スタッフはイベントの黒子である。その黒子が舞台で脚光を浴びるのは外道である。
これはおそらく、アフターレポートにおいても同様であろう。イベントの主役は参加者であり、参加者の率直な感想がアフターレポートにおいても主役でなければならない。
とはいえ、企画レポートはその企画のできるかぎりの全様を参加者に想起して貰えるものでもなければならない。そして、参加者の入替わりの激しい企画や企画意図と実際が大きく食違ってしまったものについては、スタッフ側からの視点も必要であろう。
というわけで、企画レポートのうち「特攻宴会桜丸」「甲州はし休め」「おにぎりプロジェクト」については、担当スタッフにレポート原稿をお願いすることとなった。また、不詳わたしが、春季甲州祭総企画責任者として、各企画レポートの冒頭に語るべきを語るという形式をとらせていただいた。
乱文のほど、どうか御容赦願いたい。
オープニングは、史上初の<実行委員長が喋らない>開会宣言である。私が黒子役で、白いスーツ姿の阪本隊長の背中に回り、浄瑠璃の要領で操り、司会の西川氏に科白を代読して貰う、という趣向だが、思ったほどウケなかった。残念。
「乾杯が日本酒だって!!」
衝撃のオープニングであった。
おちょこで乾杯はやりづらいね、などと言いつつ、かといって、いきなりコップ酒というのもあんまりだしなぁ、なんて考えるうちにオープニングは始まってしまった。でも、文句をいってはバチがあたる。なんせ、スタッフさんは禁酒だったのだから。オープニングに遅れてきて、ひたすら加工前の日本酒をかきこんでいらした姿が…。そうそう、料理は結構よかったと思っています。おいしかったし、量もあったし。もっとも下宿生がひさしぶりに豪華な外食をしたのでそう思っただけなのかもしれませんが。
やがて、阪本隊長さんのご挨拶がありました。白の上下がとっても似合ってらっしゃいました。話によると、楽屋裏で正装した隊長さんを見て、一部の女性方が「化粧したい!」と騒ぎ、これに対し隊長さんは、「後で!」と答えたそうですがこの一言をチェックしていたのは当麻[ガメラ]隊員だけだったそうです。と、いうわけで「後で」だそうですよ、その時の女性陣の方々。(寝た子は起こすためにある。)ところでこのときは陰山[空の要塞]隊員があやつり人形と化した阪本隊長をあやつっていたわけですが、この辺、なんか深い意味があるんだろーか。
そして、甲州クイズ。4点で2位というのはあまりに情け無いんじゃないだろーか、などと思ったが、さなえちゃんが2位で賞品をもらってうれしそうにしていたので他のことは結局どうでもいいことに思えてきたのであった。
あと、ゲスト様の御紹介とか甲州先生の御挨拶とかあったのですが、なにぶん、ずいぶん前のことなのでよく覚えていません。ごめんなさい。なんていいかげんなレポートなんだろう。……まぁ、いいことにしておこう。最後に、みんなと騒げてとっても楽しい一晩であった、とつけくわえて終わりとさせて頂きます。
集客力のあるイベント企画として通常もっとも多用されるのは複数のゲストによるパネルである。この形式にはしかし参加者が受身一方とならざるを得ない点が課題であると言えるだろう。「三題対談」は、落語の「三題噺」の形式を借りることによってその限界を打破しようとする画期的な試みであった。
『腐食割れ・看護婦・悪魔の詩』
「あのー和泉香於里さんでいらっしゃいますかー」 司会をしているはずの陰山氏の声が肩越しにした。企画が始って三十分もたった頃だろうか。
「これが終った後、アフターレポートを出す予定があるんですがーこれのレポートをお願いしたいんですがーよろしいでしょうか」
企画の真っ最中にナニをとぼけたことを、と思う人も多かろう。しかしだ。メモリーに放りこんだままの未処理の情報を整理してみれば、物事の別の側面が現れてくるものだ。例えば、食事の後、呻吟していた陰山氏。『ゲストの選択を誤った』と言いながら企画開始の告知をして歩いていた陰山氏。企画が始ってからはただひたすら『勘弁して下さい』と土下座を繰返す陰山氏。……その頼みをなんで断れようか。ああ、涙がでてしもた。
「いいですよ」
「そうですか。お願いします、もう手に負えませんわ」
この調子で十時まで続けるんでしょうか、と木村嬢(この時はまだ役職名がなかった)。
あと一時間以上あるぞとあたりを見回せば案の定人がいなくなっている。ゲストの取っ組み合いというアクシデントで十分早く始った谷甲州・石飛卓美・松本富雄の鼎談は、つまり、そういう状態になっていたのであった。
『SF・早川・締切・越冬』
なんと、休憩が入った。皆いっせいに席を立つ。おやおや、松本富雄が色っぽい目をしてこちらにやってくる。あいにく、彼等を邪険にできるほどまっとうな見識を持っていない。適当に応対をしていると、来た来た来よったで。酔っ払った甲州がまわりをぐるぐる歩きはじめる。人がなにかやっていれば自分も混ざりたい、酔っ払いの正しい心理状態である。
「せんせー、これあげるーたべてー」
と、すかさず名古屋名物金のしゃちほこ最中を差し出す。これはなんやろかーおさかなかなーてなことを呟き、ためつすがめつ最中をひっくり返していた甲州は、やにわに『でんぐり返り一口食い』を披露、その後も『でんぐり返り紙コップ蹴倒し酒こぼして畳びっしょり』などの美技が次々と炸裂、見物人が他にいないのが非常に残念であった。
『高校野球・健全・交換日記・中間試験・作品・航空宇宙軍史・NHK』
甲州は大平元首相のパフォーマンス(あーうーとしか言わない)を始める。一時は松本富雄も手塚治虫の話なんぞをし始めたのだが、山本某の『交換日記がこうかん日記(
こ
にてんてんをつけてください)としか聞こえない』という発言によりもとのもくあみ。結局、石飛卓美がまともに見えるというとんでもない状態が最初から最後まで続いた。
その後、ひらがな四文字でお題をいただこう(もっと危なくなりそうだと思ったのは和泉だけだろうか?『のんべえ』なんてのならいいんだけどね)といった企画を続ける努力が懸命になされたが、松本が歌いだすわ、甲州がマイクを投げ縄にして破壊活動に入るわで、スタッフがゲストを押えこんだ状態でお開きになだれ込んだのであった。つるかめつるかめ。
尚、この企画でなにが話し合われたか知りたい人には夏期甲州への参加をお勧めする。百聞は一見にしかずなんである。
「パート3」のタイトルが示すごとく、SFコンヴェンションにてこれまで二回催し、いずれも大変な好評をいただいた企画である。今回はさらにいびつな展開を求めて、アンケートを事前にとり、参加者からより幅広く質問をつのった。
ちなみに、この企画における谷甲州は、「三題対談」時のゲシュタルト崩壊状態からゾンビ期を経てにんげんんへの進化途上にあった。また、本企画における主だったQ&Aを後頁にて紹介しているのでご参照頂きたい。
「……と言うわけで、五分ほど早いけど始めます」 前ぶれもなく企画は突然始った。 <甲州は間違っている・パート3>。この企画は、夕飯の時に集めておいた質問アンケートをもとに、飛び入りの質問もまじえて甲州先生になんでも答えていただこうというものでありました。 「ヴォルテの舞台はどのへんになるのか?」「ソクラテスとヴァルキリーはどちらが賢いか?」などの質問にまじってわけのわからない難解な質問も多く、答えれらる甲州先生のこれまた脈絡のない難解な言動は思わず笑いを誘わずにはいられない迫力(?)がありました。(天皇が悪いとかロシア人が悪いとかそんなんしらんでとか) 全体的になごやかなムードの企画でしたが、途中潜水艦の事故の話題で盛り下がったり、ダンテ隊長はフィリピンのゲリラの人の通称だとかのまじめな話も少なからず存在していて、なかなかはーどな二時間余でした。 ちなみに優秀作は、「谷さんの本はどこへ行ったら売ってくれるのでしょうか?」でした。(答えは取り寄せが基本(!)だそうです。平積みの新刊本に手を出すのは「邪道」なのだそうで……?) |
石飛卓美が新興宗教のオーソリティーである事実はあまり知られていないようだ。この企画はその該博な知識と、氏のこれまた必ずしも有名とはいえない破壊的エンターテイナーとしての才能を結合させようという試みであった。石飛氏の講義要約などが後頁に掲載してあるのでそちらもご参照いただきたい。
もちろん谷甲州とはなんの関わりも無い企画である。
昭和の清算をするかのように雨が降り続く中、生駒山荘205号室では外道企画パート2が日付のクロスオーバーする24時から開演。その煙草でけぶった会場はまるで降霊パーティーでも始るのではないかと思えるほどオーラとパワーに満ちていた。「馬鹿面白くかつためになる宗教法人の作り方講座」という宣伝文に乗せられて、魔がさしたのか足を205号室に運んでしまった。今や第三次宗教ブーム。さらにハルマゲドンまであと10年。より人気が増そうが廃れることはないシチュエーションが整っている。4月から実施の消費税でも非課税だ。「いま、時代は新興宗教!」というところか。
石飛先生の講演はテンポよく歯切れよいものであった。衆議院議員の選挙用スピーカのような声のボリュウム、間の取り方は落語家そのものである。若干のカリスマ性、人間ばなれした恐さ、などが教祖になるための必要条件だそうである。205号室にいた人達は全員がその資格にパスしていたように思うわけだが、これは偏見だろうか。石飛先生曰く「芸人と教祖は紙一重」まさにその通り、納得のなである。
引き続きすの岩瀬氏による「全国統一霊力判定新テスト」が取り行なわれた。自然科学、人文科学、社会科学の3分野から出題され、霊力志向宗派、教団内での役職適性が分かる仕組になっている。「UFOを見たことがあるか」という平凡なものから「自動書記ができるか」というマニアックなものまでバラエティに富んでいた。途中で一人の女性が突然人の気配を感じたと騒ぐハプニングがあり会場の興奮は一層高まりを見せたのである。
「桜丸」は要するに、SFコンヴェンションにおける宴会部屋である。それ以上の何物でもない。敢えて言うなら、ポリシーを極めて率直に体現した名称を採用する事によって、流行りのCIを導入してみたのである?
特攻宴会がなぜ特攻宴会であったのかと問われれば座長が特攻してしまったからに他ならないと云わざるを得ないであろう。
1989年 2月25日午後9時、桜丸は開始される予定であった。しかし、準備の時間もあればこそ…。7時半頃からポロポロとお客さんが入り始め、開始時刻を急遽8時に変更。
「これは調子がいいな」と思ったのもつかの間、一向にそれ以上人数が増えず、3〜4人で9時頃まで、おとなしくチビチビと飲んでいた。
そして9時、宴会の開始である。とは云っても『三題対談』の裏番組という事もあってか出足は奮わず、仕方なく「入ったものは逃さない」を合言葉に(言ってたのは座長だけでしたが)チラッとでものぞいた人には「いらっしゃい、お待ちしてました」という元気のいい声が掛ることとなった。
途中、三題対談でゲストが盛り上がっているとかでどっと人数が減ったりもしたが、おおむね順調な宴会でスタートしたのであった。
そして、あいだに『石飛卓美の教祖をめざせ』をはさみ、午前2時より第二部の開始。
ここでは余興として、『虫プロアニメオープニング集』を始めとして、数本のビデオを上映、好評をいただいた。
そして宴会は朝まで…と云いたいところなのだが、実は最後の方は覚えていない。文字どおり、座長が『特攻』してしまったのである。従って最後の方は覚えていない。気がついた時には、生駒は白々と夜が明けていたのであった。従って、その辺の処は御容赦願いたい。噂によると、討ち死にした者も多数あったとか…。
コンベンションにおける企画責任者がいちばん重視するのは、実は企画の内容ではなく、その企画がコンベンションの雰囲気をどう盛り上げていくかなのである。
いわゆる時刊新聞の形式を借りた「甲州時報」も、情報の伝達そのものよりも祭りの雰囲気づくりのために是非にと設定した企画である。なお後頁に、全「甲州時報」縮尺版を掲載しているのでご覧下さい。
五藤氏と細野嬢、二人の本家「時刊新聞社」の人間を迎えてはじまったハズの「甲州時報」だが、開始二時間後には五藤氏は時刊の支局員を集めるだけ集めて蒸発。
残った細野嬢は来る人間を手当り次第にひっつかまえては「さー君が編集長だ!」とのたまう始末。(筆者もつかまった)挙げ句の果てには二人ともいなくなり、「生駒だて」と「おにぎりプロジェクト」と同居の時報部屋では、H君とA君が泣きながら朝まで編集しておりました。
その間コンベンション初心者をダマして某石飛氏に原稿を取りに行かせるわ、某嬢をとっつかまえてムリやり「レティちゃんおわびカット」を描かせるわ、ひたすらワヤ。そんなこんなで朝7時、最終号が出たとき、本家二人は何をしていたかとゆーと、スタッフ部屋で牧○氏をはさんでスヤスヤと寝ていたのでありました。
原稿を下さった(ぶんどられた)方々、どうも有難うございました。DAINACON.EXでもよろしくお願いします。支局員からのお願いです。
甲州祭の企画立案で最大のネックとなったのは、会場の都合上、終夜の企画室を3つしか確保できなかったことであった。これは企画のバラエティの維持が困難であることを意味する。そこで1つの企画部屋をリレー形式で複数の企画に用い、企画の切り換えや予定変更などは、扉の貼紙掲示や甲州時報によって刻々お知らせする等してフォローしたわけである。3部屋のうち少なくとも1つは、宴会からの避難場所として常時確保することとなった。「はし休め」はその目的を担わされたリレー企画のトップバッターであった。
一九八九年二月二五日七時二十分。ぼくこと天羽孔明は、春季甲州祭オープニング後最初の企画である
『甲州はしやすめ』のセッティングに取りかかるため二〇三号室へと向った。
この『甲州はしやすめ』とは、オープニング宴会でお酒をのんだあと、次の宴会までの中継ぎに、おいしい紅茶とお菓子でしばしの休息を取ってもらおうという主旨のもとに企画されたものである。ここで用意したお菓子は、ぼくと同じく当企画スタッフの磯崎加代子さんの調達品だ。また、紅茶は、ぼくと事務局長(岩瀬史明氏)の二人をメインに、他スタッフ数名の持ち寄った物となった。
セッティングもぶじ終り、いよいよ七時三十分。戦闘開始である……。
当初この企画を考えついた時、谷甲州をメインに据えて、協力団体が人外協とくれば、当然あつまる参加者も大酒飲みばかりであると考えられていたため、こんな企画に参加者が集ってくれるだろうか? という不安がかなりあったのだ。ところが、あけてびっくり玉手箱。そんな不安もどこへやら、開始直前より予想以上の参加者があつまってくれた。おかげさまで、紅茶入れマスターを勤めたこのぼくは、様々な紅茶をいれるのにおおわらわとなってしまい、うれしい悲鳴を上げることができた。もちろん忙しかったのはぼくだけでは無く、ぼくと同じくこの企画を受け持つ事になったスタッフの磯崎加代子さんや天羽麻衣子さん達も、てんてこまいの忙しさだったようである。
我々三名は、それぞれ可愛いエプロンを身に付けて参加者の接待にあたった。当然、恥ずかしながらこのぼくも花柄の割烹着を身に付けて、赤いベレー帽に赤いイヤリングといういでたちだった。やれやれ…
とにもかくにもそんなわけで、企画ったってこれといった目玉商品があったわけではなく、ただただ参加者の皆さんが、てきとうに無駄話をする談話室として楽しんでもらえたようである。この現象は、とりもなおさず我々スタッフの思う壷となった。
やがて終了時間の十一時前には、次の企画の準備のために入ってこられた谷甲州先生も含めて、立錐の余地もないほどのもり上がりのうえで終る事ができたのだった。
参加者の皆さん、ありがとうございました。
わくわく甲州ランドーーこれこそ春季甲州祭ではもっとも謎めいた企画である。
春季甲州祭は人外協が全面協力したとはいえ主催ではないので、この機会に隊の臨時総会をしたいけれど遠慮して夜中にやりましょう、そういう主旨で決定された企画であった。しかしその実態はーーああ、あえて言うまい。誰にも書かせるまい。
春季甲州祭の予算設定は、ややタイトでありすぎたかもしれない。
例えば、国民宿舎の標準的な夕食では終夜宴会に耐えられる腹拵えができそうにないのでは、という課題が提出されたとき、スタッフは無い知恵を絞ってできるかぎり安上がりの対策をたてようとした訳である。スタッフの一人がたまたまお米をタダで入手できるという事実が明らかになったとき、手段は一つしかない、と思われたのだ。
アフターレポートの表紙がカラーコピーで出せるくらいの黒字が出るといったい誰が予想したろうか? あるいは、スタッフや有志の差し入れがこれほど豊かだと(ありがとうございました!)誰が思ったろうか?
なお、日本茶を準備しておかなかったのはスタッフのまったくうかつなミスである。面目無い。
二月二五日朝、実行委員長宅に到着すると、前日の夜から泊まりこんでいたスタッフ数名の手によって、すでに第一弾のごはんが炊き上がっていました。
手を洗って「さぁ、握るぞっ」と気合いを入れたのですが、ごはん自体には気合いが入っておらず、手の上でまるめてころがすと、まるでお餅のような感触。 うーん、これはかなりやわらかい。水加減を誤ったようです。
「あまり力を入れて握るとノリになってしまうぞ」 ということになったので、やさしくやさしく……でもなぁー、形がまとまらないんだよねーっ。
さて、悪戦苦闘するうちに第二弾、第三弾、と、ごはんが炊き上がります。第一弾の失敗が教訓となり、あとになるほど、しっかりしたごはんが炊けるようになったのですが、「これはカンペキだっ!」と、いうような状態のごはんが炊き上がるころ、もう、お米はありませんでした。残念。
おまけに、普段は外食ばかりで暮らしているらしい実行委員長宅には、食器類や調理道具がほとんど存在しないため、なかなか大変でした。
変りおにぎりは、まず「赤色巨星」「木星」「遠ざかるおにぎり」「近づくおにぎり」「砂の惑星」、それから作ったあとで命名された「鬼太郎の親父」がありました。
以上の内で、まともにおいしかったのは「木星」と「鬼太郎のおやじ」ぐらいだったかもしれません。
なぜなら、それ以外のものは、見た目にこだわったため、中身に味がつけられなかったからです。
特に、通常の二倍以上の大きさの「赤色巨星」を食べて下さったお二人の方、ご苦労さまでした。
ちなみに、あの赤色は、お好み焼に入れる桜えびを細かくすりつぶしたもので、よく見ると目玉が黒い点々になって残っていたはずなのですが、気がつかれましたでしょうか。その他、緑色は青のり、砂の惑星はゴマでした。ま、そんなこんなで苦労して作ったのですが、売れ行きは期待したように伸びませんでした。 なぜかと言うと、お菓子やおかずなど、参加者のみなさんからの差し入れが山のようにあり、(ありがとうございましたはーと)「夜中になったら、食べるものがなくなって、おにぎりが売れるぞ」という予想がモロくも崩れさったためです。
今までの大会参加の経験からしても、こんなに食べるものや、お酒が余ったというのは初めてのことで、食べるものが底をついたので、しかたなく寝た、なんていう大会のことを思うと、天国と地獄。
もうひとつの敗因としては、お茶(普通の日本茶。紅茶はたくさんあったのですが)が用意できなかったことでしょう。おにぎりをお茶なしで食べるというのは、けっこうしんどいものね。これはあきらかにこちらの手落ちでした。
お酒を呑み飽きた人が「ふつーのお茶、ないのー」「お茶が飲みたいよー」と言うたびに、私は心の中で「ごめんねー」「ごめんねー」とあやまっていたんですよ。ほんとに、ごめんねー。
でも、ひとつ言わせてもらえるならば、私もあつーいお番茶が飲みたかったんだってば!
というようなわけで、最後に少し売れ残ってしまったおにぎりの行方を思うと、胸が痛む私なのでした。 お百姓さん、ごめんなさい! おにぎりさん、ごめんよーっ!
どーしてたった五、六十人規模のコンベンションでオプショナル・ツアーなんてものを企画してしまったかというと、石飛先生と冗談半分で「せっかく生駒でやるのだから新興宗教めぐりのオプショナル・ツアーなんて面白いですね」「そりゃええなぁ」とかいう会話を交わしてしまったことから始まる。結局時々正気に戻ってしまうスタッフの分別のおかげで原案はボツとなったが、ツアー自体は生残ってしまった。外道な一夜を過した後でそもそも生きて参加しようという奇特な人々がいるのか危ぶまれたが、結局参加者はスタッフを含めて十名。甲州先生が参加して下さったので大いに意気が上がった。春季甲州祭自体の参加者がゲストを含めて五十九名だから、全参加者の六分の一強が参加したわけである。
スケジュールはまず近鉄奈良駅の歴史展示コーナー見物から始まり、ついであの阿修羅王のおわします興福寺を見学。興福寺の仏像はみんな粒揃いなのだが、鑑賞力の有無なんぞ超越してなにがなんでも見る人を感動させてしまう阿修羅王はなかでもやっぱり凄い!
だけどどーしてポスターがあんなに高いんだ?
人外協の外道さに天も影響されてか、青空がのぞくのに小雨が降ったり止んだりするけったいな天候のもと、まずは昼食。昼食については下段の磯崎サンのイラストレポートをご参照ください。
そしていかにも人外協らしく、最後は酒造所見学で締めくくったのだった。ナントカは栄えるの格言どおり、俄かに激しく降ったアラレも我々はちょうど酒造所の屋根の下にいたので平気だった。奈良の老舗の銘酒「春鹿」の搾りたては一同感涙のうまさ。とはいえ何度もヒシャクでお代わりしていたのは我々のツアーの面々だけだった。つるかめつるかめ。どーして米からつくった酒にワインのようなフルーティな芳香がするのだろう? 甲州先生を始めとして参加者の半数は思わず一本買ってしまった(もちろん搾りたてのうまさは味わえなかったけど) というわけで、オプショナルツアーは最後まで人外協らしいめでたさで終わったのだった。アンケートにも感想がのってたけど、喜んで貰えてスタッフとしてはホントに嬉しい! 皆さん、また搾りたて呑みにいきましょうね!!