甲紀14年新年会レポート

人外協、白の乗り手、NIFTY−Serve FSF合同。
それから沖田夫妻、並びに阪本夫妻御成婚記念もかな?

土肥[都樹の練金術師]伸生

 とにかく新年会なのである。場所はおなじみ(なの? 私、実は初めて)エーデルワイス。
 んで、実はお誘いを受けたのが当日の午前中、前日に記憶をなくすまで呑んでいた私は唇の傷とひどく痛む両拳に悩みながら岩瀬さんからの電話を取り、六時に引っかけ橋(これって全国的に知れ渡ってますよね?)か、六時半にエーデルワイスに直接来るようにと言われる。そこで思い出したんだが、去年の末の例会かなんだかに沖田さんが私に、新年会に来いとおっしゃってたな、あれのことかな、などと手の痛みが気になりながらぼんやりしていた。左の方は手の甲が腫れていた。
 どうやら宿酔いもあるらしく頭も痛んだ。
 そして、午後六時である。前日の酒も抜けた私は引っかけ橋の中程で本を読んでいた岩瀬さんと合流。岩瀬さんがもうちょっと他の人を待つと言うので、岩瀬さんは本を読み、私はタバコなどぷかぷかしながら年明けの女の子を眺めていた。と、五分程した頃であろううか、可愛い女の子がふたり連れで歩いているので、ハーフ・コートの裾のあたりからのぞく足など見ていると何人かの集団がそれを遮る。
「おっ、どっかで見たような顔が」その声にハッとなり見ると沖田さんである。そこから私は自分自身に照れ笑いなど浮かべながら連れだってエーデルワイスへ。
 そこで新年会が行われた。エーデルワイスである(何度もいわんでもわかるっちゅーに)。
 最初にビールで乾杯である。なにせ三十二名の団体である。私の知らない顔もあったが、ほとんどがどこかで見たような御仁ばかりである。前半はみんな自分の知り合い同士でわいわいやっていたり、正月、新年の挨拶などどこそこで聞かれたりしていた。
 後半である。酒もそこそこ皆の身体に回り始めた頃である。それまでに料理も出ーのしていた。腹も膨れた頃である。カウンター席ではリキュールの飲み比べなんか始まりーのしてた頃である。
 暴走モードである(大袈裟か?)。
 テーブル席では替え歌、アニソン、大合唱が始まる。もーこれが一番盛り上がったんじゃないだろうか。アニソンだとガンダム、ダンバイン、ボトムズ(名前があがっているのはレポートを書いている人間の殆ど主観による選曲です。だってこの頃のが一番好きさ。でも、きんぎょ注意報も好き、だって脳天気なんだもの)。お開きになるまで大合唱していたように思う。沖田、阪本両夫人の手による男性への化粧は始まりーの(とんでもねーよな。だって誰もクレンジング持ってなかったんだよ)。どこぞへ電話をかける人間はある。店の電話は鳴るでえらい騒ぎである。
 それでもカウンターの席ではなにやら落ち着いた雰囲気で五、六人が酒を飲んでいた。が、そこではリキュールが回っていたようだ。スモモとコケモモ、あとグレープとチェリーが美味しかった。
 結局まとめると個人でもグループでも全体でも盛り上がっておりました(そりゃもう大騒ぎさ)。
 私はマスターにキスしそびれました。
 店を出て何やら二次会があったようですが、私はそのまま帰りました。
 ちゃんちゃん。

追記 今回私を誘ってくださった岩瀬さん、それから観ているだけで面白かった
参加者のみなさん、それに何より新年早々ひとりで厨房をやっていらしたマスターと、真面目な顔のバーテンさん、本当にありがとうございました。今年がみなさんにとって良い年でありますように。
追記2 えっ、来年もやるんですか?

(なお、幹事の沖田氏のHPへの報告によると、一人当りの酒消費量は2・3リットル。ビール54リットル、ワイン32本24リットル他が当日参集者の胃袋へ消えたそうです。)


人外協忘例会レポート

竹林[Nina]孝浩

 事故のため1時間以上も遅れて来た送迎バスに乗って不死王閣にたどり着いた我々を出迎えてくれたのは、燦然とスポットライトに照らされた、白衣を着て試験管を掲げる高さ5mぐらいの銅像であった。銘板には「不死王閣 正郡道名博士」と書いてある。

 私達は一瞬不安にかられた。なぜならば私達の目的地は「旅館 不死王閣」だったはずだからである。どこの世界に、白衣を着た創立者の銅像のある旅館があるというのだろうか?……しかし、白衣を着た創立者の銅像のある旅館 不死王閣こそが93年の人外協忘年会会場であったのだ。(ちなみに幹事の落合[MSG]哲也も現地に着くまでこんな怪しい銅像があることは知らなかったらしい)

 とりあえず、食事の前に一風呂浴びようとしたのだが、エレベータの階数表示のパネルに『正郡道名博士資料室』と書いてあるのにつられてふらふらと見に行ってしまう。
 まあこの資料室といっても本当に小さな部屋で写真やら身の回りの品と正郡博士の発明品といったものが展示されているが、一番怪しげなのは「定刻賢人学会推薦」と書いてある「道名式牡丹鍋」であった。(見た目には単なるすき焼鍋と区別がつかない)
 ちなみに正郡道名博士というのは明治末期から昭和初期までの人物で、元来は著名な医者だったらしいのであるが、西洋医学と東洋医学の融合をめざすなどといって漢方薬の研究も行なっていたそうだ。それだけならば、まぁ普通の人であったのだが、ある日突然、猪の牙から不老長寿の薬を作る研究を始めたのだそうだ。で、この正郡氏、まずは実験材料を揃えるために、猪の養殖に挑戦したらしい。先祖伝来の屋敷まで売り払い池田の山奥に広大な敷地を用意し、大量の猪を飼育開始したのだが、これが成功しすぎ、猪が異常繁殖してしまったのだそうだ。養殖物とはいえ、猪は猪であり、家畜化された豚とは違いやはり野生化してしまうことも多かったらしい。また、逃げ出した猪が付近の畑を荒らしたり、子供を襲うという事件までもおこっていたらしい。
 とりあえず、猪が逃げ出さないようにと柵は作ってあったのだが、その柵もすぐ壊されるために、正郡博士は掘りを作ることにしたのであった。深さ役3m幅5mという堀を猪牧場(?)の回りに張り巡らし、猪の逃亡を防ぐことにしたのだ。
 その堀を掘っている最中に突然温泉を堀りあててしまったため、この正郡博士は不老長寿の薬の研究をきっぱりやめ突然温泉旅館を建てしまったのだそうだ。しかも大量に増えすぎた猪をボタン鍋としてその旅館の名物料理にしてしまうというへんな親爺だったようである。
 ただ、やっぱり研究生活からは離れがたくその後、旅館の経営が軌道にのると、再び自分は研究生活に戻り、「猪の牙入り避け 不死王酒」や「牡丹長命(猪の肝臓エキス入り健康食品?)」などといったものを発明していたらしい。

 とまぁ、こんなものを見ているうちに気がつくと宴会の時間になっていたので、慌てて宴会場に行く。今回の宴会のメニューは当然ボタン鍋であり、当然のごとく鍋は「道名式牡丹鍋」であった。仲居さんの話しではこの鍋を使うと普通の牡丹鍋よりもはるかにおいしくでいるということであるが、はっきりいって普通の牡丹鍋とどう違うかはよくわからなかった(一説にはよくわかるほど牡丹鍋を今までに食べたことのある人間がいなかっただけどいう噂もある)。
 で、まあいつものごとくわけのわからない宴会となり、隣のカラオケに負けずと大合唱大会へとなだれ込むことになったのである。
 ちなみに今回発表されたカラオケの新曲には、

などであった。
 ごく普通に(人外協としては、という意味である)宴会も終わり、とりあえず先程入りそこねた風呂に入って部屋へ戻って来ると、当然ながら宴会場となっていた。
 まぁ、詳細は下の時刊新聞を見ていただければ、だいたい想像はつくと思う。ちなみにこのとき行なわれた麻雀大会で最下位となった私はこうして忘年会レポートを書かされる羽目となったわけであるが、ブービーとなった荻野[PONKI]秀世、「猪の牙入り酒 不死王酒」を飲まされ『これなら最下位の方がよかった』と語っていた。

 このようにして不死王閣の夜はふけていったのであった。

PS.  翌日、箕面に猿を見に行ったが、その途中で岡の上に建てられた野口秀世博士の銅像を見たが、ポーズが正郡博士の銅像とまったく同一であった。

時刊新聞




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