石川県民の森キャンプレポート

竜野[兵隊でゑ]正彦

1995年10月

 Sメーターはテールエンドを指し続けていたのに、その日其処に着いたのは16:00時だった。
 すでに皆様は夕食の支度にテントの設営に動き回っておられた。先生ご一家もちょうど設営準備の最中、そんなこんなの内に着いた私は、Kさん案内でバンガローへ。そして広場でウロウロしながらポンキさんの邪魔なんぞやっていると、マキタさんがビィルを開けてくれて居た。早速、飲む、呑む。鳴呼、オイシイ。天地神妙帰一壷デ有ル。横でマチュアさんが薪をノコで切っている。そして一言、キクゥーッ。私もやってみます。キクゥーッ。イワセさんもやります、キクゥーッ様です。夕食はカリィ、2ハイ食しました。マァ、ごはんがシャキッとしてました。なんやらかんやらやって居る内にキャンプファイヤー。燃えろよ、燃エロォヨォに始まり、アニソンへ流れ出て行くゥッ。どの位やって居たかはさだかでは有りませんが、火も燃え燠と成ったので、解散です。無明長夜の中、バンガローへ。先生ご一家と数人がテントへ。そして、ここでも、宴会です、ハハッ。ネムイ、今日はオリオンが昇り始めたころ、起きたはずです。たしか初代が子供の性別判定を破壊検査でやるとか言ってた位しか覚えてません。これは筒井氏のアノ話に近いなと思ったが、回りにお腹の大きい女性が居ない事を良い事に私も笑ってしまった、ウーン。そして皆様もシュラフへ、私も寝に掛かります。オヤスミ。
 朝起きますと、お守りがバラバラ、いやな予感。そんな私の思いなんぞ無視した様なお天気です。朝食は昼食までダラダラ、いえいえ、ロゥム貴族のごとく続きます。(初代、「ヤツラはキャンプなどせぇへん」)トムヤンクンリゾットは誰が食べつくしたのでしょうか、なんて事なんぞ考える間もなく、広場が異常に燃えていくのでした。もっともアブナイ球技ドッヂボールです。広場の一方は崖。ハハハハッ。マチュアさん、おつかれ様でしたァ、何回下へ行きましたァ?なんてェのは序の口、十字鬼が始まって仕舞ったのでした。ハイライト、甲州次女は突撃隊と化し、MSGさんはかのベトナムにおけるオールアメリカンと成ったので有りました。アシャウー谿谷の攻防もかくやなりしか。クツは取られ、取り返し、5才女児が燃えに燃える、十字鬼。貴方も一度やられたらいかが。私はやんなかったケド。
 そしておわかれです。15:00。
 散々後々、皆様は分かれです。
 参加人員、ウ〜ン。
 でぇぶ様、閣下様、上皇様、オク様、かっぽう着とよこじまトレーナの方様、灰色セーターの禿様と五才女児づれの奥様、初代、マル編さん、マキタさん、マチュアさん、MSGさん、ポンキさん、ゲンさん、ナゾの料理人さん、後はわからない、アッ、先生ご一家、あっKさんも。
 それでは皆々様、さよならジャンヤンケ。


95年忘年会レポート

五藤[宇宙軍広報部長補佐心得]三樹

 これは、95年11月25日から26日にかけて愛知県吉良町で行われた人外青年協力隊忘年会の記録である。ただし、諸般の事情から幾分か事実に正確に合致しないところもあるのでご了承いただきたい。
 午後3時、筆者が鬼頭隊員の車で最初に向かったのは目的地とは正反対の岐阜県揖斐郡揖斐川町である。実は職場出入りの文房具屋に注文しておいたWindows95を受け取りに行くためである。それにして揖斐川町といえば濃尾平野の北西の涯、こんな僻地の文房具屋でもGUIを備えたマルチタスクOSを買えるようになったとは、時代も変わったものである。
 余談になるが鬼頭隊員の車は、シトロエンAX、買って間もない中古車である。このフランス製品不買運動のさなかに何故シトロエンなのかという疑問をお持ちになった方も多いと思う。これには一言では言い表せない深い事情があるのだが、この件に関してはいろいろと微妙な問題があり、また時期尚早であるのでここでは言及を差し控えたいと思う。いつかこの問題が本人の口から語られる日も来ることであろう。
 というわけで、「Windows95」をのせた「AX」は次に弥富の陰山隊員宅へ向かう。午後5時。陰山隊員を無事収容した我々は一路名阪を忘年会会場のある吉良町へと向かう。予想に反して概ね順調に目的地である吉良温泉竜宮ホテルへ到着した。午後6時30分のことである。現地にはすでに電車組の隊員の参加者は到着した後のことであった。
 吉良町といえば赤穂浪士でお馴染みに吉良上野之介の領地である。そのためこの地では「忠臣蔵」の評判はきわめて悪い。悪いどころか吉良町内では「忠臣蔵」の上映・上演は禁じられているほどである。最近になってようやく赤穂との間で歴史的和解がもたれたらしいが。
 それはさておき。
 会場となる「竜宮ホテル」は、吉良海岸吉良温泉にそびえ立つ、「温泉地にあるホテル」を具現化したようなホテルであった。防波堤の外側にある駐車場に車を泊めるた我々3人はさきにチェックインしているメンバーのいるという8階の部屋に向かった。
 現地に到着した我々がまず検討したのは「どこで今晩の飲み物(アルコール含有)を調達するのか?」であった。もちろんある程度の備蓄はあったのだが、物資の補給は多ければ多いに越したことはない。かくして午後7時、買い出し部隊が召集された。宴会開始は午後7時半。帰還時刻を考えるとぎりぎりの時間である。
「たのんだぞ〜」
「帰ってくるまで宴会始めないでまってるからな〜」
声援に送られて買いだし部隊が出発してから10分ほどたったときであったろうか。
「宴会始めるから、会場に移ってください」
「はーい」
あっさりと買いだし部隊は見捨てられてしまったのであった。いやはや、まったく。
 仲居さんの
「ご挨拶はよろしいのですか?」
の問いかけに当麻隊長のヤン・ウェンリーなみの長さの挨拶で忘年会は始まった。いつも思うのだが、仲居さんはこの団体のことをどんな団体だと思っているのだろうか? ま、次に吉良温泉に来る予定もないことであるし、どうでもよいことではあるが。
 さて、「竜宮ホテル」というだけあって海産物主体のコースで、刺身も多い、が、多いのはよいのだが、もちろん筆者もも刺身も魚の天麩羅も好きなのだが、一つだけお願いがある。半殺しの魚は勘弁してほしいのである。
「生きが良くていいじゃないですか」
と隣にすわっている上野隊員はいうのだか、魚の残留思念でもいたらどうするつもりなのであろうか。やはり刺身というのは、ちゃんと成仏させてから美味しくいただきたいものである。およそ10分後
「裏切り者!」
の声とともに買い出し部隊も宴会に合流。あとはもう描写不可能のとんでもない盛り上がりを見せていくのであった。ただ、

の2点である。後者の方はそのちに正式な表明文が発表されるとおもうので、そちらを参照していただきたい。また、前者について、どこが「やっぱり」なのか興味を持たれた方は毎月第1土曜日の名古屋宴会まで来ていただければすきなだけ堪能していただけると確信しているものである。それにしても、翌日の陰山隊員の
「いやー、仲居さんいるとは思っとらんかった」
という台詞からどのような状態であったかは推し量れるものと考える。
 一人の死傷者もなく宴会は一時停止、温泉に浸かってインターバルをとった後は部屋にもどって怒涛の酒盛りの開始である。途中、
「酒が足りない」
といって木村隊員の運転によるシトロエンでの買い出しがあったり、ほかにもあ〜んなことや、こ〜んな話題があったのだが、筆者の判断により割愛させていただく。いつか語られる日も来ることであろう。日付が変わって暫くしてから再度シトロエンによる物資調達が行われたらしいが詳細は不明である。
 翌朝、全員の無事を確認した我々はオプショナルツアーの目的地である「蒲郡ファンタジー館」へ向かう。
 私事で恐縮だが、前回蒲郡に赴いたのはダイナ☆コンEX以来のことである。あのとき、ダイナ☆コンEX前泊の日の昼間ここに来たときは紺色のフェアレディーZで女の子3人と昼食を食べに来たのであった。そのZが名古屋近郊在住の某漫画家によって廃車にされてしまったのは、そのほんの数週間先のことであった。
まだ弁償してもらってへんぞ〜!!
・・・おいといて。
 蒲郡ファンタジー館といのは世界各地の貝を展示した建物で、というとまともに聞こえるかもしれないが、実際にはとんでもないところである。珍しい貝が展示してある。まぁ、これはよいとするとして、大量の、膨大な量の貝をつかって貼り絵のようなもの、それも立体的なものが沢山展示してるのだが、これがまただいぶ特殊なセンスのもとに展示されているのである。なんというかまったく。
 適当な時間に切り上げたのち我々は分散して蒲郡駅に移動、駅近くの中華料理店において昼食をとることにする。席の関係で残念ながら12人と9人の2グループに分かれて昼食がはじまった。そのためもう1グループの方でどのような会話が交わされていたかは知る由もないのであるが、筆者のいたテーブルで最初に会話は
「桂花珍酒と老酒、どっち頼みましょうか?」
「両方にしましょう。」
 かくして2日間に渡った怒涛の宴会も終わりを告げ筆者は無事帰宅……出来ていないのである。なんと忘年会の終わる11月26日から12月6日まで千葉県は幕張に10日間の出張なのであった。この出張が後のインドネシアへの1カ月の出張につながるのであるが、それはまた別の話である。




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