正式レポートはSFMで読んでください.これは私が見聞した限りでの無責任ワールドコン《谷甲州》レポートです.第48回世界SF大会は8月23日から27日迄オランダのハーグで開かれたが,私は前日の22日から26日朝までしかいなかったので全てを密着取材はできなかった.お許しください.
1990年8月23日〜
初日23日の朝だ.ロビーで中国から参加した3人と話しつつホテルの外をちらちらと見る.もうすぐハーグの中央駅から谷さんの乗ったタクシーが到着するはずだ.ここはワールドコン会場近くのベルエアホテルである.私は昨日柴野ご一家とKLMで一足早く来た.取材対象!の谷さんは山高昭氏,山岡謙氏それに青山智樹氏と早朝オランダはスキポール空港に到着しおっつけここへ着く予定なのである.
おやあれかな? 確かに日本人らしき顔が車窓に見え私は玄関へかけだした.おお,のっそりと現れたのは誰あろう谷甲州その人である.やあやあと挨拶をする.まず聞かされたのは機内で山高さんと二人してハイネケンを飲み続けていたとのこと.アラスカ上空でUFOならぬビールを満載した空中給油機がやってきたのではないだろうか?
私はかの酒量にワールドコンの間つき合えるだろうかとにわかに不安を覚えたのである.
開会式が午後2時なのでシャワーもそこそこの4人を会場へと案内する.谷さんワールドコン初乗り込みの図であるが,海外経験の多いご当人は相変わらずひょうひょうとしている.しかし内心は興奮しておられたと私は信じたい.青山さんを除きみんな企画参加者なので受付はすぐに終わった.
このあたりで谷さんに,岩瀬[魔法使い]が原文を書き,私が翻訳そしてSFファンのティム君にリライトをたのんで作成した「Koushu Tani and His World」を数十部渡す.
谷さんには内緒だったから彼のびっくりした顔を見て苦労が報われた.岩瀬君ご苦労さんでした.大幅にカットしてすみません.しかしファンや作家や出版関係に渡したり大変役にたったので作っていった甲斐があった.このチラシで谷さんに海外から問い合わせがあるかもしれない.
谷さんは好奇心丸だしで会場を探検したがるが,昼食を食べた(谷さんも私ももちろんハイネケンを飲んだ)後,開会式場のホールへ行く.去年のワールドコンのマスコット,不思議の国のアリスがトランプの兵隊を従えて登場して今年の宇宙ねずみアジマウスに大会をバトンタッチし,いよいよ第48回世界SF大会の幕開けである.谷さんに説明する.「去年はボストンだったでしょ.あそこは例のボストンティーパーティ事件があったとこで(もちろん谷さんご存じ),それをマッドティパーティと洒落てそこからアリスをマスコットにしたんです.今年はもちろんオランダのチーズにちなんでアジマウスなんですわ.」しかし今年のアリスちゃんはちょっと太めでしかも赤ちゃんを抱いておった.
初日午後の「SFインジャパン」のパネルでは,まずスライド上映をした.内容はあの「浅草日本SF大会」である.企画の少ないところは山岡氏苦心の撮影がカバーする.やはりシステムの違いが面白いのか,畳に座りこんでの日本ファンの夜の生態が興味深いのか結構反応は良かった.もちろん谷さんをちゃんと紹介した.その後いろいろ質疑応答を行う.このときネットワークで作成した英文の日本SF紹介の「INVITATION TO TODAY'S SF IN JAPAN」の英文資料を全員に配った.
もちろんその場で全部読むわけではないので反響は今後のお楽しみというところか.アメリカのネットワークでも反響があったのでこれからもがんばらねば.ねぇ谷さん! パネリストは谷さん,柴野さん,山高さん,山岡さんと私の日本人ばかり5人だった.
24日か25日に谷さんは,ふらりとひとりでハーグの下町へ出かけて屋台で例の酢づけのにしんを食べてきたとか.一緒にハイネケンでと約束してたのに残念と私は文句をいう.(私も後でにしんを食べることはできた.)行きは市電(トラム)で,帰りは歩いてホテルまで散歩を楽しんだそうだ.
それから面白いことがあった.
「大迫さん,びっくりしたよ.会場で航空宇宙軍の”ホーマン軌道まっしぐら”を着てる外人ファンが歩いてた.なんでこんなとこにあのTシャツが!? いったいどうなっとんねん.」そりゃ驚いたでしょうねぇ谷さん.種あかししましょう.しかしこんなにばっちり決まるとは思わなかったな.わざとやったんじゃないんです
実は昨年のワールドコンでドイツの友人に私が着ていた(!)のをプレゼントしたからなんで,それをそのドイツの友人フランクが着て会場をうろうろしてたわけ.でもあのときの谷さんのきつねにつままれた様な顔は見せたかったなぁ.
こんなこともあった.これはどんぶりマルガリータ事件という.被害者?は私なんだけど.24日の夜だったか,山高さんと谷さんと私の3人がパーティ巡りに疲れはて,しかしベッドへ直行するにはちと早いので,ホテルのバーへいったときのこと.おふたりはハイネケンと水割りだったと思うが,私は日本人らしく?マルガリータを頼んだ
ところがバーテンはでんとおかれたミキサーに原料と氷をぶちこむとやおらスイッチをon,バーの内部にムードもどこへやら異常兵器にも勝る轟音が響きわたった.がそれだけではない. 誇り高きバーテン氏がとりだしたグラスの巨大なこと,かたちは確かにマルガリータ用だが逆3角形の深さが実に5cmはある.それにシャーベット状に氷が砕かれた液体がなみなみと注がれて,はいどうぞである.さすがの谷さんも口をあんぐり,こんなのは初めてみたそうだ.ダイナコンEXで飲んだマルガリータをモスキートとするとあれはスペースシャトルだね.
谷さんはしっかり来年のシカゴ大会の参加申し込みもしておられたので,ワールドコン狂いの軌道をまっしぐらというわけだ.この申し込みをするフロアーには各地のワールドコン立候補委員会がデスクを出していた.ついでにTシャツやバッヂや小物をちゃっかりと売っている.谷さんはここで93年立候補のフェニックスのTシャツを買った.ブルーグリーンのあかるい色だ.彼は気にいったようで日本へ帰ったときも着ていて東京の通勤者の間をそれを着て帰ったということだ.ずいぶん目だったことだろう.(93年はサンフランシスコに決定)
さすがにプロだ,谷さんはラップトップの98LTを持参されていた.ただしなにか原稿を書く暇があったとはとても思えない.だいたい私も仕事を持って外出してもまとまって仕事が出来た試しがないので,今度谷さんにワールドコン中の活用度をうかがってみようと考えている.なにしろ突然時差ぼけで眠くなるかわりに夜中にパカッと目がさめるので,そのときに創作活動に努められたかもしれないから.
私にとっては最終日の8月25日土曜日夜,HUGO賞授賞式の後,谷さんの部屋を開放していただいて恒例のジャパンパーティである.手分けして30枚程の招待券を渡して回ったのだが,予想通りというか100名ぐらいの人たちが来てくれた.旧知のファン,作家,出版業者,BNF,日本人ファン,新しいファン,酒のみ,美女,怪物などなどいっぱい来た.私がジョウ・ホールドマンとノーマン・スピンラッドと話していて気が付くと谷さんがしっかり「Invitation
to Today's SF in Japan」と「Koushu Tani and His World」を手渡していたのでうれしくなった.そのときの谷さんの発言は「なんか度胸がでてきて,こうなったらどんどん渡してやるで!」であった.
エピソードは限りない.私の発った日曜日25日その夜のマスカレード(仮装大会)に続き,最終月曜日26日夜のベルエアホテルのバーの盛り上がりは,SWのカンティーナもそこのけだったそうな.後日ソラリスのファーサイドや宇宙塵のA.S.Fでそのあたりのレポートは読めることでしょう.
日曜の朝一人寂しくタクシーにのる私を谷さんは見送ってくれたのであった.ああ縁があるんやなあ.
おわり
ということで8月の22日、成田発のJALでオランダはハーグめざして飛び立った。同行者は、翻訳家の山高昭氏、宇宙塵の山岡謙氏、彼の友人である青山氏の三人。日本パーティ用に免税店でかった日本酒の一升瓶を、後生大事にかかえこんで窓際の席に陣取る。せっかく自前の金で飛行機に乗るのだからと、頑張って窓際の席をもらったのだ。となりの席は山高さんで、つきあいで禁煙席に座らせてしまった。煙草は吸えないが、飛行機が飛び上がったと同時に二人して酒を飲みだした。この便では酒が無料なのだ。最初がビールでその次はワイン、最後には日本酒の澗をもってきてもらって飲みつづける。山高さんも、結構酒のみだわ。矢野さんといい勝負だ。飲みながらクラークの新作や、ベンフォードとクラークの合作のことなんかをきいたような気がするが、酔っぱらってたのでよくおぼえていない。ベンフォードとクラークに関しては日本で一番くわしい人とさしで話したのに、もったいない話だ。それでも『宇宙のランデブー』は三部作になるのだとか(RAMA2の次にRAMA3までくるらしい)おそろしい話しもきいた(ような気もする。まちがってたらすんません)。
成田を飛び立ったのが夜中の10時すぎで、中継地のアンカレジには現地時間の昼過ぎに到着する。日本時間で夜明けごろだが、アラスカでは午後だからと到着の直前までビールを飲んでいた。さらアラスカから北極とグリーンランドをこえて、アムステルダムのスキポール空港についたのが現地時間で23日の朝7時すぎだった。オランダ時間では朝っぱらだが、日本時間では午後なのだからとやっぱり到着直前までビールを飲んでいた。ヨーロッパははじめてだが、入国審査があっさりしすぎていて拍子ぬけするほどだ。なんとなくネパールやフィリピンみたいに通関で手間がかかると予想していたら、知らない間に空港の外にでていた。通関なんかいつあったのかもわからないし、パスポートに入国スタンプも押してなかった。市内に向かう鉄道には改札もないから、気がついたら地下鉄のホームにたっていたようなものだ。便利というかあっけないというか、なんとなく値うちがないような気がするのは貧乏性のせいだろう。ハーグ市内にむかう電車は、田園風景のなかをごとごとと走っていく。さすがに運河が多く、街並みの向こうに船のマストがゆっくり移動しているのが楽しい。ところがハーグの中央駅についたところでトラブルが発生した。ほんのちょっとの油断で、日本酒の一升瓶を割ってしまったのだ。あきらめきれないので、そのままホテルにもっていこうとした。幸か不幸か、免税店のビニール袋にいれてあったので、無理をすれば回収はできそうなのだ。ガラスの破片が多少まじるかもしれないが、根性で飲み込めばいい。ところがタクシーにもちこもうとしたら、危険だというので運ちゃんに断わられた。仕方がないので、泣きながら駅のゴミ入れに放り込んだ。免税店でいちばんいい酒をかってきたのだがなあ。
ホテルについたところで、先についていた大迫さんの出迎えを受ける。会場はすぐ隣のコンベンションセンターなので、荷物をおいてそのまま登録をすませる。会場は広くてゆったりとスペースがとってあって、大小の会議室やホールが20あまりある。ここはハーグの街でも郊外にちかく、周辺には緑が多くて環境はなかなかよろしい。入ってすぐのロビーで登録をすませると、資料と名札がもらえる。この名札をつけていないと、会場には入れないのだ。会場の入口には常時スタッフが3人待機していて、名札の有無をチェックしている。登録は当日受付をふくめて最終日までできるし、名札をなくしたものは再発行もしてもらえるから(有料だったらしい)、これはなかなか合理的なシステムだ。宿泊は参加者が勝手にやるのだから、会場のキャパシティさえ充分にあればこんなやり方でも大丈夫なのだろう。ちなみに大会参加者の総数は、(主催者発表によれば)6000名あまりということらしい。会場が広かったせいか、そんなにいたのかという気がしないでもない。パンフレットによれば、事前登録が3500人ほどで、そのうちアメリカ人が1600人、イギリス人が900人ほどだった。やはり英語圏からの参加者が圧倒的に多く、地元のオランダ人は240人となっていた。ちなみに、日本からの事前登録者は22人だった(実際はもっといたようだが)。
会場に入ってみて驚いたのは、参加者の年齢がたかいことだ。若いものもいるが中年以上の年齢層が結構多いし、退職して旅行ついでにコンベンションを楽しんでいるらしい老夫婦もかなりいる。山高さんや柴野さんくらいの年輩のファンが、ちっとも目だたない。
だが会場を歩いているうちに、もっと驚くことに出会ってしまった。30分に一度の割で、かぷ氏と遭遇したのだ。念のためにかいておくが、かぷ氏その人が会場にいたのではない。よく似た人と頻繁に会ったのだ。もっとも、おなじ人間と何度も会ったのではない。かぷ顔をした別人がごじゃごじゃと会場を徘徊していたのだ。北欧系やらラテン系やら、中にはアラブ系だかアジア系みたいなかぷ顔を目撃したのだから、別人なのはまちがいがない(こんなことを書くと冗談みたいだが、これは正真正銘の実話です。ちゃんと私以外の目撃者もいます。それにしても、驚いたなあ)。同行した山岡氏にたずねると「これはつまり並行進化でしょう」と教えてくれた。哺乳類と魚類の違いはあっても、イルカと鮫が似たような形態をするというあれのことらしい。生まれた場所がちがっていても、環境がSFだとあんな顔になるということか。そうなると、かのホーキング博士もSFファンということになる。うーん。ワールドコンといっても、日本の大会とたいしてちがわないのだからおそるるにたらずという気もするし、わざわざオランダまでいってこれではすごく損をしたような気もするし、複雑な気分になった。
だが、こんなことは序の口だった。会場の廊下を歩いていたら、いきなり永瀬唯と顔をつきあわせてしまったのだ。知っている人は知っているが、あの顔はインパクトがある。しかし名札をみたら、そいつはイギリス人だった。でも似てたなあ。あれも並行進化だろうか。そんなことを思っていたせいか、このあとたてつづけによく似た知り合いと会ってしまった。もっとも最初の二人の印象が強烈だったので、会う人ごとに「だれかに似とらんだろうか」と無意識のうちにさがしていたのかもしれない。たとえば、
ほかにもあったようだが、途中からおどろかなくなってしまった。だが、最終日ちかくに出会った並行進化には本当に度肝を抜かれた。その女性は藁色にちかい金髪のショートヘアで、黒いフレームの眼鏡をかけたスリムなかわいい子だった。それがどういう加減か、人外協の隊長そっくりだったのだ(もちろんこっちは、れっきとした男性であります)。どうやらおなじ並行進化でも、最後の段階で遺伝子をとりちがえることがあるらしい。せっかくだから写真をとらせてもらおうかと思ったが、理由をどう説明していいかわからないのであきらめた。
あらら。ちっともワールドコンのレポートになっていないなあ。
明くれば第48回世界SF大会は8月23日から27日迄オランダのハーグで開かれたのですが,私は前日の22日から25日朝までしかいなかったので全てを密着取材できなかったのが残念です.その部分は谷さんのレポートをお楽しみに.
初日23日の朝だ.奥方とお嬢さんは横須賀から参加のクリフォード夫妻とチーズ市場見物とかでひとりぼっちの柴野さんと共に会場へ向かう.昨夕会場でドイツの友人と潜り込んだアートショー一隅のワ−ルドコン歴史展それから各国ファンダムの展示場へ柴野さんを案内する.もちろん日本コーナーもあって全国大会の歴代プログラムブックとファンジンを展示している.これはワ−ルドコン委員会に預けているので毎年必ず会場のどこかで展示されているのである.柴野さんとふたりで展示の準備をするが途中で柴野さんはWSFの打ち合せに30分離れられた.お次は私の番で,つまり山岡さん,谷さん,山高さんに青山さんの到着がもうすぐなのでホテルへ一度戻るのである.日本コーナーの準備は戻ってこられた柴野さんにおまかせして私はベルエアホテルへと引き返した.ホテルまで5分ぐらいだ.これが朝の10時頃.
良かった.まだだ.ロビーで前日柴野さんから紹介された中国の3人と話しつつホテルの外をちらちらと見る.タクシーが到着するはずだ.おやあれかな?
確かに日本人らしき顔が車窓に見え私は玄関へかけだした.つぎつぎに懐かしい顔が現れた.おお,のっそりと現れたのは谷甲州さんである.やあやあとみんなと挨拶をする.まず山岡氏から聞かされたのは,機内で谷さんと山高さん二人してハイネケンを飲み続けていたとのこと.私はかの酒量にワ−ルドコンの間つき合えるだろうかとふと不安を覚えたのだった.
開会式が午後2時なのでシャワーもそこそこの4人を会場へと案内する.青山さんを除きみんな企画参加者なので受付はすぐに終わった.受付ロビーでも「竜の卵」のR.L.ホワード博士,アッカーマン氏,「OMNI」誌のエレンダトローさん,エレンの連れがパットキャディガン女史で紹介してもらった.この大会の委員会スタッフや顔見知りと会ってしまいなかなか動けない.
この傾向は参加回数が増えるほどひどくなる傾向にあり山岡さんもカメラを片手に完全にワ−ルドコン気分でとんでいる.
この辺りでやっとジャパンレビューの打ち合せを行う.KLM機内で柴野さんに原稿を読んでもらい「なかなかちゃんとした英語に出来てますね.」といっていただいた「Invitation to Today's SF in Japan」のプリントを初めて谷さんから見せてもらう実は谷さんが忙しい出発前日にプリントを100部作ってきてくださったのだ.いやネットワークという手段がなかったら絶対出来なかっただろう.新しいメディアの威力と魅力を改めて感じた.初日のパネル「SFイン ジャパン」で来場者に配り,会場にも自由に取れるように置いておく,もちろん適宜手渡していくことで決定した.
私は,ではこちらもと谷さんに岩瀬史明君(人外協,白の乗り手会員)が原文を書き私が翻訳,そしてティム君がリライトした「Kosyu Tani and His World」を数十部渡す<谷甲州>の作風やジャンルそれに経歴概要を紹介するもので,本人は作って来る暇もないでしょうねと岩瀬君と相談して作ったものである.谷さんには内緒だったから驚いた顔を見て苦労が報われた.
ジャパンレビューはかなりの部数が捌けたはずだ.谷さん何部残りましたでしょうか?おかでさまで大変役にたったので作っていった甲斐があり本当に皆様に感謝です.このチラシを読んで谷さんにこれから海外から問い合わせがあるであろう.もちろん「...His World」も谷さんは必要なときに渡しておられたので今後反応があると確信している.他の国は結構自国SFの紹介ファンジンなどを作っているが日本からは初めてといっていいと思う.今後もよりよいものにしていきましょう!
さて開会式.一緒に会場一階のレストランで昼食を食べた後,開会式場のホールへ行く柴野さんは既にご入場.去年のワ−ルドコンのマスコット,不思議の国のアリスがトランプの兵隊を従えて登場し今年の宇宙ねずみアジマウス(!)に大会をバトンタッチし,いよいよ第48回世界SF大会の幕開けである.オランダのチーズにちなんでアジマウスが今年のシンボルキャラクターだが,今年のアリスはちょっと太めで赤ちゃんを抱いていた.白の礼装に身を包んだ実行委員長のキースのスピーチを聞いていると苦労がしのばれて柄にもなく感激してしまった.ゲストの紹介と挨拶の後に登場のオランダ文化省の女性の挨拶はながーいもので,どうして政治家の演説ってのはあんなに長いんだと皆ブツブツいっていた..
とにかく私は今年の大会では5つの企画に出ることになってしまい忙しかった.初日午後の「SFインジャパン」のパネルは,まずスライド上映でつい先日の「日本SF大会」である.企画の少ないところは山岡氏苦心の撮影がカバーする.システムの違いが面白いのか,畳に座りこんでの日本ファンの夜の生態が興味深いのか反応は良かった.
その後質疑応答を行う. このとき「INVITATION TO TODAY'S SFIN JAPAN」を配ったが,その場で全部読むわけではないので反響は今後のお楽しみ.パネリストは谷さん,柴野さん,山高さん,山岡さんと私の日本人ばかりだった.
夕食はみんなで市電にのってダウンタウンへ出かけたが,滞在の短い私には貴重な外出だった.夜は9時にならないと暗くならないので非常にありがたい.パーティが10時頃から始まるからなのである.食事を終わってホテルへ帰りシャワーをあびるとパーティまわりへと出かけた.主に今回はワ−ルドコン立候補地のパーティ(Bidding Partyという)めぐりで,人の間を縫って飲物やつまみ(無料です)片手にうろつく.”93年のハワイパーティ”ではノルウエイのうらなりみたいな大学生につかまりいろいろ話した.部屋の中を数カ国語がわんわんうなってすごい迫力である.この意志疎通の壁が日本での国際大会では重要な課題というのがよく解った.
2日目の24日(金)は企画参加がふたつ.
朝には「Save Energy; Fly a Kyte」と午後は山高さんと一緒に翻訳家のパネル「Translating; Creating the
Worlds」だ.前者は名の通り凧上げなんだけど,日本人参加者と指定された部屋で待っても誰もこない.パネルの相棒も来ない.その内スタッフがやってきて相手は病院へいってるという.時間は経つし誰も来ないし結局このパネルはお流れ,ワ−ルドコンでも国内とおんなじことがあるんですな.遠いところを凧を持ってきてくださった山岡さんと柴野さんには申し訳ないことになった.
午後のパネルは満員だった.SFの翻訳についてのパネルである.日本からは山高さんと私,司会は作家のジョンブラナー氏(流れ星をつかまえろ),それにオランダのEWYCK女史,スペインから美貌の翻訳家MACIAさん(残念,彼女の写真がない!)という顔ぶれ.横文字圏でもいろいろ悩みがあるということで特にジョークの訳が難しいという話で盛り上がった.山高さんには完全に異なる文化の言語への翻訳に関して次々に質問が集中していた.
企画の間にがんばってディーラーズルームとアートショーを覗く.アメリカの大会と比べると酷でCONFICTIONも頑張っていた.しかしディラーズはブライトンの大会の方が本も多く値段も安かったようだ.アメリカの業者は結構来ていたが,来年のシカゴで本は買うことにして私は余り買わなかった.ブリンの知性化戦争のペーパーバック「Uplift War」を買ってふと前を見るとタイミング良く本人が居る.この3月以来の再会で「アナタハゲンキデスカ?」と挨拶を交わす.可愛い婚約者のシェリルももちろん一緒だ.京都の山本さんに預かった写真を渡すとうわぁと喜んでいた.この時にばっちり日本訳と英語版の「知性化戦争」にサインをもらった.
ディーラーズルームでオランダの<トールキンソサエティ>に彼らに頼まれて買ってきた指輪物語とホビットの本を手渡す.大変喜んでくれた.結構重かったんだよね.とにかく私にとっては何かと忙しいのが今回の大会であった.
アートショーはプロの参加も少なかったと思う.いつもはっとする程の作品があるのだけど今回はそれもなく残念だった.
今日2日目の夕食は日本から予約しておいた「Meet the Pro Party」という夕食会である.料理はややこしい名前のインドネシア料理(佐脇夫妻はうまく発音されていた)で,数百名が大きなホールで<ぶっかけ料理>を食べながらプロと親しくお話しようよというディナーなのである.しかしですよ,会場や企画の部屋やディーラーズルームで誰かれに会ってしまうワ−ルドコンで,なんでプロにわざわざ会わなきゃいけないんだろう?料理はうまかったけど.ま,実際に食事中ハリィハリスン夫妻とは親しく再会できたし,ドイツのJeschke夫妻にはハリスン夫人が正式に紹介してくれたので文句はいえない.David
Hartwell氏にも再会した.山岡氏は写真を的確に撮っていく.
これら企画の間はさまざまの体験でぎっしりで,とても描ききれないがこんなこともあった.「どんぶりマルガリータ事件」という.被害者?は私.山高さんと谷さんと私の3人がパーティ巡りに疲れはて,しかしベッドへ直行するにはちと早いので,ホテルのバーへいったときのこと.おふたりはハイネケンと水割りだったと思うが,私は日本人らしく?マルガリータを頼んだ.ところがバーテンはでんとおかれたミキサーに原料と氷をぶちこむと,やおらスイッチをon,バーのムードもどこへやら轟音が響きわたった.がそれだけではない.誇り高きバーテン氏がとりだしたグラスの巨大なこと,確かにマルガリータ用だが逆3角形の深さが有に6cmはある.それにシャーベット状の砕かれた氷と液体がなみなみと注がれてはいどうぞときた.さすがの谷さんも口をあんぐり.ダイナコンEXで飲んだマルガリータをモスキートとするとあれはスペースシャトルだった.
25日は, まず午後1時からこの大会のエージェントを集めてのパネル「Ups and Downs of Agents」で参加者募集から送金の苦労やトラブル,エージェントをやって良かった事などを話すのである.私は南米へ旅立つ羽津さんからエージェントを頼まれたいきさつから話をした.今回は参加国数が多いことも出色であるから意義のあるパネルだった.出席したエージェントの国別は座った順番からドイツ(西),日本,オランダ,ノルウェイそしてフランスで英語によるパネルである
このあとディーラーズルームを覗き,次にアッカーマンさんのコレクションスライドショー(これが楽しい.アッカーマンションを訪問したくなることは受け合える)に行ったあと山岡さんと待ち合わせのホワード博士のパネル「反陽子消滅推進」に急ぐ.先に山岡さんが席を確保してくれて助かった.内容は博士の著書「SFはどこまで実現するか」に書かれているものである.大学の講義に出席している錯覚を起こすようなパネルで実に良かった.いい授業だった.
論文コピーをもらえるとのことで山岡氏と申しこんだ.9月初めには私の自宅に届いたが,星間旅行についての論文も入っていたので万歳!である.
いよいよ4時からは我らが星雲賞の授賞式である.オランダのキングコング賞やスペインの賞と共に「ヴァンゴッホ」ホールで行われた.司会はシルバーバーグ氏である.各国計4賞の内3番目が星雲賞,打ち合せ通り柴野さんのイントロから私が紹介され星雲賞の内容などを説明し,そのあと柴野さんが各授賞者を発表された.授賞者で会場へ来てくれたのはホワード博士である.今年の星雲賞はオランダまでは持ってこれなかったと<まねきねこ>の大きさの説明に一苦労する一幕もあった.
5時からは問題のジャパニメーションのパネルである.私は詳しくないので山岡さんが話し私が通訳という戦法だったが,相棒のイギリスのセミプロのカイト氏の英語が解りにくい上つめかけたアニメファンのお国なまりがひどいのに加えて私個人の知識不足で冷汗のかきとおしであった.山岡さんには感謝に耐えない.彼と(大部分だが)私が少し持ってきた日本アニメのアイテムやポスターはやはり好評であっという間に消えてしまった.東ドイツからきたブロンドの美女がキャプテンフューチャーのアイテムを欲しがって一生懸命日本への連絡先を聞いていたのが印象的であった.東ドイツでは紙が不足していたのでファンジンがだせなかったんだよとフランクが話していたっけ.
ヒューゴー賞授賞式は,読んでない作品ばかりなので私はパスである.結果はネットワークを含め(MAKKさん,ありがとうございました)既にいろいろなところでおわかりの諸氏も多いと思う.というわけでその間にジャパンパーティの準備を手伝うことにした.
谷さんの部屋を開放していただいて恒例のジャパンパーティを10時ごろから開始.手分けして30枚程の招待券を渡したが,予想通り100名ぐらいの人たちが来てくれた.旧知のファン,作家,出版業者,BNF,日本人ファン,酒のみ,美女,怪物など私はジョウ・ホールドマンとノーマン・スピンラッドと話すことが出来て嬉しかった.
谷さんは彼らにも「Invitation to Today's SF in Japan」と「Kosyu Tani and
His World」を手渡した.買物をしたりバスタブに氷をぶちこんだりパーティの準備に奔走してくれた佐脇夫妻には感謝の言葉もない.ディビッド・ブリン氏は婚約者同伴でお酒を平らげて去っていった.例の通りサービス精神たっぷりな人柄である.エレンダトロー女史は来なかったが,「疲れて寝てしまいジャパンパーティに行けずごめんね」と伝言が宮城博さんを通じてあった.いいな,またファンになっちゃった.廊下にまで人があふれたのでお隣の山高さんも部屋を提供してくださった.
ブライアン・オールディス氏も来た.アッカーマンさん,ハルクレメントさん(来年シカゴ大会のゲストオブオナー),シルバーバーグさんも現れた.私は途中でドイツパーティへ少し抜け出したので詳細は柴野さんに尋ねた方がいいかもしれない.イスカーチェリの木部さんともやっと会えた.女性陣,三木さんや釣賀さんたちも現れた.大阪の大学生,有馬君も頑張っていた.パーティに来たドイツの友人とドイツパーティへ抜けて行くときハルクレメントさんとエレベーターで一緒になった.(ちなみにベルエアホテルでは1階はHALとエレベーターのボタン横に表示)
いまとなってはおかしくもなんともないが,クレメントさんを見送ってから「HAL
to hell...!」といいあって大笑いした.
クレメントさん,すみません.何がおかしかったんだろう? 覚えていない.酔っぱらってたみたい.
私の発った日曜日26日その夜のマスカレード(仮装大会)に続き,最終月曜日27日夜閉会後ベルエアホテルのバーの盛り上がりは,SWのカンティーナもそこのけだったそうな.深夜まで飲んでいたようである.後日SFマガジンや,ソラリスのファーサイドや,宇宙塵のA.S.Fでそのあたりのレポートは読んでいただきたい.当夜楽しい思いをされた日本勢は谷さん,山高さん,山岡さん,宮城さんたちだった.
日曜の朝一人寂しく谷さんの見送りで帰路についたのだが,ところがどっこいSFの縁は未だ尽きず,クリフォード夫妻がレンタカー引き取りで空港まで行くのと同じ列車となり,孤独の車窓...1時間だけは免れることは出来た..
おわり