夏だ、祭りだ、SF大会!!(うーん、いいひびき……)
そんなわけで、行ってきましたSF大会!
人外協・全隊員分割レポートだと言うことなので、ぼくはSF列車について書きます。
六三年八月二七日(土)午前九時半。集合場所になっているど田舎は、上野駅中央広場身長十メートルおばけジャイアントパンダ前。たどりついてみると、もうすでにかなりの人。二頭身のガンダムが、『SF列車』と書かれたのぼりを背中にしょって、ぼくたちを歓迎してくれました。その隣で、ごく普通のサラリーマン風の兄ちゃんが二人。誰やと思うたら、近畿日本ツーリストの添乗員だったんです。どうも、どうも、二日間仕事とはいえ、あわれな役回りごくろうさんです。
十時四十分。いよいよ、SF大会専用五両編成特別団体直通臨時列車は出発です。ご丁寧にも、車両の横には『SF大会』と書いてあるため、一般客から異様な目で見送られながら、一路、水上温泉を目指したのでした。
ところで車内では、あろうことか、みずしらずの三人と同席することになってしまったんです。だからぼく、とってもドギマギしちゃった(はーと)と、いきなり口調が変になっちまったい。気をとりなおしてもう一度。
みずしらずの三人とはいっても、そこはこのぼくの事、黙っているなんてできません。おまけに、同席の三人および、その隣の席の四人は、ぼく以上によく喋る連中やったんです。
さてさて、列車の中では、休むひまがありません。なぜなら、大会当日に間に合わなかった、バインダー式公式プログラムブックを、自分で組み立てなければならなかったんです。これがまた、一枚ずつ配られてくるもんだから、完成するのに二時間半もかかりました。
ところで、SF列車のイベントは、プログラムブックを作る事だけではありません。途中、配られたお弁当を食べたり(そうです、これもイベントやったんです)同人誌の車内販売があったり……。そして、きわめつけが、車内版「仮面ライダーブラック」のアトラクションでした。
で、まぁ、二時。疾風怒濤のSF列車は、無事、水上駅へとつきました。
そうそう、水上駅のホームでも、コスチュームを着たお兄さん、お姉さんたちのお出迎えがあったんだよ(はーと)んでね、ぼくたちはそこからちゃんと二列に並んで水上観光会館へと行ったんだ(はーと)へへっ(はーと)
光会館へと行ったんだ(はーと)へへっ(はーと)
あ〜、いかんいかん、頭が跳ねだして、文章がおかしくなってきた。帰りのSF列車の事も書こうかと思っとったのに、行きだけで、ずいぶんと長くなってしまったので、本日これまで、さようなら。
それは一九八八年八月二六日のことだった。数日来の疲労が抜けきらないまま、わたしは特急つるぎに乗っていた。
数時間後には、わたしはSF大会の会場にいるのだ。言いようのない至福がつつみこむ。いつしか眠りについたわたしは夢のなかにいた。
夢はいつも断片的だ。ひとが望み、畏れるものだけが現れては消えていく。わたしもその切れ切れの場面の中にいた。
オープニング後のわたしだ。おまえは何をしているのだ。大会ではSFについて真剣に語りあうのではなかったのか。プールサイド椅子でくつろいでいて、いいのか。怠惰にふんぞりかえり、アトラクションショーなんかみるな。おまえは大会に来ているのだぞ。それなのにおまえは、おまえは…。
やまもとまさゆき氏のショーのあとだ。これから難波弘之様がステージに立とうというのに、おまえは出ていく。高校時代、難波弘之のファンと自称していたのは誰だ。こら出ていくんじゃない、あ、こら…。
深夜になり廊下をうろつきまわつわたしがいる。あろうことか、1升瓶をもっている。クールダンディーがおまえのモットーではなかったのか。ふらふら歩くな。どこでも寝るな。頼むから、そんなみっともないことはやめてくれ。
そうだ。これは夢なのだ。朝が来れば、わたしは真剣にSFを語るだろう。難波弘之のステージを見るだろう。そしていつものようにクールダンディーであるだろう。
そして、一九八八年八月二八日の朝がやってくる。
方向音痴には、かなりつらい宿でした。迷いまくりました。それと、気分が盛りあがってきたのが夕食すぎだったせいもありますが、二十四時間こっきりというのは短かすぎました。フルに遊ぼうとして、思わず完徹してしまいました。早朝の露天風呂が非常に心地良かったです。さすがに朝食は半分もノドに通りませんでしたけど。あと、FT系の企画がいまいちなかったな、とここで言うのは場違いですね。
個人的には大変楽しんだ大会ではありました。
新井素子、大和眞也のお二人が、直々にお茶をいれてお菓子を配るというサービスぶり。男子禁制だったけれど、笹本祐一氏はゲストだから、ということで入室許可され、三人を中心に、まず、いかにして水上温泉にたどり着いたか、という話題から。
方向オンチで有名な素子先生が、なんと「たった一人で水上温泉に来た」というくだりで、一同より拍手がおこりました。なにしろ前日の夜まで、水上温泉が群馬にある、ということすら知らなかったんだそうです。で、時刻表で「みなかみ、みなみかみ、みまかみ……」と駅を探し出した、というなかなか感動的なお話でした。
眞也先生の場合は、大好きな献血の話。(私は嫌いだよー)旅先で献血がしたくて、場所を探しまわったとか……参加者にも献血ファンは多く、「献血ツアーを組んで日本をまわりましょう」だの「私のところでは十回献血するとお医者さんや看護婦さんと一緒に記念写真をとります」だの、血なまぐさい(?)話がエンエンと続き、素子先生は「二百ccも血を抜いたら人間は死んでしまいます」と断言し、耳をふさいでおられました。
お二人が出した結論、眞也先生のケッショウバンはとても働き者で、素子先生のはケチなケッショウバンなのに違いない。うーん、そうすると、私のもケチなんだろか。
あとは今後の執筆予定。素子先生は、大学時代に約束していた原稿を、ようやく全部書き終ったので(卒業して何年たつんだ)今のところ予定はない、と断わった上で「今はとにかくSFが書きたい」と力説。
「今はとにかくSFが書きたい」と力説。
眞也先生は、反対に「恋愛小説が書きたい」のに書き始めてみると、なぜかSFになってしまう、と首をかしげておられました。
この二人のあと、女性のSF作家はあまり出ていないだけに(SFも書く作家ならいるけど)、とにかくがんばってほしいなぁと思います。
「作家とイラストレーター・イマジンの部屋」という企画が二十七日、22:00
からありました。これは、航空宇宙軍史シリーズのイラストレーションをスライドでうつしながら、甲州先生と横山宏さんに作品を語ってもらおうというものでありました。
22:00、
会場の「夕顔の間」には、ゲストの横山宏氏いしかわじゅん氏、SFAの関氏があつまり、一般参加者もそろそろ部屋を埋めつくそうかというほど集まっておりました。スライドの準備も整いいつでも始められる準備が出来上がっていました。しかし、待てどくらせど甲州先生がやってこない! あわてるスタッフ、間を繋ごうとする関、いしかわ、横山の三氏。とうとう最後には関氏の音頭で
“We want Kosyu!” コールまで起こる始末。
この待ち時間の間に関氏が「谷甲州についてどんなイメージを持ってますか」という質問を参加者にしたところ、「酒が強い」「腕力がある」などという答えばかり返ってきて作品についての話が全く出ないで大笑いしました。
すでに部屋いっぱいで、押すな押すなの大盛況となった参加者の
“We want Kosyu!”
コールの真っ只中、約15分遅れで、人外協特製Tシャツを着た甲州先生が登場しました。異常な盛り上がりに驚いて帰りかける一幕もありましたが、なにはともあれ企画が始まりだしたのでありました。ちなみに遅れた理由は企画番号(409)を部屋番号と間違えて409号室を探しておられたためでした。
部屋の電気が落とされ、スライドが映しだされます。横山氏が一言「反対と違うか」
航空宇宙軍史の絵は、宇宙空間を飛ぶ戦闘機の絵が多いので、どうしても上下が解らなくなってしまうらしく、それ以後もスライドのセットの間違いが何度かありました。
スライドはカラーイラスト(文庫表紙、口絵)からモノクロのイラスト(火星鉄道一九より)までちゃんと採ってあったのですが、甲州先生も横山氏も、カラーイラストには説明がつけられても、モノクロになると、「おおい、これ、だれやったかな」、「たぶん水星遊撃隊の……」という怪しげな雰囲気になってしまいました。あげくに「たぶん水星遊撃隊の……」という怪しげな雰囲気になってしまいました。あげくに甲州先生は「こいつはミッターマイヤーて言うてな」となかなか危ないことを口走る始末。結局、「火星鉄道一九」を持って来ていた参加者がその場で調べて、「それは表題作のです」とか「コックス大尉みたいですけど」と教えてその場の収拾をつけていました。
このとき、どんな話題があったかというと
「星の墓標」のシャチの背びれは、実は雌のものなので、あのシャチはジョーイではないという指摘が来た。(追伸・当麻:しかし後で調べてみると実は雄でよかった)
「カリスト」の口絵の背面飛行は描いた輸送機の絵を逆さまにしてつかった。
「火星鉄道」の口絵の、クロノスの機体のマークはなんですか」「『ソ』の字型やな」「この機体はソ連製でなあ」(おいおいおい)
「クロノスー3は、口絵と挿絵でだいぶ違ってるやないか」「ダイエットしたんでしょう」
などなど。
わりと淡々とスライドが取り替えられていき、約四十分で全部のスライドが出尽くしました。ほとんど司会者と化した関氏が、「では最後にこれからの甲州さんに期待することは?」という質問をされました。
参加者の一人が「雪風」を越えて下さい」
場内騒然。甲州先生、しばらくうなってから、やにわに胸を反らして「もう越えている」場内大拍手の内に「イマジンの部屋」はお開きとなったのでありました。
ひきつづき甲州先生は、東京の甲州組主催の「十冊記念パーティー」へと流れていったのでありました。