出してくれたが最後、たちまち大成功するか、大借金をするかのどちらかである。しかし、金を貸してくれない限り、なんにもできないのである。成功しようがしまいが、金を貸してくれる銀行がなければ、冒険もできないのである。もともと金がないんだから。
多少の冒険にも目をつぶって金を貸してくれる……そういう銀行がほしいのだ、小説家には。おれに人外協を貸してみろ、何ヵ月か雌伏して、かならずや新田次郎賞のひとつやふたつ取ってみせようぞ(うそ)。
谷甲州にはファンクラブもあるし、住宅金融公庫もある。
私のようなファンが少ない作家は、その日暮らしで食いつなぐしかないし、家も建たない。賞も取れない。
(おわり)