だれも書かなかったHIROCONレポート

 昨年11月3〜4日のヒロコンに関するレポートがどこの支部からも出されていないという指摘があった。これを受けてというわけでもないのだけど、今季の長崎支部報に掲載することにする。確か各々レポートの分担はしてたはずなんだけどね、大森隊員、原田隊員。
 にしてもヒロコンに関しては、隊長の発言が印象深い。「ヒロコン参加意義はなぁ、人外協の隊員を増やすことにあるんだぁ!」 はい、その通りでございます。(なんせ、うちの支部長がその典型だもんだから、、、)
 いろんな企画があったが、その全てをレポートできるはずもない。そのなかで芦刈隊員は一番多くのレポートを寄せてくれた。ここに感謝の意を表したい。

一番真面目なヒロコンレポート

芦刈[仮称つまんない]仁博

 編集長[図画耕作]
 現在出版されているマンガ雑誌に掲載されているマンガをバラして「不条理」、「格闘」等のテーマに沿って自ら組合わせて新雑誌を作る、一人一人が編集長という企画。編集も個性、各人の隠された素顔が露見されたのか、出来上った代物はオールロリロリ美少女もので統一されたものとか、全編怪奇物など市場に出ても、、というか出せそうにないものが続出。もっと早い時間帯ならさらにウケたと思うと、夜明け前のほとんど人が倒れてた時間帯は勿体なかったです。
 ちなみに、もしSF雑誌を使ってこの企画をやったとしたら、、あ、何も変らんか。

 吉岡先生の艦長の部屋
 無責任艦長タイラーシリーズで有名な吉岡先生がアニメ、映画の名(?)艦長達を鋭く斬る。さてその面々は?
 一部特撮ファンには有名なキ○○イ艦長神宮寺、ここでは最後の高ピーなムーの女王にくわれてたが、、、。ヴェルヌ原作の映画版ネモ船長とナディアのネモ船長、ノーチラスの装備の違いが同時代の設定にしては違いすぎるのに、一同関心。その次登場で贋者呼ばわりされる可哀想なマクロスのグローバル艦長、忘れてはいけない何もかもが懐かしい沖田艦長以下、ヤマト歴代艦長達、生きては還れぬ艦長席、艦橋が傾く攻撃を受けても艦長席以外被害は出ない、他人を座らせて自分はNo.2 に徹した古代は偉い!など散々なことを言われてました。
 そうして一番大ウケしてたのが、不滅の女たらし、例え記憶を失おうが惑星の原住民に手を出してくるのはやはり本能(この関係は記憶を取り戻すと同時に都合よく清算されたらしい)、USSエンタープライズ号艦長J・カーク!
 「どんな理由があろうと人を殺すことは許されるべきではない」という場面の次にテープ編集で、「それでもだめだったら?」、「殺すしかない」という問答を持ってきた所では場内大爆笑。これにはカークは極度のとり頭で三歩歩くうちに自分の言ったことを全部忘れてしまうという解説がつきました。
 盛況のなか、ちょうどいい頃合で幕が下りましたが、今回一番オタクが喜んだ企画ではなかっただろうか。

 レッスル・ウォーズ
 はっきり言ってプロレスを嫌いだったりよく知らない人にはなーんも面白くない企画。そのせいか人は少なかった。
 ソノラマや大陸書房で活躍されている飯野文彦先生がゲスト(格闘技小説の人ではない)。先生はジャイアント馬場をこよなく愛されているそうで、それが反映されてか思いの外ほのぼのとした雰囲気で進んだ。まず現在11にも増えたプロレス団体の個々の特徴と相関関係のお話。このとき石飛先生がフラリと現れて参加者に配られたレスラー名鑑だけ持ってくと「儂、酒飲んでくる」と言って退場。飯野先生以下一同、一瞬度肝を抜かれていた。
 その後、全日本・新日本のメジャーな2団体のレスラー、必殺技ベスト10を論表を加えながらビデオで流された。最近の流行技、パワーボム、DDT、ムーンサルト、プレスなどダブるものが目立ったのが特長でした。ちなみに必殺技No.1は全日本がジャンポ鶴田のバックドロップ、新日本が長州力のリキ・ラリアットだったと思う。
 ネタのわりに和気あいあいと盛り上がりファンにしか解らない用語や裏話で会話すると言うのはある意味ではSFコンベンションの原点ではなかったではないだろうか。
 私事ですが、昼間有刺鉄線電流爆破デスマッチ等で一般にも有名なレスラー大仁田厚の講演で聞いたことを話題にできた事と飯野先生の直筆のサインをタダでもらえたのは収穫でした。個人的には今回ヒロコンのなかで一番くつろげた企画と思っています

 わくわく絶版本ランド
 掘出物なし、これに尽きる。ただヒロコンの企画の特長だった大きな紙で前に貼りだしの広島市内古本マップはじっくり検分したかった。日があれば回ってみたかった。

 ラジオの気功法
 体操のお兄さん役にあたる先導のスタッフと他一名のみ参加。部屋にいる他の人間は全員マグロと化して寝息をたてているという状況で DAINACON のラジオ体操の異様なノリを知っている人間には少々寂しい企画でした。このスタッフは中国まで行って本式の太極拳の型を身に付けてきた。(まぁ別にこの企画のためでもないだろうが)との話を聞きましたが、さぞ残念だったでしょう。
 余談ですが、今回の参加者の年齢層は20代後半から30代始めが一番多かったらしい。これは体力に任せてオールナイトで騒ごうとしても夜明け前に力尽きてしまったり、めぼしい企画がない時間帯に要領良く睡眠をとってしまうというインサイドワークを憶えてしまったスれた世代が主だったということではないだろうか。不入りの原因のひとつはこれだったような気がする。

 創作講座
 選評をされた柴野先生より大変レベルが高かったとのこと。ただその具体的なものが企画に参加したものに伝わらなかった。参加者の一人から手が挙がっていたが、とにかくどういう作品か全然わからんというのに終始した。そのため柴野・阿部先生の講義も残念ながら空回りに尽きてしまう。応募作のコピーが会場の企画室前の壁など目立つ所にはりまくられていたが、時刊新聞は読んでもあれを全部読んだ参加者は多分いなかったと思う。スタッフが前で寸評を加えられた箇所の拡大図をひろげたりしていたが、順序を間違ったうえに中止されほとんど役に立たなかった。結局7、8作の応募作の中に珍しくハード色の強い作品があったという事とほとんどが広島SF研のスタッフの作品だった位しか言うことがない。柴野先生と阿部先生の作品を評価する際の観点の違い、打ち合わせもせず絞りこんだ作品が一致するさすがという出来事もあったが、一夜明けの後の企画ということもあり、雰囲気ははっきりいってだるかった。
 優秀作はエンディングにて表彰され、次回のSF大会ハマコンへの招待が賞品だった。個人的には期待していた企画だけに、もう少し手際よく進行していたら、と残念でならない。

一番不真面目なヒロコンレポート

楠本[ツアコン]礼子

 11月3日午後8時私ツアコンはひとり広島駅に降りたった。他の長崎支部のメンバーは当の昔に広島入りしているはず。一昨年の奈良での忘年会以来、人外協の行事には遅れて到着している私には遅刻常習犯のレッテルがはられている。
 といっても、今回のヒロコンは別に人外協の例会でもなんでもないはずなんだけど、やっぱり人外協のメンバーがひしめいている部屋があったんですね! そお、いわずとおわかりでしょう。人外魔教さま石飛先生のお部屋です。長崎支部のメンバーがどこにいるかわからない私は、まあここなら人外協のだれかがいるだろうと思って覗いてみたら、、、いるいる、ゆかさま、室長、MSG、井田さん、宮本家老さま、ダンさん(*2)etc。安心して(?)座り込んでしまった。途端に宮本家老さまから、夏の広島駅でのチケット紛失事件(*3)を追求される。もー、聞かないでったら。
 話しの途中からはいったけど、何の話しかすぐにわかった。椎茸の話しだった。その椎茸から毒キノコ(ベニテングだけもでました)にまで話しはすすんでいったが、「じゃ、今のうちに」という訳で(この今のうちというのはこの部屋の人数が少ないうちという意味。念のため)石飛先生がもっていらした古本のオークションが始る。
 まず最初は57年5月のEQMマガジン。申し訳ないけど楠本が50円で落としました。その後もおもしろそうな本がぞくぞくとでてきて、みんなほしいのになると、必死っ!という顔になっていた。(ねっMSG、あなたのいじましい姿は忘れられないわ)
 注目の奇想天外81年10月(この後休刊になる)までの7冊は、フッフッフ、私が競り落としたのさ! どぅわって、谷先生の「星空のフロンティア」が載っていたんだもん。(それも甲州のペンネームで!)、室長ごめんね。(*4)
 他の部屋の企画が終り、だんだん人が入りだしてきて、それにつれて競り落とされる値段があがってったような気がする。どうも最初の頃の値段というのは「人外協価格」らしい。自分の運の良さを実感(というより石飛先生のご好意という気が、、、、石飛先生ありがとうごさいました)
 このあと、隊長の好みの女の子(*5)がいるという居酒屋へ有志を募って移動、ちょっとした宴会をしてまたヒロコン会場に戻りました。その後ははっきりいってワヤクチャ会場内を流浪の民、結局落ち着いて居座ったのはやっぱり石飛先生の部屋だった。
 という訳で、楠本はヒロコン会場ではほとんどを石飛先生のところで過ごしていて、ほかをよく憶えていません。(と言うくせに道原先生のとこでちゃっかりサイン入りカードをがめてるんだな、これが、、、)んまあ、SF大会では酒が付き物というのを再任して新幹線に乗ったのでした。それにしても、帰りの荷物は重かった。なんせ奇想天外7冊、文庫2冊、その他etcと「バベルの薫り」まで買ったうえにフィナーレで水野先生からいただいた花束まで持ってたもんな、重かったはずだ。

*1 こんな時間に到着したのはもちろん仕事のためである。確か夏の広島での海水浴例会のときに会社を辞めてでもヒロコンに行くと宣言していた。
*2 広島支部長のご主人。正式な役職名は空の食欲魔神。
*3 きかないでほしい話しであるから言いたくない。文字通り、楠本が切符を無くしただけである。(ちっとも反省してないなぁ)
*4 もちろん室長と競り合ったのである。私が競り落とせたのは石飛先生のおかげといっていい。(女の子優先だったらしい)
*5 小泉今日子に似ている。そういえば、誰かがこの時撮った彼女の写真を随分大きく引き伸ばして博多の忘年会に持ってきていた。隊長、お手元に届いていますか?

一番短いヒロコンレポート

塩田[書記官仮免中]幸子

 柴野先生の密かなファンである私としては人外協有志による「明るい農村ツアー」との板挟みに悩みつつも柴野先生をとったのでした。
 内容はいつものスライド上映に加えて今回はビデオ上映もあり、総勢20名ほどのおだやかな企画でした。しかし私はこの時はじめて知ったのです。かの野田大元帥がいままでかつて一度もワールドコンへ行ったことがないということを! ウーン意外でした。あれだけしょっちゅうNASAに行ってるくせに、、。
 というわけで(なにが?)レポートにもなにもならないまま脈絡もないまま終りです。

というわけで

 4日は閉会後、人外協のメンバーが集ってお好み焼きを食べに行ったのだった。人数は全部で24人位だったと思う。しかし参加していた隊員全部が行ったわけではない!(隊員じゃない人もいたけど)いったい、大会参加者の何割が人外協の隊員(或いは関係者)だったのだろう。考えるだに、おそろしい、、、。




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