年が明け、平成二年一月六日、実家から鳥取の四畳半下宿に戻ってきた私は一通の手紙をみつけた。それには平成元年一二月二十八日の消印が押され、土肥氏からの大忘年会レポートの原稿依頼が書かれてあった。そしてレポートの締め切りが一月七日であると記されていた。
なんと、明日ではないか。そういえば、岩瀬氏から依頼されていたような、ないような・・。お酒が入っていたとはいえ、すっかり忘れてしまっていた。いやはや、この原稿がちゃんと間に合えばいいのだが。
というわけで、大阪支部主催の合宿忘年会は、平成元年一二月九日(土)、京都のホテル「ウオジ苑」にておこなわれた。
私は鳥取午後三時発、大阪行きのバスに乗った。しかし「いざ宴会へ!」と意気込んだのはいいが、道路事情で遅れること一時間、大阪に着いたのが午後七時半。そこから阪急電車に乗り換え、結局会場に着いたのが午後八時半ごろ。つまり定刻より一時間半の遅刻であった。
さっそく中へ入ってみると、鍋が湯気を上げ、場はおおいに盛り上がっているところだった。私は五つほどある鍋の中から、できるだけ中味が残っている鍋を捜し、その日の昼+夜の食事を取ることにした。
私の見たところ、参加者は二・三十人で、名古屋支部、東京支部からも数人の方がかけつけているとのこと。
沖田氏から、東京支部例会にくれば、全国のうまい酒、珍しい酒が飲めるとのこと。一度行ってみたい。しかし鳥取から東京となると、単なる人外協の例会参加がいっぱしの旅行と変らなくなってしまう。『支部例会参加=小旅行』の方程式がなりたってしまうのだ。うーん、これはすごい!
一次会は九時頃におひらきとなり、ウオジ苑三階の和室で宿泊&二次会となった。二次会では、いきなり「こうしゅういろはかるた」が始る。一回目は、下の句だけを読むという、至極普通のかるた取りが、二回目からは下の句を逆から読むという、人間業を越えた−もっとも人外協ですから当り前かもしれませんが−ことがおこなわれた。
例えば、読み札の「(よ)酔ってたかって人外協は増える」ならば「るえふはうょきいがんじ」と読まれたわけである。(ちなみに、私は人間ですから、一枚も取れませんでした。)
その他二次会では、女の化粧をした既婚の某氏が踊っていたり、人外協お得意の替え歌が合唱されていた。
そんなこんなで『ゴルバチョフ』ウォッカや泡盛を空にしながら、甲州暦10年度人外協合宿忘年会の夜は更けていったのである。
そんな昔のことは覚えていないなぁ。
なーんて言ったら殴られるかなぁ。
<甲州・冬>1989.11.25-26 東京・朝明館
甲州冬とは「神林長平・野阿梓・谷甲州 デビュー十周年まとめて祝う会」の後泊として組まれたもので、谷先生が参加されたことから隊長により「甲州・冬」と命名されたものである(と思うんだけど<甲州画報>第20号で隊長は「冬の甲州」と言っている、ま、どっちでもいいんだけどね)。
さて、じゃ、何をやったんだといえば、隊長と稲泉隊員が化粧をした。酒を呑んだ。甲州組が襲撃してきた。
あまりにもいつもの例会そのものですね、ははは。
大方の方々は、既にパーティ及びその2次会でアルコールを摂取していたので、会場(朝明館)で酒盛を始めるやいなや、即、トップギアに入ってしまったのは見事というほかありません(なにがじゃ)。
で、夜半すぎ、谷先生は帰宅され(とーっても、マイホームパパなんですね、うらやましなぁ)、みんなも程なく床に就いたはず(早々に部屋に入ってしまったので、宴会後半の流れが掴めない)。
翌朝、朝食を取りながら書いたのがP6、P7の寄書きです。(Web
には未登録)
朝明館を後にして、近くのルノアールへ、さらに名古屋組みを見送った後、昼食に台湾料理を食べに神保町へ、と、知っているのはここまでですね。
というのも、次の予定が入っていたぼくは、ここでみんなと別れてしまったのです。で、つぎは忘年会。
<忘年会>1989.12.09-10 京都・ホテル「ウオジ苑」
上記にある翌朝のルノアールで参加を表明、行くことになったのです、が、つまり宴会です。これまた例会とおんなじだぁ。
えと、鍋はおいしかったです。で、安かった。
あとは、かるた取りやりました。
翌朝は、大阪でタコ焼きを食って帰ったのさ。
あ、終ってしまった。つぎは、初詣だぜ。
<奈良公園縦走初詣>1990.01.02 奈良
正式には<甲州暦11年 OUT DOOR初め/奈良公園縦走初詣(大阪支部主催)>。
新年会で朝方まで麻雀をしていや。思いっきり眠い。しかし、行かねばなるまい。
でいぶが来るし、磯崎さんも来るかもしれないんだから。あーあ、なんだか、お仕事をしtに奈良に出向いたもんですね。
10時、当然誰も来ていない。11時わらわらと、集る、隊長も来ないよーっ、とみんなが待っている中、登場。名古屋組が遅れるとの情報のため、先に食事。
12時、どうしたんだろ、と、みんなが心配しているとようやく名古屋組が到着。
さて興福寺−春日大社−三月堂−二月堂−東大寺、と回りました。
興福寺国宝館は「春季甲州祭」のオプショナル・ツアーでも行きましたが、阿修羅は美しいし、千手観音は迫力満点、なかなか押えておきたいポイントです。
そして東大寺。つまり奈良の大仏さんにお会いしてきたわけなんですが、いや、本当にガンダムって大きいんですね。あんなんが立ち上がって暴れ回ったら怖いようなぁー。
と言っているうちにもう5時だ。でいぶとの打ち合わせ(これが第一目的だったのさ)が充分にできなかったけど、磯崎さんとの打ち合わせなんかほとんどできなかったけど、あんまりゆっくりもしてらんない。ぼくと隊長は、名古屋組の方々や二次会に行くみんなと別れて、一路西明石に向かったのでした。(連荘で新年会だー)